AWC 【OBORO】 =第3幕・散花哀詩=(13) 悠歩


        
#4485/5495 長編
★タイトル (RAD     )  98/ 5/16  20:57  (157)
【OBORO】 =第3幕・散花哀詩=(13) 悠歩
★内容



 深夜の診療所。
 このような深夜、いや、少しばかの時を待てば、もうすぐ朝日が顔を出す。早
朝と言ってもいいような時間。白衣を羽織った男が机に向かい、何か書き物をし
ていた。
 男はこの診療所を経営する医師であった。さほどの設備も整わない診療所では
あったが、医師の人柄の良さが評判となり、近所の人々は何か身体に不調があれ
ばまず最初にここを訪れる。実際男の腕は大したもので、大病院の高名な医師に
もひけを取らなかった。稀に患者に対し、大病院へ行くよう勧めることもあった
が、それはここにない装置での治療を必要するときだけだった。
 つい三十分前までは、男の他に二人の客がこの場にいた。
 四歳になったばかりの男の子が、高い熱を出してぐったりとしている。そう言
って若い母親が、真っ青な顔をして男の元に駆け込んで来たのだ。
 男の子の容態は思わしいものではなかったが、男の手に余るほどのものでもな
かった。母親が診療所に飛び込んで来てから十分と経たぬうちに、適切な処置を
受けた男の子は、安らかな寝息を立てていた。
 深夜に起こしてしまったことと、子どもを診てくれたことに若い母親は何度も
何度も頭を下げ、診療所を後にした。親子が訊ねてきてから立ち去るまで、男は
一瞬たりと優しい笑顔を絶やさなかった。腕の良さに加え、その人当たりのいい
笑顔も、医師としての男の評判の高さの要因となっていたのだ。
 親子が帰った後も、男はすぐ床に着くことはなかった。もとより今宵は夜を明
かすつもりでいたのだ。親子連れの登場も、男にとってはよい暇潰しとなった。
 男はただひたすら、紙の上にペンを走らせる。
 仕事をしているのではない。
 何か意味のあるものを書いているのではない。
 ドイツ語、英語、そして日本語と、全く意味を持たない文章を書き綴っていた
のだ。
 ふと、男の手が止まる。
「すいませんね。診療時間は、朝九時からなんですよ」
 机の上のライトが灯されているだけで、室内灯は消されている。男の背後は闇。
 闇に背を向けたまま、いつも通りの穏やかな口調で男は言った。
「急患よ」
 闇から答えが返る。女の声だった。
「うちは救急指定医じゃないんですけどねぇ」
 やはり男は振り返らない。
 どすん。
 突然男の目の前、机の上に何かが降ってきた。背後の女が投げたのだ。
「やれやれ。手酷くやられたものですね」
 机の上のものを一頻り眺めたのち、男はゆっくりと椅子を180度回転させる。
女が投げたのは、人間の左腕だった。
「それで、首尾は如何でしたか?」
「ふん、白々しいことを訊くわね。とっくに分かっているくせに」
 闇の中に佇む女、麗菜は不快さを隠そうともせずに言った。
「さて、麗菜さんは何を言ってるんでしょうか?」
 男はとぼけて見せたが、本当は麗菜の言葉を充分に承知しているのだろう。そ
の台詞のわざとらしさには、どんな大根役者も太刀打ち出来そうにない。
「私はくだらないことで、時間を費やしたくないの。早く腕を治してしてちょう
だい」
「ケケケッ、エラソーによ。先生、その女ぁ朧のガキを一匹、見逃してるんだぜ」
 苛立つ麗菜に応えたのは男ではない。麗菜の中の雅人でもない。別の者の声だ
った。それは部屋の外、机の前の窓の向こうから聞こえた。
「こらこら、静かになさい、14号。ご近所の方たちに、見られてしまいますよ」
 幼子に語り掛けるような調子で言うと、男は窓を開く。
 そこには奇怪なものが存在していた。
 一見すればとても恐ろしい姿をしているのだが、それも度を越して滑稽となっ
ていた。
 外には銀杏の木が植えられており、その枝の一本が窓の前に張り出している。
そいつは右手でその枝にぶら下がっていたのだ。しかし視線を落としても、その
腕が支えている身体を見ることは出来ない。腕が支えていたのは頭、それだけな
のだ。他にはなにもない。
 その奇妙な生物は、頭と腕だけしか持ち合わせていない。頭頂部から生えた右
腕で、枝につかまっていたのだ。提灯鮟鱇(アンコウ)を連想させる容姿は、ま
るで才能の乏しい漫画家の描いたキャラクターのようでもある。
「それっ!」
 気合い一閃、14号と呼ばれた鮟鱇は身体を、いや頭を振ってその反動で飛ん
だ。しかし室内に飛び込んだのはいいものの、身体も脚もない鮟鱇がまともに着
地出来るはずもない。壁にぶつかり、無様に部屋の中を転がっていく。まだ頭だ
けなら良かったかも知れないが、なまじ腕があることで転がり方もぎこちなく、
出来の悪い玩具のようであった。
 止まろうとしているのか、それとも起きあがろうとしているのだろうか。どう
やら後者の方らしいが、頭に生えた手で床をつくたびバウンドし、転がる方向が
変わる。一頻り室内を転がった後、鮟鱇は麗菜の足をつかんで停止した。
「ふー、やれやれ。目が回ったぜ」
「汚い手で触るな」
 窮屈に自分の額を拭おうとしていた鮟鱇を、麗菜は無造作に蹴り上げた。まる
でサッカーボールのように。
「ひいっ!」
 漫画のような叫びとともに宙を飛んだ鮟鱇は、見事に男の手の中に収まった。
「クソッタレ、人様の頭を蹴りやがって! なんて女だ………先生、こいつぁ裏
切りモンだぜ。殺(や)っちまってくれよ」
 これもまた漫画のような動きで、鮟鱇は頭の手を右へ左へと振りながら自分の
保護者、いや製作者である男へと訴える。
「いいんですよ、14号。麗菜さんはよくやってくれました。麗花さんというの
は、朧の姉妹にとって精神的な支えだったんです。彼女がいればこそ、他の子た
ちは能力以上のことが出来ていたんです。麗花さんを始末してくれただけで充分
助かります。
 それにね………他の子たちの中に、パーツを持つ者がいるみたいなんです。ま
あ次女ではないようですが、万一ってこともありますからね。始末しなかったの
は、かえって幸いなんです」
「気違いの相手はそれくらいにしいて、早く腕を治して欲しいわね。それと心臓
も。兄さまの心臓では、二人の身体を長くは維持出来ないわ」
「おおっと、そうでした、そうでした」
 そう言いながら立ち上がる際に、男は抱えていた鮟鱇を手から滑らせ、床へ落
としてしまった。しかしそれは誤って、と言うより意図的に行われたように見え
る。
「痛てっ………せ、先生、待ってくれよ」
 顔面から床に落ちた鮟鱇が、男を呼び止める。
「その女は、放っておいたって一週間もすれば新しい腕が生えてくるんだろう。
それより、俺の褒美はどうなってんだい?」
「えっ、褒美って」
「ぎゃっ!」
 振り返りざま、男は床についていた鮟鱇の指を踏んでしまった。これも麗菜の
目には故意として映ったのだが。
「その女をちゃんと監視して報告したら、また身体の一部を返してくれるって約
束だろ」
 鮟鱇は半泣き状態だったが、それは痛さのためか、忘れられていた褒美のせい
かは本人しか分からない。おそらく、その両方だろう。
「ああ、そうでしたね。なにか欲しい部分はありますか?」
「へへっ、そうだなあ………足、がいいかなあ」
 二人のやり取りを聞きながら、麗菜はその姿を想像してしまう。頭から直接手
足が一本ずつ生えた姿を。ますます漫画的になるな、と感想を持ったが口にはし
ない。
「そうだ、おちんちんなんかどうです?」
「おちんちん! いいねぇ………ションベンが出来るようになる。女も抱けるな
あ………へへっ、いいかも知れない」
「でも少し待っていなさい。麗菜さんが先ですよ」
「ちぇ、しようがねぇなあ………早くして下さいよ」
 男は机の上から麗菜の腕を、鮟鱇を落としたときとは対照的に、大切そうに拾
い上げた。そして麗菜の方へと向き直る。
「お待たせしました。手術室でやりましょうか」
「どこでも同じでしょう」
「気分の問題ですよ」
 そう言った男の手は、さり気なく麗菜の腰へ回される。が、即座に振り払われ
て、つまらなさそうに肩をすくめた。
「おちんちんかあ………へへっ、俺もまた一歩、人間らしくなるぞ」
 後ろから聞こえるのは、楽しげな鮟鱇の独り言。
 だが麗菜は思う。
『違うわよ。人間から遠ざかるのよ』と。
 少なくとも麗菜の知る限りでは、6号から13号はついに人間に戻ることはな
かったからだ。

 小さな診療所の形ばかりの手術室までは、さして歩くこともない。手術台に横
たわった麗菜の左側に、腕が置かれていた。吹き飛んで失われた部分の多い腕と
肩、いやほぼ胸にまで達した傷口はまったく一致しない。普通の外科手術であれ
ば、繋ぐことなど不可能であろう。
「やっぱり傷口を洗浄しましょうかね。その方が、いかにも手術って感じがしま
すから」
 麗菜の返事も待たず、男は何やらこちらに背を向けて仕度を始める。
「とにかく後はもう一つの【日龍】、優一郎くんでしたね。彼が完全に覚醒する
前に、何とかしておきたいですが………私に任せてもらえます?」
「別に………構わないわ。何か考えがあるの?」
 ぼんやりと天井を見つめた麗菜は、正直なところいまは優一郎などどうでも良
かった。麗花との戦いを終え、どうしようもない虚脱感に包まれていたのだ。
「欠けたる者をね、使ってみようかと思うんですよ」
「欠けたる者! だけどまだパーツが揃っていないって………」
「ええ、でも麗花さんの妹のものさえ手に入れば、ほぼ完璧ですから。まあ、何
とかなりますよ」
 麗菜の元へ戻った男の顔には、いつもと変わらぬ笑みが浮かんでいる。
 だが麗菜は知っていた。その笑顔の裏にある、男の本性を。
 このまま優一郎が真の覚醒をしなければ、間違いなく朧と【日龍】はこの世か
ら消滅するだろう。


                                【続く】





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