#4876/5495 長編
★タイトル (EJM ) 99/ 6/30 17: 9 (200)
お題>空(1) 青木無常
★内容
雨だ。雨がふっていた。
ヴェリオは静かに顔をあげる。霧のような水滴が無数に面をつつみこんだ。目を
とじる。
故郷の雨に似ている、と感じた。とじたまぶたの裏に、深い密林におおわれたク
リーム色の空がうかぶ。よりそうぬくもり。おだやかに四囲をつつむ、同胞たちの
意識。
顔面をぬらす水滴が流れと化して、あごからこぼれ落ちる。ひとつ。ふたつ。み
っつ。
霧雨(ニーゼル・レゲン)という言葉が頭にうかぶ。言葉。ヴェリオの同族とされ
る者たちが使う、音声によるきわめて不完全な交感手段。言葉で考えるのは、ヴェ
リオは苦手だった。オベルたちは言葉で思考し、交換することがおまえには必要な
のだとくりかえしていた。同胞たち。人類は同族かもしれないが、ヴェリオにとっ
て同胞ではなかった。あまりにも異質すぎる。
「どうしたね、ぼうや」
ふいに、前方から声がかかる。
しわだらけの奇妙な風貌の人間がひとり、花にうもれたなかからヴェリオに視線
を投げかけている。しわだらけで、その顔が意味するものが判然としない。
人間には表情というものがあるという。オベルたちのおだやかな顔しか知らなか
ったヴェリオには、表情というものがよくわからない。巨大な口をあけて目を細め、
断続的な咆哮をはりあげるのが笑い。歓喜や親しみの表現だという。また、それは
嘲りの意味をこめられることもあるという。歓喜と嘲りが同居する、というのもヴ
ェリオには奇妙に思えた。嘲りとは嫌悪の一種のはずだ。それが歓喜や親しみとど
うしておなじ形で表現されるのか?
そもそも、人間の使用する言葉というものには、感情に関する表現が異常に多量
にある、とヴェリオには感じられた。そしてその多量さにふさわしい、発散される
感情の強烈さと混乱ぶり。
眼前の人物から発散される感情は、それほど忌むべきものではなさそうだった。
しわに容貌がうもれているのは、その人間の生体時間が大量に消費され、死期が
近づいているからだという。ならば、眼前の人物は老人だった。
老人は、ヴェリオにとって比較的好もしい存在だ。生体時間の消費が少ない人間
ほど、峻烈で抑圧的な感情を発散している。ときにそれは、耐えがたい混乱をヴェ
リオにもたらした。老人の感情は、おだやかでオベルたちに近い雰囲気がある。
ときとして、老人たちもまた巨大な圧力を爆発させることはあったが。
「いくら霧雨でも、そんなところに立っているとずぶぬれになっちまうよ。なかに
入るかい?」
老人は、言葉を重ねた。発せられた音声に付随する意味を、ヴェリオは苦労して
把握する。無数の花がならべられた天幕のなかに進入をする意志があるかどうか、
問うているらしい。否定の意志を発し、それでは人間相手には通用しないのだと思
い出してヴェリオは首を左右にふる。これが否定の表情なのだと、教えられた。
“緩衝施設”で。
「どこへいくんだい?」老人はきいた。それから、いぶかしげに眉をひそめて、重
ねて問う。「そもそも、あんた、どこからきたんだい。さっきまでは、そこにはだ
れもいなかったというのに、不思議なこともあるもんだねえ」
いって老人は、しげしげとヴェリオを見つめた。
ふいに、その表情が劇的に変化する。目を見ひらき、口をあけ放ち、全身を、と
りわけ首を大きく前方に乗り出す。
驚愕、という言葉がヴェリオの脳裏を走りぬける。
ついで、恐怖。
好ましくない感情だった。恐怖は、オベルたちには縁のうすい感情だった。諦念
の前段階としておとずれる、異常に強烈で抑圧的な感情だ。
ヴェリオは顔をそむけ、歩きだす。
恐怖が、あとを追いかけてくる。
足をはやめた。
霧雨にけぶる街かどの、はるか彼方に、巨大な感情のかたまりを感じて、早足の
ままヴェリオはその方角を目ざした。巨大で強く、圧倒的な無数の感情。無数であ
りながら、それはひとつのかたまりでもあった。
激烈でありながら、ヴェリオが魅かれる数少ない感情のひとつ――熱狂と歓喜。
磁力のように、ヴェリオを吸いよせる。肉体が吸引されるように、コトアトル空
間にすべりこんだ。
「空虚、ですか?」
オペレータのひとりがきいた。
「そのとおりだ」ハイム長官はこたえる。「オベル人の言葉で、ヴェリオというの
は空虚とか虚無などをさすらしい」
「オベル語というのが存在するんですね。考えたこともなかったな」
「音声によるコミュニケーションも行うことは行うんだ。以前、百年かそこら前ま
では、われわれと同様それが主要な交感手段だったという伝説もあるらしい。それ
が百年ほど前に――」
「“先祖帰り”ですね?」
「正確には“喪われた記憶の回復”というそうだがな」
「オベル語では、ですか」
「そういうことだ」ハイムは苦笑する。「“コールガットの識覚”――エンパシー
能力の発現と拡大によってかれらの種族は徐々に言語を使わなくなり、いまでは仲
間同士では言語によるコミュニケーションはほとんど行われていないのは事実らし
いな。それと同時に、その他にも伝説に語られていたさまざまな神秘的能力がつぎ
つぎと復活のきざしを見せはじめ――“リクトルを介する視線”の恩恵でわれわれ
の存在を感知した、という経緯だそうだ」
「なるほど、それでわれわれと接触したわけですね? 百年たっても言語が失われ
なかったのも――」
「人類との接触における必要性から、言語そのものが駆逐されるようなことはなか
ったんだろうな。もっとも、人類語だけが理解されてオベル語は消えてしまっても
不思議はない状況なんだが。そのへんがどうなっているのかは、私も知らん」
「でも長官がオベル文明にそれほどおくわしいとは存じませんでした」
「まさか」ハイム長官は肩をすくめた。「緊急呼び出しをくらってここにかけつけ
る途中で、ネットワークからつめこんだ知識さ。概要をざっと読み流しただけだ。
それもうろ覚えだがな。――77番はどうした?」
指さすさきで、モニターが青白いノイズを発している。
ずらりとならんだ無数のモニター群は、それぞれ街区の光景を映しだしながらす
べるように移動しているところだ。オペレータはぜんぶで九人。ひとりが十二以上
のブロックを担当する計算になる。
bV7担当のオペレータは、コンソール上の仮想ターミナルにすばやく操作の手
を加えたが、やがて首を左右にふりながらハイムに向きなおった。
「システム異常が発生しています。ここからは操作できませんね」
「呼び戻せ」不機嫌に顔をゆがめながらハイムはいった。「整備不良か?」
「だと思いますが」
「こんなときに」
苦々しく吐き捨て、腕を組む。
「作業効率の低下はそれほどではありませんよ」さきほど会話を交わしていたオペ
レータが、とりなすようにいった。「というより、M―4街区は第七フック・セン
トラル・ステーションの真ん前ですからね。百機程度の“ウィーザルシャ”では、
できることは知れています。雨のせいで人出が少ないことが、救いですがね」
「最大の効果をあげろ」無表情にハイムは決めつけた。「でなければ、ベルハルト
4の二の舞にもなりかねん」
「惑星ひとつ、黒こげ、か。何が起こったんでしょうね」
「わからん」
おもしろくもなさそうにハイムはこたえる。
管制室を、しばし沈黙が支配した。ディスプレイから発する青白い微光に照らさ
れて、九人のオペレータがせわしなくコンソールに走らせる影だけが幻のように踊
る。
ふいに、緊張した声音があがった。
「M―4―31ブロック、Y反応」
「拡大しろ」
口調はフラットだが、反応は敏速だった。ハイムの言葉を待つまでもなく、オペ
レータも画面にとらえられたターゲットに拡大をかける。
メインディスプレイに転送された画像のなかに、ひとりの少年が雨のふりそそぐ
街区を急ぎ足で歩きすぎていく光景があった。
「かれですか?」
「わからん」
さきのふたりの会話に、担当オペレータが割って入る。
「照合の結果、ネガティブと判明。Y反応解除」
失望と安堵のないまぜになった奇妙なため息が、管制室のあちこちであがる。ハ
イム長官はぴくりとこめかみをふるわせただけで、あえて何もコメントはしなかっ
た。
しばらくの沈黙ののち、たたずむ長官の正面に座したオペレータが口をひらく。
「ヴェリオは、オベル語で会話できるのですか?」
「いや。神聖言語だけだ。オベル人たちが、いずれ人類が迎えにくるときのために
神聖言語だけを習得するよう気を使ったらしい。レポートに書いてあるはずだがな」
「すみません」オペレータは苦笑する。「われわれは“ウィーザルシャ”の制御が
主任務なもので。画像以外の情報に関しては、どうしてもおざなりになってしまう
んです」
しかたがない、とでもいいたげにハイムは微妙な表情で、わざとらしくため息を
つく。軽い笑いが、管制室内にひろがった。
しばしの沈黙。
やがて、さっきのオペレータが問う。
ためらうような、口調で。
「では――“コールガットの識覚”は?」
「なにがだ?」
仏頂面でハイムは返した。
「ヴェリオです。オベル語ができないのなら、オベル人とのコミュニケーションは
エンパシーでとっていたのではありませんか? それとも、まさか神聖言語で……」
力なく、ハイムは首を左右にふる。
「そのへんは、くわしいことはわかっていないらしいな。さっきもいったとおり、
神聖言語は、将来地球人がオベルに到達してヴェリオを救出するときのためにと習
得させたものだ。となれば――“かれら”同士での交感は、エンパシーで行ってい
た可能性もあるんだろうが」
「PSY指数は特定されていないんですか?」
「常人レベルでしか検出されていない」
「そんな……エンパシーが使えるのに?」
「エンパシーが使えるかどうかについても、確認はされていない。レポートによれ
ば、ヴェリオとのコミュニケーションはある意味でオベル人とのそれよりも困難で
――」
いいかけたハイムの言葉をさえぎるように、
「24ブロック、Y反応。拡大します」
緊張した声音とともに、メイン・ディスプレイにさきほどとはべつの少年の映像
が映しだされた。
さきほどとは別人だが、どことなく顔だちやからだつきがよく似ている。が――
「ちがうな」
「ネガティブです」
一拍おくれて告げたオペレータが、不思議そうにハイムをふりかえる。
「服装がまるでちがう」腕組みをしたまま、ハイムはいう。「この男は真っ赤な派
手なレインコートを着用している。ヴェリオは白の丈長胴着(フェレーズ)に黒いブ
ーツだ」
「ずいぶんと軽装だな」
オペレータのひとりがつぶやいた。
イルハベルクは冬が近い。その上に、小雨とはいえ一日じゅう雨がふりつづき、
気温はかなり低くなっている。生地にもよるだろうが、フェレーズだけとなるとか
なり冷えるはずだった。
「とにかくヴェリオは、マルガ地区を離れてはいないはずだ。かならず見つけだせ
る。焦ることはない」
ハイムは部屋じゅうによくひびく声音でいった。自分自身にいいきかせる言葉だ
った。
嘲るように、反論が返る。
――ハイムの背後、管制室への出入口から。
「マルガにはヴェリオはおらんよ」
コトアトル空間から通常空間に復帰すると、四囲の光景は一変していた。
頭上に巨大な構築物が交差している。フライア走路のターミナルだ。
ベルドの“緩衝施設”にいるとき、外出のおりに一度だけフライアに乗ったこと
がある。めまいを惹起するほどの、異常な速さで宙に浮いて走路上を疾走する悪夢
の乗物だった。
幾台ものフライアがならんで走っているさまは、ヴェリオにはあまりにもせわし
なく混沌と映ったものだが、ここを走っているフライアの数はさらに異常だった。
すずなりになって激烈な速度でつぎつぎにかけぬけていくのだ。ぼうぜんとながめ
るほかに、できることはなかった。
あまりのせわしなさに、気分が悪くなってくる。ヴェリオは目を閉じ、身体深奥
のバルハック器官に意識を集中する。人間の世界は、なにもかもが急激で、異様に
あふれだしている。オベルでは、過剰に氾濫しているのは植物だけだった。植物は
激烈な感情など発散しない。おだやかに、千年を経てもかわらぬとしか思えぬ意識
をただよわせているだけだ。
ここに自分の居場所はない、と感じた。オベルより否応もなく人間世界につれ出
されて以来、いつも感じている感覚。
それでも、いつまでも目をとじたままたたずんでいるわけにはいかない。
感情が安定をとり戻し、ゆっくりとヴェリオは目をひらく。周囲に人影はあまり
見あたらない。無意識が人口密度の比較的うすい場所を選択したのかもしれない。
ヴェリオは故郷の同胞たちのように、コトアトル空間を思いどおりに往還できる
ようには、ついにならなかった。届かぬものへの渇望が、かすかにヴェリオの心奥
で渦まく。
気をとりなおし、自分を魅きつけてやまない“熱狂”をさがした。すぐに見つか
った。立ちならぶ建造物群の向こうに、それはある。さっきよりはずいぶん近くな
っている。