#4917/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 8/30 15:52 (196)
そばにいるだけで 39−5 寺嶋公香
★内容 16/06/13 15:26 修正 第2版
* *
セコンドの望月とともに入場した相羽は、すっきりした顔付きをしていた。
ヘッドギアを着けたあと、両拳を合わせて、オープンフィンガーのグローブの
具合を確かめる。
(――ん。力抜いていこう)
可能な限り練習を重ねたとは言え、初めての打撃有りルール。無論、中学生
故のある程度限定されたルールではあるが、相手の津野島は、これ以上ないく
らいの強敵。緊張しないでいる方が難しい。
相羽は変に気負ってしまわぬよう、逆にリラックスに努めた。
(純子ちゃんが観てるから、勝ちたいのは山々なんだけどな)
身体をほぐしながら、そんなことを考える。ますますリラックスできたらし
く、周囲の景色が目に入ってきた。歓声も耳に届く。津野島に対するものばか
りだと思っていたところへ、
「相羽くーん! 頑張ってー!」
応援が聞こえた。
(唐沢と勝馬の奴……)
男の黄色い声援に、会場のあちこちからも失笑が漏れ聞こえる。相羽は片手
を軽く挙げて、マットの上の唐沢達に応えた。
すると今度は、本当の黄色い声援が起こった。
「相羽君、ファイト!」
その中に混じる純子の声を、相羽はしっかり聞き取った。
(ようし、練習の成果を出してやる。勝ち負けには――もちろんこだわる)
足の滑りを右、左と確認し、相羽はその場で何度か跳ねた。
やがて審判が手招きした。応じて、試合場の中央に歩を進める。津野島がす
ぐ近くに見えた。
目を合わせた刹那、津野島がにやっと笑ったように見えた。
(……?)
妙な予感を覚えた相羽。言葉では説明できないが、津野島がただ意味もなく
試合前にあんな表情を見せるとは考えにくい。それだけだ。
(もしかすると奇襲を?)
相羽は集中力を一気に高めた。
* *
場内の興奮は、瞬間的に沸点に達した。アマチュアにしては異常なほどに。
開始と同時に仕掛けたのは、津野島だった。素早く距離を詰めると身を沈め
てスライディングし、足払いを狙ってきた。
決まっていれば、これだけでも盛り上がったに違いない。しかし、相羽が津
野島の足払いを上へのジャンプで交わしたことで、それ以上の興奮を観客にも
たらしたのだ。
「何じゃ? まるで打ち合わせてあったみたいだぜ!」
唐沢が手を打って喜んでいる。勝馬も似たようなもので、「すげえ」を連発
していた。町田は口をすぼめて、感心したようにふんふんと何度もうなずき、
富井と井口は手を取り合ってはらはらしつつも応援を続けている。下では、立
島と前田が何ごとかを耳打ちしながらも、視線を試合場から外さずにいた。
純子は、まったく意識せずに、両手をお祈りの形に組んでいた。胸がどきど
きする。
「――頑張れ!」
自然と叫んでいた。
畳の上では、呆気に取られたようにぽかんとしていた津野島が、我に返って
急いで体勢を立て直すところだった。
相羽の方も警戒して動けないでいる。その隙に、片膝を着いた姿勢からジャ
ンプするように立った津野島は、即座に距離を取る。
様子を窺っていた相羽は、津野島の表情から、これ以上の策はないと読み取
ったか、一気に踏み込んだ。そしてワンツーを胸板目がけて鋭く入れる。
両腕でブロックしていた津野島だが、一歩後退。ダメージはなく、不意を突
かれた感である。
ただ、初めての打撃有りルールで、先制攻撃をヒットさせたのは大きい。相
羽が主導権を握った。勢いに任せた風に、間合いを詰めて、今度は脇腹を狙い
の連打。
腕が下がったところへ、またパンチを当てる。
いずれも打ち抜くようなものではなかったが、軽快で小気味よく決まった。
「行けーっ! 相羽!」
津野島が肩で息を始めるのが見て取れる。無論、この時点でスタミナ切れす
るはずがない。一方的に攻められたこの状況に対する戸惑い、焦り……そんな
ものから生まれた呼吸の乱れだ。
案の定、津野島は大きく距離を開けて、息を整えようとステップする。
相羽はまたもや追った。が、先ほどのような素早さはない。しかも、拳の届
く距離まで詰めない。
作戦だった。パンチばかりに意識を惹きつけられた津野島に、相羽はこの試
合初めて蹴りを放つ。
下段蹴り――ローキックが津野島の左の膝にヒットした。鋭く乾いた音が、
場内に響く。一部、どよめきも起こった。
「……まじ、すげえ」
勝馬が興奮した声で言った。見れば、身を乗り出していた。あまり夢中にな
ると、マットから落ちるかもしれない。
「あいつ、空手でもやってたんじゃないのか? そうでなきゃ、あんな速い蹴
り、短期間でできるわけがない」
「分からんぜ。サッカーのキック力を応用したら、できるんじゃないか?」
経験に照らし合わせて意見を述べる唐沢。
そう言われてから改めて試合を見ると、相羽のキックはサッカーボールをシ
ュートするときの姿に重なる。実際は、サッカーのキックよりもコンパクトで
スピードのある動作であるが。
津野島も二発目以降は巧みにカットし、ダメージを拡散させる。そのまま二
分間しのぎきった。
結局一度も寝技の展開にならず、まるでキックボクシングのような展開に終
始した第一ラウンド。ポイントは相羽が間違いなく取った。
富井と井口は「きゃあ、格好いい!」とか何とか叫んで、騒々しいことおび
ただしい限り。その横合いでは町田が安堵していた。
「ふう。何だ、勝てそうじゃない」
続けて冗談めかして付け加える。
「心配して損したわ。相羽君も大げさなんだから、まったく」
「分かってないな。前と今日とじゃルールが違うんだ」
たしなめる口ぶりは唐沢。ただし、表情はにやついていた。主目的は町田を
言い負かすところにあるらしい。
「寝技じゃ相手が上だったが、立ち技は相羽の方が上手、そういうこった」
「そのぐらい、あんたに解説してもらわなくたって、分かってますよーだ。ね
え、純……?」
純子を振り返った町田が目を丸くする。
ラウンド間の休憩に入っても、純子は手をお祈りの形にしたまま、固唾を飲
んで試合場を見つめていた。
(凄い、凄い! 相羽君があれほど格好いいなんて、考えなかったわ。ううん、
格好いいと言うよりも、強い、よね)
手をほどき、拳を握るとちょっぴり震えていた。無意識の内に膝立ちしそう
になる。
「――純、落ち着きなさいな」
「え? あ、ああ」
町田に促され、純子はぺたりと座り直した。そこへ、唐沢が苦笑しながら批
評を述べる。
「意外だねえ。格闘技なんか全然興味ないと思ってたが」
「は、初めてだからかな。普段と違う相羽君の姿を見て、とても新鮮に感じる」
純子の台詞の途中で、二分間の休憩が過ぎた。審判が両選手を中央に呼び寄
せる。相羽は相変わらずのようだが、津野島の方は一層気合いを込めてきたの
は間違いない。
うねるような歓声の中、審判の手の合図で、第二ラウンドが始まった。
相羽が様子見の蹴りを出したのに応じ、津野島は手で捌き、突然身体を寄せ
た。相羽の左手首を掴もうとしている。
すんでのところで、左腕を引く相羽。
「相手は寝技に持ち込みたいらしいぞ」
「一ラウンドで打撃はやばいと分かったから、前に勝った寝技で勝負ってか」
試合の模様に注目したまま、小声で話す勝馬と唐沢。
しかし、その予想は外れだった。直後、津野島は相羽が腕を取られまいとし
てガードが甘くなったのを見透かし、パンチを放ってきたのである。
身を沈め、危うくよける相羽。
と、今度は膝が飛んで来た。これも胸を反らしつつ後退することで相羽はか
わした。一連の動きの中、第二ラウンド序盤は、津野島がペースを掴んだよう
だ。調子の波に乗り、ボクシングの動きで相羽を追い込んでいく。元々タック
ルを得意とするだけに、相手に接近するスピードも伊達ではない。故に、パン
チの間合いにすぐ詰めることができる。足技はバランスを崩すのを嫌ってか、
膝蹴りを除いて全く出さないでいる。
「津野島って奴、ボクシングの経験あるんじゃないのか? 頭とか身体の振り
方が、玄人っぽいような……」
「そうだな……あれをやられちゃあ、相羽だって当てられない。一ラウンドは
先制パンチがうまく行ったからよかっただけなのか」
唐沢の言葉に、純子は勢い込んで振り返った。
「そうなのっ?」
「あ、ああ。と言うか、その可能性が高いと言うか」
気圧されたようにもごもごと答える唐沢。純子は、闘っている相羽の方を指
差した。
「でも、相羽君、よけてる!」
「――そう言われりゃそうだな」
唐沢が目を細めた。もっとよく観察してやろう、そんな具合に凝視する。
相羽は、津野島とは別の意味で華麗な動きを見せていた。パンチを打たれて
いるが巧みに下がってかわしている。当たってもかする程度で、あれなら痛み
もないであろう。
「あいつ、勘でかわしてやがる……?」
言ってから、自分の言葉に首を傾げた唐沢。
「それとも動態視力か? どっちにしたって、津野島もいい加減、攻め手を変
えてくるだろ。ほら」
唐沢の言う通り、津野島は再度、相羽を掴もうとするような手つきを見せた。
「あれは、道着を掴んで、膝で蹴り上げるつもりだぜ」
「ええ?」
顔を泣きそうにしかめ、純子は両選手を見据えた。
「逃げて! 捕まっちゃだめ!」
我を忘れて叫んだが、それが相羽の耳に届いたかどうかは怪しい。
富井と井口、勝馬に唐沢までもが純子に続いて同じ声援を送ったが、相羽は
逃げ疲れたのか、最前までのバックステップをしなくなった。それどころか、
まるで反対に突っ込んでいく姿勢を見せた。
待ってましたとばかり、津野島の両腕が伸びる。
「!」
声にならない悲鳴を、純子達女子は喉の奥で上げていた。
しかし、次の瞬間、それは大歓声に変わる。
待っていたのは津野島だけではなかった。相羽もまた待っていた。
相羽は津野島が無防備に出した両手の内、左をがっしり掴むとそれを巻き込
みつつ相手に背を向け、一本背負いの要領で投げつけた。
あっと言う間もなく、津野島は畳の上に背中から落ちた。もしもこれが柔道
の試合であったなら、間違いなく一本勝ちを収めたであろう見事な決まり方。
相羽は観衆のどよめきにも至って冷静で、掴んだ腕を離すことなくそのまま
関節技に移行しようとした。
次の刹那、させるか!という怒号を聞いたような気がした。
同時に、津野島は立ち上がって相羽の腕ひしぎ十字固め狙いから脱出。肘か
ら先を振ってダメージの回復を図りながら、充分間合いを取る。本当なら相羽
が立つ前に押さえ込み、グラウンドの展開に持ち込みたいに違いない。それを
避けざるを得ないとは、よほど腕を痛めたと見える。
審判に促されて相羽が立ち上がる。再開の合図が入るや否や、津野島が拳の
ラッシュを仕掛けてきた。最初の二、三発を当てられた相羽だったが、ほどな
く蹴りの距離を開けることに成功。ローキックで突進を食い止める。ここで第
二ラウンドの二分間も使い切った。
津野島は蹴りをもらい続けた代償か、両足ともに引きずるようにしてコーナ
ーに戻る。特に左がひどいらしい。セコンドが患部を冷やしてやりながら、具
合を心配げに聞くのが分かった。
「前の試合を見てないから寝技ではどうだか知らないが、打撃のセンスじゃ、
相羽の方が一枚上手だな」
「うん。蹴りの使い方が段違いだ。こりゃあ、賭けは俺の負けですか」
勝馬がぽつりとこぼしたのを、町田は聞き逃さなかった。二人をじろっとに
らむと、唐沢の耳元に口を寄せる。そして、
「あんた達……友達が真剣勝負やってるのを、賭け事に使うなっ」
大声で怒鳴りつけた。
耳を押さえながら、純子の方に逃げてきた唐沢。勝馬も「恐い恐い」とふざ
けた調子で身を縮める。
「固いこと言うなって。焼きそばパン一個だぜ」
「だめよ!」
「――涼原さん、助けてくれ〜」
――つづく