#4570/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/ 7/31 10:15 (195)
そばにいるだけで 26−15 寺嶋公香
★内容
小菅先生は一旦は安心したようで、きびすを返そうとした。
が、身体の向きを戻し、難しい顔をして首を振る。
「やっぱりだめだわ。タクシーを呼びましょう」
教師の責任感か、割り切れないらしい。
「タクシーはいいですって」
両手を振って固辞する純子に、相羽も呼応する。
「そうですよ。−−さ、乗って、純子ちゃん」
相羽に送ってもらうのも何かと問題あるような気がするものの、この場は話
に乗ったほうがいいと判断。
柵を離れようとした純子。そこへ、高い声が降りかかる。
「図々しいわよ、涼原さん」
白沼が立っていた。調子を崩した後遺症か、見た目こそ少しやつれたようだ
が、口調そのものは威勢がいい。先生がいるにもかかわらず、堂々と続ける。
「何から何まで相羽君の世話になろうだなんて」
「白沼さん。私は別にそういうつもりじゃあ」
純子の抗弁を白沼は聞き流し、相羽へ向けてしなを作る。
「相羽君たらあ、本当に責任感強いのね。クラス委員だからって、こんなにま
で面倒を見るなんて。私ももっと重病だったらよかった」
「副委員長だからやってるんじゃないよ」
「そうね。一緒にいた女の子に怪我をさせてしまった責任も感じてるのね。優
しいんだから」
勝手に喋り続ける白沼の前、相羽は憮然とした感じに唇を尖らせた。
それにも白沼は勘づく気配を見せず、手を後ろで組むと、笑顔になった。そ
してオルゴールの人形みたいに器用に回って、先生へと向き直る。
「安心してください、先生。私が涼原さんを送りますから」
「ええ? 白沼さんが?」
思わぬ申し出に、先生は言うまでもなく、純子も相羽も揃って呆気に取られ
てしまった。
「どうして……」
口をぱくぱくさせつつ、純子はどうにか尋ねた。
「あら。保健委員よ、私は。クラスで負傷者や病人が出たときは、保健委員が
面倒を見るのが当然でしょ」
悪い冗談かと思ったのだが、白沼の物腰や態度を見る限り、大真面目らしい。
「どうやって送るの」
そう聞いてから、自分の自転車を一瞥した相羽。
「ママが車で来るわ。さっき電話したから、五分もしない内に到着するはずよ。
遠慮しないでね、涼原さん。元々、私も調子悪くしちゃったから、迎えに来て
もらうつもりだったの。そのついでよ、ついで」
純子に気を遣わせまいとして出た言葉なのか、それとも別の意図があるのか、
やたらと「ついで」を強調する。
「先生、いいでしょう? タクシーなんてもったいないわ」
白沼の再度の懇請に、小菅先生は断を下した。今までおろおろしてしまった
分を取り戻すかのように、こほんと咳払いを一つ挟んでから口を開く。
「よろしい、分かりました。白沼さんのお母さんがいらして、お引き受けくだ
さるのなら、お願いしましょう。涼原さんもいいわね?」
「はぁ……でも、ご迷惑じゃ……」
先生に純子が返事する間、白沼は相羽に楽しげに話しかける。
「相羽君も自転車じゃなかったら送ってあげたのに……もぅ、残念。またの機
会のお楽しみね」
「お楽しみ……」
唖然とした風にその言葉を繰り返した相羽。正直、着いて行けないと思った
のか、サドルに跨った。
「自転車よりは車で送るのがいいには違いないから、僕は御役御免か。白沼さ
ん、頼んだよ」
「ええ。喜んで」
純子の眼前で、話がどんどん進んでいく。
(自転車もどうかなと思うけれど、白沼さんに送ってもらうのも、何となく気
が引けるような)
迷っている内に口を挟むタイミングを逸してしまった。
「じゃ、純子ちゃん、また。白沼さんも治りかけが大事だから、気を付けなよ。
先生、さようなら。失礼します」
さりげない調子でそう言い置いて、相羽はきーこ、きーこと自転車で加速し
ていく。校門を出たところで折れ、すぐに見えなくなった。
手で小さくばいばいをする純子。同様に手を振っていた白沼が、横目でじろ
りと見やってきた。
「迷惑じゃないわよ」
しっかり聞いていたようだ。
「遠慮なく、乗ってちょうだい」
「よかったわね。白沼さんもああ言っていることだし」
先生からも言われ、相羽も帰ってしまったので、純子には他の選択肢がなく
なった。
「それじゃあ白沼さん、お願いね。今日のところはお会いする時間が持てない
けれど、くれぐれもお母さんによろしくお伝えして」
そう言ってから小菅先生は申し訳なさそうに肩を縮め、純子に言葉を向ける。
「後日、お家に伺うわ、涼原さん。お母さんやお父さんに、先生がすみません
でしたと言っていたとお伝えしてね。それと、具合がもしも悪化したら、すぐ
に連絡してきて。全然遠慮しなくていいから。あ、もちろん、白沼さんもね。
お腹の具合に数日間は気を付けるのよ」
「はい」
純子と白沼は「さようなら」をして、先生が完全に立ち去るのを待った。
先生がいなくなると同時に、白沼が多少声音を変えて、口を開く。
「また親しくなったみたいね」
「えっ、何のこと? あ、相羽君とは以前からこんな感じ……」
冷や汗が出るのを覚えつつ、説明する純子。
「ふうん? そうかしら。今日の出来事で−−」
白沼が何かを言い終わらぬ間に、校門外でクラクションが二度、軽快に鳴ら
された。赤く大きい車が横付けされているのが見える。
「あ、来たわ。−−あっと」
さっさと行こうとした白沼だったが、さすがに気付いて引き返してくる。
「あそこまで歩けないかしら」
「ゆ、ゆっくりなら何とか」
そう断って、前進を試みる純子だが、腫れ物に触れるような右足の運びに、
踵立ちの左足と来ては、ままならない。
「じれったいわね。肩、貸してあげるから、どっちがいいか、言いなさい」
「どっちって……ああ、右の方が重傷だから」
すると白沼は素っ気ない動作で右側に回り、純子の脇に首を差し入れた。
「さ、行くわよ」
「は、はいっ」
猛スピードで出発しそうな白沼の口ぶりに、慌てて返事する純子。
しかし実際は当然、ゆったりとした足取りだった。
「ほら、気を付けて。痛いのは分かるけれど、早くしてよね。こんな姿、他の
人に見られたくないのよ」
白沼に急き立てられつつ、車までたどり着いた。
あまりに時間が掛かったためだろう、心配げな顔をして運転席から白沼の母
が出ようとしていた。部屋着にしては高価そうな薄い緑のツーピース姿。軽く
茶色がかった髪だけは引っ詰めのようになっているが、顔を見ると化粧が施さ
れていた。ということは、身仕度に多少なりとも時間を掛けたか、それとも外
出の前後に偶然重なったのか。
「ママ、ありがとう!」
「絵里佳、もう何ともないの? 連絡を受けたときはどうすればいいのか、お
ろおろしてしまったわ」
娘の顔色をじっと観察して、やがて安心できたらしく、強く抱きしめる母親。
このときばかりは純子も蚊帳の外。一人では立っていられないので、学校の
塀に手を突いて、見守っていた。
「ママ、こちらが涼原さんよ。前に会ってるわよね? 一瞬だったけれども」
白沼が純子を指差すと、白沼の母は思い出す仕種を垣間見せ、しばらくして
うなずいた。
「確か去年のクリスマス、うちにいらしたわね?」
「はい。こんにちは。お久しぶりです。あの、急にすみません、ご迷惑をおか
けします」
頭を下げながら、だいぶ緊張している自分を感じた。挨拶の仕方もlooc
のレッスンの一環でマナーとして教わってはいたが、心の準備がどれだけでき
るかで、勝手が違ってくるもの。
「いいえ、いいのよ。絵里佳の大事なお友達ですもの」
にっこり、こぼれそうな笑みを見せるおばさんに、純子はもう一度お辞儀を
した。白沼が母親に純子のことを普段どう話しているのか見えないだけに、手
探りにも似た応対にならざるを得ない。
「立っているとつらいでしょう、乗りなさい」
促され、純子は白沼と並んで後部座席に収まった。
「お家の場所を知らないから、言ってちょうだいね」
「はい、ここからでしたら……S通りに一旦出て」
道順を説明する間、白沼と先ほどの会話の続きをやらなくてすむのはありが
たかった。さらに幸いと言っては問題ありだが、白沼の母は少しばかり方向音
痴の気味があるらしくて、通りの名前や番地は知っているのに、何度も聞き返
してきた。
「もうっ、ママったら、たまにしか車に乗らないからそうなるのよ」
「呼び出しておいて、随分な口の聞き方する子ねえ」
娘に負けじと言い返す母だが、運転に懸命らしくて、迫力はない。
結局、普通に行き来する際の倍ほどの時間をかけて、車は純子の家の前に停
止した。
「どうもありがとうございました。お時間ありますか? 母を呼んできます」
白沼に手伝ってもらい、降りる準備をしながらそう言った。
けれど、白沼の母は首を横に振る。
「あなたのお身体の方が大事よ。お母様に挨拶のお時間を取らせては申し訳な
いわ。それに、私もこの子が完全に治っているかどうか、気になっているんで
すもの」
娘を目線で示しながら、おほほほと短く笑う。
純子は「でも」と食い下がってみたものの、今度は白沼が純子を引っ張る。
「ほら、早くなさいな。感謝の言葉は、学校が始まってから、たっぷり聞いて
あげるわ。それよりもね、いいこと? 今日はついでだったのよ。そこのとこ
ろを忘れないで」
「はあ……でも、本当にありがとう−−あっ」
深々と頭を下げようとしたら、姿勢を崩して前のめりに転びそうになった。
白沼にまたも助けられ、元の体勢を取り戻す。
「さっさと治しなさいよっ。あなたがいつまでもそういう状態だと、彼の目が
こっちに向かなくなるんだから」
「え?」
「あーあ。私もずっと治らないふりをしてればよかったわ。失敗、失敗」
言い置くと、白沼は素早く車に乗り込んだ。
「あの……」
意味を聞きたかった純子だが、赤い車はおばさんが一礼をしたあと、一気の
加速で発進していった。道幅に比すと大型な車であるためか、エンジンを吹か
す音がやけに響く。
仕方なしに、もう一回、小さく頭を下げて見送った。
「白沼さんも早く完全に治してねえっ」
そこからひょこひょこした足取りで玄関に向かっていると、急にドアが開き、
純子の母が不思議そうな表情を覗かせた。
「車の音がしたと思ったら、純子、あんただったの?」
次の瞬間、包帯だの絆創膏だのを着けた我が子の姿に、目を見開く。
「どうしたのよ、その格好は?」
心配させまいと連絡しないでいた純子は、えへへと照れ笑いを交え、ことの
次第を話した。
「−−呆れた」
家の中で落ち着くと、母は目を伏せがちにして、困り果てたように頭を振る。
「ごめんなさい。でも、心配いらない。捻挫しただけで、あとは元気いっぱい。
ほらほら」
純子がガッツポーズを作るが、母親はまた首を横に振った。
「あなたが丈夫なのはよく知っています」
「あらら」
ポーズを解いて、冗談めかした反応をしてみる純子。
母親はそんな娘の両手を握り、目を覗き込むようにしてくる。
「周りの人に心配をかけたことを反省してほしいの。そして、助けてくれた皆
さんへの感謝も忘れないで」
「……うん」
「それともう一つ」
母は手を離し、純子の頭を撫でると、空いているもう片方の手の人差し指を
立てた。
「一刻も早く治すこと。そうして、芸能関係の仕事でなるたけ迷惑をかけない
ようにしないとね」
「ええ、もっちろん!」
『ハート』の少女は最高の笑顔で決意を表した。
そしてポケットに手を伸ばす。
取り出したハンカチは、まだ結ばれたまま。
−−『そばにいるだけで 26』おわり