#4834/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 5/30 17:51 (200)
そばにいるだけで 36−7 寺嶋公香
★内容
翌日はしかし、機会が容易には見つけられなかった。
何だか知らないけれど、女子が入れ替わり立ち替わり、相羽のところに来る。
中でも白沼が熱心だった。
やっと途切れるかと思ったら、今度は男子が大勢。テストが近いせいか、相
羽頼みの面々がノート片手に教えを請う。
勉強に関しては純子も頼られる側なので、これまた忙しい。相羽の手が空く
と、純子の方が手を離せないなんて状況も一度ならずあった。
(こ、この調子だと、話せないかも)
昼休み、給食の準備をしながら純子は半ばあきらめ気分に浸った。手紙の件
を一刻も早く解決したいのだが、このあとの時間割を思うと話す暇を取るのは
難しそうだ。
(二時間続けて合同体育……間の休憩のとき、うまくつかまえられるかな。だ
けど、手紙を持ったまま体育するのって、問題あるよね。ごわごわしそうだし、
破けたり汚れたりしたら)
手紙は突き返すつもりでいる。そのことにこだわるのなら、体育の時間は無
理だ。
(ロングホームルームは何するか知らないけれど、当然勝手にお喋りできない
わよね。放課後はあいつ、掃除当番だし。待ってたら鷲宇さんとの練習に遅れ
るかも)
今日は試験前の最後の練習日だ。絶対に遅れたくない。
(明日に延ばすしかないかなぁ)
と、体育が終わる頃には完全にあきらめた。
だが、皮肉なもので、ホームルームの時間になって状況は一変する。
「冊子作り、頼むわな。旅のしおりってやつだ」
牟田先生に言われた。
パソコンルームに行って、修学旅行の冊子を委員長と副委員長でクラスの人
数分作る。ホームルームの本題はこれだったのだ。
他の生徒達は掃除当番以外は帰っていいとのこと。そして掃除当番と重なっ
た相羽は……。
「俺が代わってやろうか」
唐沢の申し出に、相羽は怪訝な表情をなした。口を少し開き、眉を片方だけ
上げる。
「ありがたいけど、部活は? ……ああ、試験前か」
「そうだよん、なし。遠慮するな」
「何か変だ」
純子が見つめる中、腕をさすった相羽。唐沢の方はにやにや笑っており、足
には貧乏揺すりの兆候が現れていた。
周囲で掃除のための机の移動が始まった。唐沢が急かす。
「ほら。早く決断しろ。疑り深い奴だな」
「マルクスも言ってる。『我が輩の知らないところで不正が行われている』と」
相羽の台詞に、今度はきょとんとする唐沢。
「マルクスって誰だ?」
「昔の経済学者か何かじゃなかった? でも、経済学者がそんなこと本当に言
ったの? 不正取り引きか何かで?」
純子も意味がさっぱり理解できず首を捻った。
相羽は他の当番が気になるのか、横目でしきりに見ながら答えた。
「経済学者じゃないよ。グルーチョ=マルクス、映画俳優。喜劇役者だ」
「なぁんだ」
(それにしても案外洋画を観てるのね、相羽君て。えっと、オードリー=ヘッ
プバーンは私でも知ってるけれど、マルクス……知らない)
純子が妙なところを感心している横合いで、唐沢は「そんなことはどうでも
いいっ」と声を大きくした。
「人の親切は素直に受けるもんだぜ、まったく。時間もないだろうに。さあ、
代わってやる」
「――読めた」
今度は相羽がにやりとした。おもむろに唐沢の胸先を指差して、自信満々に
続ける。
「唐沢クンがそこまで言ってくれるんなら、ありがたく代わってもらうとする
かな。ただし! 交代するのは掃除当番の方だぜ」
「……ちっ、ばれたか」
唐沢は苦笑すると、掃除用具箱に足を向けた。
「あれ? まじで代わってくれるのか」
「見破られたからには、しゃあねえだろ。ま、ジュース一本ぐらいは当然おご
ってくれ」
「はは、オーケー。サンキュ」
唐沢とのやり取りが済むや、純子を振り返る相羽。
「ごめん、遅くなって」
「いいけれど……見破ったのどうのって、何のこと?」
鞄を両手で抱え持ち、歩き出しながら純子は聞き返した。廊下に出たところ
で、相羽はやっと口を開いた。
「唐沢の奴、冊子作りの役目を交代してやるって意味で言ってたんだよ」
「え? 当然、掃除当番を代わってくれるんだとばかり」
「あいつったら、その肝心な点をぼかしてた。危うく引っかかるところだった
な。どっちが楽かは一概には言えないけどね」
そうして声を殺して笑う相羽だった。
結果的に相羽と二人きりで話せる時間を得た純子は、作業を始めた当初から
タイミングを計っていた。大量のコピーが終わり、ページを揃え、あとは綴じ
るだけの段階になって切り出す。
「ところで」
裏返りそうになった声を、急いで調節する。意識しすぎたようだ。
相羽が手の動きをスローにし、話を待っている。純子は咳払いを一つ入れ、
再び始めた。
「これはどういうつもりよ」
半数ほどできあがった冊子を隅にどけて、問題の手紙を取り出した。きっち
り広げて机上に張り付けるように平らに押し伸ばし、相羽の方に向ける。
「終わってからに」
相羽の台詞が途中で止まった。作業を完全に放り出すと腰を屈め、机の縁に
肘を載せて手紙に視線を食い込ませる。喉が動いた。
「もう我慢の限界だとか、話す決心をしたからとか、思わせぶりな手紙なんか
くれて。さっさと今ここで話して」
「こんな物、書いてないよ」
静かな返答。相羽の拳は強く握られていた。
純子は瞬きの頻度を増やした。
「でも、あなたの名前になってる。印刷した字だけれど」
封筒と文面の末尾にある名前を指差す。
相羽は首を横に何度か振った。
「誰かが勝手にやったんだ。僕じゃない」
「……本当に?」
「ああ。この手紙、どういう状況で手にしたのか、教えてほしい」
すっくと立ち上がる相羽。物腰にはあからさまな苛立ちと怒りが含まれるよ
うになっていた。
純子が昨日の夕方の模様をありのまま伝えると、相羽は目を斜め下に向け、
一点をにらむようにして何ごとか考え始めた。
そんな相羽の態度を目の当たりにした純子にしても、さっきまでの意気込み
は霧散し、代わりに悪戯手紙の差出人に対する怒りが急上昇した。
「ねえ、前にもあったわよね、嘘の手紙。私は出してないのに、私の名前で。
もしかして関係あるんじゃない?」
「僕もそう思う」
小さくうなずき同意する相羽。その間にも手紙の文章と封筒を、微に入り細
に渡って観察している。やがて名前の部分を指し示しながら言った。
「並べて比べてないから断言はできないけれど、同じ機械で印字された可能性
が高い。この毛筆書体、記憶にあるのとそっくりだ」
「そうかも……しれないわね」
純子の方は一度見ただけなので記憶がおぼろげだが、確かに似ているような
気はした。
続いて二人は同時につぶやいた。
「誰がしたのかな」
次の瞬間、見合って口をつぐむ。
相羽は純子に手紙を返そうとしながら聞いた。
「これ、いる?」
「どちらかと言うと持っていたくない。気味が悪いわ」
「じゃ、僕が持っておくよ。純子ちゃんの方にも心当たりないんだよね?」
手紙を仕舞いつつ、相羽。純子は即座にうなずいた。
「当ったり前よ。何でこんな変な悪戯されなくちゃいけないの」
「たとえばの話として聞いて。モデルやタレントをやるようになって、おかし
なことは起きていない?」
相羽の問い掛けに対し、純子は冊子作りを再開させてから応じた。
「起きてない。起きるはずないわ。私がモデルやタレントをしてるって知って
る人、ほとんどいないじゃない」
「だけど、テレビにも出たじゃないか」
相羽もようやく思い出した風に冊子を綴じ始めた。
「あれも同じよ。気付いた人はほんの少しだけ。とにかく、実際には何も変な
ことは起こってないんだから」
「うん……そうだよな。だいたい、偽手紙の差出人は僕の名前や住所も知って
いるんだから、純子ちゃんのモデル活動だけに原因があるわけないか。――逆
に考えれば、君と僕を知っている人間」
「やだ。それじゃ、私達の知り合いってことになるじゃない」
あと数冊というところで、また手が止まる。
相羽は難しい表情のまま、首を縦にかすかに動かした。
「こう考えると道理に叶うんだ。見ず知らずの人間が僕らの住所を一から調べ
るのに比べたらね。それに……何のために、ってことも考えればなおさら」
「誰が」だけでなく、「何のために」も重要だ。
「嫌がらせに決まってるわよ」
「そうだね。じゃ、差出人はどうして嫌がらせをしたいのか」
「それは……分かんない。誰だか分かんないんだもの」
この時点で作業は曲がりなりにも終了した。綴じ方がまずくて、多少歪んだ
物もできたかもしれないが。
純子がクラス全員の人数分の冊子を整え、その大半を相羽が抱え持つ。パソ
コンルームを出て、職員室へ向かった。
「恨まれる覚え、ないよね」
相羽の念を押す物言いに、純子は首を横に振った。
「今、思い出したけれど……白沼さんは私のこと好きじゃないみたい。私が口
紅のコマーシャルに出たのを知って、凄く怒ってた、と言うよりも不機嫌にな
った感じだったわ。どう思う?」
「……違うよ、多分」
相羽は理由には言及せず、ただ結論だけを述べた。
一方、純子は当然根拠が続いて聞けるものと思って待っていたため、少し間
ができた。
「……どうして白沼さんじゃないって言い切るの? そりゃあ、私だって疑い
たくないけれど」
「えっと、それは……うん、僕らはローマ字で書くとき、自然にJを使うだろ」
「はい? あ、この前の手紙の」
純子が理解した時点で、職員室に着いた。冊子を牟田先生に一通りチェック
してもらってから、改めて教室に運ぶ。配付は明日だが、前もって教室に置い
ておくのだ。
「さっきの続き、いい?」
三年五組の鍵で宙に小さく輪を描きながら、水を向ける純子。
「言いたいことは分かったわ。だけど、白沼さんが『じゅ』を『ZYU』と書
かないなんて、言い切れないんじゃないかしら」
「確かめてもいいけれど、多分、間違いない。パソコンの授業で入力を習うと
き、ワープロだとたいていJを優先して使うもの」
「……そうね」
授業を思い出し、さらに、自分の名前を書くときもJを使っていることで納
得した。
「あ、それだと、友達の中にはいないのね!」
純子は手を合わせ、足を止めると相羽へ振り返った。
荷物で手が塞がっている相羽は、急の事態に危うく冊子の山を崩しそうにな
った。前に飛び出た数部を、純子の手が押さえる。セーフ。
「僕もそう思う。『じゅ』を『ZYU』と書くのは、ローマ字を習ったばかり
の人の可能性が高い」
「じゃあ……小学生? まさかねえ」
「小学生だってパソコンやワープロぐらい使うし、無意味としか思えない悪戯
をする子もいるよ」
「だけど」
相羽の見解に首を振る純子。具体的な根拠はないが、違うという思いが強い。
そこへ相羽は言葉を足した。
「幸か不幸か、この辺の小学校の子達に、僕らはフラッシュ・レディで知られ
ているんだよね」
教室に着いた。でも、純子はすぐには鍵を開けなかった。忘れていた。
「私は信じないわよ」
「――僕も」
扉の前に途方に暮れたようにたたずみながら、微笑した相羽。
「な……」
呆気に取られる純子へ、相羽の話が優しく届く。
「小さな子が悪戯のために、いちいち住所を調べるとは思えない。それに、も
しも小学生がやるんだとしたら、フラッシュ・レディとしての僕らに対して悪
戯したいと考えるんじゃないかな。こんな文章は書かないよ。えっと、レイ、
だっけ。そういうアニメのキャラクターの名前を使うと思う」
――つづく