#4651/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/10/31 2:20 (200)
僕は君だけは許せない 17 永山智也
★内容
三月一日(火曜日)
今月の最後には、全てのけりが着く。
もはや、何も騒ぎ立てることはない。焦ることも、苛立つこともない。単に、
平穏無事に、決行の日が訪れてくれさえすればいいのだ。今はそれだけを祈ろ
う。
そして僕は、その日まで、安らかな休息を選ぼうと思う。
当日、あるいはその日が来るまでに、他人が僕を見て、明かに不審に思うよ
うになっては、元も子もない。休息によって精神を保てば、僕は極普通に振舞
えるだろう。僕はその日の前も後も、全く変わりなく暮らしていく……。
それに、この日記を見られたり、寝言で殺人計画の内容を口走ったりしない
よう、気を引き締めて生活しなければね。
殺人計画とは意外と気苦労が多いものだ、ふん。
三月二十三日(水曜日)
決行の日までは、何も書かないでおこうと決めていたが、今日のことがあっ
たのを失念していた。今日は卒業式だった。
否が応でも、田原と顔を合わさねばならない羽目になった。しかも、あいつ
め、佐川ふみえを呼んでくるとは、重ね重ねにも忌々しい。
二人で記念写真なんかさえ撮っていた。僕に撮影を頼むなんて、どういう神
経をしているんだ? 二人はファインダーの中で、幸せそうに身体――肩じゃ
ない――を寄せ合って、こちらに笑みを投げかけてきた。
いい気なものだ。まあいい。何もかも忘れて、楽しそうにしているがいいさ。
それでこそ、あいつらに対する僕の復讐心は、これまでの臨界点を突き破って、
ヒートアップできるというものだ。
ああ、もう一つ、付け加えておくべきことがあったんだ。僕にとっては嬉し
い知らせである。
殺人決行の日と決めた今月三十日には、黒沼さんの家族は全員、郷里に帰る
のだそうだ。それが一時的なものか、永久的なものかは分かっていないが、好
ましいじゃないか。黒沼さんの家族にはっきりとしたアリバイができれば、田
原とふみえの死体が発見され、警察が介入してきても、疑いがかかることはな
いんだ。
僕は気兼ねなく、復讐を実行できる。運は我に見方せり。意を強くして、僕
は来るべき日のことを夢想しよう。
三月二十九日(火曜日)
いよいよ明日だ。計画は完璧だと自負している。たとえ完璧でなくても、そ
うとでも信じ込まないと、やれそうにないから。計画は完璧だ。
殺人という大事業が目前に迫ると、さすがに落ち着かなくなる。
いや、本当の緊張のピークは、もう何日か前に、とうに過ぎ去っていた。待
望の日を目前にした今、身体が、魂が震えているのは間違いない。
ただ、その震えは、緊張のためではないらしい。喜びにうち震えてたまらな
いらしいのだ。ここ五ヶ月間、自分の身体は、精神は、明日のためだけに注ぎ
込まれてきた。そのせいか、通常使う感覚もマヒしてしまっているみたいだ。
言うなれば、人生最大の目標が達成される訳である。明日が終われば、僕は
どうなってしまうのだろう。過去を抱いたままなのか、全く新しい未来が開け
るか、それともまるで別のことが待ち受けているのか、分かるはずもない。た
だ、僕の魂が解き放たれるのは、間違いない。
ああ、物書きにしては陳腐な言い回しを続けてしまったなあ。まあ、これが
あいつらにはお似合いだ。あいつらに対する恨みごとを書き連ねるのに、頭を
使ってももったいないだけだ。
全ては明日。それだけ。
三月三十日(水曜日)〜三月三十一日(木曜日)
終わった。
計画したことは、全てそのままやった。指紋は残さなかったはずだし、飲物
はコーラを入れたグラスを二つ、テーブルの上に置いてやった。田原の右の掌
に返り血として、血を塗りたくってやったし、ふみえも抵抗したように見せか
けておいた。これでうまくいかなければ、嘘だ。
だが、計画はうまくいったが、僕の精神状態は全く変化していない。殺しを
実行する前とした後で、まるで変化していないようなのだ。海がいつまで経っ
ても穏やかな波しか見せていない、そんな感じ。興奮してもいなければ、心の
安寧を得た訳でもない。
それは現時点ではどうでもいい。僕はいつか、平穏を得るだろう。
だけど、黒沼さんはすぐにでも魂の平穏を得なければならない。今日の僕の
行為が、彼女を救ってあげることができれば、今はそれだけで満足できる。
日記も終わる。精神安定剤の役目も今日までだ。このノートはすぐに灰とな
り煙となり、天へと消えるだろう。
煙は僕の想いと共に、黒沼さんに届いてくれるはず。
ノートを燃やす火が消えると同時に、僕の心に巣喰っていた、ある意味で超
人的な精神も消え失せる。
黒沼えり子、彼女への想いは断ち切れそうもない。敢えて断ち切る必要も、
僕は感じていない。
復讐が終わった今、黒沼さんがいない世の中なんて、どうでもいい気もする。
自殺? それもいいかもしれない。自殺をするとしたら、遺書はどんな文面に
しようか。
『僕、倉井巽がふみえを殺した。同じく、田原も殺した。これは僕が愛した女
性のための復讐だ。正当な行為を、誰もとがめることはできない。
僕が愛した黒沼えり子は、二人の身勝手な行動で自分を追い詰めてしまい、
最後には死を選んでしまった。その償い、佐川ふみえと田原義男の二人にやっ
てもらおう。
当然ながら、償いは二人の死を持ってなされるべきである。黒沼さんの苦し
みを無視した二人には、最も惨たらしい死を与えてくれよう……』
僕がやったことを告白すると、こうなるが……。こんな告白を遺して自殺す
るぐらいなら、あれほど苦心して殺人の計画を立てやしない。自殺する勇気も
ないのだ。殺人を犯す勇気はあっても。不思議なものだね。
やはり未練がましく思えてしまう。生きていれば、いつかどこかで、また彼
女と会えそうな気さえするのだ。
だから、僕はこの世にとどまろう。いつでも彼女と一緒にいるつもりで。
6.許されざる感情
「倉井君、変わったね」
よく、そう言われるようになった。
僕は大学を卒業後、決まった職に就くことなく、また大学に舞い戻ってきた。
現在は、大学附属の図書館でアルバイトをしながら、司書の資格を取るため
の勉強をしている。講義は本学で開講されているから、まことに好都合だ。
しかし、司書の資格を取るのなら、もっと早くからやっていればよかったと
思う。恥ずかしながら、物語を書くことばかりに頭が行って、書物そのものに
携わることを考えていなかった次第。
環境はなかなかに快適だ。学生の頃から図書館には割と足しげく通っていた
ので、顔見知りの人も多い。そんな人達から、変わったねと言われるのだ。
そうなのかもしれない。あの夜を境に、僕は生まれ変わったのかもしれない。
以前は短くまとめていた髪を長く伸ばし始め、化粧も上手にできるようになっ
た。徐々にではあるが、僕はこれまでの地味な印象を払拭しようとしている。
そして、理想としている女性像・黒沼えり子さんに少しでも近付けるよう、
努力をしている。
僕がいないと思って、
「彼女、本当に変わったね。きれいになったし、何よりも明るくなった」
と囁き合っている人の声も耳にした。こういうことを聞かされると、何だか
嬉しくなってくる。
黒沼さんのことは、未だに忘れられない。彼女を想う気持ちは、絶対に消え
去りはしないだろう。どうしようもない。
でも、あの夜を境にして、僕は生まれ変わった。黒沼さんの存在は神格化し
たとでも言えようか。彼女への想いを胸に秘めつつも、女らしく生きることを
決心できたような気がする。
学生の頃は本当に辛く、苦しい日々だった。黒沼さんに初めて会ったとき、
僕は――ときめいてしまった。今までにない感情が、身体の中全てに行き渡り、
溢れた。
でも、その感情を打ち明けることはためらわれた。僕みたいな想いを持つ者
を受け入れる、世間的な下地は全くできていなかったし、告白したことによっ
て、黒沼さんが遠くに行ってしまうように思えて仕方がなかった。
そして、これは誰にも相談することさえできない、狂おしい悩み。僕は悶々
と過ごさざるを得ない日々を送った。
そうこうしている内に、田原義男という男が現れ、プログラミングの腕を見
せつけてくれた。
それだけならば、どうってことはなかったのだけれど、その腕を黒沼さんの
父親が買ったことが、発端になった。やがて、黒沼さんとも田原は親しくなっ
ていく。
僕にはどうすることもできなかった。田原を止める権利はないし、あいつに
正面切って、ライバル宣言する訳にもいかない。ただただ、やきもきするしか
なかった。
さらに事態は変化する。佐川ふみえが現れ、田原と親密になっていった。最
初は田原も遊び心でやったのだろう。だが、ふみえの父親がより大きな会社に
勤めていると知って、あいつは許し難い行動に出た。それを記すことは、今で
も嫌だ。吐き気を催す。
もし、黒沼さんが田原のことをどうでもいいと考えていたのであれば、その
事態は歓迎すべきものであった。少なくとも、僕にとっては。だが、そうでは
なかった。黒沼さんは……。
僕はだから、あいつらを殺した。殺すことによって、黒沼さんの魂を救うつ
もりだけだったのが、僕自身の魂も救えたらしい。僕は女らしく、男へも好意
を持てそうだ。
ふと、脳裏に浮かぶ思い出がある。黒沼さんにとって最後の学園祭となった
あの年、僕がやった犯人当てのことだ。あれに用いた仕掛けこそ、当時の僕の
心境だったかもしれない。解決編を読み返してみたい。
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犯人当て 時森邸の殺人・解決編
鳥丸は全員を一部屋に集め、状況の説明を行った。
「……と、現時点ではこんなところです。やっと、手がかりらしい手がかりが
出て来ました。このマークに何か心当たりのある方、いませんか?」
マークとは、朝日田が遺していた、↑のことである。
「いくら、時森譲さんの部屋を、矢印の先が示していたからって、亡くなった
人が犯人であるはずないし」
井沢純子は、極めて常識的な意見を述べた。いつもはなついている聡美も、
今は母親の方に寄り添っている。
鳥丸刑事は、それにうなずきながら応じていく。
「そうですね。何かを書く途中で、息絶えたようにも見えませんし……」
「お、お母さん」
震える声で、そう言ったのは、荒木聡美だった。母親の服の袖を、しっかり
と握りしめている。
「どうしたの、聡美?」
「分かった気がするの……。遺されてた矢印の意味」
「え? 本当?」
三人の大人達の声が、はもった。
「これを書こうとしていたと思うの、朝日田さんは……」
聡美は、鳥丸の方を見返すようにして、手近の白い紙に、ペンを走らせた。
そこに、♂という印が現れる。
「これ……」
鳥丸は絶句した。
「これ、男ってことでしょ? 鳥丸さん。残っている私達の中で、男の人は鳥
丸さんだけよ!」
聡美が叫ぶように断言すると、夏子や井沢は驚いたように、女の子と刑事に
交互に目を向けた。
「な、何を馬鹿なことを、聡美ちゃん」
鳥丸のきれいな顔立ちが、少しばかり醜く歪む。
「ねえ、夏子さん。あなた、まさか、信じてはいないでしょう? 私は刑事な
んです。人殺しなんて」
「……」
何も言えないでいる夏子に代わり、聡美が言った。
「刑事だからって、殺さないとは言い切れない」
「でもね、皆さん四人を殺す理由がないよ、自分には」
「……私、何となく気付いていたんだけど、鳥丸さんもお母さんのこと、好き
なんじゃないの?」
その言葉に、鳥丸はぐっと詰まってしまった。
「そうだったんですか、鳥丸さん?」
夏子が、何を信じればよいのか分からないといった風ながら、やっとのこと
で口を開いた。
「……そうです。それは認めます。隠すことじゃないですからね。初めてお会
いしたときから、ずっと考えていたんです。でも……」
ここで、鳥丸は言葉を区切った。
「でも、犯人じゃありません。こう言っては失礼かもしれませんが、真犯人が
唯一の男性となった私を陥れるため、あんなマークを書いた可能性だってある
はずです」
――続く