#4908/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 8/18 0:15 (200)
お題>きみのおもいで>文月去なば 1 永山
★内容
喫茶店の扉を引く寸前、山藤は背広の袖を引いて腕時計を覗いた。安堵する
と、自分の身なりを見下ろし、何となく肩を払った。
中に入るとウェイトレスが間髪入れずに近寄ってきたが、待ち合わせなんだ
と案内を断り、店内を一望する。
十数年ぶりの再会だ。簡単には見つけられない。
おどおどと視線を彷徨わせさせ始めた山藤に、不意に声が掛かる。
「みっちゃん、ここだ!」
声のした方では、背は高いが小太りの男が右腕を振っていた。眼鏡を掛けた
顔は頬がふっくらとし、目つきだけは細く鋭い。そこへ張り付けたようなスマ
イルが清々しいイメージを呼び起こす。
「松下君……こうちゃんか?」
聞き返しながら席に向かう。後ろに続くウェイトレスは苛立ちからか、不機
嫌そうに唇を尖らせていた。
テーブルを挟んで向かい合う形で座り注文を済ませ、手を拭きながら山藤は
言った。
「すまん、どのくらい待った?」
「おいおい、そんなこと気にするなよ。僕の方から呼び出したんだし、君は定
刻通りに着いたじゃないか」
答えると、松下はアイスコーヒーを口に運んだ。氷が溶けて色が薄くなって
いるように見えなくもない。
「そう言ってくれると救われるよ。それにしても見違えたなあ。眼鏡のせいも
あるんだろうが、いや、印象がだいぶ変わった」
「そうかい? 君のことは見た瞬間分かったぜ」
「童顔という意味かい」
山藤と松下は快活な笑い声を立てた。ウェイトレスが野菜ジュースをテーブ
ルに置いたあとも、二人の会話は変わらない調子で続く。
「七月の頭に連絡あったときは、驚いた。松下と言われても。最初は誰だか、
さっぱり思い出せなくてね」
「ひどいねえ。たったの十九年だぜ。いや、クラスが違ってからも遊んでいた
んだから、十七年前か。僕はこの間、君の存在を一秒たりとも忘れずに生きて
きたってのに」
「大げさな。その台詞、女の子に言ってもらいたいもんだ」
「女の子か。そういや、我がクラスにもいたな、美少女ってのが」
「おお、有田裕美ね!」
懐かしい感情に甘酸っぱさが混じったような気がする。山藤は年甲斐もなく
目尻を下げ、思い出を脳裏いっぱいに広げた。
松下も同調し、乗ってきた。
「そうそう。一クラス分の人数がいれば、一人くらいはきれいな子がいるもん
だが、それにしても彼女は飛び抜けてきれいだった。男子の半分は彼女に恋し
てたろうな」
「ふむ。確かに自分はそうだった。では、そう言うこうちゃんはどうだったの
かねえ」
にやつき、ジュースを飲む山藤。松下は平然としたまま、かすかに視線を下
げた。
「惚れてたさ。――君が知らないってことは、あれは小五か六年のときになる
のか?」
「何なに、どういうことだよ」
「……そうだ、あれは修学旅行か林間学校だったから、四年生のとき一緒のク
ラスだった君が知るはずないのか」
「焦らさないでくれよ」
早く話してくれと求めつつ、内心、ちくちくしてきたのを感じる山藤。ひょ
っとしたら、甘酸っぱい思い出を壊されるのではないかという予感。
松下は楽しげに口を開いた。
「よくある話さ。旅行先の宿泊施設で寝る前に、くだらん話をだらだらとする
だろ。男同士で、馬鹿みたいに」
「馬鹿みたいだが、面白かった」
「ああ、それは認める。で、そのとき話題になったのが、これまたよくあるや
つで、女子の誰が好きかっていう話」
「……読めてきたぞ。そのとき、宣言したんだ? 有田裕美が好きだと」
クラスは違っても、山藤にも同じ思い出があった。自分は言い出せなかった
なと思い起こしつつ、相手の反応を待つ。
松下はにやりと見せつけるかのごとく笑った。
「そうさ。好きだと言った上に、絶対に自分の物にするとまで」
「ははは。えらく思い切ったもんだ。からかわれたろう、周りの男子に」
「君も知っての通り、僕は口にしたことは実現させる人間だよ」
「と……言うことは」
ジュースを飲みかけの状態で顔を上げた山藤。唇にストローが引っかかって
着いて来た。一秒保たずに落ちた。
「裕美は僕の妻になるんだ」
「……てめえ、その話をするために、有田裕美の話を持ち出したな」
笑いながら吐き捨てる山藤。苦笑いなのか泣き笑いなのか、自分でも区別で
きない。
「祝福してくれないのか?」
「おめでとさん。いつだ?」
「式は九月に入ってからだ。今日、君が家に帰り着く頃、ちょうど案内の葉書
が届くんじゃないかな。僕にとって生まれて初めての親友を、披露宴に招きた
いんだ」
「それはどうもご親切に、だな。その腹は幸せ太りの前兆かい。まったく、の
ろけ話のために、僕を呼び出したのか」
「いやいや、そうじゃないよ。用件はおいおい話すから、その前に聞いておこ
う。君は独り身かい?」
「嫌味な奴だなあ。俺様と言えども、君ほどはもてないよ」
おどけて答える山藤だが、一抹の寂しさがないでもない。付き合った女性は
何人かいたし、現に今もいる。だが、深みにはまったような関係になるのだけ
は避けてきた。夫婦生活が面倒臭く思えてしまう。
「独り暮らし?」
「もちろん。アパートだが」
「ふうん。よし、それでは本題に入るか。みっちゃん、君に五百円を払おうと
思ってね」
「五百円? 何のことだい」
見当がつかなくて、山藤は目を白黒させたあと、意味のない笑みを口元に浮
かべた。
「ああん? 君が忘れてどうする。こういうことは普通、得をする方が覚えて
いるもんだぜ」
「得って五百円?」
「完璧に忘れているな。十歳のとき、賭けたじゃないか。ノストラダムスの大
予言が当たるかどうか」
「おおーっ! これまた懐かしい。あったあった、そういうの。思い出した」
小さな袋が弾けて、神経の溝掃除ができたみたいなあんばいだ。ついつい、
はしゃいでしまう。
「そうかあ、急に連絡してきたのは、八月になったからか。一九九九年七の月、
空から恐怖の大王が降ってきて、地球が滅亡する、だっけか」
「だいたい合っているね。僕は当たる方に賭けた」
自嘲気味に笑う松下。彼はクラスで断トツの秀才だった。
山藤は強くうなずいた。
「うん、思い出してきたぞ。あの頃、こうちゃんは小学生にしてはえらく物知
りだった。色々教えてくれたっけ。彗星の正体やツタンカーメンの伝説、金縛
り、空飛ぶ円盤の目撃情報もあったな」
「本の知識の受け売りだよ」
また自嘲する松下は往来に視線を移した。遠い目をしていた。
「あの当時、2000年問題を予測していれば格好よかったんだがね」
「またまた。それは無理だよ、ご愛敬ってなもんだ。話を戻すと、えーと、ノ
ストラダムスなんて人間、僕らの誰も知らなかった」
「誰も知らないとはオーバーだろ。一人二人はいたはずさ」
「細かいことはいいんだよ。で、秀才の君が言うもんだから、たいがいの者は
一九九九年に地球が滅びるんだと信じてしまって、君の言う賭けに乗る者は皆
無だった……。しかし実を言うとだね、僕も心の中では滅びるのかなと恐かっ
たんだ」
「ほう」
興味深げにうめいた松下は視線を戻すと、口元に微笑をたたえ不思議そうに
聞いてきた。
「ならばみっちゃんは何故、あのとき滅亡しない方に賭けたんだ? 小四のと
きの君は無鉄砲なところがあったが、賭けもその乗りだったのかな?」
「無鉄砲か。その通りだよな。だが、こうちゃん。この賭けだけは、きちんと
計算したんだぜ」
「計算? どちらの目が出るか、計算して確率を割り出せるものじゃないと思
うが。少なくとも、当時の僕らの知識では」
「ははは、そういう意味の計算じゃないよ。どっちに転んでもいいというやつ。
つまり、地球が滅亡しなきゃ五百円受け取る、滅亡したらしたで、五百円なん
てどうでもいい」
「――素晴らしい」
松下は手を叩く格好をした。実際に音を立てはしない。
「小学生でそんなことまで考えが回るとは、みっちゃん、頭よかったんだな。
おみそれしていたよ」
「そんな大層な。ほんとに賢かったら、十数年後の五百円にさして有難味がな
いことに気付くわな」
そう言い放つ山藤の前に、五百円札がテーブル表面を滑ってきた。真ん中に
一本しわが出て来ている。
「これ、やるよ」
松下が言った。
「新札じゃなくて済まないが」
「いいよ。それよりも札とは、ちょっと驚いた。昔のを取ってたのかい?」
「ああ。賭けに負けたときのことも考えておく、そういう質なんだ、僕は」
「五百円札なら古銭ショップか何かに持って行ったら、五百円以上の値がつく
んじゃないかな?」
「もちろん、好きにしてくれてかまわない」
「いやいや、記念に取っておくよ」
山藤は五百円札を二つ折りにすると、財布へ大事に仕舞った。
喫茶店を出てから、食事をともにした山藤と松下は、旧交を温め、近況を伝
えあった。アルコールの入った山藤は、有田裕美を何故連れて来なかったんだ
と松下にからんだ。
「有田裕美なんて知らん」
松下は落ち着き払った口調で言ったものだ。
「え」
「松下裕美になるんだ。悔しいか、このやろ」
「――悔しいですぞー」
山藤は完全に酔っ払っていた。帰ろうとして、駅に向かう道の途中、公園で
一休みせねばならないほど。
「大丈夫か?」
「んー、顔が熱いね。視界が傾くのです」
「変な外人みたいな日本語になってるぜ。酒に弱いなら弱いと言ってくれれば
よかったのに」
「弱いつもりは全然なかったのです。こんなに効いたのは初めてです。いつも
は安酒だからかもしれないですよ」
「……どうやら僕の言っていることは理解しているようだな。だが、反応が鈍
いし、身体もふらついている」
息をつくと、松下は山藤の懐に手を入れた。何も言わず、財布を引っ張り出
すと、中から五百円札を取った。ごく自然な動作。
このとき、山藤は何か変だなという意識を持った。持ったけれど、言葉にな
らなかった。
「頼んでおいたように、今日、僕と会うことを誰にも言ってないかい?」
「もちろん。言ってませんとも」
「本当か? 別に言っててもかまやしないんだがね。僕にはアリバイがあるし、
変装もしている」
そう言うと松下は口の中から何かの塊を取り出した。暗くて判然としないが、
山藤の目には白っぽく見える。
「これは綿だよ。膨れたような面を作るにはこれが一番手軽だ。声がおかしな
感じなるが、十数年来の再会だから、多少変でも気に留めまい」
「……なるほど」
納得してうなずく山藤。何を納得したのか、自分でもよく分からない。
「身体の方も、見せかけの小太りなんだぜ。ライフジャケットを適度に膨らま
せたのさ。窮屈でちょっと苦しかった。それに眼鏡。これ、伊達なんだ」
眼鏡を外し、内ポケットに仕舞う松下。目が鋭く光ったかもしれない。さら
に、彼は頭に両手をあてがうと、髪を上に引っ張った。やがて、短く刈り込ん
だ本物の髪が現れる。
「驚いたかな。かつらなんだ。変装の基本だろう。他にも色々と細工を施して
いるんだが、ここで外すと落とす危険が出て来る。この辺でやめておくよ。あ
あ、指紋には透明なマニキュアを塗って、そこらにべたべた付着しないように
対策したんだ。完璧だと思わないか?」
「……思うですよ」
呂律が回らないながらも、山藤は答えた。そして、すっかり印象の変わった
旧友に向かって、ぽつぽつと語り掛ける。
「変装としては完璧ですよ。だけど、そんなことする目的は」
「……僕は、口にしたことは実現させなければ気が済まないんだ」
ネクタイを手際よくほどいた松下。両手で持ち、何度かしごく。
「ノストラダムスの大予言が当たりさえすれば、こうする必要もなかったのだ
が……外れたからには、僕自身で後始末しなければいけない」
――続く