#4950/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/10/31 13:17 (200)
そばにいるだけで 41−5 寺嶋公香
★内容
相羽との会話の記憶が鮮明で、目は窓へと吸い寄せられる。近寄ると、カー
テンを静かに引いた。
「――あれ?」
窓からの景色に違和感を覚えて目を凝らし、およそ五秒後に気が付いた。
庭の小さな木立に紛れるようにして、丸い何かが新たに加わっている。時折
そよ風に揺れるそれは、風船。楕円をした三つの風船が認められる。暗くて分
かりにくいが、風船からは糸が垂れ、さらにその中ほどには何かが結び付けて
あるように見えた。
最初はびくっとした純子だったが、次に好奇心が目覚めた。予感もあった。
(もしかすると)
室内に視線を転じ、細長い物を探す。風船に手が届かない。
適当な物がなく、しばし黙考した純子は閃きを得ると同時に、階下へ急いだ。
足音の大きさをとがめる母の声には応えず、目当ての物を手にすると素早く引
き返す。
「これで……よし」
純子は閉じた傘を反対に持ち、窓から外へと伸ばした。何度か空振りした後、
取手の部分で風船の糸を絡み取り、手元へ引き寄せる。ヘリウムガスが少し抜
けているようだが、浮力はまだまだ充分。
(塀に結んであるんだわ)
張り詰めた糸を見て、そうと知れる。切ってしまわぬよう、慎重な手つきで
たぐり寄せていく。
糸の途中に結わえてあったのは、数本の切り花と一枚の便箋だった。
「――あいつったら」
心持ち元気の減った花束。でも、何も言われなければ買ったばかりだと思え
る程度だ。何より、気持ちがたっぷり込められている。
「こんなので悪い。でも、折角だから」
「いいのよ。全然気にならない」
誕生日の翌日、学校は休みだった。
秋めいてきた空気の中、公園は純子と相羽の二人だけ。昨夜風船にくくりつ
けた以外の花を渡すために、会いたいと相羽が言ってきたのだ。
「それより、高かったんじゃない? お小遣い、大丈夫?」
「余計な心配」
「だけど」
「それ以上言われると、もう一つの方を渡しにくくなる」
「もう一つ?」
相羽の言葉に引っかかりを覚え、まじまじと見返した。彼の眉間から目の下
辺りにかけて、ほのかに赤く色付くのが分かる。
「花だけだと、いつか枯れてなくなってしまうだろ。形の残る物もあった方が
いいと思って」
何故かしら弁解がましく言って、相羽は小箱を取り出した。手の平に収まる
程度のサイズで、包み紙は赤地に銀と金と青の菱形が細かくデザインされてい
る。左肩には水色のリボンも付けてあった。
「これもくれるの?」
「そ、そうだよ。遠慮しなくていいから」
相羽の返事を聞いて、純子は短い間考え、結論を下した。
(――と言うことは、前みたいに、どちらかがおばさまからで、もう片方は相
羽君からのプレゼントね、きっと)
純子は受け取ると、より一層の笑みになった。
「ありがとう。おばさまにも伝えておいて。今度お伺いしたときに、改めて言
うけれど」
「うん、分かった」
「それで、何これ? 開けていい?」
相羽はうなずき、ベンチに座ったらと促してきた。確かに立ったままでは開
けにくい。包装紙も邪魔になるだろう。
人目につきにくいよう、通りから離れた奥のベンチに、純子と相羽は少し間
を開けて腰を下ろした。
人差し指の爪の先をテープにあてがい、丁寧に剥がしていく純子。ほとんど
毛羽立つことなく剥がせた。
「あ」
中から出て来た白い箱の表面に、そこそこ名の知られたアクセサリー店の商
標が浮き彫りになっていた。女の子ならすぐ分かる。
「ちょ……相羽君!」
「はい、何でしょう」
純子の大声に対し、相羽からの返事はのんきな調子だ。
「これ、もしかして、かなり高価……」
「箱と中身が一致しているとは限らないよ」
冗談めかして答える相羽。だが、すぐさま白状した。
「嘘うそ。一致してる。ちゃんと中学生向きの物だから、安心して。それより
も、気に入ってくれるかどうか……」
「あ、そうよね。私ったら、いきなり最高級品を思い浮かべてしまってた」
自分の拳で頭をこつり。
すると目の前の相羽が笑いをこらえるのが見て取れた。敢えて無視して、箱
の蓋を開けにかかる。
「――わ。これ、いい!」
黄色い髪留めだった。流れ星の意匠を凝らしたデザインで、水色のラインが
ワンポイントで入っている。
(このデザインの物を選んだってことは、私の趣味に合わせてくれたんだろう
なあ、きっと)
「ありがとう、大事に使うわ」
「え、ああ、どういたしまして。でも、壊れるぐらいどんどん使ってくれた方
が嬉しいかな」
「もう、どうやったら壊れるって言うのよー。いくら私がおてんばだって、髪
留めは壊しません」
相羽の言い種に、向きになって応じた。直後、くすくすと吹き出してしまう。
「他にもプレゼント、たくさんもらったんじゃない?」
相羽が改まった調子で尋ねてきた。
「え、ま、まあね」
「鷲宇さんからは? パーティしてもらって、そのあと。よかったら教えてほ
しいな」
「話すのは全然かまわないけれど、聞いてどうする気?」
「芸能人の誕生日プレゼントって、どんな物なのかなと思いまして。たまにワ
イドショーでやってるみたいに、物凄く高い指輪とか、家や車を丸ごととかさ」
「まさか! あれは芸能人でも、婚約者の間柄に限った話でしょ。何考えてん
のよー。鷲宇さんは私の歌の先生。それだけよっ」
「わざわざ言わなくても、分かってるって」
「じゃあ、変なことを付け足さないで。……それでね、こういう形のあるプレ
ゼントはなかったのよ」
「それじゃあ、パーティだけ」
肩から力が抜けてどこか安堵した様子の相羽に、純子は昨日の夜のことを話
して聞かせた。
「――つまり、パーティ全部をプレゼントしてもらったの。分かるでしょ」
「了解。ついでに、もう一人の芸能人の方も教えてもらえると嬉しい」
「もう一人って?」
「そう。――カムリンのことだよ」
相羽が聞いてきた。純子にとって、この話題の展開は何の前触れもなかった
にも等しく、いくらか慌ててしまう。戸惑っている合間に、同じ意味の質問が
重ねられた。
「人気絶頂の香村綸は、何かプレゼントしてきた?」
相羽の肩は、新たに力が入ったらしく、かすかに盛り上がって見える。
「――ないわよ」
純子の一言に、相羽は再びの安堵。
「だいたい香村君、私の誕生日がいつなのか、知らないはずよ」
答えてから、厚かましい言い方だったかなと思い直す純子。
(たとえ知っていたとしても、プレゼントをもらえるとは思えない……忙しい
人だし)
上目遣いをした純子に相羽が聞いてくる。
「ふうん、そうなの。――前に会ってから香村は連絡してきた? この間の、
車に乗ったとき以来」
「そ、それが何にもなし。自分もどういう返事したらいいのか悩んでいたから、ちょう
どいいけれど」
「……断るの? 断らないの?」
唇が乾くのか、相羽は途中、舌で湿しながら言った。
簡単に返答する純子。
「断りたいんだけれどねえ、これからも一緒にお仕事するかもしれないと思う
と、言い出しにくいのよ。ルークもまだ小さいでしょ。香村君とこと仲よくし
といた方がいいみたい」
「そんなの気にせず、さっさと断ればいいんだ。仕事なんて関係ないよ、ばか
らしい」
吐き捨てる相羽。こんな様子、久しぶりに見た気がする。
(まただわ。こういう話をすると不機嫌になる。今日なんか、自分の方から話
を振ってきたくせに)
不思議に感じはしたものの、慣れっこになっていたので、純子としても反論
や質問は特にない。
「ねえ、もういいでしょう、この話は。私だって半年ぐらいは普通の中学生に
戻るんだからね」
「それはまあ……」
語尾を濁した相羽。うつむき気味であったが、気を取り直した風に顔を起こ
した。
「とにかく、誕生日おめでとう。それだけ伝えたかったんだ」
言い切ると、すっくと立ち上がる。純子は座ったまま、目で相羽を下から上
へと追いかけた。
「もう行くの?」
何だか名残惜しい気持ちが湧き起こって、ふとそんな言葉がこぼれ出る。
「これでも色々忙しくて」
「そうなの? ――そっか、私も受験勉強、頑張らないとね」
独りでに解釈して、純子もまた立ち上がった。手にはもらったばかりの花束
と小箱を大事に抱えて。
「あ、そうだ」
花束をベンチに置き、小箱を再度開ける。それだけで、相羽の足はもう地面
に釘付けになった。
「着けてみるね。似合うかどうか、相羽君に判断してもらおうっと」
微笑む純子に、相羽は片手を頭にやった。そして純子が髪留めを着けるさま
を眺めつつ、小さな声でつぶやく。
「……そんなの、着けるまでもなく、答は決まってるんだけどな」
一言で表すなら、こよりのようなイメージ。背は結構あるが、線が細く、色
も白い。
「弟がどうしても会いたいって言ったのよね」
その一年生の後ろに立つ前田がにやにや笑った。そして弟の背中に手をあて
がい、純子の方へ押しやる。
「そんな言い方、してないよっ」
まだ声変わりしていない、高く黄色い物言いだった。声とは対照的に、顔に
は赤味が差す。
「あら。運動会で純子を間近に見て以来、気になって仕方がないって、言って
なかったっけ?」
弟の態度をからかいつつ、前田は純子へ目を合わせた。
「という訳で、サインしてやってくれないかしら」
「サイン……」
微笑ましく見守ってきた純子だったが、「サイン」という単語には表情が固
まる。
「あ、あの、前田さん。とりあえず名前を教えて」
「そうね……自己紹介は自分でやらなきゃ自己紹介とは言わない」
前田は楽しんでいる風に頬を緩めると、弟を促した。
十秒足らずの間を挟み、一年生男子は思い切ったように口を開いた。
「――前田秀康(ひでやす)です。初めまして。よ、よろしくお願いします」
喋るに従って口調が固くなっていくのが、純子にはおかしかった。
「その、お、男の僕が言うのは変だと自分でも思うんですが、でも、あの、口
紅のポスター見て以来、ずっとファンになりました」
日本語までおかしくなってきている。目をきょときょと落ち着かなく動かす
秀康を見て、純子は微苦笑を浮かべた。
「初めまして、秀康君」
「は、はい!」
「そんなに緊張しないで。緊張することじゃないわよ。同じ学校の二年違いと
いうだけなんだから。ね?」
小首を傾げて微笑む純子に、秀康の頬が若干緩む。顔色は一瞬だけ元に戻り、
再び赤くなってしまった。
「この子と来たら、ほんとに……」
額に片手を当て、嘆かわしそうに息をつく姉。
「その敬意の欠片でいいから、私にも向けてほしいわ」
「十三年間向けてきたんだ。もう充分だと思うけれどな」
悪態をつくが、どことなく気弱さがにじむ。その証拠に、姉の顔をまともに
見ようとしない。所詮、頭が上がらないものと見える。
「二人とも……と、とにかくさ。サインすればいいのね、秀康君。私なんかの
でかまわないの? 少ないけれど、有名人の知り合いがいるよ」
取りなそうとして、よけいなことまで口走ってしまう純子。
しかし前田弟の気持ちが揺れる気配は微塵もなかった。かまわず、断固とし
た口調でサインを求めてくる。
――つづく