#4892/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 7/31 10:19 (200)
そばにいるだけで 38−6 寺嶋公香
★内容 16/06/13 15:36 修正 第2版
「――それだけは勘弁な」
台詞もそこそこに、清水は店の奥の戸口を開け、その向こうに消えた。続い
て床に物が当たるような音がしたが、グローブを放り出したらしい。
「見苦しいところを」
あとは笑ってごまかす清水の母。
純子の方は、充分予想できていたとは言え、それでも清水の急な出現に、面
食らっていた。おめかししているのを見られのは、何とはなしに気恥ずかしい。
「うちの馬鹿息子、あなたに意地悪してない?」
「え? い、いえ。その、あの、昔ほどは……」
「と言うことは、今でもやってるんだ。まったく、しょうがないんだから」
会計を終えるや、すぐさま叱りつけに行きそうな清水の母を見て、純子は慌
てて首を振った。
「あのっ、全然大したことじゃありませんから」
「……優しくしても、あの子のためにならないんだけれどねえ」
あきらめたように苦笑する清水の母。次いで、「時間は大丈夫かしら?」と
聞いてきた。
「はい、少しなら平気です」
「こんなこと言うのはおかしいと分かっているんだけれど、あの子の親として
将来の心配もするわけなのよ」
「はあ」
意味が分からず、曖昧な相槌を打つ純子。
清水の母は、もはや美容師ではなく、すっかり母親の顔になっていた。
「あの子、ふられたあとも、あなたのことに未練あるらしくて、何をやるにつ
けても身が入らないみたいなのよねえ」
「――ご存知だったんですか」
つばを飲み込み、目を見開いた。申し訳ない気持ちが起こってくるのも、当
然と言えば当然、変と言えば変だった。
「一年ほど前だったかしら。あの子の様子がおかしいようだったから、あれこ
れ聞いてみたんだけれど、何も言わない。仕方ないから、日記を盗み見てやっ
と分かったわ」
清水が日記を付けているというのは初耳だった。イメージに合わなくて、笑
いそうになってしまう。
「すみません……」
「え? あらあら、謝らなくたっていいのよ! そんなことを言っているんじ
ゃなくて……やっぱり、言うべきじゃなかったわ」
「いいえ、かまいません。何ですか」
「――涼原さんには、早くお相手を見つけてほしいなと思ったの。そうしたら
あの子だってあきらめられるだろうから」
「……そう言われても」
困ってしまう。かすかに首を傾げ、眉を寄せる純子。
「聞き流して、涼原さん」
清水の母は肩を小さくし、純子を覗き込むようにしてきた。
「私がこんなこと言ったからって、うちの子に甘い顔する必要はないからね」
「はぁ」
「どうせ、相変わらずあなたに意地悪してるのだって、未練の表れ。一度ね、
びしっと言ってやってちょうだい。そうすれば目が覚めるかもしれないわ」
純子はしばらく考えてから、黙ってうなずいた。ゆっくりと。
「引き留めた上に、こんなつまんない話をして、ごめんなさいね。頭の方はば
っちり決まってるから、安心して出かけて」
「はい。ありがとうございました。また来ます」
礼を言って外に出る。自転車に跨ろうとした刹那、視線を感じ取った。
振り返ると、勝手口の方から出て来ていたのだろう、清水がポケットに両手
を突っ込み、所在なげに立っていた。純子に気付かれてほっとしたような、照
れたような表情をなしている。
「何よ」
そのまま去ることもできず、純子から声を掛ける。すると清水は片手で頭を
掻きながら、歩道へ出て来た。
「俺は別に呼び止めちゃいないぜ」
「わざわざ出て来て、見てたくせに」
清水は問い掛けには答えず、純子の頭のてっぺんから爪先までを見渡し、や
おら言った。
「……めかし込んで、誰に会いに行くんだ?」
「あ、あのね、清水。最初に断っておくと、デートじゃないから」
「――そんなこと、誰も気にしてねえよ」
そっぽを向き、地面を蹴っ飛ばす清水。乾いた音がした。そして顔を逸らし
たまま、言葉を重ねる。
「聞き方がまずかったか? どこに行くんだって聞けばいいのか」
「ううん。ただ、言いにくくて……お仕事の関係の人なの」
「仕事って、モデルのか。ははっ! 俺には遠い話だ」
天を仰ぐ仕種のあと、清水はまたも足をぶらぶらさせる。今度は空振りだ。
「なあ、涼原。まだ続けるのかよ?」
「ん? モデル? 高校受験があるからしばらく休んで、機会があればまた始
めるつもり」
「そうなのか。俺が言えた柄じゃないけどさ、あんまり……遠くに行くなよな」
「どういう意味?」
自転車を持ったままでいるのが疲れたので、ちょうどスタンドを立てようと
したときに聞かれて、純子は動きを止めた。
清水は怒ったみたいに、早口で言い捨てた。
「よく知らねえけど、ファッションとか芸能界とかの方にのめり込まないでく
れって言ってるんだよ。普通にしてろ。ろくなことないぜ、絶対」
「あ、ありがと、心配してくれて」
相手の真剣な眼差しを前に、純子の口から素直な言葉が返る。
「でも、いいこともいっぱいあるわ。今は、必要とされてるのなら、ずっとや
りたいと思ってる」
「へいへい、勝手にしろってんだ。俺が言いたいのは要するに……いつまでも、
こういう風にな、気楽に喋れるようにしててくれよ……というわけであって」
最初の威勢のよさが消え、もごもごと口ごもった清水。
「当たり前よ」
純子は強く言い切った。自転車のスタンドを立ててから、左右の拳を握って
もう一度、念押しするように言う。
「当たり前よ。私だって、普通に学校生活楽しみたいし、友達と一緒に騒ぎた
い。――それがあんたみたいな意地悪な男友達でもね」
「何だ、そうか……ありがとな」
驚いたように目を見開いたかと思うと、清水は急ににこにこした。
「な、何よ。気味悪い」
「うるさい、気にするな。それと、仕事、頑張れよな。応援してやる」
「……うん」
面と向かって言われると一際嬉しい。純子の顔に微笑が自然と広がった。
清水は不意に身体の向きを換えると、店の方へと戻り出した。
「時間、やばいんじゃないか? そろそろ行けよ」
「あっ、そうね。じゃあ、また来る。おばさんにもよろしく言っておいてね」
スタンドを景気よく倒し、自転車に跨った。
走り始めてから、清水が大声で叫ぶのが聞こえた。
「『よろしく』ぐらいはなあ、自分で言えって!」
香村との今回の対面は、お喋りがメイン。とは言え、最初から最後まで喋り
通しというわけにもいかないので、あっちこっちと場所を移すことに決めた。
「晴れてよかったね。――どうかした?」
香村が唱うような調子で楽しげに聞いてきた。
純子は対照的に、いささか沈んだ口調で応じる。
「車で回るなんて、思わなかった」
気分は沈んでいないのだが、大げさな成り行きに気後れしていた。香村は待
ち合わせ場所に、運転手付き――当たり前である――の高級車で来たのだ。
シルバーグレーの車体が横付けされたとき、純子は一歩も二歩も後ずさった。
誰か別の人の送迎だと思い込み、横歩きで場所を空けさえしていると、リアウ
ィンドウが下がり、香村が顔を覗かせた次第。
(タキシードでも着てるんじゃないかしら)
さすがにそんなことはなく、香村はラフな格好だった。何かの大きなマーク
入りのTシャツにジャケットを羽織り、下は青のジーパン。シートの端には、
高そうなブランド物の黒の小さなバッグがある。
「どうする? 少し早いけど、先にお昼ご飯、済ませる?」
純子は首を横に振った。依然として落ち着きを取り戻せない状態であるから
して、食事を喉に通すのは一苦労だと予想された。
「じゃあね、そうだな、海岸線をドライブしよう。ここからスタートして、ち
ょうどお腹が空く頃に、シーフードレストランに出くわすルートがある」
「あの、だいぶ遠いんじゃない?」
「門限までには間違いなく送り届けるから。――ああ、いまいち決まらないな。
早く自分の腕で走らせるようになりたいね。これだと成金のお坊っちゃんだ」
そう言って両腕を横に大きく伸ばし、後ろの座席でふんぞり返るポーズを取
る香村。運転手の方は口を開かないどころか、何の反応も見せない。時折、カ
ーナビゲーションの画面に視線を落とすぐらいだ。見ざる言わざる聞かざるを
命じられているのかもしれない。
「さて、お喋りするんだっけ。前は気にしなくていいよ」
「気にしなくていいと言われても……」
慣れないせいもあるが、やはり思い出話をするには向いていない雰囲気だ。
純子が他の話題を探していると、香村が先に始めた。
「ねえ、君のこと、どう呼ぶのがいいんだろうね?」
目深に被っていた帽子の鍔を少し持ち上げ、純子へ視線を送ってくる香村。
口調は、明らかに面白がっている。純子が目で問い返す。
「撮影中は本名で呼んでいたわけだけど、実際、できあがったドラマのテロッ
プだと芸名だったじゃない。涼原さんのままで行くべきか、風谷さんと呼ぶべ
きか、それが問題だ――ハムレットの心境。気になって、夜も眠れない」
「大げさだわ。そんな悩むこと?」
「もち、冗談。しかし気になってるのは本当さ。ずっとあの芸名使うのかい?」
「分かんない」
ありのままを答えると、相手の方は表情をややしかめた。
「素っ気ないな。何でさ? これからやって行くからには必要だよ」
「八月か九月頃から一休みすることになってるの。えっと、活動休止と言えば
格好いいんだけれど、そのままずっと休止になるかもしれないのよね。あはは」
「嘘、まじ?」
香村は姿勢を正して、純子へと身体を向けた。広いから、スムーズに動ける。
「もったいない! うちのプロダクションから、君を使うようあちこちにプッ
シュしてるのに」
「あ、打診みたいなのは来てるそうよ。あれってやっぱり、香村君のところの
おかげだったのね。ありがとう」
「ありがとうとかじゃなくってだな……どうして休止するんだい?」
「受験があるから。勉強しないと不安で」
窓から流れ込む風を意識して、髪先を少しいじる。そう言えば、香村はヘア
スタイルについて特に何も言ってくれなかった。
(頻繁に顔を合わせているわけじゃないから、仕方ないわよね。それに、髪型
をきれいに決めた女の人なんて、毎日見ているだろうし)
「ちゃんとした高校に行くってこと?」
香村が変な質問をしてきた。少なくとも、純子には意味不明だ。
「ちゃんとした高校って?」
「いや。僕も高校へ行くんだけれど、誰にでも入れるようなところだよ。僕ら
みたいなタレントが通う高校ってのがあって」
「え? 全校生がタレントなの?」
香村は今度は吹き出した。手を振って否定する。
「そうじゃない。タレント活動を認めて、なおかつ卒業もまあまあ簡単にさせ
てくれる学校があってさ。そういうルートができてるわけ」
「ふうん」
「タレントと言えども、高卒でないと格好悪く見られる風潮があるからな。面
倒だけど入る」
そう言う香村は話すのも面倒になったかのように、帽子に手をやった。
「やめた、こんなつまらない話。何でこうなったんだっけ……。そう、涼原さ
ん、高校入学できたあとはまた戻って来るんだよね?」
「そのつもりよ。そのときは受け入れてね、香村君。私の居場所がないと、ル
ークのみんなが困っちゃう。ふふふ」
考えてみれば、こうして香村と話しているのだって、夢のような思い出にな
るかもしれない。そうなったとしたら惜しくはあるけれど、別にかまわない。
ただ、せめて今の一瞬一瞬を存分に楽しめたらと切に願う。
「もちろん、僕のところで力になれることがあれば、何でもやってあげる」
香村は真顔で応じたあと、笑みを浮かべて口調を軽く弾ませた。
「休止するまでに、もう一度共演しようよ。絶対にその方がいいって。インパ
クト与える意味で」
「前ので、充分に印象付けられたようよ。だって、凄かったんですって。あの
子は誰なんだっていう問い合わせが殺到して。『ハート』のコマーシャルのと
きの上を行く勢いだったって。それも分かるわ、何と言ってもカムリンの相手
役だったもの。全国に大勢いるあなたのファンから恨まれたよね、きっと」
「カムリンの相手は嫌かい?」
苦笑しながら香村が聞いてくる。純子は大急ぎで否定の返事をした。
「嫌じゃないわ。大変て感じるけれどね。荷が重くて」
「ファンのことなんか、君が気にする必要ないんだぜ」
「それだけじゃなくて、演技も。近くで見ていて、改めて感じたわ。香村君の
演技力に、私、全然追い付かなくて」
「だから、習うより慣れろってことで、また共演しようよ」
話が元に戻ったところで、急に視界が開けた。海だ。
「まぶしいっ!」
――つづく