AWC Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【03】 悠歩


        
#4679/5495 長編
★タイトル (RAD     )  98/12/24   0: 9  (196)
Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【03】 悠歩
★内容
 このスラムに住む者、特にマリィやデニスのような子どもたちには、日々の糧
を得ることがもっとも難しい。ここ数日、デニスは商売が上手く行かず収入がほ
とんどなかったことは、マリィもよく知っていた。それもかなり切迫した状態に
なるほどに。そうでなければデニスは、昨夜のようにいくら勧めてもマリィから
の施しを受ける性格ではないのだ。
「ん、見たとおりのミルクとパンだけど。ゆんべは世話になっちまったからさ、
そのお返しにマリィとちびの朝めしに思って」
 笑って応えるデニス。
 その笑顔が、マリィの怒りに火をつけてしまった。
「そんなことを訊いてるんじゃない! いったい、こいつをどこから………まさ
か、ガメてきたんじゃあ………」
(がめる:ちょろまかす・盗むの意)
 お金を持たないデニスが食べ物を手に入れるには、盗んで来る以外の方法はな
い。そう決め込んだマリィは、怒りを爆発させる。
 興奮したマリィに対し、デニスはその顔をきょとんとさせて見ているだけだっ
た。が、ようやくマリィの怒っている訳を理解すると、にわかにその表情が険し
くなった。
「見損なわないでくれよ、マリィ」
 極めて穏やかな声だった。
 その穏やかさが、彼の心外さをよく示している。それを察したマリィは、熱く
なっていた自分が急激に冷めていくを感じた。そして事情も訊かないうちから怒
りだしてしまったことに、少し後悔をする。
「じゃあ?」
「ああ、約束は破っちゃいない。こいつはルーベンの店で買って来たんだ」
 そう答え、デニスはマリィをじっと見つめる。
 マリィも口を噤んで、デニスの瞳を見つめ返す。そこに曇りはない。デニスは
決して嘘を言ってはいない。
「でも、あんた………お金は? 持っていないんだろ」
「ああ、それか」
 ふとデニスの表情から険が消え、いつもの笑顔が浮かぶ。
「当然ツケさ………あいつには貸しがあるからな。あ、でも言っておくけど、別
に俺の方からそれを恩に着せたり、脅したりしたんじゃないからな。ちゃんと頼
み込んだんだ。なんなら、後でルーベンに訊いてもいいぜ」
 そう言ったデニスは、悪戯っぽくウインクをして見せた。
「信じるよ………ごめん、怒ったりして」
 マリィは素直に謝り、頭を下げる。
 ルーベンは街で雑貨店を営む男である。現在マリィたちが「街」と呼ぶのは、
このスラム街ではない。貴族や商人たちが住み、あの工場を巡る戦いのあと、ス
ラムと化したこの辺りに代わって発展した場所のことである。
 ルーベンの店はその中でもスラムに近い場所にあった。店主のルーベンは決し
て気前のいい人物ではないが、少なくとも表面上はスラムに住む者たちに貴賎を
持つ人物でもない。お金さえあれば、裕福な者たちと区別することなく客として
扱ってくれる。ただしこのような世の中の事情もあって、ツケ売りをすることも
ないはずではあるのだが。
 けれどデニスは嘘の上手い少年ではない。だからマリィは彼を信じた。
「でも早く支払いをしないと、ルーベンさんだって、そんなに長く待ってはくれ
ないだろう? なんなら私が………」
「おいおい、止めてくれよ。なあに、俺だって仕事を選ばなきゃ、それくらいの
金、いつだって作る甲斐性はあるんだぜ」
「でも」
「おおっと。その話はもう、終いにしようぜ。ほら、おちびちゃんがお腹を空か
せて待ってるじゃないか」
 デニスに言われて振り返ると、指をくわえながらマリィの抱えた紙袋を見つめ
る少女がいた。



 もともとが大した量ではない朝食。一きれのパンとミルクは、瞬く間もなく少
女のお腹に納まった。食事の作法については、全く褒められたものではないのだ
が、このスラム街に住む者、流れ着いた者には珍しくない。食べられるときに食
べておかなければ、次にいつ食べ物を手に入れられるのか分からないのだから。
 デニスは初めから、自分の分の食事は用意していなかった。けれどマリィとし
てもデニスが食べないものを食べることは出来ない。拒むデニスに無理矢理自分
の食事を半分与えた。それにも関わらずデニスは、自分の分を食べ終え、まだ物
足りなさそうにしている少女にパンをあげてしまった。少女の前には、期せずし
て同じことを考えていたマリィとデニスの手が一度に差し出される。
 結局パンは二きれとも少女のお腹へ納められ、マリィとデニスはミルクを半分
ずつ飲んだ。
「なあ、そろそろ名前、教えてくれないかな?」
 テーブルの上に落ちたパンくずを丹念に拾い集め、口に運んでいた少女にデニ
スが訊ねた。
 親指と人差し指を口に入れたままの少女が顔を上げる。が、デニスと目が合う
と慌てたように視線を逸らし、俯いてしまう。もちろん、デニスの問いに応えて、
その口から名前を語ることもなく。
「まいったなあ………いつまでも、おちびちゃんもないとないと思うんだけど。
俺、嫌われちゃったかな」
 デニスは頭の後ろを掻きながら、おどけて言った。おどけてはいたが、目は笑
っていない。大人から罵られたり嘲られても平然としていられるデニスだが、自
分より小さな子どもに恐がられたり嫌われたりすることには酷くショックを受け
てしまうのだ。
「そうじゃないよね、デニス………このお兄ちゃんが、嫌いなんじゃないよね」
 そんなデニスの様子を見かねて、マリィから助けを出す。後ろから少女の肩を
抱き、耳元で優しく問い掛けた。
 けれど俯いたままの少女は、マリィの言葉にも応えてはくれない。
「あら? 私のことも嫌いなのかな。だったら寂しいなあ………たった一晩だけ
ど、同じベッドで一緒に寝た仲なのに………」
 マリィはやや伏せ目になりながら、悲しそうな声を作った。デニスのように本
気でショックを受けたのではない。なんとなくではあったが、マリィにはある予
感があったのだ。
「ん?」
 相変わらず俯いたまま、何も話してはくれない少女だったが、その小さな頭が
微かに横へと振られた。
「私やデニスのこと、嫌いじゃないの?」
 こくり。
 今度は少女の頭が縦に振られる。
「じゃ、じゃあ、俺たちのこと好きかな」
 それに気を良くしたのだろう。多少恐る恐るといった感じではあったが、デニ
スが脇から新しい質問を投げ掛ける。
 こくり。
 再度、少女の頭が縦に動いた。
「じゃあ、名前、教えてもらえないかな。私はマリィ、マリィ・レイコード、1
3歳。こっちのお兄ちゃんは、デニス・ラングレイ、14歳」
 マリィは少女が話しやすいようにと、まず自分とデニスについて簡単に紹介を
した。食事の後に、すぐ少女が寝入ってしまったためではあるが、初対面から一
夜明けてからの自己紹介も妙な話だと思いながら。
 マリィが紹介するのに併せるように、少女の視線がマリィとデニスとを順に追
う。が、それも一瞬のことで、またすぐに俯いてしまう。
「なんか、名前を言いたくない理由でもあるのかい?」
 デニスは少女の横に立ち、じれて、と言うよりはなにか心配そうに訊ねた。ス
ラムに住むものたち、それぞれが何かの事情を抱えているのは珍しくもないが、
幼い少女が夜中一人で物騒な場所にいたことは、それだけでも尋常ではない。こ
のスラムに限らず、ある日街中から子どもが突然姿を消してしまった、という話
はよく耳にする。消えた子どもの運命についてはいろいろと流言飛語が行き交い、
定かではないのだが。もしかするとデニスは、少女がそうした事件の被害者では
ないかと、考えたのかも知れない。
 だがやはり少女はなにも答えない。
 俯いたまま、空になったミルク瓶だけが置かれたテーブルを、ただ睨んでいる
だけだった。
「なあ、とにかくなにか話してしれないかな。話次第では、俺やマリィが力にな
れるかも知れないだろ? だけど、話してくれないことには、どうにもならない
んだよ」
 子どもに対しては特に寛容なデニスだが、その扱いはあまり得意でない。そん
なデニスが、なんとか少女に口を開かせようと使い馴れない優しい調子で語り掛
けている。涙ぐましい努力ではあるが、マリィにはそれが功を奏するとは思えな
かった。
「デニス、ちょっと………」
 少女から離れ、部屋の隅へと移動したマリィはデニスを呼んだ。
「あん? どうかしたか」
 口を固く閉ざした少女に心を残しつつ、デニスはマリィの元へやって来た。
「あの子、もしかして話さないんじゃなくて、話せないんじゃないかしら」
 声を潜め、マリィはデニスへと耳打ちをする。
「は? なんだよ、それ」
「もう、鈍いね。あの子、喋ることが出来ないんじゃないかって、言ってるんだ
よ」
「えっ」
 デニスにしてみれば、まるで思いもよらなかったことのようだ。その表情に驚
きを顕にし、ちらりと少女を見やる。
「言われてみれば………」
 再びマリィへと視線を戻したデニスが、得心したように頷いた。
 昨晩から今朝までたった一言、いや一音すら少女の口から発せられてはいない。
辛い目に遭って、無口になってしまった子どもなどこの街には幾らでもいる。け
れど眠った時には、普段心の中に封じ込められているものが、無意識に寝言とし
て現れることが往々にしてあるものだ。ところが少女と床をともにしたマリィは、
少女の寝言すら耳にしてはいない。
「なあ、おちびちゃんよ。おまえ、言葉が喋れないのか?」
 突然少女の元へと戻ったデニスは、そんな質問を直にぶつけた。
「ちょ、ちょっとデニス! アンタなにもそんな直接的に………」
 少女は言葉を話すことが出来ないのではないか。早くからそう感じ始めていた
マリィだが、そのことを少女に問うことは避けていた。マリィはこの街で心に様
々な傷を持つ者たちを見てきた。だからどんなに些細に思えることでも、それを
他人に触れられるのを嫌う者が多いことも知っている。だからこそ、少女に言葉
が話せないのかと訊ねることも控えていたと言うのに。
「いいんだよ。こういうことは、お互い早めに知っとくべきなんだ」
 抗議しようとしたマリィだったが、それは目の前へと突き出されたデニスの掌
によって遮られてしまった。
「おまえ、声が出せないのか?」
 デニスは同じ質問を繰り返す。
 少女の首が、縦に振られた。

「字は書けるか?」
 ふるふると少女の頭が横に振られる。
「親はいるのか?」
 少し考え込むような間を置き、やはり少女は首を振って否定する。
「帰る家はあるのか?」
 これも否定される。
 マリィの心配をよそに次々となされるデニスの質問へ、少女は首の動きで答え
ていく。どうやら自分は不必要に気を遣い過ぎていたようだとマリィは思う。や
はりこういったときには、デニスの行動力が役に立つ。
「ふう」
 一通り質問を終え、デニスが息を吐いた。たぶんその後に続けたかった、「ま
いったなあ」という言葉を飲み込んで。
 結局分かったのは、少女には身寄りもなく、帰る家もないということだった。
それはおおよそ昨夜のうちに見当がついていたこと。なにも分からなかったのと
同じだ。もし少女が文字を書けるのなら、筆談でもっと詳しい情報を得られたか
も知れない。だが首を振って否定した通り、試しに与えてみたデニスの画帳には
三種の文字が並べられただけであった。
「いいよ、おちびちゃんが何者だって関係ないさ。いまここに、アンタがいるっ
てことだけで充分だよ」
 少女に手を遣り、マリィはその頭を撫でる。ふわりとした柔らかく、心地良い
感触。もう何年も手にした覚えはないが、上質な毛布に触れているようだった。
「ねぇ、おちびちゃんがイヤじゃなければ、ここで私と暮らさない?」
 帰る家もないという少女に、他に選択肢のあるはずもない。だからこそ少女の
面倒をここで見ることは、デニスと二人で決めたのだ。それでもマリィは、それ
をもう決められたこととして、少女に伝えたりはしない。ここでマリィたちと一
緒に暮らすか否か、少女の意思を尊重しなければならいのだ。それがここでのル
ール。もっとも少女が嫌だと答えても、いきなり追い出すようなこともしたりは
しないのだが。
 拒んだりはしなかった。頭にマリィの手を載せたまま、少女は頷いた。
「よし、決まった。じゃあ、これからよろしくね。ええっと………」
 自分の顔を少女の目線の高さに合わせるため、マリィは腰を屈めた。そして握
手を求め、少女の頭に載せていた手で、今度は少女の手をつかんだ。少女もはに
かんだように、マリィの手を握り返してくれた。
 ここでマリィは呼び掛けるための、少女の名がないことに気がつく。
「いつまでも、おちびちゃんって訳にもいかないよね。ちゃんとした名前がない
と………」





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