#4954/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/10/31 13:22 (200)
そばにいるだけで 41−9 寺嶋公香
★内容
ぶっきらぼうに答えた紅畑だったが、その声からは刺々しさがわずかながら
やわらいでいたかもしれなかった。
と、紅畑が突然相羽の方へ目を合わせてきた。ぼんやりとしたいつもの視線
で受け止める相羽。
「この絵、どうするのがいい?」
紅畑が袋を指差す。即座に返事する相羽。
「できれば、燃やしてください」
「ふん……燃やすのなら、おまえがやれ」
バッグを一度は持ち上げた紅畑だったが、相羽に手渡すことはなく、結局は
再度床に置いた。放ったまま、関屋先生と相羽の二人を避けるように、足早に
廊下へ向かって歩き出す。
戸を勢いよく開け、無言のまま去って行った。
「やれやれ」
大きなため息をつくと、関屋先生は額を手の甲で拭う仕種を見せた。汗は出
ていないようだが、緊迫感がそうさせたのかもしれない。
「あれで変わってくれれば、もはや言うことないんですがね。どうだか」
「先生」
この時点で、相羽は箱がどれも空なのを知っていた。
「先生は、いつからご存知だったんですか」
「ん? ああ、いつから立ち聞きしていたかということかい?」
珍しくも冗談を飛ばす関屋先生に、相羽は内心、面食らった。
「いつからとは正確には言えませんが、途中からだったのは間違いない。準備
室のドアを開けたら、隣から声が漏れ聞こえていたので」
「……すみませんでした」
頭を垂れ、言葉をつなぐ相羽。
「僕が声を荒げたのを聞いて、止めるために出て来たんですよね」
「まあ、その通り。だが、相羽君、気にする必要はない」
多数の段ボール箱を片付け始める関屋先生。
「なに、私も頭に来てた。あの雪の日に、車をパンクさせるとは何という不届
き者だ、と。相羽君が手を上げたくなったのも理解はできる」
「でも、結果的にはよかったけれど、一歩間違ったら、あいつに訴えられて大
変な事態になっていたかもしれません」
「無論、手を上げたことはよくなかったな。ははは」
自嘲する先生に、相羽は不安の眼差しを向けていた。それを察したか、関屋
先生は笑い飛ばす。
「しかし、ああいう手合いには、ショック療法という意味で、やらなければな
らなかったのかもしれない。ただ、何も相羽君が手を出すことはないんですよ。
若い君がね。あんな手合いのために、将来を棒に振っては馬鹿らしい。軽率な
真似は自重するように、頼みますよ」
超然として言うと、先生は頭をかいた。
「いやあ、手を上げた自分が言っても説得力がまるでない。でも、相羽君は普
段から冷静で落ち着いているから、さっきのは正直、意外だった。今日みたい
に立腹するようなことがあっても、静かに言い返すだけで、本当の気持ちを飲
み込んで溜めてしまってるのかな。溜めて、我慢しきれなくなったときに爆発
してしまうような」
「……」
「怒りを爆発させるなと言ってるんじゃありません。自分を曲げる必要なんか
ない。自信を持って正しいと信じられることなら、全力を尽くしてそれを守る
のは大切です。ただ……手を出すのはどうしても我慢できなくなったときだけ
にしなさい。さっきの私みたいに。ははは」
「先生、じゃあ」
「そう、我慢できなかった。人を叩いたのは、五十年振りぐらいだなあ。まさ
か教師仲間にするとは思いも寄らなかったが……状況はどうあれ、このことは
心に刻んでおかなくては」
「僕も、そうします」
うつむいて殊勝な口ぶりの相羽の肩に、関屋先生は手をぽんと乗せた。
「無理に合わせなくてもいいんだが。まあ、そうしてくれると安心だ」
それから二人して段ボール箱を元あった準備室へ運び、片付ける。
「ありがとうございました。それに、本当にすみません」
終わってから、相羽は不意に先生に対して言った。
「何がだい? 礼を言うのはこちらのような気がするんだが。片付けてもらっ
たのだから」
微笑する先生に、相羽は真顔のまま再び口を開く。
「関屋先生が手を上げたのは、ひょっとしたら、僕の代わりにやったんじゃな
いか――何となく、そう思えたんです」
「ほう」
短い返事のあと、曖昧に笑む関屋先生。その通りとも違うとも言わない。
相羽もそれ以上は聞かなかった。
今日のことは忘れないと思った。
* *
初めて衣装を合わせてみて、意外と派手なのねと純子は感じた。
お姫様らしいと言えばそれまでだが、上は薄紫色のドレス、下は白色をした
丈の長いスカートは、装飾として花の象りやひだが付けてあって、実際以上に
重たそうな外見をしている。
「裾を踏まないようにね」
部員の一人からの注意を聞く。余計な一言が着いて来た。
「涼原さんて、かなりおてんばみたいだし」
「……誰がそんなことを」
振り返り、髪を直しながら問う。表情や口調に険しいものがあるとしたら、
それは今までの練習の日々に受けた疎外感故かもしれない。
「だ、誰って、特定は難しいけれど」
聞き返されるとは予想だにしていなかったのか、演劇部部員の女子は虚を突
かれた風に落ち着きのなさを露呈した。唇を尖らせ、回転の早い舌でつっかえ
ながらも答える。
「そ、そうね。色々、そう、色んな人が言ってた。林間学校でのこととか、小
学校のときの話とか」
「ふうん。おてんばだとか男みたいだとか言われるのには慣れてるから、いい
んだけれど」
小さく肩をすくめると、わずかながら生地の突っ張りを感じた。
「寸法の直しって、できる?」
「できないことないけれど、時間あまりないし、私達だって他にやることある
しさあ……」
気乗りしない様子を見せられ、強くは言えなくなってしまった。相手の子だ
って、役をもらっているのだ。
「涼原さん、どう?」
飛鳥部が声を掛けてきた。そして返事を待たず、純子の前に回り、口を手で
覆って歓声を上げる。
「わぁ、似合ってるわ! かわいらしさがとってもよく出てる!」
「あ、ありがと」
圧倒されつつ、そう返した。
飛鳥部もこれからの練習に備え、着替えを始める。黒衣の、いかにも悪役然
としたワンピース。
「もう少ししたら体育館で通し稽古できる日が来るわ。だから、それまでに充
分慣れておいてよね」
「それはもちろん」
強くうなずく純子に、飛鳥部は微笑を見せた。「頼もしいわ」と囁き調で付
け加える。
と、ぎくしゃくした雰囲気での練習が終わると、純子は教室へ飛んで行かね
ばならない。自分のクラスの出し物にももちろん参加する必要があるからだ。
三年五組のドアを開けると、机全部を教室後方に送り、床一杯を使って作業
するクラスメートの姿が目に入る。
「遅れて、ごめん」
途切れかけの息を整えながら言った。
すると清水と大谷が声を揃えて反応した。
「謝る暇があったら、早く手伝えー」
「分かってるわよっ」
言い返してから、女子の固まっている方へ行く。白沼とはやはり距離を置い
てしまうけれど。
「何すればいい?」
誰とはなしに尋ねると、前田が教えてくれた。
「じゃ、お品書きをお願い。壁に貼るやつだから、大きくね」
彼女が指差した先では、絨毯のように広い模造紙に身を乗り出し、ペンを走
らせる遠野がいた。
「遠野さん――あ、かわいい」
デフォルメされた象やうさぎの絵が目に入る。
「あ、ありがとう。私、イラスト担当してるの」
「特技を活かしたわけね。それじゃあ、私は字を書くしかないか」
「涼原さんにも絵を描いてほしい」
手の中のペンにキャップをはめ、別の色のを取り上げる遠野。
純子は黒のペンを持ち、苦笑混じりに答える。
「遠慮するー。並べて描くと、私の下手なのが目立っちゃうから」
「そんなことない。涼原さん、上手。寄せ書きとかで見たの、やさしい感じの
タッチで」
「よ、よく覚えてるね、遠野さん」
遠野の上目遣いのお願いに押し切られて、猫の顔のイラストを一つだけ、そ
れも小さく描いた純子だった。
その後は字に没頭。メニューのメモを横に置いて、なるべくきれいな字で書
いていく。普段の何倍もの大きな字を書くのは、感覚を掴むまでは慎重を期す。
二行ほど書ききって、調子の波に乗ってきた。
「涼原さん、演劇部の方はどんな具合?」
前田が聞いてきた。彼女は飾り付けを折り紙で作っている。今、銀の花がで
きたところだ。
「どんなって」
「掛け持ち、大変なんじゃないかなと思って。違う?」
「うーん。大変というんじゃなくて……とにかく絞られてます」
「絞られてるって、どういう風に? 聞かせて」
楽しそう。前田の唇がU字になる。一方、手の動きはスローダウン。
問われた純子は、どうしてこんなことまでに興味を持つのだろうと不思議が
る気持ちが先に立ち、口ごもった。
前田は待ちきれないかのように、想像を述べ始めた。
「嫌がらせみたいにやたら長い台詞とか、いじめられ役させられたりとか、あ
ったりして」
「ううん、ない。劇そのものがあんまり長くないのよ。二十分足らずだったか
しら。人数の割には短いでしょ」
「じゃ、男装させられたりして! あはは」
「何でそうなるのよー」
ぶつ真似をする純子に、腕で防御のポーズを取る前田。隣で、遠野がくすく
す笑いをこらえている。
「どうしてそういう想像するのかな、前田さんてば」
「当然だと思うんだけどな」
「ええ? 分かんない」
「だって、部長は飛鳥部さんでしょ」
「うん」
「涼原さんが覚えてるかどうか知らないけれど、去年、文化祭の人気投票で二
位だった人よ。あなたに負けたことを根に持ってるとしたら、意地悪してくる
のもごく自然な流れ……」
純子は話す前田の表情をじっと見つめた。本気なのか冗談なのか見極めよう
としたのだけれど、無駄だった。仕方がない、真に受けよう。
「そんことないわ。飛鳥部さんが厳しいのは本当だけど、あれは演劇に熱心だ
からよ。下手な私にがみがみ言うのは当たり前」
「あら。だったら、最初から誘わなければいいのにね。部員でもない涼原さん
を無理矢理引きずり込んだのは、飛鳥部さん自身だったよね、確か」
「それは……ほら、四月にあった例のドラマ観て、私の演技がうまいと勘違い
したんじゃないかしら」
苦しい理由付けだという自覚はあった。だから、急いで言い足す。
「それと、プロの俳優さん達から教わったことを、私から聞き出したいってい
う気持ちもあったみたい」
「何があっても、演劇好きとしての行動なら、部員じゃない人を出演させるの
はおかしい」
「……それはそう思う。同感」
最終的には純子が折れた。実際、純子自身も感じていたことなのだから。
「気を付けなさいよ。裏があるかもしれない」
「そこまでは……」
考えたくなかった。でも、にっこり笑って肌の上すれすれを手で撫でられる
ような際どさで、奇妙な疎外感を受けたのも事実だった。これからもそうかも
しれない。
「頭から疑ってかかれとは言わないにしても、用心しておくに越したことはな
い、よ」
いつの間にか前田の表情が真剣味を帯びていた。
「お人好しというか、頼まれたら断れない性格、程々にしといた方がいい」
「そこまで言わなくても」
純子が眉根を下げると、前田は焦ったように両手を振った。銀紙が高い音を
立てる。
「そんな顔しないでよー。私は大好きよ、涼原さんのそういうとこ」
そうして抱きついてきた。言うまでもなくおふざけ半分なのだが、ペンを片
手に、純子は慌ててしまう。
――つづく