#4512/5495 長編
★タイトル (CWM ) 98/ 6/19 14:32 (190)
妖精城のワルキューレB つきかげ
★内容
そこは海の底のようにしんとした静けさを持ちながら、春の花園のように色どり
が華やかな空間になっている。そして蒼い雨のごとく、常時花粉と花弁が天井より
降り注いでいた。
ブラックソウルは、自分の心に冷たい心地よさが、水面に波紋が広がるように満
ちていくのを感じている。次第に、感覚が研ぎ澄まされてゆき、それでいて夢の中
のように現実が遠くなっていった。
「ブラックソウル様!」
魔導師の女は、悲鳴にも似た声をあげる。ブラックソウルは、苦笑して振り向い
た。
「フェイファ、心配するな。この程度の魔法は、おれには無力だよ」
フェイファと呼ばれた魔導師は、フードをはね除け、彫りが深く目鼻立ちのはっ
きりした顔を顕にすると、ブラックソウルに歩みよる。フェイファは、ブラックソ
ウルの前に立ち、その手に花弁と花粉を受けた。
「ダチュラの変種です、ブラックソウル様」
「ダチュラ?」
「普通のダチュラからでも、麻薬は抽出できます。このダチュラはエルフの魔法で
活性化されていますから、その薫りだけでも人を狂わす事ができます。いくらブラ
ックソウル様が薬物に体を慣らしておられるとはいえ、ここに長時間いては、危険
です」
ブラックソウルは、回廊を引き返す。フェイファが、後に続く。ブラックソウル
の口元には、楽しげな笑みが浮かべられていた。
「小娘と思っていたが、さすがはエルフ。やるもんだ」
「小娘と仰いますが、ブラックソウル様。スノウホワイトはあなたより長い年月を、
生きています」
ブラックソウルは、喉の奥で笑った。
「せいぜい、気をつけることにしよう」
「それにしても、妖精城への道が閉ざされましたわね。ロキと巨人に、先を越され
てしまうとは」
「運が無かったのさ。まぁ、いい。もう一つの道を知る者がいる。それと、ティエ
ンフォウが殺られたとなると、あいつを呼ぶ必要が…」
ブラックソウルは言葉を止めると、顔を笑みで満たす。砦の入り口に、人影を認
めた為だ。
その男は、鍔広の帽子を目深にかむり、革のマントを纏っている。その切れ長の
瞳に、磁器のように白い肌、そして長く真っ直ぐな髪は、巨人に殺されたティエン
フォウとうり二つであった。ただ一つ。その髪と瞳の色を除いて。
その男は、漆黒の剣の破片を、手にしている。刃のような切れ長の瞳は哀しみを
湛えて深紅に輝いており、頬は酷く蒼ざめていた。その髪は象牙のように白く、闇
の中で輝いている。
「兄は、殺されたのですか」
絞りだすような問いかけに、ブラックソウルは楽しげに応えた。
「そのとおりだ、ティエンロウ。よく来た!」
ブラックソウルは、ティエンロウと呼ばれた男を、抱きしめる。ティエンロウの
深紅の瞳は、しかし、彼方を見つめていた。
「さて、ティエンロウ、おまえの兄を殺した野郎は、妖精城へずらかった。おれた
ちも行くぞ、妖精城へ」
ブラックソウルは、野生の獣の笑みを見せ、ティエンロウの肩を抱く。ティエン
ロウは、鋭い殺気のこもった瞳を、ブラックソウルへむける。
「妖精城、ですか」
ブラックソウルは狼の笑みを浮かべたまま、ティエンロウとフェイファを従え、
砦の外へ向かう。中庭には春の日差しが降り注ぎ、エルフの魔法によって開いた花々
が白く輝いていた。
フレヤとロキは、スノウホワイトに導かれるまま霧の濃い森の中を歩いて行くう
ちに、突然その空間に出た。
空は、銀灰色に輝いている。それは、北方の地における白夜にも似た輝きであっ
た。足下に広がる草原は、雪原のように白銀色である。しかし、それは雪の色では
無く、白銀に煌めく草の色であった。
フレヤは、青い瞳を眩しげに細める。ここは、汚れを知らぬ乙女の夢のように白
く、そして輝かしい世界であった。
スノウホワイトは、草原を駆け出す。白い長衣を纏ったエルフは、風に舞う雪片
のように踊り、歌った。
「ああ、とても素敵だわ、ここは輝いている!」
フレヤは踊るスノウホワイトを見ているうちに、エルフの少女が白い炎につつま
れているような思いにとらわれる。ここは、白く燃え広がる草原。そして、白い焔
となった少女が、シルフィールドのごとく天空へ舞い上がろうとしている。
スノウホワイトは、ひとしきり踊り終わると、フレヤとロキを手招きした。
「さあ、私の城へ行きましょう」
スノウホワイトが向かう先には、白銀の森があった。森の木も、雪の覆われたよ
うに銀色に輝いている。
その森の向こうに、小高い丘があった。よく見ると、草原から森を抜け丘陵へと
続く一本の白い道がある。スノウホワイトは、その道を駆けてゆく。時おり立ち止
まっては、もどかしげにロキとフレヤに手招きした。
「奇妙だな」
フレヤは、呟く。
「ここには、生命の気配が感じられない。とても静かだ」
真白き世界に浮かんだ黒い影のようなロキは、フレヤに応える。
「長命種は、一般に変化を望まないからな。ここは、時間を止められた世界だ。た
だ、妖精城は、少し違うが」
フレヤは、肩を竦めた。
「旧世界の者たちは、皆同じということか。魔族にせよ妖精族にせよ、ただ世界の
終わりを待っているように見える」
「その見方は、間違っている訳ではない、フレヤ」
フレヤはため息をつくと、スノウホワイトを追った。その純白のマントは、白銀
の世界に見事に溶け込んでいる。天上の神々が住まう場所を進む天使のように、白
い巨人はエルフの娘の後を歩む。
白銀の森に、入る。その森を構成する木は、植物というよりも鉱物の結晶体に見
えた。透明な枝葉を、銀色の光が駆けめぐっている。その繊細なガラス細工のよう
な枝は、幾何学的な図形を描いて幹から分岐していた。
森全体に、透明な枝が張り巡らされており、森そのものが抽象的な幾何学模様を
構成している。その中を銀色の輝きが無数に駆け抜けていく様は、万華鏡を見るよ
うだ。
森の向こうに聳える丘を、スノウホワイトは駆け昇ってゆく。その頂上で立ち止
まったスノウホワイトは、全身でフレヤとロキを差し招いた。
ようやくスノウホワイトに追いついたフレヤたちに、スノウホワイトが声をかけ
る。
「あれが、私たちの城ですわ」
丘陵の向こうは、クレーター状の盆地になっている。その盆地の底は、湿地帯に
なっており、真夏の輝く空のように青い水が湛えられていた。
その水の上を白銀の木の根が、放射状に這い回っている。そして、湿地帯の中央
には、半透明のドームに覆われた塔が聳えていた。
スノウホワイトは、その塔を指さしている。それは、城というよりは、何か巨大
な植物のようであった。
フレヤは、素直に感想を語る。
「あれは、城というよりは、木だな」
スノウホワイトは、頷く。
「仰る通りですわ。とにかく、城へ入れば判ります」
三人は、湿地帯へと降りてゆく。湿地帯は、先程の草原に比べると遥かに多彩な
生命と色彩に満ちていた。
半透明のドームまでは、木の根が絡み合ってできたような道がある。その木の根
に水辺には、深い青さを持った水草が繁り、淡い色彩の花が咲いていた。
水の上を、白い水牛のような生き物が歩んでいる。巨大な放物線を水上に描く木
の根の上を、灰色の小動物が駆けていた。その姿は、野兎と野鼠の中間くらいであ
る。
大きな熊によく似た白い生き物が、時折前を横切った。頭上は、白い龍を思わせ
るが、羽毛に覆われた生き物が旋回している。
ここには草原と違い、様々な生命がいた。しかし、ここには、生存競争の過酷さ
が無い。まるで庭園で放し飼いにされている生き物のように、相互に干渉せず穏や
かに生きているようだ。獣たちの顔は、思索に耽る哲学者のごとく穏やかに見えた。
白い毛足の長い水牛が、時折遠吠えする。それは、ホルンの響きにも似ており、
のどかに湿地帯へ響きわたった。
半透明のドームが、目の前に来る。それは、間近に見ると、半透明の巨大な木の
葉によって構成されている事が判った。
半透明の葉には銀色の葉脈が、走っている。一枚一枚が城壁を遥かに上回る巨大
な木の葉が、透明な半球体を造り上げていた。
絡み合う木の根で造られた道の果てに、ドームへの入り口がある。重なり合う木
の葉が、丁度一部分だけ人の通れる隙間を造っており、木の根はその奥へと続いて
いた。
ドームの中へ足を踏み入れたフレヤは、目を見張る。そこは、極彩色の空間であ
った。
エメラルドに輝く塔が、天空に向かって聳え、そこから鮮やかな緑色の枝が、透
明で巨大な葉へ延びている。そして、その新緑の緑に輝く塔は、色とりどりの花々
に覆われていた。
アメジストの紫、サファイアの青、ルビーの赤、月長石の黄色、鮮やかな宝石の
ような色彩が、エメラルドグリーンの塔を飾る。光の滴を思わせる花びらが、塔の
上方から降り注いでいた。
そのカレイドスコープのように輝く空間を、極彩色の鳥達が飛び交っている。地
上は着飾った淑女を思わせる孔雀たちが、歩き回っていた。
透明な葉によって構成されたドームの内部は、丁度温室のような状態になってい
るようだ。温度は確実に外より高く、空気自体が重みを帯びているかのごとく湿気
を持つ。
そこは、生命力に満ちあふれていた。おそらく、エルフの魔法が働いているせい
であろう。花の色彩は、通常よりも遥かに鮮明であり、薫りも心を激しく引きつけ
るものがある。
エルフたちの居住区は、このエメラルドグリーンの幹を螺旋状に取り巻いて存在
していた。木の幹の一番上には、枝に囲まれる形で、極彩色の花に彩られた宮殿が
存在する。おそらく、エルフの王族が住まう場所だろう。
スノウホワイトにつれられ、ロキとフレヤは螺旋状に延びるエルフの街へ、入っ
てゆく。幹の近くは空気が流れており、意外と涼しく心地よい温度が保たれている
ようだ。
スノウホワイトが街に足を踏み入れたとたん、銀の鎧を身につけた衛士たちが出
迎えに来る。エルフは、金属の装備を好まない。衛士の装備もシルクの服に、飾り
細工のような銀の防具がつけられたもので、武器としては銀の短剣と、弓矢を持つ
程度であった。
鋭い琥珀色の瞳を持った、女性の衛士がロキとフレヤの前に立つ。
「私が衛士長、アンバーナイトです。ロキ殿と、フレヤ殿ですね」
漆黒のロキは、礼をする。
「いかにも、私がロキ、そして、こちらが巨人族のフレヤ」
「あなた方は、我らが姫君の恩人です。賓客としてお迎えします。どうぞ、宮殿へ
お越し下さい」
スノウホワイトは、先に塔を昇っていった。ロキとフレヤは、衛士たちにつれら
れ、螺旋状の街を昇ってゆく。
闇を持たないこの世界に突如現れた影を思わせるロキと、天上世界から降臨した
戦闘天使のようなフレヤは、エルフたちの好奇の的となった。螺旋状の市街には大
きな枝に支えられている広場があり、そうした所には市が立っている。陶器の工芸
品、鮮やかに染められたシルクの布、豊饒な薫りを漂わす香料、豊かな色彩の煙を
放つ香が、色とりどりの花々のあいだに並べられていた。
その市には、金や銀の装身具で身を飾った、細身で長身のエルフたちが集まって
いる。エルフたちはあからさまにロキとフレヤを取り巻いたりはしないが、視線は
明白に二人へ向けられていた。
凱旋する兵士のように市街を通り抜けたロキとフレヤは、宮殿の前に立つ。それ
は、宮殿というよりも、空中庭園のように見えた。
花々に飾られたテラスや、草木に囲まれた天蓋、植物と建物が一体化したその建
造物は、それ自体が一つの庭園のようであり、森のようであり、巨大な一本の木の
ようでもある。その宮殿から長身の女性のエルフが姿を現す。後ろには、スノウホ
ワイトを従えていた。
女性の衛士長アンバーナイトが跪く。どうやら、エルフの長らしい。
「ようこそ、我が城へ、ロキ殿。お久しゅうございます。心からのお礼を申し上げ
させてもらいますわ」
「ここは変わらないようだな、シルバーシャドウ女王。礼には及ばない。ここに来
る用があったまでのことだ」
エルフの女王シルバーシャドウは、スノウホワイトとよく似ている。しかし、ホ
ワイトスノウと比べるとその美しさは、遥かに完成されたものであった。
その身につけた装身具は銀の髪かざりと、胸もとを飾るネックレスぐらいであり、
女王としては質素にも思える。エルフはその居住空間や宮殿は豊かな色彩で飾るの
を好むようであるが、身につけるものは白を基調としたものが多く、シルバーシャ
ドウも同様であった。
しかし、身なりは質素であるものの、その繊細な骨格や滑らかな筋肉により構成
された姿は、魔法的な生き物に特有の幻想的な美しさがある。エルフの女王である
シルバーシャドウの美しさには非の打ち所が無く、神の花園で密かに育てられた妖
花を思わせた。