AWC お題>君の思いで@ つきかげ


        
#4910/5495 長編
★タイトル (CWM     )  99/ 8/18  20:44  (187)
お題>君の思いで@                                  つきかげ
★内容
 17時50分。
 私が家に帰る時間だ。その日もいつもの通り、いつもの時間に私は帰宅した。そ
して仕事用のスーツを脱いで部屋着に着替え、父親と弟のために夕食の支度をする。
もう10年以上、この生活を行っていた。私の体にはこの生活のリズムが染みつい
ている。高校を卒業するころに私の母は病に倒れた。それからずっと私はこの生活
を行っている。
 父は、母が長い闘病生活の末5年前に死んだ時、壊れてしまった。記憶に混乱を
きたし、私が誰なのか判らなくなっている。私のことを母の名で呼んだり、誰か知
らない昔の恋人の名で呼んだりした。父は自分の追憶の中に生きている。その中で
私に色々な役割が当てられるらしい。私は父の幻想に逆らわず、その時に応じて役
割を変えた。
 私は、父が壊れ会社をやめてから、家計を支え家事を全て引き受けている。弟は、
大学に通っているが、いつのまにか家によりつかなくなった。週の半分は外泊して
いる。それでも私はいつも家族3人の食事を用意した。私の父と弟の3人。外から
見れば、とうに形骸化した無意味な家族なのかもしれない。しかし、私にとっては
生活の全てであり、生きる理由だった。
 母が病に倒れてから幾度か恋のようなものも経験している。一度離婚歴のある男
性との見合いの話もあった。結局私はその全てに背を向けている。私は、女である
前に家族の一部であると思っていた。私自身が作り上げた私の世界である私の家族。
私はその中から踏み出そうとは考えていない。
 そしてその日も私は、いつものように食事の支度を始めていた。私の家の近くに
は、小さなスーパーが3件ほどある。そのどれかでいつも買い物をして、家へ帰る。
献立は、だいたいいつも買い物をしながら考えていた。
 その日、私の日常は唐突に中断される。それは、玄関のチャイムの音で始まった。
私は弟が帰ってきたのかと思い、何も考えずに玄関の引き戸を開けた。
 そこに佇んでいたのは、白衣の女性である。既に日の暮れた屋外で、彼女が身に
つけている白いコートは輝くように浮かびあがって見えた。鋭い意志を秘めたよう
な黒い瞳が、私の目の前にある。美しい女性であった。宗教画の中の女性が持つ無
個性で、造り上げられた美しさである。
 その女性は私に語りかけた。
「トオノ・ミナコさんですね」
「ええ」
「あなたに渡したいものがあります。私は、ツバキ・ロングナイトといいます。あ
なたは、カゲヤマ・アキオさんをご存じですね」
 私は、その名前に軽いショックをうけた。とっくに忘れ去ったはずの名前だ。し
かし、その名の響きは私の心に生々しい動きを呼び覚ました。
「カゲヤマさんが録音した一巻のテープがあります。もしも、あなたが必要ないと
仰るのであれば、私はこのまま帰ります。あなたがそのテープを受け取られるのな
らば、お話しておくことがあります」
 私は、ツバキと名乗るその女性を家にあげることにした。私はツバキを、夕餉の
支度が途中である食卓の前に案内する。私がツバキの前に腰をおろすと、ツバキは
封筒を束ねたものと一巻のカセットテープを取り出した。
「まず、このテープが私のところへ来た経緯をお話しておきます」
 ツバキは感情のこもらない声で話す。彼女はまるで、アンドロイドのようだった。
「私は、普段は探偵をやっていますが、副業として拝み屋のようなこともやってい
ます。拝み屋とは、いわゆる悪霊を祓ったり憑き物を落としたりすることです。私
のところにこのテープが来たのは、その副業の関係です。このテープに呪いがかけ
られているようなので、祓ってほしいとの依頼でした。このテープはカゲヤマ・ア
キオが最後の演奏を自分で録音したテープですが、演奏した本人以外に3人の人間
が聞いています。その3人ともが死にました。皆、衝動的な自殺です」
 ツバキは、私の目の色を読んだらしく、話を中断する。
「呪いを信じる信じないは別にしてこのテープには、呪いのようなものはかかって
いません。私の話が信じられないのであれば、このまま帰りますが」
「いえ、そうではなくて」
 私は、ツバキを見据えた。マネキンのように美しく無個性なその顔を。
「アキオの最後の演奏といいましたね。では、アキオは」
「カゲヤマ・アキオ自身も、半月前に自殺しています。このテープは死の直前に録
音されたものです。ラベルを見てください」
 私は、そのテープを受け取りラベルを見た。そこには、こう書かれている。

『君の思いで。トオノ・ミナコへ』

「ご存じなかったのですか、カゲヤマ・アキオの死を」
 私は無言で頷く。
「そうですか。このテープは、彼の恋人であった女性の手に渡ります。彼女はその
テープを友人の音楽評論家へ送ります。その音楽評論家はさらにそのテープを女流
ピアニストの友人に送ります。そのピアニストは霊感の強い女性で、彼女の依頼で
昔御祓いをしたことがあります。彼女はこのテープを聞いて何かを感じたらしく、
私に送りつけてきました。私は、このテープを聞きましたが、呪術に関係するよう
な力を感じることはできませんでした。けれど、多分演奏者はこのテープがあなた
のもとへ行くことを望んでいたのだろうと思い、ここへ来たのです」
「アキオは」
 私は自分の中に何かが満ちていくのを感じた。その何かは、名付けることのでき
ないものだったが、私の体を次第に熱くしてく。
「アキオは音楽関係の仕事をしていたのですか」
「彼は、ミュージシャンです。決して有名ではありませんが、現代音楽の演奏家と
してはそれなりに認められた存在です」
 私は、眼差しでツバキに話を続けるよう促した。ツバキは頷き、話を続ける。
「3人が自殺したといいましたが、自殺と断定できる訳ではありません。最初に死
んだカゲヤマ・アキオの恋人は自宅のマンションの階段から転落して死んでいます。
事故かもしれません。しかし、足を滑らすような状況でもなく、恋人の死で酷く動
揺していたようなので、自殺とも考えられます。次に死んだ音楽評論家は、トイレ
で死亡しているのを発見されました。死因は致死量を越えた麻薬の摂取によるショ
ック死。これも事故と考えることもできます。3人目のピアニストについては、自
動車事故で死亡しています。スピードの出しすぎが原因ですが、彼女は熟練したド
ライバーで、めったに制限速度を越えて車を走らせることはありませんでした。3
人とも死因に共通点はありません。
 私はテープを聞きましたが、死んではいませんし、死ぬつもりはありません。た
だ、あなたにこのテープを聞くことを勧めるつもりはありません。このテープが存
在していることを知っていただければ十分だと思います」
 ツバキは、言葉を止める。彼女は自分の言葉が、私に届いていないと思っている
ようだ。事実、私はそのテープを手にとってラベルをじっと見つめていた。呆然と
していたとっていもいいだろう。
「自殺だと思います」
 唐突な私の言葉に、ツバキは私を見つめる。
「3人のかたは、自殺したのだと思います。ありがとうございました、このテープ
を私にとどけてくれて」
 ツバキは、少し会釈すると何も言わずそのまま帰っていった。私は見送ることも
せず、そのテープを手にしていた。
 私はそのテープを聞くつもりで小型のカセットレコーダーを持ってくる。そのカ
セットレコーダーは小型ではあるがスピーカーもついていた。そこにアキオのテー
プを納める。
 ふと、私は封筒の束を手にとった。三通の封筒があり、その中には手紙が納めら
れたままだ。私は、そのうちの一通を取り出してみる。それは最後にテープを手に
したピアニストがツバキに送ったものだった。私はその手紙を読んでみる。

『先日、お話したテープを送ります。
 演奏自体に不思議なところがあるようには思えないのですが、このテープそのも
のが私の心に何かを残したような気がするのです。この演奏を行った人は自殺した
そうなのですが、何かとても透き通った美しい演奏でした。それは言葉では言い表
せない形で、私の心を惹きつけています。
 彼の演奏は、誰にも似ていません。まるで凍てついた荒野に雪が静かに舞い降り
てゆくような、死の静謐さにも似た美しさを持った音楽です。けれど私が引きつけ
られるのはその美しさのためではありません。
 なんといったらいいのでしょうか。
 喩えてみれば、とても美しい草原があり、色とりどりの花が咲き乱れているのだ
けれど、その下には無数の死体、しかも惨たらしく殺された死体が埋まっているの
を私は知っているような。その無惨な死体の山は草原の美しさとは関係ないのだけ
れど、それが同時に存在していることによってどうしようもなく私を引きつけるよ
うな気がするのです。
 演奏自体にそんなことを感じさせる要素がある訳ではありません。演奏は厳密に
計算された幾何学的な美すら連想させるような完璧なものであり、現代芸術にある
ようにある意味で感情を排したものです。
 けれど私はその底にある凄惨な情念のようなものを感じてしまうのです。多分、
これを演奏した人が死んだという理由からなのでしょうけれど。
 あなたなら、何か判るのではないかと思います。もしも、このテープに死者の想
念がとりついていて、それが』

 突然電話が鳴り、私は手紙を読むのをやめた。受話器をとる。そこから聞こえて
きたのは、弟のテツオの声だった。
「ねえさん、オレだよ」
「テツオ、昨日はどこにいたの。あれほど外泊するときには連絡してって頼んだの
に。今日は帰ってくるんでしょう」
「ねえさん、オレさ」
 テツオの声は静かだった。その落ち着きから私はただならぬものを、感じ取った。
「オレ、人を刺したんだ」
 私は息を呑む。
「どういうことなの」
「来て欲しいんだよ、ねえさんに。オレは、はめられたんだ。金がいる」
「何言ってるのよ、テツオ」
「ねえさん、これからいう場所に100万円持ってきてくれ」
 テツオは、一方的に場所の説明をしだした。街はずれのさびれた場所を、テツオ
は指定する。私の職場から少し離れた場所だった。
 テツオは話終えると、一方的に電話を切ってしまう。
「どうしたんだい、ナミエ」
 声をかけられ、私は顔をあげる。私の父だった。ナミエというのは、私の母の名
前だ。今、私は父の妻となっているらしい。
「テツオがトラブルに巻き込まれたようなの。すぐ来て欲しいって」
「判った」
 父は重々しく頷く。
「すぐに行こうじゃないか」
 私は、父に詳しい事情を説明する気力が無かった。手近なものを手当たり次第に
バッグへ詰め込み、父を伴って外へでる。服は着替えず、ジーンズパンツにトレー
ナーといった部屋着のままだ。
 既に日が沈みきって、闇に押し包まれた通りに出た。タクシーをつかまえる。父
と共にタクシーへ乗り込んだ私は、弟から聞いた場所を行き先として指示した。車
でだいたい、20分程かかる場所だ。
 私は、バッグの中から封筒を取り出す。音楽評論家からピアニストに宛てた手紙
を読んでみることにした。

『例のテープを送ります。
 正直いって、僕にはこの演奏をどう判断していいのか判らない。いや、演奏自体
にいうべきことはあまり無いのかもしれない。見事なまでに隙の無い、完璧な演奏。
というよりは、徹底的に余剰なものを削ぎ落としてゆき、最後に残ったコアなもの
だけで構成された音楽。狂気に犯されたものが、ほんの一瞬手に入れた正気の静寂
を刻みつけたような透明感。
 僕はかつてヴィニ・ライリーが、シンプルなほうがアナーキーだと言ったのを思
い出した。けれども、この演奏はミニマルミュージックにあるような叙情性すら排
除されている。ステンレスとコンクリートで構成されたオブジェのような音楽。
 表面的に見れば、そう結論づけるべきなのだろう。けれども、僕の中の何かがそ
う結論づけることを拒んでいる。ただそれを言語化することができない。
 君には前に話したことがあると思うが、僕はアムステルダムを放浪していたころ、
色々な麻薬を試してみた。ダウナー系の麻薬というやつがある。精神が地下の奥深
くへ入り込んでゆき、そこで内なる豊穣さと出会う感覚。
 この演奏がドラッグによるトリップと同じ効果を持っているとはいわない。麻薬
と同じ効果を持つ、そんな便利な音楽があれば誰も苦労はしない。そうでは無い。
けれども、もし僕がこの演奏を、いや、この演奏の背後にあるであろう何かを表現
しようとすれば、そう言うしか無い。
 僕に言えるのはここまでだ。あとは、君自身でこのテープを聞いてみて欲しい。
君は僕が最も信頼している演奏者だ。君になら、この演奏に隠された秘密が判るの
ではないかと思う。演奏者としての君になら、僕には判らない色々なものが見える
のでは無いだろうか。
 それと参考になるかは判らないが、このテープを僕に送ってくれた僕の友人であ
り、カゲヤマ・アキオの恋人であった女性の手紙も同封しておく。読んでみて欲し
い。僕以外の人間の感想も役に立つだろう。
 君の感想を待っています』





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