#4974/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/11/29 15:10 (193)
そばにいるだけで 42−6 寺嶋公香
★内容 16/10/28 02:48 修正 第2版
学校に着いて、廊下を行く道すがら、純子は相羽から距離を置いた。予測し
ていたから。
そして純子の予測通り、教室に入る直前にはすでに、相羽は男女を問わず友
達数名に囲まれる。
「ひっさしぶりー。何やってたんだ?」
「三日も休めて、いいよな」
「旅行って、どこへ何しに行ってたの?」
純子も聞こうと思っていた問い掛けが、皆によってなされる。やや離れた位
置で立ち止まり、耳を傾ける。
人の輪の中心で、相羽は前髪を軽くかき上げた。何となくだが、困っている
様子が窺えなくない。
「――法事」
相羽は単語で答えると、そそくさと自分の机に向かった。崩れかけた輪がそ
のまま移動していく。
鞄を開きながら、相羽は息を深くついた。おもむろにみんなを見渡し、同時
にノートを指差す。
「ノート、写させてほしんだけど、誰か……」
すぐさま女子の何人かが反応した。「はいはい、私の!」などとうるさいく
らいの声。挙手までする者もいる。
(登校のときに言ってくれればいいのに)
純子は席に着くと、窓を閉めた。それでも、すきま風がどこからか流れ込ん
でくるようだ。
(やっぱり避けられてるのかしら……)
そんな騒ぎの中へ、隙間を縫うようにして最前列に姿を見せたのは白沼。早
早とノート何冊かを手にしている準備のよさだ。
「私のノートをどうぞ。ちゃんと、相羽君のために書いたんだから」
どういう意味かと思ったら、白沼は自分自身のため以外にもう一冊、余分に
ノートを取っていたらしい。
「もらって」
「ありがとう。けれど、自分で書き写さないと、身に着かないから」
相羽の穏やかな口調の話を遮り、白沼は笑みをこぼしながら首を振った。
「それはそれでかまわないわ。とにかく、そのノート全部、あげる。あなたの
ためだけにしたんですからね」
結局、押し付けられる格好になった。ただし、相羽は本当に嬉しそう。と、
純子にはそう見えた。
「うらやましいぜ、この」
清水達男子が冷やかしても、相羽は特に否定も肯定もせずにいた。
* *
十月下旬、放課後ともなると、校舎のそこかしこから釘を打ち込む金槌の音
や大荷物を搬入するための足音などが聞こえ、にぎやかな話し声が加わる。文
化祭準備は大詰めを迎えていた。特に三年生は各クラスとも出し物の準備で盛
り上がっている。
五組では、多くの者が喫茶店の準備に関わる中、相羽は持って来た奇術道具
のチェックをしていた。一見極普通の透明なコップに布製の赤いボールが十数
個、色とりどりのハンカチや二メートル近くありそうな白いロープ、大きくク
エスチョンマークの書かれたいかにも怪しげな箱まである。
仕掛けが細工された物をあまり好まない相羽が、今回たくさんの道具を用意
したのは、数をこなすのが大事だというみんなの意見を採り入れたから。さら
に、トランプカードを使ったクローズアップマジックだけでは少し地味だ、見
栄えのするものをやってほしいともリクエストもあったので、こうした様々な
小道具を集めた次第。学校へ持ってくるだけでも大仕事だが、壊れていないか
を調べるのも一苦労。何しろ、皆に仕掛けを知られてしまっては面白くない。
こっそり調べなければいけない。
と、そこへ、
「何か見せて」
白沼から頼まれ、手の動きが止まる。ちょうどコインを扱っていたところだ
った。
相羽は白沼へ向き直ると、右手で机の上から濃い紫色をした大きめのハンカ
チを取り上げた。さらに空のコーヒーカップを引き寄せると、そのまま特に講
釈せず、左拳を隠すようにハンカチを被せる。
「よく見てて」
白沼の目を左手のハンカチに向けさせ、充分に顔を近付けたところで、左の
指をちょいと動かす。手の平でホールドしていたコイン一枚を送り出し、ハン
カチの中で立てる。当然ハンカチも少し盛り上がった。
右手でその盛り上がりを摘み、ハンカチを持ち上げ、ひっくり返す。金色を
したコインが顔を覗かせる。そのコインを左手で摘むと、白沼に示してから、
ゆっくりとした動作でコーヒーカップの中へ。
ちゃりん。小気味よい音が響く。
これだけならどうってことない。左手にコインを隠し持っていたのだろうと
容易に想像できる。
しかし、相羽はこの動作を何度も繰り返して演じて見せた。手の中に隠しき
れないはずのコインを右から左から、延々と取り出すのだ。
これには白沼はもちろん、いつの間にか見物に集まってきていたクラスメイ
ト達も目を見張った。
「どうなってんだ?」
当然の声が飛ぶ。相羽は気をよくして、コーヒーカップを顎で示した。
「ここでお客さん相手にこう言うつもりなんだ――中をよく見てご覧」
みんながカップの中を覗き込む。同時に、「あれ?」という声が連続して上
がった。
「あんだけ入れたのに、三枚しかないぜっ?」
清水が怪訝な表情をするのへ、相羽は左手小指を見せた。そこには、小さな
釘が一本挟まれている。
「その釘がどうしたの?」
首を傾げる白沼。口をすぼめ、本当に悩んでいるらしい。
「最初の三枚は本当にコインを投げ入れていたんだけど、途中から変えたの、
気付かなかった? この釘をカップの縁に当てて、音を立ててたんだよ。いか
にもコインを入れたと見せかるために」
全員、ため息を漏らしたり首を振ったりと、感心している。
相羽はかすかに笑った。このマジックの種明かしすべてをしたわけじゃなか
ったからだ。これで納得してくれるなら、ここまでにしておこう。
それよりも大事なことがあった。純子が、遠巻きにではあるが、相羽の演技
を観てくれていた。微笑みを見せたように思えた。
ほっとする一方で、複雑な思いもよぎる。
(僕はまだ君の前で平気な顔をして笑うのは難しいけれど、君はもう何ともな
いのかい?)
* *
あくびはこらえたのに、涙がにじんできた。寒さのせいだ。
文化祭当日の朝は冷え込んでいた。テレビの天気予報によると、平年を大き
く下回る気温らしい。昼間、日が射してくれば回復すると言うが、裏を返せば
それまでは我慢しなければいけないということ。
早めに登校した純子は手に息を吹きかけてから、扉を開けた。
喫茶店として飾り付けを終えた教室内は、派手でにぎやかな雰囲気を遠慮な
く放っている。
純子は自分に割り当てられた用具器具を置くと、今度は取って返して演劇部
部室を目指した。最後の簡単な台詞合わせがあるのだ。
遅れることなく全員が定刻に集合し、手際よくリハーサル開始。身振り手振
りを交えた最終練習は特に問題なくやり通せた。
「三年生はどこもクラスの出し物があると思うけれど、まずはこちらを優先、
専念してちょうだいね」
飛鳥部が改めて“おふれ”を出す。続いて段取りの最終確認に入った。
「開会セレモニーが済んだら、その次の次が私達の出番だから」
演劇部の劇は毎年文化祭恒例の演目であり、全校生徒は体育館で観劇を義務
付けられている。各展示に赴けるのは劇のあとからだ。
演劇部部員達は開会式が終わればすぐにクラスの列を離れ、本番に備えて準
備に取り掛かることになっている。
「涼原さんはプレッシャーに強いそうだから、敢えて言うけれど」
説明を終えた飛鳥部が、純子だけに話し掛けてきた。にこにこしている。
「プログラムには、あなたの名前も大きく載せておいたからね」
「え」
文化祭当日に配布されるプログラム。その見開きの左手上方には、劇のタイ
トルと共に出演者の名が記されてあった。風谷美羽という文字に続いて括弧付
きで涼原純子とあり、さらには四月に放映されたドラマ名まで併記してあった。
タイトルは当然だが出演者名まで載せるとは、こんなこと、入学してからの
二年間にはなかった。そう思うと緊張感が増す。
「どう? やる気出た?」
「うん。ちょうどいいわ」
力強く応えて、ガッツポーズを作る純子。とうの昔に開き直っているんだ。
恐いものなし。
「衣装は、開会セレモニーが終わったあとすぐ着られるように、出しておくと
いいわ」
演劇部の部室が他と比べて広い理由が分かるような気がした。衣装を並べる
ための長机を置こうとすれば、相当の広さがいる。
「――あれ?」
突如、衣装係の子が頓狂な声を上げた。
「どうしたの?」
すかさず飛鳥部が尋ねる。後輩部員の声の響きに、異変を感じ取ったのかも
しれない。
「衣装が……ないんです。その、主役のが」
「……何を言ってるの?」
失敗に怒ったような、冗談に笑ったような、起伏の激しいトーンで飛鳥部が
言った。表情は強張った笑顔。さっきのは冗談だと言うことができれば、すぐ
に戻るだろうけど、実際はそうならなかった。
本当になくなっていた。
純子は聞く耳を持っているし、我慢強い方だ。たとえば朝礼での校長先生の
長話を、早く終わらないかなあと願いながら聞くようなことは滅多にない。
でも、今は違う。
(早く終わってー。お願い!)
セレモニーが始まってから、心の中でずっと叫んでいた。
椅子に座っているのだが、その膝に置いた両手が、ともすれば接近し、お祈
りの形に組み合わされる。
衣装の行方が気になってたまらない。一刻も早く探すなり何なり、対策を講
じなければならないのに、そのためには開会式の終わりを待つ必要があった。
(何でなくなったのかな。鍵はちゃんと掛けてたのに。衣装係の子も知らない
って言うし……。あ)
校長先生の話が終わった。空気が弛緩し、ざわついた空気になりかける。
やった、これで動ける!と思う間もなく、今度は生活指導の先生が壇上に立
ち、くどくどと注意事項を述べ始めた。
「外部からの来客には特に失礼のないように――校外に無断で出て行かないよ
うに――羽目を外しすぎないように――」
延々と続く話に、純子もさすがに嘆息し、泣きたくなってきた。
こうして散々待たされた挙げ句、逸る気持ちを抑えて席を立てたのは、結局
定刻通りの九時三十分だった。
猶予は最大で四十五分間。十分後には合唱部のミニコンサートが始まり、三
十分で終わる。そして五分間で舞台上にセットを組み、演劇部による劇のスタ
ートとなる。
(心当たりを探すと言っても……)
純子自身、衣装の保管にはタッチしていなかったので、まるで心当たりはな
い。ただ、役を持つ人間として、衣装の保管に気を回していなかったことに責
任を感じていた。
真っ先に浮かんだのは、間違って純子自身が家に持って帰ってしまったとい
うパターン。だが、昨日のことを冷静に思い出して、それはあり得ないと結論
付けた。念のため、自分のスポーツバッグの中を見てみたが、当然のごとく、
衣装は入っていない。
あとは同じ発想で、教室に持って来てしまったケースも考えたが、三年五組
の教室のどこにも衣装はない。だいたい、喫茶の飾り付けをしたのだから、余
計な物があれば誰か気付くはず。
(どこかに置き忘れた覚えもないし……どうしよう)
一旦、演劇部部室に顔を出し、状況を聞いてみたが、変化はなかった。見つ
かっていない。
ちょうど、飛鳥部が後輩に指示を出しているところだった。
「最悪の場合、衣装は適当に別の物にして、台詞をいじるかもしれないから、
覚悟しておいて」
すると、「えーっ?」という戸惑い混じりの声が上がる。
それはそうだろう。この土壇場で台詞の変更なんかしたら、失敗を招く大き
な要因になる。しかし一方、純子の衣装の色が物語の要であるだけに、見つか
らないままだと台詞変更もやむなし……。
――つづく