AWC 馬鹿者の罠(1)    時 貴斗


        
#4902/5495 長編
★タイトル (VBN     )  99/ 8/12   3:20  (185)
馬鹿者の罠(1)    時 貴斗
★内容
 落下

 パディーディは、穴の中をおそろしい勢いで落ちていく。穴に飛び込
んでから、何秒たったのか、それとも何時間たったのか、分からない。
時間の感覚はとっくに失われ、頭の中の猛烈なパニック状態は今もなお
継続している。なんとか冷静さを取り戻そうとするのだが、このような
状況下では所詮不可能で、すればするほどあせるばかりで、頭の中の混
乱は広がるだけだ。頭上――というのはつまりは真下のことだが――の
はるか遠くには、小さな丸い光が認められ、あれが出口かと思うのだが、
まるで逃げ水を追うかのごとく、光の大きさは変わることがない。
 穴の中には日の光が入射しているはずなのだが、入ったとたんに周囲
は鼻をつままれても分からない暗となった。しかし永遠の暗黒というわ
けではなく、時々たくさんの豆粒ほどの光点が現れては消え、現れては
消えを繰り返し、あるいは周囲の壁面がうっすらと、ごくごくうっすら
と見えることがある。
 外から見た時には穴の直径はわずかに3メートルほどだったが、今は
その10倍はあるかと思えるような巨大な筒となっている。もっともこ
れは彼が穴のちょうどど真ん中を落ちていると仮定しての話だ。下手に
首をねじると体ごとぐるぐると回転してしまう。だから後ろはおろか、
横を見ることさえ難しい。
 壁面は白いようにも、灰色のようにも、あるいは金属のように光って
いるようにも見える。なにしろ時々、わずかに見えるだけである。本当
に円筒なのかさえ分からない。現れては消える光の点は星で、頭上はる
かかなたにある丸い光はどこかの恒星なのかとも思えてしまう。あるい
はそうなのかもしれない。
 彼に認識できることといったらこの程度である。あとは頭に浮かぶの
は後悔の念だけである。なぜ、穴の中に飛び込んでやるなどと言ったの
か。なぜ、穴の中がどうなっているのか俺が身をもって確かめてやるな
どと言ったのか。
 恐怖と後悔が入り混じり、またしても絶叫する。声は反響する様子も
なく、闇の中に吸収される。
 なにしろのぞきこんでも真っ暗なだけのその穴は、中がどうなってい
るのか全く分からない。物を投げ込んでも底にあたる音は帰ってこない。
だからそうとうに深い穴だということが知られているだけで、他は一切
が未知である。衛星の裏側にまでつながっているのか? しかし反対側
にはそれらしき穴がみつからない。どこか遠くの空間につながるワーム
ホールではないかという者もいた。衛星内部は空洞になっているのでは
ないかという者もいた。
 中にロープをたらし、探ることは、古いしきたりが禁止していた。ど
うしても内部を知りたければ中に飛び込めというのが、唯一許可された
調査方法だった。パディーディより以前にそれをやった者は一人しかい
なかった。それも30年も昔の話である。そいつは、もちろん二度と帰
って来なかったし、どうなったのかも分からない。
 彼は風を感じない。中に空気があるのならば、頭から足へと流れてい
くものすごい風を感じるはずである。しかし呼吸はしているようだ。だ
から窒息しない。しかしそれさえあやしい。何も分からない。自分が本
当に落下を続けているのか、それとも空中に静止しているのかさえ分か
らない。
 パディーディ自身、自分がどうなってしまうのか分からないくらいだ
から、外の人間には彼がどうなってしまったのか分かるはずがなかった。


 天才の星

 宇宙港の正面玄関から出ると、ムッとするような暑気がおそってきた。
手を額にかざし空を見上げると、真っ青な空にこの太陽系の太陽である
オシリスがぎらぎらと射るような光線を投げかけている。まったく、太
陽に冥界の支配者の名前をつけるとはどんな酔狂なやつだろう。この星
――セトはオシリスの第二惑星ホルスの周りを回る衛星である。ホルス
の月にその宿敵の名前をつけるとはこれまた酔狂なことだ。セトはテラ
フォーミングがほどよく進んでいて、地球の都市の風景とそう変わらな
い。大きな道路をはさんで巨大なビル群が立ち並び、道路には魚の尾び
れをつけたような車が行き交っている。
 辺りを見まわすと、一台のタクシーが止まっているのが目についた。
中の運転手は暇を持て余しているというふうに目をうつろにし、窓から
腕をだらりとたらしている。指につまんだ煙草から一筋の紫煙がたちの
ぼっている。天下鏡二(てんか きょうじ)はスーツケースを持ち上げ
ると、そのタクシーに歩いていった。とにかく暑い。早く冷房の効いた
場所に入らないと溶けてしまいそうだ。
 恒星オシリスは4つの惑星を持つ。このささやかな太陽系の星々には
内側から順にイシス、ホルス、アテン、アヌビスという名がつけられて
いる。なぜエジプトの神々の名前がついているのか。この太陽系を最初
に発見したのがたまたまエジプト人だったからだとも、銀河系の辺境に
あるこの太陽系があたかも冥界のようで、それでまず太陽にオシリスと
いう名がつき、それに従ってあとの惑星にエジプトの神々の名がついた
のだとも言われている。
 超空間上で三次元空間を折りたたんで遠く離れた二地点を結ぶワープ
のアイデアはかなり昔からあったのだが、実現するまでには三世紀もの
時間を必要とした。この驚異的な航法によって2、3万光年もの彼方ま
で行くことができるようになり、直径10万光年の銀河系の1割程度の
領域についてはだいぶ調査が進んでいる。現在百個ほどテラフォーミン
グできそうな星が見つかっているが、成功しているのは半分にも満たな
い。地球があるオリオン腕もかなり銀河系の辺境にあるのだが、さらに
外側にあるペルセウス腕の中に発見されたのがオシリスであり、そこで
みつかったテラフォーミング可能な星がセトである。もっともオシリス
の周りを巡る他の星々はとてもじゃないが住めたものではない。イシス
は電子レンジの中のようだし、アヌビスは業務用冷凍庫だ。セトの母星
であるホルスは砂漠だ。
 天下が近づいていくと、タクシーの後部ドアが音をたてて開いた。乗
りこむと冷房が効いていた。有り難い。
「どちらまで?」
「ああ、シーサイド・ホテルまで頼む」
 冷房が体を癒し始める。天下は宇宙港を出て早くもふきだしていた額
の汗をハンカチでぬぐった。
「観光ですか」
 運転手の英語には少しフランスなまりが入っている。
「いや、仕事だ」
「すると、画商か、研究者ですか」
「調査だ」
 バックミラーに映る男の顔が、少し硬直したように見えた。
「ってことは、調査官ですか」
「そうだ」
「へえ、欧米人の調査官はよくお見えになりますが、アジア人は初めて
だな」
 確かにそうだ。日本人で調査官になるのはめずらしい。天文学に精通
していること、三カ国語以上の言葉がしゃべれること、宇宙飛行の経験
が2回以上あること、といった厳しい条件がある。たいていはアメリカ
人やロシア人がなる。
「私の運転の技術や、客への対応も記録されるんですか」
「まさか。君のことを調査したってしょうがないよ」
 泣く子も黙る調査官である。その星の文化、文明、生活習慣に問題が
あれば、地球に報告する。政府は、場合によっては処罰を与えることも
ある。
 セトは特殊な星だ。絵画の天才、音楽の天才、物理の天才に数学の天
才……、そういった人々が集められ、創作活動に専念する。地球では様々
な邪魔が入るため、そういったことに専念する場を与えた、というのが
政府の言い訳だが、天才だけ集めたらどれほど大量の、良質な創造物が
生まれるかをテストするというのが本当の理由だ。いわばセトは巨大な
実験場なのだ。
「君、さっき信号が黄色から赤に変わったのに無視したね」
 天下は冗談で言ったのに、運転手の肩がビクビクッとなった。


 シーサイド・ホテル

 チェックインを済ませ部屋に入った天下は、ネクタイをむしりとり、
ダークグレーのスーツの上着を丁寧にブラッシングして洋服ダンスにか
けた。窓から見える景色は絶景で、青い海が広がっている。島のような
ものは見えず、左から右までただ真っ青な海だけが見えるのだ。丸い水
平線がくっきりと見え、海面には波もたたず鏡のようになめらかだ。
 南北両極の氷の極冠を溶かして作った海が星の8割近くを覆い、北に
大きめの、南に小さめの2つの大陸のみを残した。北の方にはクフ、南
の方にはカフラーという、これまた古代エジプトの王の名がつけられて
いる。大陸名がそのまま国名となっている。
 セトの地軸は30度程度傾いており、天下がやってきた北緯40度付
近のクフ第二地区は今ちょうど夏だ。
 夜第二地区長と会う約束になっている。それまではとりあえず何もす
ることがない。しばらく部屋で涼んだ天下は、外に出てみることにした。
ホテルの裏にまわると、白い砂の見事なビーチがはるかかなたまで続い
ていた。閉鎖された宇宙船の中で何週間も過ごした彼は、久しぶりに気
分が晴れ渡るのを感じた。ビーチは地球の、真夏のこういった場所で見
るのと違い、驚くほど閑散としていた。水は危険なものではないはずな
のに、海で泳いでいるものはいない。数人の白人が日光浴をしているの
みだ。住んでいる人種が人種なので、アウトドアはあまり好まないのか
もしれない。
 浜辺には大きな円筒の上に小さな円筒を段々に積み上げていったよう
な真っ白な石造りの建物が並んでいる。住居だろうか。どこかハノイの
塔という、三本の棒に円盤を次々に移しかえていくパズルを思い起こさ
せる。建物の白と海の青の対比が鮮やかだ。建築の天才が築き上げたも
のだろうか。
 もう少し歩き回ってみようと思っていたのだが、ビーチに沿って歩い
ていくうちに汗がだくだくとふきだし、うだるような暑さに嫌気がさし
てきた。
 ホテルに戻り、地下に降りる。レストランの横にあるバーに入った。
昼間っから飲んでるのが10人ほどいる。マスターがシェイカーを振っ
ている。
「ビールをくれ」
 籐の椅子に腰掛け、胸ポケットから煙草を出す。
「お客さん、地球の方?」
「ああ、よく分かったね」
 今や地球人は50近い星に分散している。星間の行き来もさかんだ。
「煙草の銘柄でさあ。シックス・ライツは地球でしか売ってません」
 マスターは気のいい男のようだ。
「まだ半ダースほど残ってるよ。いるかい?」
 いえいえ、と首をふる。
「君は、C?」
「とんでもない。あたしゃあ、Sですよ」
「あ、そう。いや、シェイクがあまりにも見事なものだから、カクテル
の天才かと思った」
 シェイカーをふるマスターのかわりに、若いウェイターが汗をかいた
ジョッキを置いた。一気に3分の1ほど飲み干す。うまい。きんきんに
冷えている。
 煙草を一本抜いてくわえ、火をつける。ふーっと紫煙をふき出すとだ
いぶ暑気がやわらいできた。
 天才だけが集められた星とはいっても、当然生活を支える人達が必要
だ。タクシーの運転手もそう。バーのマスターも、ホテルマンもそうだ。
天才がC(Creator)と呼ばれるのに対し、彼らはS(Server)と呼ば
れている。
「いいですなあ。あたしも死ぬまでに一度は地球に行ってみたいなあ」
「君は、ここ出身か」
「ええ、ええ。生まれも育ちもこの銀河のはじっこでさあ。地球って、
いいとこなんでしょ?」
 シェイカーからエメラルドグリーンの液をカクテルグラスに注ぐ。
「うん、まあな。でも……」
 一生ここにいた方がずっといいよ、という言葉をぐっと飲みこんだ。




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