#4858/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 6/29 21:18 (193)
飛井田警部の事件簿:消せない音 10 永山
★内容 03/11/27 17:59 修正 第2版
「その通り。これでもう泥棒居直り説は完全になくなった。泥棒なら、客間で
殴り殺して、わざわざ書斎に移動させるはずがない。いや、それ以前に、書斎
で音声入力していたことが偽装なんだから、声を取り違えたという殺しのきっ
かけ自体が消える。泥棒ではあり得ない」
流暢に喋る飛井田。台詞をあらかじめ決めておいたのだろうか。
「西川さん、ご理解いただけましたか」
「……腕時計のカバーが割れたのが、殺害時とは限らないのでは」
「なるほど、さすが編集さんだ。長年、ミステリー作家とともに歩まれただけ
のことはありますな」
「おためごかしは結構。私の考えを踏み台にして……。反論があるなら、どう
ぞ言ってください」
「これは失敬。しかし、あまりに自明ですからなあ。あの時計が停まるほどの
衝撃に、着けてる本人が気付かないはずないでしょう。絶対に気付いたはずで
す。ひび割れたままの腕時計を着ける人はいない。泥棒が殺害後に付けさせた
とも思えない。残るは殺害時に壊れたか、赤石さん自身が何かの弾みで腕時計
を壊した直後、偶然にも殴り殺されたか。どちらが可能性が高いかというと、
これはもう前者の方が圧倒的に高い」
「ふん、認めざるを得ないようだ」
腕をしっかり組み、納得した風に首肯した西川。だが、実際は震えが表面化
するのを恐れたからに過ぎない。
「しかし、そうなると困ったことになるな。音声入力の偽装をするのは、先生
に近しい人間しかいないんじゃなですか」
恐い物見たさではないが、西川の口から出る話は真実に近い方、近い方へと
向かう。真犯人ならばこんなことを言うはずがない、と刑事が考えてくれるこ
とを無意識に期待しているのかもしれない。
「そこなんですよ。赤石さん担当の編集者全員のアリバイを当たったんですが、
いやあ、編集のお仕事とは大変ですな。ほとんどの人が仕事仲間か他の作家先
生に付き合って飲んでいたか、まだ仕事中だったかでアリバイ成立。三名ほど、
自宅で家族と一緒だった人がいました。身内の証言は当てにならんとは言うも
のの、疑うべき根拠もなかった」
「飛井田さん。ずばっと言えばいいんだ」
肝を据えた西川。足を戻すと大きく開き、膝上に両手をどっかと突いた。
「あなたは私を疑っている。隠さなくていい。この間の訪問の時点で明らかな
んだ。そうでしょうが」
「分かり易く言えば、そうなりますねえ」
飛井田は弄んでいた写真をようやく古村に渡した。
「遠慮という名の垣根が取り払われた……赤石さんの作品にあった一節ですが、
今の我々の状態もこんなところでしょうな。――西川さんの腕時計を見せても
らえませんかね」
「何のために」
怪しまれぬよう、即答を返す西川。飛井田もまた素早く応じる。
「とある方の証言から、腕時計が入れ替わった可能性に思い当たりまして。西
川さんは時計に違和感を感じてませんか?」
「……」
「バンドの穴の傷み具合が違うはずなんですよ。赤石さんとあなたとでは、手
首の太さが割に違うようですからな」
「……言われてみれば、そういう気がしないでもありません」
つぶやきながら西川は手首の腕時計を見た。外しながら、いくらか芝居がか
った調子でさらに言う。
「あ、本当だ。これは私の物ではない。気が付かなかったな」
「恐らく、赤石さんの物です。いつ入れ替わったか分かります?」
飛井田は手の平にハンカチを載せ、その上に腕時計を置くよう、西川に仕種
で示した。
「ちょ、ちょっと待ってください」
時計を置いてから、慌てて首を横に振った西川。
「これが私の時計でないのは分かります。しかし、赤石先生の物と入れ替わっ
たという証拠は――」
「ありますよ。まあ、証拠の半分とでも言いましょうか。赤石さんが死んだと
きに身に着けていた時計を調べたんです。そう、指紋を」
「……私の指紋が出たという訳ですか」
警戒しつつ、尋ねる。西川はまだ信じないでいた。
(入れ替えるとき、指紋は拭き取った。この刑事、引っかけようとしているの
だろうか?)
西川の疑念の視線を物ともしない様子で、飛井田は淡々と受け答えする。
「はい、もっと言えば、赤石さんの指紋も出ました」
「あのですね、刑事さん。それならどちらとも言えないんじゃないですか。先
生の時計に触る機会が、私に全くなかった訳じゃない。やはり赤石先生が最後
に着けていた腕時計は、先生ご自身の物であって……」
「いいえ、それはあり得ないと思いますねえ」
飛井田の自信溢れる口調に、西川は心理的に後ずさった。
「おや、妙な顔をなさってますな。私がこう言い切るには当然理由がありまし
てね。あなたの指紋は、電池から採取できたんですよ」
「電池?」
おうむ返しをしつつも、自分が犯したミスを直感的に感じ取った。
古村が言い添える。
「赤石さんが装着していた腕時計の電池を調べたところ、西川さん、あなたの
指紋が検出できました。べったり付いていたそうです」
「……よろしい。腕時計が入れ替わっていたことは認めます」
頭を掻きながら、必死に考える。
(落ち着け。まだ大丈夫のはずだ)
喉の渇きを唾でごまかし、ゆっくりと喋り出す。
「しかし、それでは殺人の証明にはならない。そうでしょう? 腕時計はきっ
と、ずっと以前に入れ替わったんですよ。気付かなかったのは迂闊でしたが」
「西川さんは最近、この時計の電池を新品と交換しましたか?」
飛井田はハンカチでくるんだ腕時計をテーブルに起き、真上から指差した。
意図が分からない。思わず「はあ?」と首を傾げた西川。
「どうです?」
「う、うーん……交換したことは何度もあるが、最近はしてない。それが何な
んだ?」
「実はですね、現場を捜索したときに、一枚のレシートを発見してまして。お
い、古村君」
飛井田の言葉を受け、古村はまた懐から何かを取り出した。西川の前に置か
れたそれは、レシートをコピーした紙片だった。店名の下に、犯行当日の夜の
時刻が入り、さらに買い上げた品として乾電池と電球が記してある。
「これは赤石さんが殺された日の夜、赤石さん自身が電器店で買った物です。
茶本さんにも確認を取ってます」
「まさか、この電池は腕時計用のか?」
「はい、その通りで」
「だが、それが何の証拠になると言うんだ? すぐさま電池交換したとは限ら
ない。先生の自宅のどこかに、このとき買った新品の電池があるはずだ。よし
んば交換してあったとしても、証拠にはならないだろう」
「この電球は交換してありましたよ。トイレのね」
「そんなことは、意味がないだろ!」
つい声を荒立ててしまった。西川ははっと気付き、目を周囲に走らせる。受
付にいる若い社員が変な目つきでこちらを見ていたが、すぐさま逸らした。
「……刑事さん。もっと分かるように、端的に言ってくれませんか」
「そうしているつもりですが……口下手で申し訳ありませんねえ。作家さんと
付き合っていると、やはり口がうまくなるものですか」
「飛井田さんっ、頼むから」
「ははあ、では先を急ぐとしますか。先に言っておくと、電池が交換されたの
は間違いありません。被害者の外出着のポケットに、この電池の包み紙と言う
んですかね、パッケージの残骸が入っていました。赤石さんが他に腕時計を持
っていて、それに入れたというなら話は別ですが、まあそんなことはないでし
ょう」
「……なるほど」
「そして、この電池は事件当日に発売されたばかりの新製品なんですよ」
「事件当日だって?」
刑事の駆使しようとしている理屈はまだ飲み込めなかったが、西川は己の運
の悪さを感じ取った。
「つまり、この新製品の電池が赤石さんの腕時計に使われているとしたら、そ
れは事件当夜、言ってみれば殺される数時間前に入れられたと考えるしかない。
先ほどあなたからお預かりした腕時計を開けて、電池を調べてみたとしましょ
う。その電池がこのレシートに記載された新製品であれば、どうなります?
あなたの腕時計と赤石さんの腕時計が入れ替わったのは、電池購入時よりもあ
とで、殺害時刻よりは前でしょうな、常識的に考えて。あなたは当夜、赤石さ
んと会っていないと言ってました。腕時計が入れ替わるはずがない。なのに、
入れ替わったとしたら、それは取りも直さず西川さん、あなたが赤石さんを殺
害したということになりやしませんかね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
鋭い口調と目つきで追い込まれ、西川は首を振りながら相手から目を逸らし
た。身体の向きも、真正面から逃れる格好になる。
「時計を開けて、電池を見てみますか?」
追い打ちを掛けて来る飛井田。
西川は「待てと言ってるだろう」と、刑事の追及を妨げる。
「思い出した。私も交換したんだ。つい最近のことだ。そうそう、偶然にもそ
の電池……ええっと、名称はど忘れしたが、新製品というのに惹かれて購入し
たんだ。そしてその腕時計に入れた」
「嘘はいけませんよ、西川さん」
「嘘じゃないっ」
「じゃあ、この時計の中の電池には、赤石さんの指紋は付着していないんです
ね? あなたの言葉を信じるなら、赤石さんの指紋が付くことはあり得ない」
「ぐ……」
西川は見開いた目で、テーブル上の腕時計をにらみつけた。瞬きもせず、じ
っと。できることなら、視線で溶かしてしまいたい。本気でそう思った。
(溶かせなくとも、奪い取ってどこかに捨てれば……?)
強攻策が脳裏に浮かんだ。
そんな西川の目の前で、飛井田が腕時計をハンカチごと掴み、丁寧にくるみ
ながら古村へ手渡した。古村もまた大事そうに仕舞う。
西川は全てをあきらめた。
「すみません、私がやりました」
「……お疲れ」
小さな声で告げると、飛井田は古村に手で何らかの合図を送った。受けて立
ち去る古村。
「いつ、私が怪しいと……?」
「はあ、そうですなあ。やっぱり第一印象がねえ。いや、ほら、あなた真っ先
に現場に飛んで来た。あれで、ちょっと変だなと感じた」
「あれは……焦っていたんだな」
自嘲する西川。
「飛井田さん。あなたが動機に関して見当外れのことを言い出したときには、
これで逃げ切れる、楽勝だと確信したんですがね」
「ああ、あれは本当に失礼をしてしまった。思い込みとは恐ろしいもんです。
でも、あなたがあまりにも自信満々に否定なさるから、最小限の勇み足で済み
ましたよ。ははは」
飛井田の笑いもまた、自嘲気味であった。
「そうか。じゃ、あのとき私はもっとうろたえて見せるべきだったか。間違っ
た動機を信じ込ませればよかった」
「そんなことされても、物的証拠がありますからな」
さすがに釘を差してきた刑事。
西川は大きく息を吐き出し、ふと聞き返した。
「飛井田さん、あんた、本当の動機は掴んだんですか?」
「うーん、ま、おぼろげではありますが、大まかなところは調べが着いてます
よ。介護の方に動機があったんでしょう?」
「さすが、日本の警察は優秀だ」
「善城寺病院とつながりのある老人ホーム、経営が逼迫してるようですね。病
院での稼ぎを回しても足りないぐらい。そこで入所している老人達の中から、
痴呆がある程度進んだ人を選び出し、財産を老人ホームに寄付するという遺言
を書かせた。その金で賄おうとした。身内思いのあなたは」
「ストップ。飛井田さん、ストップだ」
強い調子で刑事の台詞を遮る西川。
飛井田のどんぐり眼を面白く感じながら、西川は落ち着いた物腰で宣言した。
「私はもう何も言いませんよ。隠し通すために赤石先生を殺してしまったんだ。
ここで折れてたまるか。今からでも遅くない。――そうなんだ。私には真の動
機がある。飛井田さんの言う動機はまるで違う」
飛井田は一度大きく瞬きをすると、何とも言えない困惑した顔付きになった。
その表情を解き、右手で顎をさすりながらうなずく。
「……分かりました。じっくり、やり合いましょう。だが、戦闘開始の前に」
右手の人差し指を立て、声の調子を軽くする飛井田。西川は、何ごとかと瞬
きを何度もした。
「赤石さんの犯人当て小説、答を教えてくれませんか」
「――次号を買ってください」
西川の返事に、飛井田は唇を歪め、自嘲気味に短く笑った。
――終