#4561/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/ 7/31 9:58 (200)
そばにいるだけで 26−6 寺嶋公香
★内容
「唐沢君。−−こちらこそ」
何て返事していいのか迷った瞬間、こう応じていた。
「どう? いい男はいましたかね」
「あは。その質問、そっくり返したいわ」
「いたよ。今、目の前に」
「−−やだなあ、口がうまいんだから」
片方の手を取ってもらって、くるりと一回転。下ろした髪が、ふうわり、と
広がりまた純子の肩へ掛かる。
「ははは。過去のことは忘れ、今しか目に入らないもんでねえ」
唐沢はそう言ってから、不意に表情を曇らせ、への字口を作る。
「どうしたの?」
「いやあ、どんぐらい曲が続くかによるんだが、心配事が一つ」
「心配?」
「そ。町田さんの相手をする自信がないんよ、さしもの唐沢クンも。あいつに
まで回らない内に終わってほしい」
「−−っぷ」
純子が思わず吹き出すのと、今度のワンフレーズが終わるのとが同時だった。
さて。
純子と相羽はスタート時、一つ違いでペアにならず。そしてそのまま、相羽
達男子側が前へ前へとずれていったため、間はどんどん開く次第。いや、九十
回ぐらい踊れば、今度は徐々に近付くことになるが……要するに、純子と相羽
がペアになるのは百七十回以上踊って、ようやく巡ってくる最後の組み合わせ。
無論、時間に限りのあるキャンプファイヤーで、全ての組み合わせで踊れる
まで曲を流し続けるわけにはいかなかった。
キャンプ場には備え付けの浴室がある。と言っても狭い物であり、しかも一
つだけ。当然、男女別に何人かずつまとまって入ることになり、割り当てられ
るバスタイムはとても短い。流れ作業のように入っては押し出される状況で、
カラスの行水そのもの。
ここでも、一組から順番に入っていくため、十組は最後。しばし自由時間だ。
「今の内かな」
純子はつぶやいて、みんながいるテントから離れる。
(レッスンは欠かさないこと、だもんね)
場所を探して右往左往……する必要はなかった。夕方の散歩の際に、目的に
かなった場所を見つけておいたから。
地面には所々、埋まった石ころの出っ張りがある。つまずいてはかなわない、
慎重に降りて行く。やがてミニアスレチック場になっているスペースにたどり
着いた。
アスレチック場の一角には屋根が設けてあり、その下はベンチを配したコン
クリートの床になっている。加えて外灯の白い光に照らされてもいるから、軽
い運動をするのにちょうどいい。
(……え? 人がいる?)
純子は暗がりから気配を感じて、目を凝らした。
確かに、アスレチック場の奥に人影を見た。そちらからは低いがリズミカル
な呼吸や衣擦れの音、そして空気を切る鋭い音が入り混じって聞こえてくる。
(誰?)
警戒心が働き、物音を立てぬよう、ゆっくり近付く。息苦しさに唾を飲んだ
かもしれない。
そんな緊張のあと……ほっと安堵が訪れる。
「−−誰かと思ったら、あんただったなんて」
どきどきして恐がっていた自分を隠そうと、純子は気安い調子で呼び掛けた。
ところが相手の方は、それまで全く気付いていなかったようだ。夜目でもは
っきり分かるほど、びくんと身体を震わせ、純子へ顔を向けた。
「……涼原さん。びっくりした」
「驚かしてごめんね。何してるの、相羽君?」
小さな階段を駆け降り、屋根の下へ通じる丸太で仕切られた小道を進み、純
子は相羽のそばに立つ。近付くことで、額に浮いている汗を見つけた。
「トレーニング」
足場を確かめる風に一瞥し、腕立て伏せを始めた相羽。
純子はそんな彼を見下ろしながら、ため息混じりに応じる。
「それは見れば分かる……あっ、もしかして武道の」
「当たり」
短く答え、あとは黙々と続ける。
と思ったら急に動きを止め、膝を着くと、純子を見上げてきた。
「涼原さんは何でここに」
「そっか。言ってなかったね」
純子はレッスンのノルマがあることを告げた。
首をふんふんと二度振った相羽の前で、さらに言い添える。
「お風呂の前に汗出しておかないといけないでしょ。十組だから時間があって
よかった」
「どんなことするの? まさか腕立て伏せとか」
「胸の筋肉は大して関係ない。腹筋が大事なんだって。あと、腹式呼吸を身に
着けないといけないって言われてる」
「何か特別な運動をやるのかな? 見てみたい」
股割りの運動をしながら、相羽がリクエストしてきた。
「特別じゃないわよ。第一、呼吸の方は声を出さなくちゃいけないの。他の人
に聞こえるとみっともないから、ここじゃやりたくない」
「腹筋は? 十回掛ける五セットなんて感じ?」
「違いまーす。こうやるの」
相羽から若干距離を取り、スペースを確保すると、純子は仰向けに寝転がっ
た。両腕を後頭部にやり、自分のおへその辺りを見つめる格好で首をもたげる。
同時にかかとを両方とも地面から浮かせる。高さは十センチほどか。
「こういう姿勢で五分から十分、じっとしてるの。長いときは十五分」
苦しくて早口になってしまう。
そこへ、相羽が怪訝そうにつぶやいた。
「時間が分からないんじゃあ……」
「あ。時計、忘れた」
力が抜けて、足が下りた。横を向いて念のため尋ねる。
「相羽君、腕時計なんて持ってないわよね」
「ない」
あぐらをかいたポーズのまま、ふるふると首を横にする相羽。
「やっぱり。どうしよっかな。口で数えるしか−−」
「でも」
相羽は体操着のポケットに手を入れ、また取り出した。丸い物が握られてお
り、外灯の光を一瞬反射する。
「懐中時計なら持ってきた。ないと、風呂の時間が分からなくなるからね」
「もう、早く言ってよ」
相羽に計測を頼んで、純子は足上げの体勢に入った。
相羽は相羽で、時計を手近に置き、柔軟運動や腹筋、背筋を鍛えるトレーニ
ングを繰り返し始めた。
純子は喋れる状態にないし、相羽も静かにやっているので、沈黙が流れる。
だが、それも長くは続かず、徐々に呼吸の音が大きくなる。
(凄く集中してる……)
不自由な姿勢の純子は目だけで相羽の様子を探る。
(それにしても、何を習ってるんだろ? 空手なんかだと、突き? よく知ら
ないけど、そういう練習があると思うのに、しないし。入ったばかりだから、
基礎体力を付けるのかしら)
あれこれ想像していると、いつもより早く時間が過ぎたように感じられた。
「はい、十分経ちました」
不意の合図にどきりとして、一拍置いてから「――はあっ」と力を抜く。
「ありがと。あーあ、久々にきつかった」
今日は短時間ながら山道を歩いたせいかもしれない。
純子はこのあと、やはり柔軟をしたり、ダンスのステップや振り付けの基本
をおさらいしたりと、汗を流す。
「……時間計ってくれたお礼に、一つ、手伝ってあげようか」
一通り済ませてから、純子はまだやっている相羽に言ってみた。
「ありがたいけど、別にいいよ。一人でできる」
「遠慮しないで。腹筋するなら足、押さえるわよ」
「……じゃ、もう一回、腕立て伏せをするから、足首を持ってくれる?」
「もちろん、オッケー」
俯せになった相羽の後ろに回り、白いソックスに覆われた足首をしっかり持
つ純子。予想していたより軽かった。
相羽は最前の、足を着けたときに比べて倍ぐらいの速さでこなしていく。
「サンキュ」
五十回やったところで礼を述べ、膝を着いた相羽。呼応して純子も手を離す。
「そろそろ終わりにしないと、入りそびれるぞ、風呂」
時計を見ながら、膝に着いた砂を払う相羽。
「ほんと? それじゃ、私、先に行く」
駆け出そうとする純子へ、相羽が声を飛ばす。
「何で? あ、足元、注意して」
「分かってるわよ。それより、二人並んで戻って変な風に解釈されたら、面倒
でしょうが」
振り返った純子は、言葉とは裏腹に下への注意がおろそかになっていた。
でも、石に蹴躓くとか、水たまりにはまるとかではなく−−つん、と引っ張
られるような感覚。
「−−えっ? あっ」
びりびりっという嫌な音が、純子の歩みを止めた。
肝試しの順番を待っている間中、まだ火がくすぶる匂いを感じた。キャンプ
ファイヤーの終了からかなり時間が経過したにも関わらず、空気もどことなく
煙っているかのよう。
十組は何かと後回しになる。肝試しも最後だ。風呂の順番そのままに一組か
ら先にスタートするためであり、相当な時間待たされるだろう。
クラスの中でも純子と唐沢のペアはラスト。これは純子が委員長だから。つ
いでに言っておくと十組のトップバッターは、相羽と白沼のペアが務める。こ
れもまた、相羽が副委員長だからこその配列である。
「きれいな足が拝めるのは、ありがたくも楽しいんだけれども」
純子の真ん前で、唐沢が珍しく目のやり場に困ったようにたたずんでいる。
左右の手を交互に使って首をかく仕種が、いかにも落ち着きない。
「どうしたのさ、急にブルマになっちゃって。もしかして、俺のため−−なあ
んてこともないだろうしさ」
「そ、それがね。トレパン、破いちゃって」
身体の前面で両手を組み合わせ、もじもじとうつむく。夜でよかったと思う。
(予備に一枚、持ってきておけばよかった。荷物を減らそうと考えたのが、間
違いの素なのよね)
内心、失敗を反省することしきりの純子へ、質問を重ねる唐沢。
「何でまた……」
「柱から出ていた釘の頭に引っかけてしまって。ほら、アスレチック場にあっ
たベンチのところの」
「ああ、あそこか」
場所は分かったとばかり、うなずく唐沢。
「だけど、あんなとこへ何しに行ったんだい? キャンプファイヤーのときは
何ともなかったんだから、破いたのは風呂に入る前後だろ?」
理詰めで来られて、純子は目を伏せた。
(案外、鋭いのね。でも正直には言えない)
「涼みに行ってただけよ。散歩を兼ねて」
「ふうん。一人で?」
「一人よ、一人」
「言ってくれたらお供したのにな。夜道の一人歩きは危ないぞー」
にんまりと笑みを作る唐沢。場の雰囲気にそろそろ慣れたらしい。
と、そこへいきなり現れたのが相羽と勝馬。
「おまえ自身が危なくないという保証がないよな」
言いながら勝馬が唐沢の後頭部へ肘を食らわす。唐沢は手をあてがい、痛が
って見せながら振り返った。
「何だとー? 俺は安全無印のいい男だぜ」
「わけ分からん」
「肝試しに行かせるのも不安だな」
相羽と勝馬、二人してくさすと、唐沢は純子に泣きつくポーズ。
「すっずはっらさんは、信用してくれるよね。ね?」
「え、ええ」
手を包まれるように取られ、純子は曖昧に笑みを返した。
「と、ところで相羽君、勝馬君。何か用? 急に来たけれど……特に相羽君、
もうすぐ出発なんじゃない?」
「それそれ。白沼さんが調子悪くて、後回しになりそうなんだ」
少し眉を寄せ、不安そうな色を映す相羽。
「調子悪いって、どうかしたの、白沼さん?」
「言い触らさないでほしいって口止めされたんだけど……お腹を壊した」
「トイレと保健の先生のところを往復してるんだって」
勝馬が付け足す。どことなく喜んでいるような口調に表情である。
その言い方に純子は一瞬、笑いそうになったものの、思いとどまった。給料
日前のお母さんの財布みたいに唇を固く閉じて、落ち着いてから、改めて喋り
出した。
「どうしてそんなことに」
「生水を飲んだのがまずかったらしいよ」
「ほぉ。俺だってちょびっと飲んだが、ぴんぴんしてるぞ」
唐沢もまた、にやつきながら反応を示す。相羽が首を振った。
「確かに、ちょびっとだな。やめろって言ったのに、舌の先でなめてた。本当
に大丈夫か、唐沢?」
−−つづく