#5021/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 1/30 10: 7 (198)
そばにいるだけで 44−5 寺嶋公香
★内容
「相羽君達が迎えに来たわよ」
「もう?」
時刻を確かめる。きゃあと小さく叫んで、急いでスカートに足を通した。珍
しくミニだけど、白いタイツを履いているから寒くない。上にはセーターを着
込んで、リップクリームを塗って、それから、それから……。去年のクリスマ
スに椎名恵からもらったマフラーをして、最後に黒の帽子を被ってできあがり。
玄関の通じる廊下を小走りに行く。幸い、相羽らは外で待っているらしい。
「じゃ、行って来ます。――お待たせ」
「――明けましておめでとう」
白い息がもくもくと。相羽と唐沢が同時に言った。待ち構えていたと見える。
「こちらこそ、明けましておめでとうございます」
純子はお辞儀をしてから、手に息を当てながら二人の後ろを探した。
「あれ? 二人だけ?」
両手をこすり合わせて暖めつつ、目を丸くした純子。
初詣に行く前に、純子の家に集合しようという約束になっており、当然、町
田達も来ているものと思い込んでいた。何しろ、町田の近所の唐沢が来ている
くらいなのだから。
「それが、朝早くから唐沢の奴がうちに来て」
説明と同時に真横を指差す相羽。丈の長いグレーのコートに白っぽい毛糸の
手袋が似合っていた。髪は年末に切ったらしい。少し印象が変わった。
「宿題を一部すませてから行こうと」
「受験シーズンに宿題を出されるとは思わなかった」
淡々と語る唐沢の声は、ややくぐもっていた。それもそのはず、幅広の赤い
マフラーを幾重にも巻き、口元まで隠さんばかりにしている。横文字の入った
紺色のブルゾンを羽織り、寒そうに両手をポケットに突っ込んでいた。
「唐沢君は、芙美を誘わなかったの?」
「冗談を。宿題を写しに行くとあいつが知ったら、うるさいからなあ」
「あ、やっぱり写したんだ」
目を細め、手で口を覆いながら笑う純子。
「しどい。受験勉強に集中したいからやったまでのことなのに」
唐沢はマフラーを下にずらし、苦笑混じりに抗議した。
「『しどい』と言ってる人が、合格できるのかいな」
新たな声に往来を振り返ると、町田が姿を見せていた。富井と井口も一緒だ。
町田がジーンズにタートルネックのセーターという、どちらかと言えば男っぽ
い出で立ちであるのに対して、富井は厚手の白シャツにオレンジ色のベスト、
その上からコートを着て、スカートは焦げ茶のロング。井口は水色のワンピー
スにチェック柄の大きなショールとめかし込んでいる。
「明けましておめでとー!」
「本当のおめでとうは、受かってからだけどね」
それぞれ新年の挨拶をして、出発。今年は時間がもったいないということで、
手近のお宮に向かう。
「年賀状、ありがとう。今年は割とあっさり、すっきりしてたよね」
「お互い様でしょ。何しろ今年は忙しい身ですから」
「お賽銭、奮発した方がいいかしら」
「そりゃあねえ。あのとき十円にしたせいで落ちた、なんていう寒々した思い
を味わいたくはないわね」
「お年玉、親からはいくらもらった?」
「今年はまだなのよ。うちの親、変に縁起担ぐから。『おとし』っていうのが
縁起悪いってさ。字が違うっての」
「受かったら、みんなで打ち上げしようよー」
「仲間外れにならないよう、気をつけねば」
道すがらの会話は、何を話題にしても受験に関連付いてしまう。みんな、た
め息混じりに笑うしかない。
ピークにはまだ早いらしく、神社はすいていた。無論、人通りは普段の何倍
もあるが、混雑はしていない。おかげで、横に六人並んで、お参りすることが
できる。
(緑星高校に受かりますように。みんなも志望校に受かりますように。それか
ら、相羽君が気を変えてJ音楽院に行くなんて言い出しませんように)
三つも立て続けにお願いして、欲張りだったかなと思った純子は、お賽銭の
効果がある内にと急いで付け加える。
(自分でも努力しますから)
「御利益あるといいんだがなー」
嘆息する唐沢が大きな鈴を見上げている。左隣の相羽が、「なるようになる
でしょ」と悟ったような口調で言うと、唐沢はいきなり相羽に向き直った。
「そりゃ、おまえはいいよなー、余裕あるんだから。万々が一、緑星をミスっ
たとしても、J音楽院に」
「嫌な言い方するなよ」
眉を寄せる相羽。J音楽院には行かないという発言を、純子以外、まだ誰も
知らない。誰も聞いていない。故に皆は、相羽がとりあえず緑星も受け、どち
らに行くかはそのあとで決めるんだろうという認識を持っている。
実際、J音楽院の入学手続きは今年の八月までに終えればいいという規則ら
しい。正規の高校授業が九月開始だからだ。ただし、早く手続きをすませると、
それだけ早く、そして多く、予科としての音楽の専門授業を受けられるシステ
ムになっている。
「だいたい、余裕のある受験生なんていない」
「それ以上言うな! できる奴が言うのを聞くと、今の俺はほんとに殴ってし
まうかもしれない」
グーの形にした手に息を吐きかけ、低くつぶやく唐沢。相羽は脱力したかの
ように肩を落とし、苦笑を禁じ得ない。純子達三人の女子はくすりと、そこに
含まれない町田は遠慮なく笑った。
「みんな、他人事だと思いやがって……。こちとら、デートを断って勉強して、
それでもよっぽど運がよくないとやばいかもしれないと言うのに――うん?」
愚痴り始めた唐沢の肩を、相羽が後ろからとんとんと、指先でつついた。
「唐沢、ちょうどいい物があるぜ。運試し」
相羽が示したのは、社務所横にあるおみくじの自動販売機。缶飲料のそれに
比べると全く愛想のない箱が、少し日に焼けて立っている。
「俺は占いとかくじの類は、女の子と一緒のときだけ信じる」
「いるじゃないか、女子」
妙なポリシーを語る唐沢に対し、相羽は純子達を見やった。
唐沢はマフラーを緩めると、疲れ口調で言った。
「俺以外に男がいると、どうもやりにくいんだよな」
「じゃあ、おみくじを買い終わるまで、僕だけどこかへ消えとこうか」
「もういいさ」
唐沢がそう応じたのには、理由がある。純子達女子四人がすでにおみくじの
販売機の前に立っていたからだ。
「こんなところで運を使いたくないのだが」
それでも気合い充分の表情で硬貨を投入し、目を瞑った神妙な顔つきで一つ
祈りを捧げてから、両手で大事そうにくじを取り出す唐沢。
「――やった、大吉! ついてるぜ!」
「おーお、本当に運を使い果たしちゃいましたね」
両手を上げて喜ぶ唐沢に、即座に茶々を入れたのは町田。
「違ーう。俺はさっき、合格をお願いしたんだ。神様からの返事がこれだ」
「あら。そういうもんかしら。おみくじ代とお賽銭は別々なのは不思議よねえ」
「うるさいぞ。おまえはどうなんだよ」
「末吉」
蛇腹になった紙をぱらぱらと広げる町田。末吉なのに嬉しそうだ。
「分相応って感じがよいわ。誰かさんと違って、運を使い果たさなくてよかっ
た……きゃあー」
唐沢に追いかけられて駆け出す町田であった。
「私も大吉だぁ」
富井が手を叩いて気色を満面にあふれさせる。下が砂利でなければ、もっと
景気よく飛び跳ねていたかもしれない。
「ね、ね、みんなは?」
「私は中吉だった」
「私も同じ。中吉なら上々よね」
純子と井口が答えてから、この三人で相羽の手元をのぞき込む。
「え。凶?」
富井が目を大きく開き、相羽の横顔を見つめる。
「嘘?」
読みにくかった純子と井口も立つ位置を変えて、改めて相羽のおみくじを見
る。やっぱり、凶だ。
「参ったなあ」
相羽は顎から口元にかけてなで、軽く息をついた。町田を追ってまだ走り回
っている唐沢の方を見やり、自嘲気味に表情を崩す。
「厄払いをしとかなくちゃ」
「相羽君て、信じる方?」
井口が聞いた。
「信じるかどうかと聞かれたら、全然信じないと答えるけれど……こういうの
は気分の問題だから」
「あの、交換したげようか?」
純子が申し出るのを、相羽は苦笑で応えた。代わりに、やっと戻って来た町
田が弾む息を整えながら言う。
「そんなこと、しても、意味ない、でしょうが」
「でも……私は凶でも気にしないから」
「何なに? 相羽、凶だったって?」
続いて戻って来た唐沢が額の汗を拭いながら、大笑いを始めた。そこいらを
走り回って息が上がっているはずなのに、元気がいい。外したマフラーを相羽
にかけてやる素振りを見せ、「恐ろしさで背筋が凍らないよう、暖かくしなさ
い」と妙な冗談を口にする。
「まあ、喜べ。大凶じゃなくてよかったなと」
「大凶を入れてるおみくじは、全国の神社でも一つか二つって聞いたぜ」
あきらめた風に笑った相羽は、おみくじを縦長によじると、近くにあった藁
製の細い縄に結んだ。
「私もしておこう」
純子も中吉のおみくじを縄に結び付けた。電線に並んで止まる雀みたいに、
仲良く隣り合う二つのおみくじ。北風に揺れた。
「ちょっといいですか」
鳥居を抜けた直後、明らかに外国人と分かるイントネーションで呼び止めら
れた。相羽とのお喋りに夢中になっていた富井と井口、例によって掛け合い漫
才のような言い合いを始めていた唐沢と町田は気付かず、純子一人が声のした
方向を振り返る。純子には聞き覚えがある声だった。
(――エリオットさん、だわ)
意外感から来る一種の放心状態が短く続いたあと、純子は相羽を見やる。相
羽にとっても聞き覚えのある声だったからだろう、彼は富井と井口の話を手の
平を立ててストップしてもらい、渋い色合いのコートを着たアルビン=エリオ
ットの前へ歩み出た。
「どうしてここに」
思わず日本語で話している。相羽自身、驚いているに違いない。エリオット
は右手を差し出してきた。握手を成立させながら、ぎこちない日本語で言った。
「あなたの家を訪ねると、お母さんが、息子さんはこちらに向かったと、言い
ました。相羽君に用事があるので、私は追いかけてきたのです」
「迷わずに――」
そこまで口走り、相羽は英語で言い直した。しばらく英語の会話が二人の間
で続く。聞き取れないほど早口なのは、寒さのせいではないだろう。
「あれで試験、落ちるはずないよな」
唐沢が愚痴っぽく言う横で、町田が眉間にしわを作っていた。
「誰なのよ、あの外人さんは」
「知らなーい。相羽君の知り合いみたいだけどぉ」
「日本語喋れるってことは、英語の先生だったりして」
女子三人が議論するが、一人状況を把握できる立場の純子は、富井達に説明
するのも忘れて、呆然と相羽とエリオットを見ていた。
(どうして、エリオットさんがここに? まだ日本にいらしたの? そもそも、
どんな用事で日本に来られたのよ?)
疑問の気泡が次から次へと浮かび上がり、答を得ぬままにぱちんと弾ける。
純子は、嫌な予感に急襲された。
エリオットは話を一旦終えると、身体の向きを換えた。その途中、純子の顔
を見て思い出した様子で、ちょっとびっくりした風に口をすぼめる。その後、
軽く会釈をしてきた。思わず、帽子を取って礼を返す純子。何事なのか聞こう
と、口を開いたが、言葉が出てこない。そうする間にもエリオットは道を横切
り、待たせてあるらしいタクシーに向かう。
「みんな、悪い」
向き直りながら、いきなり謝ってきた相羽。
「急用ができた。今日はここでバイバイ」
無理に笑った表情があった。相羽もタクシーに同乗するのは明白だった。
「急用なら仕方ないが、説明ぐらいはしてくれるんだろうな」
いち早く、唐沢が聞いた。関心のない素振りをしておきながら、やっぱり気
になると見える。
「……あの方はエリオットさん、J音楽院の人なんだ」
相羽は息苦しそうに返事を絞り出すと、五人に背を向けた。
(もしかして……そんな?)
さっきのおみくじの結果が思い起こされる。あの凶は相羽にとってではなく、
自分にとっての運勢なのか。
(私には嘘を言って安心させといて、本当は行くつもりなの?)
――つづく