#4567/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/ 7/31 10: 6 (200)
そばにいるだけで 26−12 寺嶋公香
★内容
力なく笑って、純子はその場にへたり込んだ。気力が途切れてしまったらし
くて、どうしようもない。
相羽もすぐに腰を落とす。
「どこ? どこが痛いの」
「……」
唇を噛みしめ、最後の決断を検討する純子。
今、両足はそれぞれ熱と痛みをじんじんと発している。
このまま隠していても、結局は迷惑をかけるだけだと判断した。
「さっき、歩こうとしたときは、捻挫にばかり注意が向いて、気付かなかった
の。左足の皮が剥けてるみたい……」
「−−早く言ってくれよ」
怒ったような響きを含んだ相羽の口調。
そのまま背を向けてくる。
呆れられてしまった……と、うなだれる純子。
(黙ってたのは悪かったと思う……。でも、言わなかったのは、あなたにこれ
以上、負担をかけたくなかったからよ。それだけは分かってほしい)
「……何してんのさ」
相羽の声に顔を上げた。彼は背中を向けたまま、まくし立てる口調で続ける。
「早く。おぶって行くしかないよ」
「え……でも……」
「今さら、ここで待ってるって言うの? 雨が降ってきても知らないぜ。それ
とも−−前で抱きかかえるのがいいとか?」
肩越しに振り返った相羽の目が、冗談ぽく笑っていた。
純子は背筋を伸ばし、急いで返事する。
「おんぶでいい」
目元が赤くなってるだろうなと意識し、顔を背けた。
「で、でもね、無理しないで」
「無理じゃないよ。今のところ」
相羽は純子の手を取り、肩を持たせた。
「落ちないように持って。首を絞めたらだめだけど」
「ばか」
純子を大事そうに背負い、すっくと立つ。そしてしっかりした足取りで進み
始めた。
と言っても、行き先は不定のまま。
「方向が合ってるものやら」
「ここに来て、不吉なこと言い出さないでよ」
「うん……考えたんだ。あまり下手に動くより、見通しのいい場所に出る方が
いいかもしれないなって。唐沢達が知らせてくれたとしたら、多分、先生達が
もう探し始めてる。だったら、見つけてもらいやすい位置にいれば……」
「理屈は分かるけど。見つけられやすい場所って、どこ?」
純子の質問に相羽はしばし沈黙した。
「うーん、この辺りは木が多いし、草原の背も高い。背の低い原っぱに出る方
がいいんじゃないかと思う」
「……あなたの判断でいい。信じるから」
純子が言うと、ぴたりと動きが止まった。
後ろを向いた相羽と目が合った。
「ど、どうしたの」
「いや、別に」
そうして再び歩き出した。
五分ほど、てくてくと進んだ頃だろうか。突然、相羽が声を上げた。
「あっ。ミチシルベがいる!」
「え?」
純子は頭を起こし、左右を見渡す。が、道端に標識らしき物は見当たらない。
「どこ? どこに道しるべがあるの?」
「……『いる』って言ったんだ」
何やら含み笑いをすると、相羽は顎を突き出すふうにして前を示す。
「ほら。三メートルほど先に」
目を細くする純子。それでも目標物は発見できないため、相羽の背中の上で
若干、身を乗り出した。
「もしかして、あの虫を言ってるの? カミキリムシみたいな……」
信じられない思いで囁く。
土の上、こちらを向いているのは、遠目で分かりにくいが、細長い身体を持
った甲虫か何かのように見える。赤や緑の色を背負って、なかなかきれい。
果たして相羽はうなずいた。
「あれがミチシルベ。正式にはハンミョウって言うんだけれどね」
「へえ……って、何で道しるべなの?」
「あの動き、見てて」
純子が質問する間にも、相羽は歩く。
すると、ミチシルベことハンミョウも歩く。いや、跳ねて前進する。
常に先へ先へと行くハンミョウは、相羽と純子を導くかのごとく、飛び跳ね
ては止まり、飛び跳ねては止まりを繰り返した。
「ね? 道案内をしてるみたいだろ?」
「言われてみれば、そうかもしれないけど」
純子は感心する反面、呆れてため息をつきたくなる。
「本当に道を知ってるわけじゃないんでしょ、当然」
「さあ? ミチシルベは知ってるかもしれないよ。ただ、僕らに正しい道を教
えてくれるかどうかは別」
「冗談言ってる場合じゃない!」
片手を首回りから放し、相羽の肩胛骨の辺りを叩いた純子。力は全然入らな
かった。
相羽は純子を背負い直し、笑った。
「でもさ、縁起がいいと思わない? 迷っているときに、目の前にミチシルベ
が現れるなんて」
「そうかしら」
「ラッキーだよ、絶対。僕なんか、さらに元気出てきた」
右腕に力こぶを作ってみせる相羽に、純子は呆気に取られ、次に自然と笑み
をこぼす。状況が厳しくなかったならば、声を出して笑っていたかもしれない。
「もういいわ。私、あなたを信じるって決めたんだから。今はね」
「ありがとう」
明るく応じて、相羽は本当にハンミョウに付き従って足を進める。
それから二分も経たない内に−−純子の鼻の頭に、冷たい物が当たった。
「あ−−とうとう」
見上げれば、雨粒が透明な矢となって降り注いでくるのが知れた。
猶予を与えず、激しくなる。ビートが一気に跳ね上がった。
「おかしいな。ついてない」
相羽は泰然と口走り、歩みを早める。
「純子ちゃん、寒くないか」
「平気!」
「上等っ。−−おっ。まだ運に見放されてないや」
相羽は一段と加速した。
純子が前を見ると、山の岩肌が視界に入る。その下部が平べったくえぐれ、
ちょっとした空間になっているのだ。
「あんな場所、来しなにはなかったわよ。この道、通っていない−−」
「そういう問題にこだわってるときじゃないでしょ」
二人は洞穴の中に転がり込むように避難した。
天井が低く、しゃがまなくてはならないが、雨がしのげるのはありがたい。
風向きも現在のところ純子達の味方。吹き込んでこない。
「やっぱり、ミチシルベのおかげかもね、純子ちゃん?」
「……重かった?」
ふくらはぎを揉んでいる相羽を見て、純子は聞いた。
「はい? 何の話?」
「わ、分からない? おぶってるの、重かったかどうかって聞いてるのよ」
「あぁ、そういうこと。軽い軽い、空気みたい。さすがモデルさん」
気易い口調の相羽に、純子は息をついた。本当の気持ちなのか、気を遣って
の言葉なのかは分からない。ただ、ほっとして、笑みが勝手にこぼれてきた。
「みんな心配してるわね、きっと」
「そうだろうなあ。唐沢達まで迷ってないことを祈る」
本当に合掌する相羽。
「時間は?」
「十二時……五分といったところ」
答えてから、疲れたようなため息をついた相羽。手の内にある懐中時計を、
悔しそうに見つめていた。
「どうかした?」
「ごめんな。こいつを落としたせいで、君まで巻き込んでしまった」
「何言ってんのよ!」
相羽の方へにじり寄る純子。まだ距離はあった。
「あれは私が自分から手伝うって言ったんだから。それよりも、私が蜂に驚い
て、崖から落ちたせいで……相羽君、怪我を」
「それより、その前に道を間違えたのは、僕のせいだ。悪いのは僕」
「あれは私も正しいと思ったんだから、気にしないでよっ」
純子は相羽をこちらに向かせ、言い聞かせる。
相羽が根負けしたように吹き出した。
「分かりました。このままじゃ、いつまで経っても終わらない。二人とも間が
抜けていたってことにしよう」
「自分で自分を間抜けはないと思うけど。ま、いいわ」
会話が途切れ、やることもなく雨を見つめる。
穴の外には、すりガラスを通したみたいな景色があった。道に迷っていなか
ったら、情緒があって意外といい眺めだと思えるだろう。
(なかなかやみそうにないよね)
両頬に手の平を当て、肘を自分の太股についてぼんやりしていると、急に震
えが来た。
「寒っ」
手で二の腕をさすった。
降り始めの勢いのある雨を浴びて、服が湿り気を帯びたせい。
(夏でよかった。冬だと、濡れた服なんて着ていられない)
とはいうものの、今の季節でも結構肌寒い。
「上着を着てくればよかった」
相羽が唐突に言った。純子が顔を向けると、相手は続ける。
「あったら、君に被せてあげるのにな」
「ふふ。ありがと」
「ところで……お腹空かない?」
「そっか。もうそんな時間……不思議ね、全然空いてない感じ」
お腹に手を当ててみる純子。
「相羽君は空いてるわよね……あれだけ体力使ったんだから」
「え、まあ、少し」
「待って。ひょっとしたらあるかも」
着いているポケット全てを探る純子。ズボンの尻ポケットに、小さな感触が
あった。ミント系のガムが一枚とミルクキャンディが二個。
それらを手に載せ、相羽へ差し出す。
「郁江達と取り替えっこしたの、そのままにしてた。足しにならないでしょう
けど、食べて」
「純子ちゃんこそ。いつまでこうしてなきゃいけないか分かんないんだしさ」
「今はあなたの体力回復が先」
「……じゃあ、ガムだけ」
相羽の返事ににんまりして、緑の紙に包まれたガムを受け渡す純子。そうそ
う、厚意は素直に受けることよ、なんて思いながら。
相羽は包み紙を開けると半分にちぎり、片方だけ口の中に放り込んだ。
「ごちそうさま」
言って、残りを返そうとする。それを受け取らずに、純子は唇を尖らせた。
「どうしてよ。全部食べなさいよ」
「半分こ。キャンディも一個だけもらっとくということで」
小さくしたせいか、噛み応えなさそうに、ひっきりなしに歯を動かす相羽。
「純子ちゃんも食べれば?」
「……強情なんだから」
今度は純子が根負けする番だった。残り半分のガムを摘んで、じっと見つめ
てから、くわえた。甘みと涼味が広がる。噛むと糖分が溶け出して、じきに小
さくなってしまったけれど、食べ物を口にしたという満足感があった。
「それにしても、さすが女子。お菓子を身に着けてるなんて」
相羽がゆったりとした物腰で言う。
「僕なんか、どこをはたいても、紙くず一つ出て来ない」
「別に女の子だからっていうわけじゃないわ、多分」
純子がさらに言葉をつなごうとした瞬間――純子が最も恐れていた災害がつ
いに発生した。光が空を、瞬く間に駆け抜ける。
「い」
声にならない悲鳴は、どーん……という地響きにも似た雷鳴に消し飛ぶ。
全身が強張った。
洞窟の口に背を向けた純子に、相羽は腰を屈め、頭を天井にぶつけないよう
にしながら近付く。
「大丈夫。一人じゃないんだ。僕がいるから」
「う、うん。もっと近くに来て」
静かに寄り添う相羽。
その腕にしがみつく純子。何かに頼っていないと、恐くて自分が押し潰され
てしまいそうな気分になる。
純子が今すがっているのは、決してたくましい腕ではないし、傷だらけであ
るけれど、優しく守ってくれる。そんな信頼感があった。
(あったかくて、安心できる)
前から肩の辺りに額をうずめ、目を閉じた。
(相羽君−−いてくれてよかった)
−−つづく