AWC そばにいるだけで 28−7   寺嶋公香


        
#4609/5495 長編
★タイトル (AZA     )  98/ 9/30  12: 6  (183)
そばにいるだけで 28−7   寺嶋公香
★内容
 新しい美術教師が赴任してきたのは、二週目からだった。
 紅畑(べにはた)という名の若い男性教師は、細い銀フレームの眼鏡を掛け
た、戯画化されたインテリ風のなりをしていた。頬はどちらかというとこけた
感じだったが、もし肉付きがよければ彼自身が絵のモデルとして通用しそうな
ルックス。さらさら髪をかき上げるのが癖らしく、度々その仕種を繰り返して
は生徒――もしかすると女生徒に限定か――に目配せをする。
 授業内容そのものは、まあ科目が科目ということもあるかもしれないが、可
もなく不可もなく、とにかくそつなく指導してくれる。
 そんな調子だから生徒、特に女生徒の支持を早々と取り付けた感があった。
「いい感じだね」
「そお? 悪くないってぐらいじゃないかな」
「プライベートではもっと楽しいかもよ」
 一回目の授業が終わって、十組のあちこちでこんなやり取りがなされる。
 その最中、紅畑先生は相羽を呼び付けた。
「君は先週のこの時間、トランプで遊んでいたそうだね」
 教室の前側のドアを出てすぐの場所で、紅畑先生は言った。身長があるので、
威圧的な感じを受ける。
「はい」
「……レクリエーションの時間に振り替わったそうだけど、いつも君はそんな
ことをしているのか」
「いつもではありません。この前は、みんなからリクエストがあったし、たま
たまトランプを持ってきていたので」
「たまたまと言ったね。本当にそうなのかい? 毎日トランプを持って来てる
んじゃないのか?」
「先週は数学の授業で使ったんです」
 相羽は真っ直ぐ見上げながら答えた。
 先生の方は視線を外し、顎に片手をやる。
「ほう、授業なのか。−−僕は赴任したてでよく知らないのだが、校則はどう
なっているのだろうね? 普段、トランプのような遊び道具を持ってくること
はいいのかい?」
「特に定められてはいない、と解釈しています。確か、校内に持ち込んではな
らない物として、『学校生活に必要のない物、勉学の妨げになる物』という項
目がありますが……」
「トランプは学校生活に必要かね」
「はい。必要ですし、勉学の妨げにはなっていません」
 相羽の淀みない返事に、紅畑先生は戸惑った風に唇を尖らせ、やがて大きく
息を吐いた。
「君は変わってるな」
「……そうですか」
「普通、私が今したような注意をされたら、『毎日トランプを持ってきてるわ
けじゃない』と反論するものだよ。だが、君は一言もそんな台詞を吐かなかっ
た。一般論としての議論に着いてきた」
「あっ、そういう言い方もできたんだ」
「……全く」
 これまでに接したことがないタイプなのだろうか。紅畑先生は髪を左手でか
き上げると、再度、息を大きくついた。
「郷に入れば郷に従え。ここの校則は尊重しなきゃいけない」
 独り言のように言って、追い払うように手先を振る先生。
「もういい」
「失礼しました」
 軽く一礼して、相羽は紅畑先生の前から去った。
「何だったんだ?」
 二人が話し込む模様を遠くから見ていた面々が、すぐさま相羽を取り囲み、
尋ねてきた。男女まんべんなく集まっている。女子の大半は新しい先生へ興味
津々といった表情だ。
 しかし、相羽がことの次第を伝えると、一様にがっかりした風に変化する。
「ひょっとして、堅物?」
「かもねえ。眼鏡の奥の瞳、冷静で知的で遊びを許さないって感じ」
「やだなあ。見た目が最上級にいいのに……もったいない」
 あちこちでまた勝手なお喋りが始まっている。
 相羽はそそくさと輪の中心を離れ、純子や富井、遠野のいる方へ寄ってきた。
「聞こえたんだけど、相羽君、怒られてたのぉ?」
 富井が心配げに聞く。
「怒られたとまでは行かない。注意ぐらいかな、あれは」
「面白くなーい。たかがトランプで、何でぐちゃぐちゃ言うんだろ。あの先生
なら、まだましかなあって思ってたのにぃ」
 不満たらたらの富井に、純子も遠野も苦笑いを浮かべた。
「郁江、そんなに憤慨しなくても……」
「だってえ、相羽君のこと悪く言う……」
「先生も、それなりの考えがあってやってることよ、きっと」
 純子も本心では紅畑先生のこだわり方に、多少の嫌みな感じは持ったものの、
取り沙汰するほどではないと思った。
「あーあ。このままだと美術の時間が嫌いになりそう」
「一ヶ月ちょっとで元に戻るはずだから、気にしなくていいと思う……」
 遠慮がちに遠野が言うと、富井は「それもそうだよね」と晴れ晴れした表情
になった。
 頃合いを見計らったように、相羽が言った。
「部活に行こう。もういいでしょ?」

 火曜は朝から、もやが出ていた。たまたま今日だけそうなったのか、それと
も時間帯が早いからなのか、判断できない。
「おはよう、純子ちゃん」
 五分早く門の外に立った純子の前に、同じく五分早く来た相羽の母の車が滑
り込む。挨拶もそこそこに、ドアを開けると−−。
「な、何で、あなたがいるわけ?」
 後部シートの奥側に相羽がいた。目を丸くする純子に、例のぼんやりした視
線を向けてくる。
「とにかく、座ってよ」
 言われるまでもない。五分早いとは言え、物事には余裕を持って取り組める
方がいい。座って、学生鞄を膝の上に置いた。
 車が静かに発進してから、純子は再び相羽に尋ねた。
「君だけ早起きさせるのは悪いかなと思いまして」
 とぼけた調子の返事があった。
(……怪しい)
 直感した純子は真相を知ろうと、問い質す風に口振りを変える。
「そんな理由じゃ、納得できない。何か他に目的があるでしょ? 誰か有名人
でも来るんじゃないの? その人に会いたいから、とか」
「そんなことはない」
 相羽はきっぱりと答えた。こんな時間にも関わらず、ちっとも眠そうでない。
活力に溢れ、どちらかと言えば爽やかでさえある。
 純子はまだ訝りつつも、相羽の母に聞いてみることにした。
「信一君、どうして来たんですか?」
「ふふふ。話し相手がいる方が、純子ちゃんにとって都合がいいから」
 がら空きと言っていい直線道を、多少速度を上げて軽快に行く。周囲の街並
みは明るくなる準備をしている、そんな感じだ。
「都合がいい……?」
 おばさんと相羽を、順に見つめる純子。
 息子が黙したままなのを見て、相羽の母が口を開いた。
「撮影場所まで少し距離があるわけだけど、その間にもし一眠りでもされたら
困るのよ。次に目覚めたとき、瞼が腫れぼったくなってしまってね。撮影に、
使えなくなりかねない」
「あ……そういうことですか」
 気抜けしたせいかタイミングよく(悪く?)、あくびが出そうになった。が、
かみ殺して、どうにかごまかす。
「金環食を見てみたいって、言ってたよね? 林間学校のとき……」
 相羽が見計らった風に始めた。純子の興味をかき立てるに充分な話題である。
「ええ。とっても見たいんだけど、滅多に起こらないし、見られる場所が限ら
れているし。相羽君も見たことないんでしょ?」
「残念ながら」
 やや気恥ずかしげに、肩をすくめる相羽。
「でも、昔、沖縄で観測できたことがあったんだ−−知ってるかもしれないけ
ど。それを撮影したアマチュア天文家の一人と、梅津さんが知り合いだと分か
ったから、その、頼めば見せてもらえるよ」
「梅津さんて、カメラの?」
「そう」
「見たい! 撮影したのってビデオ?」
「8ミリだって。写真でも撮影したって話だよ。テレビ局なんかが撮るのより
は落ちるみたいだけど、最初から最後まで切れ目なく収めてあるそうだから、
結構いいかも」
「結構じゃなくて、凄くいいわ」
 眠気は消し飛んでいた。と言うよりも、これからのモデル撮影のことすら、
忘れてしまいそう。
「すぐにでも見たいけど……どうすればいいの?」
「機材や保管の関係で、できることなら沖縄に出向くのがいいらしいけど」
「それじゃあ、早くて来年?」
 少し肩を落とす。
 だが、隣の相羽は首を振った。
「頼めば何とかなると思う。――送ってもらえるよね、母さん?」
「私には確言できないけれど」
 相羽の母は、困ったような響きを含ませて言った。どうやらこの相羽の発言、
勇み足的要素があるらしい。
「ただ、フィルムのコピーね。ネガから新しく焼き付けることができるそうだ
から、そちらの線を辿ってみれば何とかなるかもしれないわね」
「お願い、母さん」
「こういうことに詳しいのは、市川さんの方−−。ああ、そろそろ切り上げて
ね。見えてきたわ」
 話の途中であったが、撮影場所である草原が近付いていた。純子も、頭を切
り換えねばならない。

 緊張の糸が切れたのか、撮影が終わってから学校へ送ってもらう間、純子は
眠り込んでしまった。
「まだ寝かせておいてあげなさい」
「でも、学校の手前で降りたいって言ってたから」
 相羽親子の会話を遠くに聞いて、純子はぼんやりとではあるが覚醒した。
(……眠っちゃった)
 薄手の毛布が、いつの間にか掛けられている。その端を両手で一度たぐり寄
せてから、身を起こす。
 助手席に座る相羽から、「あ」という短い声が漏れた。もしかすると、本心
では起こしたくなかったのかもしれない。
 咳払いしてから、照れ隠しに笑った純子。
「えへへ。おはようございます」
「お疲れさま」
「もう学校の近くですか? 降りないと……」
 毛布を手放し、代わりに鞄の取っ手を掴む。
(送ってもらったところを見られたら、色々ややこしくなりそう)
 窓の外を見ながら、そんなことを思った。
「まだ早い時間帯だから、大丈夫じゃない?」
 おばさんの言葉に、純子は車外の景色を覗き見た。確かに、通学する生徒の
姿はない。
 次に時計を見やり、いつもより三十分ほど早いと知る。
「眠り込むほど疲れてるなら、校門前まで行っていいと思うけれど」
 重ねて勧められ、純子は多少迷った結果、「お願いします」とうなずいた。
 その瞬間、相羽の表情がほころんだのが、ルームミラーを通じて見ることが
できたかもしれない。
 程なくして、学校の前を通る道路に停まる。念のため、周囲を見渡してから、
純子と相羽は降り立った。
「ありがとうございました」
「純子ちゃんこそ、本当にお疲れさま。学校の方も頑張ってね。信一も」
「分かってるよ。母さん、気を付けて出勤して」
 そんなやり取りを経て、相羽の母の車が発進し、小さくなるのを見送ってか
ら、校門をくぐった。

−−つづく




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