AWC Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【02】 悠歩


        
#4678/5495 長編
★タイトル (RAD     )  98/12/24   0: 8  (195)
Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【02】 悠歩
★内容



「ほら、食べなよ。遠慮しなくていいから………驚かせたお詫びだよ」
 古びた、と言うより薄汚れたテーブルの上に置かれたスープ皿を指し示し、マ
リィは微笑んだ。先ほどから、怯えたままの少女に向かって。
「って言っても、大したモンじゃないけどね。ま、それでもお腹の足しにはなる
だろ? 身体も暖まれば、少しは気分も落ち着くだろうしね」
 笑顔を崩さぬようにして、マリィは少女を見つめる。
 少女は上目遣いにマリィを見つめ、それからスープへと視線を落とす。その喉
が、ごくりと動いた。
「遠慮しなくていいんだよ。おちびちゃん」
 もう一度帰って来た視線に、マリィはそっと頷いた。
 少女はまだ躊躇うような目でマリィを窺いながらも、手を伸ばし、スープの横
の変色したスプーンをつかんだ。恐る恐る、震える手でスープを掬い、一口啜る。
その一口が呼び水になったらしい。よほどお腹を空かせていたのだろう。その後
はマリィの視線のことなど忘れたかのように、一切の関心をスープへと向け、忙
しない動きで口に運びだす。
 マリィはテーブルに肘を突き、両の掌で頬を支えながら、そんな少女を見つめ
ていた。が、ふと少女の横で困ったように、もう一つのスープ皿と睨み合ってい
るデニスに気がついた。
「おちびちゃんは分かるとして………デニス、あんた、なにスープと睨めっこな
んかしてるんだい?」
「い、いや、別に俺は腹なんか空いてないからさあ」
「はん、つまんないやせ我慢だね」
 そう言ってからマリィは、はははっ、と大袈裟に笑った。そして少女に対して
とは異なった、少し乱暴な口調で続ける。
「そんな青ちろい顔をしてかい? ろうそくの明かりの中でもはっきり分かるよ。
腹が減って仕方ないってさっ」
「だから、俺は腹なんか空かして………」
 デニスは全てを言い切ることが出来なかった。自分のお腹の鳴る音に、邪魔さ
れてしまったのだ。
「だからさ、私の前では無理しなくていいよ。真っ当な仕事じゃ、稼ぎが少ない
んだろう………それでアンタがまた、馬鹿なことをするとは思わないけどさ。で
もハラペコでいると、考えることはマイナス方向にばかりに行ってしまうだろ。
ご馳走するとは言わないよ。アンタが稼げるようになったら、返してくれればい
い。ね?」
 そう言ってマリィは豪快な笑いから、少女に向けていたのと同じ笑みへと表情
を作り替えた。それに応えるように、デニスも「へへっ」と小さく笑い返してき
た。
「すまねぇ。本当はハラペコで死にそうだったんだ。恩にきる」
 言い終えるのが早いか、デニスも少女に負けない勢いでスープを啜り始めた。
 スプーンが皿の底を叩く音。
 そのスープを激しく啜る音。
 並んだ二人の、とても上品だとは言いがたい食事の風景。スープを分け与えた
ことで、自分の明日の朝の食事がなくなってしまったと言うのに、そんな二人の
姿を見ているとマリィはとても楽しい気分になれた。
「あんまり慌てて食べるんじゃないよ。言っておくけど、もうお代わりはないか
らね」
 けれどそんなマリィの言葉は、二人の耳に届いてはいなかったようだ。

 スープを最後の一滴まで飲み尽くすと、少女はまるでゼンマイの切れたオモチ
ャのように、ぴたりと動きを止めてしまった。一瞬、どこか具合が悪いのかと心
配したマリィだったが、すぐにそうでないと分かった。
 満たされた、と言うには足りない量であったが、空腹を癒すことの出来た少女
は疲れからか、寝入ってしまったのだ。
「ちょっと、そんなところで寝たら風邪をひくよ」
 右手にぎゅっとスプーンを握ったまま、テーブルに突っ伏して寝てしまった少
女へとマリィは優しく声を掛ける。注意を促してはいるが、それは決して少女を
起こそうとはしていない、極めて小さな声であった。
「まったく、仕方ないねぇ」
 固く握りしめられている指をそっと解き、その手からスプーンを離させる。そ
れから少女を起こさぬようにと抱き上げた。
「あ、俺が運ぶよ」
 椅子からデニスが腰を浮かす。その時。
 びゅううううっ。
 外で冷たい風が吹く。
 無数の亀裂が走る壁は、その風が室内に侵入することを容易に許してしまう。
マリィもデニスも、そしてマリィに抱かれた少女も眠ったままで身を竦める。
「マリィ?」
 心配そうなデニスの声が背中から掛かり、マリィは我へと返る。ほんの一時で
はあったが、呆然と立ち尽くしてらしい。
「気分でも悪いのかい?」
「軽いんだよ………」
 デニスの問いかけに、マリィは短く答える。
「軽いって、なにが?」
「この子だよ」
「そりぁそんなおちびさんだ。軽くて当たり前だろう」
「軽すぎるんだよ」
 怪訝そうにしているデニスに、マリィは抱いていた少女の身体をそっと預ける。
「あっ………」
 デニスもマリィの驚きを、実感したのだろう。瞬間的に浮かべた戸惑いの表情
が、すぐに何かを怒っているように変わる。
「マリィのベッドに、寝かせていいのかい?」
 貧しく辛い暮らしの中でも、デニスはいつも陽気に振る舞っていた。彼と知り
合ったのは二年前、マリィが11の時だった。この二年の間、デニスのこんな表
情を見たのは数えるほどしかない。
「ええ、お願い」
 マリィの返事を受け、少女の身体がベッドに移された。
 元は廃物であったベッド。それをマリィが手を加え、なんとか使えるようにし
たものである。手を加えたと言っても、マリィは職人ではない。穴にクッション
の代わりになりそうな新聞紙や藁、おがくずなど、手に入れられる物を適当に詰
め込み、ボロ布で塞いだだけ。ベッドとは名ばかりの硬い寝床であった。
 けれどそれにしたところで少女の載せられた部分の、ベッドの沈み方はあまり
にも小さい。
 栄養失調による、発育不全の子ども。この時代、別に珍しいものではない。マ
リィやデニスにしても、そんな子どもたちは嫌と言うほど見てきた。何より彼女
たち自身、13歳の少女、14歳の少年として充分な発育を遂げてはいない。い
や、二人に限らずこの辺り見捨てられた街に住む子どもたちは皆、そうである。
 そんな子どもたちを見慣れたマリィの目にも、少女の発育の悪さには痛々しい
ものを感じてしまう。だがその痛々しさは、何も見た目に限ったものではないと、
すぐに知ることになった。
「マリィ、見てみろよ」
 眉間にしわを寄せたデニスが、少女の華奢の身体を包むぼろ布を、肩口から指
を入れて上げている。
 そこから見えたものに、マリィも眉を歪めてしまう。応える言葉などない。
 誰にどんな仕打ちを受けたのだろうか。少女の肌には肩から背中にかけて、い
くつもの生々しい傷とあざが刻まれていた。
「あのさ………夜は俺がなんとかするから、しばらく昼の間だけでもこの子の面
倒、みてもらえないかな?」
 申し訳なさそうにデニスが言う。
「ああ」
 異論のあるはずもない。マリィはただ短く答えた。



 戦いが終わったと言っても、すぐに全ての人々が平和な暮らしを営めるように
なった訳ではない。そもそも平和を知る者も、実感出来る者も多くはないのだ。
 かつて街には大きな工場があった。軍の使う兵器を作る工場が。
 戦時下に於いて、これほど賑わう産業は他にないだろう。工場をフル回転させ
ても需要には足りない。規模を拡張し、生産能力を倍に上げても、軍からの発注
が途切れることはなかった。
 当然工場は多くの労働力を必要とした。が、一方では健康な成人男性のほとん
どが兵として戦場へと借り出されていた。その結果、労働力の中心は女子どもと
成らざるを得ない。しかも多くを必要としながら、それらの労働者は正当な手段
によって集められるものでもない。その大半は旧時代の悪習、人買いの手によっ
て賄われていたのだ。
 どのような手段であれ、工場には多くの人間が働いていた。多くの人間が出入
りをしていた。そして工場の周囲には、それらの人々を目当てにした様々な種類
の商売人たちが集まる。
 工場を中心に、街も拡大して行く。街が大きくなれば、さらに人々が集まる。
こうして街は、国内でももっとも賑わいを見せる場所となった。
 ところがこれほど大きくなった街、その中でも大量の兵器を軍に供給している
工場を快く思わない者があった。敵対する国の軍である。
 それは予想されて然るべきことであった。戦時下に於いて、軍需工場が標的と
なるのは至極当然である。しかし自国の優勢を信じて疑わなかったのか、自軍の
守りを鉄壁と過信していたのか。
 工場は敵国の強襲を受けた。当然こちらも強固な抵抗を試みた。が、激戦の末
工場は敵の手に落ち、爆破された。大量の武器弾薬とともに。
 敵が去った後残されたのは、工場の焼け跡。累々と横たわる兵士と市民の骸。
しかし街は完全に滅びた訳ではない。もともと工場が敵の標的になるとは、おお
よそ見当がついていたこと。裕福な市民は、工場から離れた場所に居を構えてい
た。彼らが中心となり、工場を切り捨てた形で新しい街が築かれた。
 そして工場とその周辺では、激戦の中で命を拾い、半強制労働から解放された
人々がスラム街を形成して行った。その中心のほとんどが、まだ年端も行かぬ子
どもたちであった。



 早朝の光は不思議な透明感を持っている。日中の陽射しには何か気怠い重量を
感じてしまうのたが、朝にはそれがない。眠っていた人々、動物たち、草花を優
しく起こしてくれる。それは幼い日に、母の柔らかな手で揺り起こされた記憶に
重なる。
 数週間ぶりに早い時間に目覚めたマリィは、欠けた一部をボール紙で補った窓
ガラスから陽の光を見つめ、そんなことを考えていた。
 がさっ。
 微かな物音によって、マリィの注意は窓から移動させられる。移動したその先、
ベッドの上では昨夜の小さな来客がきょとんとした表情で、部屋を見回していた。
やがてその視線がマリィに重ねられる。一瞬、少女の目に警戒の色が浮かぶ。
「お早う、おちびちゃん。夕べはぐっすりと眠れたかな?」
 微笑むマリィに対し、少女は無言で何かを考えているようだった。昨夜の記憶
を手繰っているのだろう。やや間を置いて、少女の口元が奇妙な歪みを見せた。
「?」
 マリィがその少女の表情の意味を理解するには、多少の時間を必要とした。そ
してそれがマリィに応えて、少女も微笑みを返して来たのだと分かると、やるせ
ない気持ちになる。
 この少女は笑うことに馴れていないのだ。
 珍しいことではない。いやむしろこのスラムとなった街で、心からの笑顔を見
せる子どもの存在など、マリィは知らない。笑ってはいても、皆どこかに翳りを
持っている。
 けれど少女の笑みは、マリィの知っているどの子どもたちよりも不自然なもの
であった。ただ目に映るマリィの表情を、そのまま真似ようとしているだけ。そ
れだけである。あるいはそれが笑みであるとも、理解してはいないかのように。
「マリィ、もう起きているのか?」
 重たくなり掛けていたマリィの気持ちとはまるで正反対な、陽気な少年の声が
ドアの向こうから聞こえてきた。
 マリィにとって、それは救いであった。
「ああ、起きてるよ。おちびちゃんも、いまお目覚めだよ」
 沈み掛けていた気分を振り払い、マリィはドアの向こうに立つデニスへと応え
た。
「珍しいな、マリィがこの時間に起きてるなんて」
 形ばかりの鍵を外すと、朝の静けさにはとても不似合いな勢いでドアが開かれ
た。その勢いのまま、ドアは壁へと叩きつけられる。蝶番が嫌な軋みを上げた。
「ちょっと、ちょっと、気をつけてよ。ただでさえ、たて付けの悪いドアなんだ
からね」
「悪い、悪い」
 マリィが眉をしかめたところで、さほどデニスには効果がない。まったく悪び
れない笑顔で、何やら紙袋を抱え、部屋に入ってくる。
「ほい、朝めし、まだだろ?」
 差し出されるままに、マリィはデニスから新聞紙で出来た紙袋を受け取った。
「なんだい? これは………」
 マリィが覗くと、紙袋の中にはミルクの瓶が二本。それと少し厚めに切られた
パンが二きれ入っていた。
 驚いてマリィは顔を上げる。デニスに向けられた目は、自然と険しいものにな
ってしまう。




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