#4953/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/10/31 13:21 (199)
そばにいるだけで 41−8 寺嶋公香
★内容
「何か決めてるの、将来なりたいものって」
唐沢は興味を隠さず、ストレートに聞いてきた。
純子は髪を押さえながら首を横に振る。
「ないわけじゃないの。なりたいものはいっぱいあるのに、現実は全然違う方
向に進んでる感じがするー」
「――ああ、モデルのことかい?」
勘よく言った唐沢に、こくりとうなずく純子。
「モデルはやりたくないわけ?」
「ううん、そんなことない。モデルもやりたいんだけど、このままじゃあ他の
ことができないような気がして、ちょっとだけ不安」
「他にやりたいことって」
「職業にするかどうかは別として聞いてね。化石の発掘をやってみたいし、新
しい星を見つけてみたいとも思ってるの」
「ははーん、それはまた意外な夢ですな」
「もう。どうせ女らしくないとか言うんでしょう」
つんとして見せた純子。相手が相羽なら、ここで、慌てた物腰でのフォロー
が入るものだが。
「そうそう。確かに女らしくないかもしれないなあ。でも、涼原さんらしいと
も言えるんじゃないでしょーか?」
唐沢は調子よく言った。返事の中身は他の男子とそう変わりないだろう。だ
けど、唐沢の話しぶりには女子の扱いに慣れた感じがあった。
一瞬、立ち止まりそうになった純子は唐沢に見入った。
「ありがとう」
「ほ? 礼を言われるようなことなんかしてないぜ」
「ううん、いいの」
分かってくれていると感じて、ちょっと嬉しくなる純子。それがすぐ表情に
出ていた。
「それで、唐沢君の将来の夢は何?」
「俺の? そうだな……テニス始めた頃は、プロのテニスプレーヤーになるこ
とを思い描いてたけれど」
遠い目をする唐沢。ポーズだとしても、やけに真剣に見える。
「世の中、上には上がいると、すぐに思い知らされたんだよな。だからこそ、
見た目、格好良さに磨きをかけたのである。はははっ!」
急に相好を崩すと、唐沢はことさら声を立てて笑った。真面目な話題が続く
のは苦手らしい。
「今の夢は?」
「難しいな。うーん、毎日が楽しければいい! 女の子達と付き合うのもそう
いう理由があってのこと!」
「あはは。じゃ、受験勉強の間はあんまり楽しくないわけね」
目を細める純子。唐沢は純子を一瞥して、上目遣いになった。そして何気な
い風に答える。
「そうでもないぜ」
「ん?」
「だって、すっずはっらさんと一緒に勉強できるもんね」
「……それはいいけど、教える身にもなってね」
言って、純子は舌先を覗かせた。
「私が相羽君ぐらい賢かったら、唐沢君にもっともっと余裕を持って教えてあ
げられるかもしれないのに」
「また、相羽か」
つぶやいた唐沢を振り返ると、どこか自嘲気味に見えた。純子の視線に気付
いたためかどうか、唐沢はいきなり大きな伸びをし、呆れ声で言った。
「しっかし、あいつの頭はどうなってんのかねえ。数学ができるのはようく分
かってたけれどさ」
「相羽君なら、どの教科もおしなべていいじゃない。見習わなくちゃ」
鞄を身体の前で抱え、見上げる純子。唐沢は歩調を合わせる風に、ゆっくり
した大股で行く。
「それは俺も知ってる。あやかりたいくらいにね。でも、この間は驚かされた
な。あんなに英語ができるとは、意表を突かれた」
「英語ってテスト? いつのテストのこと?」
首を傾げて聞き返した純子。ちょっと記憶にない。
「テストじゃなく――」
曲がり角に差し掛かり、向きを換えてから続ける唐沢。
「――この間ね、道で迷子を見つけたんだよ。女の子の」
「はい?」
「最初は同じ中学生ぐらいかと思ったんだけど、多分、違うな。うずくまって
たその子に話し掛けたら、顔を上げた。するとびっくり、外人さんと来た」
「外人さんて、どこの人なの」
「あとで分かったんだが、カナダらしかった。で、こっちとしても引き下がれ
ないから、びびりながらも英語を駆使したわけよ。ところが全然通じない。悲
しくなったね、あのときは」
腕組みをしてうなだれて見せる唐沢。芝居がかったポーズに力が入るあまり、
足はなかなか前に進まないようだ。
「そこへ通りかかってくれたのが、相羽せんせーで。あ、こいつなら俺よりま
しだろと思って協力を求めたわけ。そうしたら、相羽の奴、ぺらぺら喋りやが
るんだ。英会話のコマーシャルなんかよりずっと上手に話す。もう、聞いてて
呆気に取られた」
「へえ! ほんと?」
「もち。嘘ついてもしょうがない」
「そっか。いつの間に身に着けたのかしら」
「俺も気になって聞いた。けど、はっきりしなくてさ。ただ、両親とも英語が
喋れるらしいぜ」
「え、両親とも?」
一瞬、それはおかしいと思った純子だが、頭の中で修正する。
(お父さんも英語ができた、ということよね。じゃあ、相羽君のお父さんとお
母さんは、アメリカとかイギリスとかで暮らした経験があるのかしら)
その旨を唐沢に伝えると、相手はうなずいた。
「そう思って突っ込んだんだが、はぐらかされちまった。あーあ、三年間も同
じ学校にいるってのに、まだ謎めいたところがあるな、相羽の奴」
苦笑いをなす唐沢の顔を見やりつつ、純子は別のことを考えていた。
(聞いたら、相羽君はどんなことでも率直に話してくれるような印象があった
のにね。そりゃあ、誰が好きかなんて質問はだめだったけれど、お父さんがお
亡くなりになってることも教えてくれたし。英語が上手なわけを隠したがるか
らには、きっと何か理由があるのよ)
歩きながら考えて、程なくして結論らしきものを得る。
(恐らく、お父さんが関係してるんだわ。そして、お父さんのことを思い出す
のがつらいから、あえて話題にしたがらない?)
「――でも、うらやましいよね。英語ぺらぺらなんて」
心の中から引き続いて、思いを声にした純子。
結果、唐沢から不思議がられてしまった。
「何が、『でも』なのさ」
* *
相羽が一歩踏み出そうとした刹那、準備室と理科室とを結ぶ扉が、ぎぎーっ
と音を立てた。幽霊屋敷を思わせる。
動きを止め、振り返る相羽。紅畑も一瞬間遅れて、強張った顔のままドアの
方を見た。
縦に高く積まれた段ボール箱から、足が生えていた。――無論、そんなこと
はあり得ない。誰かが段ボール箱を積み上げ、運んでいるところらしい。
「よいしょっと」
声で、関屋先生と分かった。足取りは確かだが、段ボールのタワーが左右に
かすかに揺れている。前方がよく見えていないのだ。
関屋先生は教壇の段差に躓きかけ、その結果、一番上の段ボールが滑るよう
にして落下。紅畑の鼻先をかすめる。
「あ、危ないじゃないか」
紅畑が声を荒げる。その足元に転がる箱は、中身は空だった。
「おや、紅畑さん。おられたんですか」
段ボールの影から顔を覗かせる関屋先生。紅畑はますます荒っぽい響きの口
調になり、顔を紅潮させた。
「おられたんですか、じゃない。注意してくれないと困りますな」
「すみませんでした。……お、相羽君もいたのか。よかったら運ぶのを手伝っ
てもらえないかな」
「――はい。貸してください」
関屋先生の登場により頭を冷やすことができた相羽は、穏やかに言った。
一方、関屋先生は相羽に半分ばかり段ボールを受け持ってもらうと、不意に
思い立ったように、「あ、そうだ」とうめいた。おもむろに段ボールを教卓の
上に置くと、笑みを絶やすことなく紅畑へ向き直る。
「先ほど聞こえた多少不愉快な話は、あなたの本心からのものですか」
「――っく」
言葉に詰まる紅畑。関屋先生が姿を見せたと同時に、話を聞かれた可能性を
紅畑も考えたはずだ。今、真っ向から問い質されたため、気後れしている。
「紅畑さん、あなたはいいえと答えることはできないでしょうね。どう言い繕
っても、隠せませんよ。そのことをあなた自身、分かっていると思う」
「……くそ。だから、私はおまえ達が嫌いなんだ」
紅畑は開き直ると、さらに口汚くなった。両腕を大きく広げ、肩をすくめる
仕種を交えて声高に続ける。
「ああ、そうさ。私は本気で言ったさ。その小生意気な生徒も、関屋先生、あ
んたも大嫌いだ。身の程を知らせてやるために、私は色々としてあげたんだ。
罰と思え」
相羽と一対一であるときと変わらぬ言動だ。いや、むしろ挑発の度合いが強
まったようでもある。関屋先生が加わったことで、もはや絶対に暴力がふるわ
れることはないと確信したのかもしれない。
「さあ、どうしますかな? 私が今ここで言ったことを、どれだけの人が信じ
るか。録音でもしていたのなら別だが、そんな物は当然、用意できていないで
しょう」
「確かに。ここが音楽室であれば、また違ったのかもしれないが」
関屋先生と紅畑のやり取りを見て、相羽も段ボールを床に置いた。
(関屋先生、もしかして僕を止めるために、段ボールを持って準備室から出て
来た……きっとそうだ)
急に自分が情けなくなって、奥歯を噛みしめる。
と、突然、乾いた音が鳴り響いた。
相羽の意識が音の源に引き付けられる。
いつの間にか紅畑に近付いていた関屋先生が、相手の頬を張っていた。
「いい加減になさい、大の大人がみっともない」
初めて聞く、関屋先生の怒ったときの声。静かだが、芯の通った強い声だ。
「た――叩いたな?」
左頬を押さえつつ、甲高く叫ぶ紅畑。予想もしていない仕打ちに、どう対処
していいのか分からず、身体が小刻みに震えている。そんな具合に見えた。
「う、う、訴えるぞ。今すぐにっ。この腫れが引かない内に!」
「かまいません」
答えた関屋先生は、再び普段の穏やかな物腰に戻っていた。
「な、何? あんたの人生に傷が付くんだぞ? いいのか?」
「ええ。どうせこの老いぼれは、来年の三月を持って退職するんですから。職
歴に傷が付いても、もう大した意味はない」
さらりとしたその言葉に、後ろで聞いていた相羽は衝撃を少なからず受けた。
(辞める? だからって、そんな……僕なんかのために、手を出すなんて……)
何か言わねばと思うのだが、声にならない。
相羽に背を向けたまま、関屋先生は続けた。
「それに、私は誇りに思う。あなたのような人間のために、大事な生徒の履歴
に傷が付く事態を避けることができたんだから」
「ば、馬鹿な」
吐き捨てる紅畑。一度頭をかきむしった。
「何百人と通り過ぎて行くだけの生徒の、たった一人を守るために、あんたは
私を叩いたのか? 生徒なんて冷たいものなのが分からないのか。卒業したら、
あとは知らんぷり。我々教師は忘れられるだけだぜ」
「ふむ。その言葉で、あなたがどんな教師生活を送ってきたのか、実によく理
解できます」
落ち着き払ったまま、淡々と語る関屋先生。
「さて、訴えるというのなら、早く行きましょうか。ただし、一つだけよく考
えてくれませんか」
関屋先生が謎かけをするような目つきで、紅畑を見据える。
「これまで誰にも明かしてきませんでしたが、この春、小菅先生から相談を受
けていたのですよ。妙な電話が頻繁に掛かってきて悩んでいると。そして私は
聞かせてもらいましたよ。小菅先生が録音していた悪戯電話の声をね」
言葉を区切る関屋先生。紅畑の顔色が変わるのが、遠目にもよく分かった。
「変声機を通していたのでしょうか。それとも、テープレコーダーにでも録音
したのを、速度を掛けて再生したのか。どちらか分かりませんが、奇妙な声で
した。だが、これをきちんと分析すれば、声の主は判明するそうですね」
紅畑の返事は……沈黙。
「念のために申し添えておきますと、録音をしたテープは小菅先生の家でも私
の家でもない、全く別の場所に保管しています」
「……手出ししようがないという意味か」
「どう解釈しようと、それはあなた自由ですよ。ただね、何があったか知りま
せんが、あなたはきちんと話をすべきじゃないですか。私とじゃありませんよ。
あなたの家族や周りの方とです。そして、ようく考えてみてもらえませんか、
自分のやってきたことを」
「……約束できないな、そんなこと」
――つづく