#4652/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/10/31 2:22 (200)
僕は君だけは許せない 18 永山智也
★内容
「……それなら、はっきり、♂と書いていいんじゃないかしら?」
井沢が言った。
「どうであっても! 私は認めません。これだけの証拠で犯人とされては、か
ないませんよ」
「……いいえ。鳥丸さんが犯人よ。思い出した、私」
「何を? 聡美ちゃん」
「さっき、鳥丸さんは、私の部屋から朝日田さんの部屋の中が見え、そこに朝
日田さんが倒れているのを見つけたって、こう言ったでしょ?」
「……ええ」
やや考えてから、鳥丸は同意した。
「時間は夜の六時だった」
「そう」
「そんなはずないのよ。私、昨日のほぼ同じ時間に、自分の部屋から朝日田さ
んの部屋を見たのよ。朝日田さんの部屋の窓、鏡みたいになってたわ。あれで
中が見えたなんて、あるはずない。
鳥丸さん。朝日田さんの死んでた部屋、鍵がかかっていたって言ったよね?
鍵のかかっていた部屋なら、犯人以外に部屋の中の様子は、誰も知らなかった
はずよ、あの時間なら」
聡美の言葉は、抵抗の構えを見せていた鳥丸を陥落させるのに、充分だった。
――解決編.終わり
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男を女と思わせる仕掛け。この犯人当ての柱は、たったそれだけのことであ
る。
その逆が、正しく当時の僕ではなかったか。事実、自分が男に生まれていた
ら、どんなによかったろうと、ずっと思い描いて生きてきた。
僕がこんな感情を抱くようになったのは、小学生ぐらいの頃から、ずっと男
女差別を感じていたからだと、今になって自己分析している。
男は青か黒、女は赤と決めつけたランドセル。生理で休むとからかわれる。
ブラジャーを初めて着けて行ったときもからかわれた。男がクラス委員長で、
女は副委員長。高校生の頃は、男子と一緒になろうとしてばかりいた。髪もな
るべく短くし、学校以外ではスカートを着ないようにしてきた。その極めつけ
は、去年味わった就職活動における、あからさまな女子学生いじめだ。女性で
あることに嫌になっていたのだ。男女同権が叫ばれてかなり経っているけど、
ちっとも世の中は変わっていなかった。
でも、ようやく、僕は吹っ切れた。黒沼さんへの想いを脳裏に刻み、女性ら
しく、女性としての素晴らしさを発揮できる生き方を選ぼう。
男に負けぬよう、男になろうと考える必要なんて、全くない。女と男が同じ
生き物になってもしょうがないじゃない。女は女、男は男としてのよさを充分
に活かせるような社会にしなきゃね。
もう、僕は『僕』なんて言葉、使わない。私は『私』を使うわ。
返却されてきた書籍を棚に戻すために、ワゴンを押して、書架の間をゆっく
りと移動していたら、不意に声をかけられた。小さいが、はっきりと聞き取れ
る声。
「倉井さん、お客さんよ。ここは代わるから、早くカウンターのとこへ行って」
「はい、分かりました。今、行きますから、少しの間、お願いします」
僕、いや、私は手にしていた本を上の方の棚に押し込むと、そう返事した。
軽く頭を下げ、先輩に仕事のバトンタッチをし、カウンターに向かう。
書物の貸し出しや返却の受付等を行っているカウンター前には、ひょろっと
した印象の、若い男の人が立っていた。上下とも青っぽいジーンズでまとめて
いる。年齢はよく分からない。若いようだけど、全体的にどこかくたびれた風
情があって、判然としないのだ。どちらにしても、私の知っている顔ではない
ようだった。
いくぶん、恐る恐るといった感じで、私はその男に近付き、声をかけた。
「あの、倉井ですが、あなたが私を呼ばれたんでしょうか?」
「倉井……?」
男は私より背が高かった。見下ろされる形になる。
「本当に倉井巽さん?」
「そうですけど」
疑っているのがありありと分かる相手の口ぶりに、私はつい、反抗的に答え
た。
「ずいぶん、見違えちゃってますね。何て、僕の方から言えないか。僕が誰だ
か、分からないようですね」
「え?」
私は絶句してしまった。男の口ぶりからすると、私は以前、この男と出会っ
ているらしい。
「そんな慌てた顔をしなくてもいいですよ。会ったのはかなり前、それもたっ
たの一度だけですから」
そう言われて少しは安心できたが、それでも思い出せない。
「ぜひ、そちらから気付いてほしいんですけどね。ヒントはそうだなあ、二年
前の十一月のことです」
「二年前、十一月……」
瞬時に、私の頭には閃きが起こっていた。
二年前の十一月と言ったら、あの忌まわしい出来事のきっかけの一つとなっ
た時節じゃない。
その頃、一度だけ会った人となると、学園祭に来ていた……。
「まさか、佐川ふみえ……さんの弟さんの……?」
「そうです、当たりです。お忘れみたいですけど、佐川雄治って名前なんです。
ちょっと長くなりますから、どこかに場所を移せませんか」
ふみえの弟はそう提案してきた。
私は内心の驚きを押し隠しながら、黙ってうなずいた。
学食横の喫茶に、私達は腰を落ち着けることにした。時間が時間なのだろう、
店内はすいていた。
セルフサービスで飲物を手にし、向い合わせに座る。
「驚いたわ。すごく感じが変わってしまっていて。それに、雄治君がうちの大
学に入ったなんて、知らなかったし」
「いや、ここの学生じゃあ、ないんです。大学生は大学生なんですけどね」
と言って、店の中を物珍しそうに見渡す佐川雄治。子供っぽく見えた。
「いやあ、それにしても、倉井さんがここの図書館におられるってことに、び
っくりさせられましたよ。顔を見ても、印象が全く変わってしまってたし」
「そんなことよりも……大変だったわね、春先は」
私は辛抱し切れなくなって、自分からその話題に触れることにした。そうし
ないと、息が詰まりそうだ。
「そうです、ね」
ぽつりと応えた雄治。目の前の男は、二年前に見せた頼りなさげな様子は、
ほとんどなくしていた。
「全く、今でも信じられません。ふみえ……姉がもういないだなんて。下宿先、
電話で知らせを聞いたときは、悪夢だと思い込みたかった」
「そのときにはもう、下宿で暮し始めてたのね?」
「そうです」
「それで……今日、私を訪ねてくれた用件は何? お姉さんのことなの?」
それしか考えられないと思いつつ、私は相手に探りを入れた。
「そうです」
短い答を繰り返す佐川雄治。
「実は、田原義男さんについて、たくさん聞きたいことがあるんです」
「田原……」
「はい。できるだけ詳しく、あの男について教えてくださいませんか? どう
してあの男が姉さんを殺して、自らも死を選んでしまったのか。その理由を知
りたいんです」
「あなたの気持ちは分かるけど、どうして私なんかに……」
私は、頭の中で情報を整理しながら、受け答えをする。
「新聞じゃあ、その内容までは詳しく掲載されていなかったけれど、遺書があ
ったんでしょう? それを読めば、分かるはずじゃないの」
「読んで納得できなかったから、こうして足を運んだんです。本当は、他の文
芸サークルの人達にも聞いてみたかったけど、皆さん、遠くに就職しちまって
て、近くにいるのは倉井さん、あなただけだと分かったから、それで……」
「そういうこと」
「迷惑ですか?」
「え、ううん。そんなことないわ。そういう事情なら、なるべく協力させても
らう。どんなことを知りたいの?」
「田原が他に付き合っていた女性がいたかどうか、いたとしたら、その女性に
ついても。それから、黒沼えり子という女性についても、教えてください」
「ちょ、ちょっと、一度に言われてもね。まず……黒沼さんの名前が出てきた
のは、どうしてなの?」
私はどぎまぎしながらも、表面は平静を保っていた。そのつもり。
「遺書に名前があったんです。文面は正確じゃないでしょうが、『黒沼さんの
影がちらついて落ち着かない』とかいう内容だった。この黒沼さんって、文芸
サークルの人でしたよね? いつかの学園祭でも顔を見ましたし、姉さん、と
きどき、その人のことを話していたから」
「そうよ、文芸サークルだったわ。あなたのお姉さんも口にしていたと思うけ
ど、黒沼さんは田原さんと、その……付き合っていたのよ」
抵抗を覚えたが、そう表現するしかなかった。
「それは、姉さんが田原と出会う前ですか、後ですか?」
「うーんと、微妙なところ。知り合ったのは当然、ずっと前なんだけど、ちゃ
んと付き合い出したのは、どうかしら。あなたのお姉さんの方が目に見えて積
極的にアプローチしてたから」
ここで私は言葉を区切り、考えをまとめてから再び喋り始めた。
「実はね、黒沼さんのお父さんも、ソフト関係の会社をやっているの。小さな
会社だけど、まあ、あなたのお父さんと同じようなものよね。そういう訳で、
黒沼さんのお父さんも田原君を熱心に誘っていた。卒業後の針路についても、
黒沼さんのお父さんの会社に入るって約束をしていたの。口約束だけだったら
しいけれどね」
「それは姉さんが言い出すよりも早かったんですか?」
「そうよ。あの、きつい言い方になっても許してね」
私は予防線を張った。精神が久しぶりに高ぶってしまいそうだったから。
「その後、あなたのお姉さんが私達の前に姿を現し、やがて田原君に接近して
いった。あなたのお父さんは田原君のプログラミングの腕に目を着け、会社に
引き入れようと考えた。田原君は迷った。迷った末、あなたのお父さんの方、
LINEXを選んだ。そしてあなたのお姉さんも選んだ。この話を知って、私、
あなた達のことを、いいえ、佐川ふみえさんのことを罵りたくなったわ。途中
から出てきて、泥棒猫みたいにさらっていった女だって……」
「……」
さすがに怒ったようにしているが、佐川雄治は黙ったままだ。
「ごめんなさいね。でも、それが田原君の、さらには黒沼さんの運命までも大
きく変えてしまったのよ。あなた、これは聞いているかしら? 黒沼えり子さ
んは、もうこの世にはいないんだってことを」
「え? それって……」
「自殺したの。遺書も何もなしに、恐らく、思い詰めちゃって命を絶ってしま
ったんだろうけど。睡眠薬を多量に飲んで、永遠の眠りにね」
「……」
「聞いてなかったのね?」
「聞いてなかった……。黒沼さんが亡くなったのは、いつのことですか?」
「去年の七夕の夜よ」
間髪入れず、私は答えてやった。この日だけは何があっても忘れない。
雄治は記憶をたどるような顔つきをしたかと思うと、やがて口を開いた。
「……何も言わなかった。姉さんは一言もそんなこと口にしなかった」
私はそれを聞いて、怒りがこみ上げてくるのを感じた。が、何とかこらえて、
次の言葉をつなぐ。
「おかしいわね。田原君を通じてか、直接かは知らないけれど、連絡は行って
いたはずなんだけど」
「やはり……田原と親しくしていたのが、後ろめたかったんでしょう……」
「それを責めるつもりはないわ。ましてや、弟のあなたに言ってもしょうがな
いことだものね。まあ、これで黒沼さんのことが、春先の件に直接は関係して
いるんじゃないって、分かってもらえたかしら?」
「はあ……」
少し我を失ったようにしている佐川雄治。彼は不意に目の前のグラスを飲み
干した。何かを吹っ切るかのようだ。
「じゃ、じゃあ、他に付き合っていた女性については?」
「いたことはいたと思うの。彼、かなりいい加減な性格、よく言えば女に対し
ては全員に優しくしようとするところがあったから……。でも、継続的に付き
合っていたのは、いなかったみたい。黒沼さんを除けば」
「そうですか……。その答に関係してきますけど、田原自身は、どんな男だっ
たんですか?」
「難しいわね。私から見たら、いい加減な男としか……。でも、好きになった
女性に対しては、全力で優しくしようとはしていたみたいね。表面には出さな
いけど、裏で調べるの。その女性がどんな趣味で、どんな物が好きかなんてこ
とをね。あ、でも、口がうまいから、直接、聞き出す場合もあったかしら?
そこのところ、どう使い分けていたかは全然分からない」
「何て言うか……プレイボーイという意味なんでしょうか?」
「そんな面もあったのは確か」
「分からないな。そんな男が、以前に付き合っていた女性が自殺したことにお
びえるもんでしょうか?」
雄治は、真剣な眼差しをこちらに向けてきた。やや、たじろいでしまう。
「さあ……。黒沼さんに対して、本気だったところがあったみたいだから、そ
んなこともあり得るんじゃないかな……」
「そんなもんでしょうか」
――続く