#4550/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 98/ 6/30 19:49 (116)
お題>ショータイム(下) 青木無常
★内容
まずはひとつ、準備がととのった。だがこれだけではたりない。
妖精をおびきよせ、とりこにするには誘引するための灯し火がいる。容易ではな
い。
踊り子が求めるものは少なくはない。華美であること、ぜいたく、崇拝、多くの
種類の物欲。どれも武器としては熟知していた。駆使するにたやすい。
問題は、ハディ自身がそれらを手に入れるのにさほどの苦労を要しない地位を得
てしまったこと。そしてそれ以上に、踊り子の真にのぞむものがたったひとつしか
ないという事実。
踊ること。情念の命ずるままに、ただ踊りつづけること。ハディの望むものの根
本にあるのが、ただそれだけであることをムスタルは狂おしいほどに熟知していた。
だからさがし求めた。何をかは、自分でもわからなかった。ただ踊り子をひきつ
けることのできる何か、指針はそれだけ。ただひたすらさがしつづけた。権力があ
とおしする。ふつうの人間であったら、手に入れることはできなかっただろう。
ジハの踊り手。そう呼ばれている。当人たちはただ単に“ジハの者”、自分たち
をそう呼んでいる。そんなことは銀河に居住する市民のほとんどすべてが知らない。
ただ“ジハの踊り手”として知られているだけだ。それもなかば伝説的に。実在を
信じている者はむしろ少数派に属するだろう。あるいはジルジス・シャフルードや
ティンギス・ガハルのようにおとぎ話のなかにのみ存在する架空の存在、という程
度にしか認識されてはいないかもしれない。
もちろんかれらは実在した。ある意味では、おとぎ話のなかみ以上に、伝説的に。
“踊り手”と呼ばれているが、その実態は舞踏家ではなく暗殺者集団だ。夜、枕辺
でかたられる物語のなかでは、圧制に苦しめられた古代民族を救うために舞踏集団
を隠れみのにして権力者に近づき、踊りに仮託した闘法を駆使して肉体のみで護衛
の壁をうち破り、圧制者を駆逐して民人に自由をもたらしたという。事実、その舞
踏は催眠術的な力を内包しており、みる者の魂を奪い放心状態になさしめることが
できるらしい。それがほんとうなら、たしかに暗殺もたやすいだろう。
事実がどうかは、たしかめることはできなかった。つまり“ジハの踊り手”が暗
殺者集団であるのかどうか、ということは。だが、もうひとつのほうはまさに伝説
どおり。否。伝説以上だ。
“踊り手”たちが、名を借りたただの騙りでしかない可能性もないことはない。そ
れならそれでかまわなかった。その舞踏が、ヴァーミリオン・ハディのそれに匹敵
する、あるいはある点では凌駕すらしている――それだけが重要なのだ。
“踊り手”たちがなぜ伝説のヴェールのむこうから姿をあらわし、あまつさえムス
タルに協力する気になったのかはさだかではない。おそらくかれらもまた、ヴァー
ミリオン・ハディの表現する至上の悦楽に、じかにふれてみたいと考えたのだろう。
どうあれ、どこか謎めいた雰囲気を濃密に発散する、舞踏家というよりはまさに
暗殺者の呼び名にこそふさわしい陰鬱なたたずまいの八人の男たちは、ムスタル・
サムデイの前に姿をあらわし、ほんのさわり程度にその神秘な舞踏の片鱗を開陳し
た。
さわり程度でじゅうぶんだった。ほんの片鱗ですら、あらゆる華美に慣れ親しん
できたムスタルをして忘我の境に陥らせるにはあまりあったのだ。
権力者は諸手をあげて陰鬱な舞踏家たちを歓迎し、全力をあげて歓待につとめた。
伝説の踊り手たちは無表情にそれらを受けながし、きわめて禁欲的に対応した。
かくして招待状はとどけられる。
揶揄とともに好奇心を満々とたたえ、ヴァーミリオン・ハディはムスタルのもと
へと再訪する。あからさまに欺瞞をたたえた微笑みとともに、この上なく優雅に。
蠱惑にみちた笑顔のなかで、その瞳は下僕を見下げる女王の光輝でみたされていた。
魂を奴隷として呪縛されたまま、ムスタルはその視線を甘受し、憎悪と歓喜に張り
裂ける想いで胸奥を狂おしく攪拌されるにまかせるだけ。
見かけだけは地位ある男と踊り女らしいようすで、醜男と踊り子は歓談し、夕食
をともにし、そしてふたりだけのために――あるいは、踊り子を罠にかけるためだ
けに――しつらえられたショー・ステージの前へと歩を運ぶ。
ジハの者らにとっても、ステージの上で、観客を前にして舞踏を披露することは
きわめて珍しいできごとだったにちがいない。むっつりとだまりこんだまま、微笑
みひとつうかべず舞台に昇る踊り手など、まさに希有としかいいようがない。
それでも舞踏がはじまれば、まさしく伝説どおりにすべてが波濤にのみこまれた。
ムスタル・サムデイ、給仕たち、執事たち。その場にいあわせたごく少数の幸運
なる者たち同様、ハディもまた“ジハ”の舞踏に魂をぬかれる。賞賛をすら超越し
た放心はしばし、神の巫女たる踊り子からさえ、矜持どころかあらゆる感情を強奪
し果てた。
が、詩神の息吹はつねに炎となって燃えさかる。賛嘆、そしてほんのすこしの嫉
妬もまたハディに力を与え、巫女は立ちあがった。無意識の動作だっただろう。
ぼうぜんと見まもる少数のひとびとの前で、ヴァーミリオン・ハディはいっさい
のためらいもなくステージへとかけのぼり、そして“ジハ”の舞踏のただなかへと
殴りこむ。
伝説の踊り手たちも、さすがに予期し得ぬ反応だったのか。ハディがなだれこん
だほんの一瞬、催眠的な舞踏の律がわずかに乱れた。おそらくは、ながい歴史をと
おして“ジハの舞踏”に乱れの生じた、ただひとつの例だったにちがいない。
ともあれ、輪が破れたのは一瞬だけ。
踊り手たちは乱入者を受け入れるでもなく、ふたたび一糸乱れぬ幻惑的な舞を再
開する。
そしてヴァーミリオン・ハディは――協力を受けぬまま、調和した。
あまりにも異質。幻惑的だが陰鬱で静寂にみちた“ジハ”の舞踏と、炎のように
熱く、華やかで、突出し果てたハディの踊り。なぜ調和できるのかは永遠のなぞだ。
“ジハ”の者どもに協力の意志がなかった以上、ハディ自身の力量そのものだった
のだろう。あるいは、言葉どおりに神がかっていたのかもしれない。
どうあれ、異質の壁は驚嘆すべき才能によってあざやかにとり払われ――“ジハ”
の舞踏はヴァーミリオン・ハディの踊りと一体化した。主役は――いうまでもある
まい。燃える巫女のめくるめく躍動。
時間にすれば、一時間にもみたない、ほんの短いあいだのできごとにすぎなかっ
た。見まもる者たちにとっては、まさに永遠にも匹敵する時間だ。すべてが終わっ
たとき、その場につどうた者たちの心底は、生きてこの場に立ちあえた奇跡への感
謝でみちあふれていた。ムスタル・サムデイでさえも。
拍手も、感嘆の吐息すらない。至福の放心。ただそれだけがその場を支配した。
ヴァーミリオン・ハディは、勝利者の余裕とともに歓喜と幸運を表明し、希有な
る伝説の踊り手とめぐり会えたことを、そしておなじ舞台に立ってひとつの踊りを
つむぎだせたことを感謝し、握手を求め、八人の陰鬱な踊り手たちひとりひとりに、
女王の鷹揚さをもって抱擁を与えていった。伝説の踊り手たちもまた、ぼうぜんと
したなかに、わずかな歓喜をのぞかせさえして、女王の抱擁を受けいれたという。
それが、ひとつの頂点だった。
なおもぼうぜんとするばかりのムスタル・サムデイを相手に、ヴァーミリオン・
ハディはおのれの幸運と勝利に酒杯をかたむけ、すべての世界の所有者の微笑みを
もって場に君臨した。残念ながら“ジハの踊り手”たちは歓喜の場にとどまること
はなかった。
あるいは、奇蹟の舞踏のみで幕がおろされ、平穏な眠りにでも入っていれば、ム
スタル・サムデイもくだんの計画を実行にうつす気にはならずにすんだかもしれな
い。あいにく、そうはならなかった。
酒杯をくみかわし、上機嫌の踊り子はその肉体を再度、醜漢に与えすらした。
無償で、とはいかない。いかなる場合にも、ハディは要求した。無意識に。生得
のままに、ごく自然に。隷属を。
歓喜と憎悪が、混沌としたまま破裂する。満悦した女王の見下す視線を横に、ム
スタル・サムデイは魔術師たる老婆に合図をおくり――檻の扉が閉じられる。
ダンス。ひらめく四肢。汗と情熱。視線。いつまでもつづく。とまらない。
閉じた時間は円環。踊りつづける。魔法は実行された。昏い情熱が牙をむく。そ
して獲物を罠のなかへ。
閉鎖された異界のなかで、彼女はただひとり。そこでは時間は循環しつづける。
終わることのない刹那のくりかえし。消耗も、満足も、決しておとずれることはな
い。
そして意識は螺旋のなかに閉じこめられる。めぐりつづけるのは、ふたつにひと
つ。閉じこめられた者が、もっとも強く求めるものか――あるいは、もっとも強く
怖れるもの。魔術師の言葉によれば、多くの場合、このふたつは表裏一体。
かくして、老婆のしつらえた宝石の空間のなかに閉じこめられて、ヴァーミリオ
ン・ハディは踊りつづける。絶えることなく。永遠に。閉じた時間は円環。終わる
ことは決してない。
魔法が解かれるそのときまで。
And now, it's……