#4484/5495 長編
★タイトル (RAD ) 98/ 5/16 20:56 (104)
【OBORO】 =第3幕・散花哀詩=(12) 悠歩
★内容
紅い炎が全てを包んでいく。
嫌なことばかりではなかった。雅人や麗花、そしてまだ優しかった頃の母と楽
しい思い出もたくさんあった。
それら全てをも紅い炎が包んでいく。
麗菜が家に火を着けたのには、特に考えがあってのことではない。強いて理由
を挙げるとするのなら、最近テレビで見た映画の影響かも知れない。
ただ辛い思い出とともに、汚れてしまった自らの身を無に帰して新たに生まれ
直したい。楽しかった思い出を全て、一緒に持って行きたい。無意識のうちに、
そんな想いが働いていたのかも知れない。
テレビで見たように灯油を撒こうと思ったが、まだ暖房を入れる季節ではない。
初めからないのか、どこかに仕舞われているのか麗菜にはみつけられなかった。
仕方ないので台所にあった食用油を撒いてみた。さすがに油というだけのことは
ある。灯油と比べればどうであったか分からないが、父の布団の枕元にあったら
ライターで簡単に火を着けることが出来た。
父の骸が横たわる辺りは、もうすっかりと火の海と化している。周囲に飛び散
っていた血の赤と、炎の赤が重なる。
出来れば母の亡骸も、側から離したかった。最期の瞬間は兄と二人きりで迎え
たいと願ったからだ。けれど麗菜一人の力では、母の亡骸を動かすのは重労働で
あった。仕方なく、側に置いたままになっている。
「兄さま………麗菜が中学校を出るまで、待たなくてよくなっちゃったね。二人
で………天国でくらそうね」
裸のままの麗菜は、膝枕した兄の髪を優しく撫で上げた。
死への恐怖はなかった。
死ぬということは、もっと恐ろしいものだとばかり思っていたのに。静かな気
持ちで、炎の迫り来るのを待っていられた。
死への恐怖がない。いや、本当は生の望みを失っただけなのだ。最愛の兄を亡
くし、その身は汚れ、父母を手に掛けた麗菜。同じ年頃の女の子が、未来に託す
希望を何一つ探すことなど出来なくなっていた。
ただ一つ気掛かりなのは、自分が兄と一緒に天国へと行けるか。ということだ
った。
父母を殺してしまった自分が行く先は、地獄なのではないだろうか。
「そうしたら、兄さまは助けに来てくれるかしら」
答えを返すことのない兄の顔を見つめ、麗菜は語りかける。
目の前の襖に炎が移った。じりじりと炙られ、麗菜の肌が熱くなる。
もうすぐ自分は焼かれて死ぬのだと、麗菜は思った。
「やれやれ、子どもが自ら死を選ぶような国は、いずれ滅びますね」
麗菜の他に、生ある者のいないはずの家で、聞き慣れぬ男の声がした。そして
燃え盛る襖が、ゆっくりと横へ滑る。
「だれ? あなたは」
驚きもせず、麗菜は突然現れた男に問う。
夜中に突然他人の家に侵入してきた男。普通に考えれば、とてもまともな者と
は思えない。強盗や変質者の類が、火事にいぶり出されて来たのだろうか。しか
しそれが何者であろうと、死を覚悟した麗菜に恐れる理由はなかった。
いや一つ恐れるとしたら、それがこの火事から救出者であること。麗菜には、
助け出されて生き延びることこそが恐怖であった。だがその可能性は少ないだろ
う。この炎の中、白いワイシャツにスラックスのズボンという出で立ちは、とて
も救出者のそれとは思えない。
「私? 私ですか。異形の者ですよ。あなた方、朧の敵である異形です。正しく
言えば、私は完全体なのですけれどね」
敵と名乗りながら、男は笑みを浮かべる。ただ普通の笑みとは違った、どこか
狂気を含んだ笑み。父の笑みにも狂気を感じたが、それともまた異質のものだっ
た。
「敵じゃないわ………私には、朧なんて関係ないもの。私を殺しに来たのなら、
必要ないわよ」
「ノンノンノン………」
男は右手の人差し指を立てると、それを左右に振って麗菜の言葉を否定した。
どこか楽しげに。
「逆です。私は、お嬢ちゃんたちを助けに来たんですよ」
「それならもっと必要ない。私、兄さまといっしょにいくんだから」
麗菜はその視線を男から兄へと戻し、答えた。
「ちゃんと聞いて下さいな、お嬢ちゃん。言ったでしょ、お嬢ちゃんたちと」
ことさら「たち」の部分を強調して男は言った。
「どういうことなの?」
「こう見えても、私は医者なんですよ。だからお嬢ちゃんと、お兄さんの両方と
も助けられるんです」
麗菜は奇妙なことに気がついた。確かに燃えていたはずの、襖の火が消えてい
るのだ。それどころか麗菜たちを包み込もうとしていた炎が、逆に男を中心にし
て後退しているのだ。
「うそよ………兄さまの病気は日本じゃ治せないって、聞いたもの。それにもう、
兄さまは死んでしまった」
「それが私には出来るんですよ」
高らかに、まるで演説をするかのように男は言った。
「朧とて、もとは我らと同族。だからあなたのお父さんは、異形の血に支配され、
あなたの朧によって死んだのです。同じように、お兄さんにも異形の力が秘めら
れている。私の能力をもってすれば、生き返らすことも可能なのです」
言いながら、気分が昂揚してきたらしい。男は身振り手振りを加えて、自分の
言葉を強調する。
「ほんとう?」
「本当ですよ。ただし、それにはお嬢ちゃんの身体が必要です」
「あなたも、父さまと同じことがしたいの?」
麗菜にとって苦痛でしかない行為。父が死んで、もう二度とそれをすることも
ないと思っていた。だがもし本当に兄が生き返るのなら、例えそれ以上の苦痛で
あっても受け入れていいと麗菜は思った。
「ノンノンノン。私には、そんな人道に外れる趣味はありません。お兄さんを生
き返らすのに、お嬢ちゃんの身体を切り裂く必要があるんです。大丈夫、死には
しません。死にはしませんが………痛いんです」
それもまた人道に外れた真似ではあるが、その時の麗菜にはそこまで考えられ
なかった。もともと死ぬつもりでいたのだ。騙されたとしても、もうなくすもの
などない。
「いいわ、やって」
迷うことなく、麗菜は答えていた。
「それと条件が一つ。これからお嬢ちゃんは、朧を捨てて私の仲間として協力す
る。いいですか?」
「私こそ言ったでしょ。朧なんて関係ないって」
「オッケー、いい答えですね。では………」
見たところ、男は道具らしいものなど一切持っていない。どこかへ場所を移動
するのだろうか。そう考えていると、いつの間にか横にまわっていた男が、手刀
を麗菜へと振り下ろした。
一生忘れることはないだろう。生きたまま自分の身体が、前と後ろの二つに切
り裂かれるおぞましい感覚を。
その日を境に、麗菜と雅人は一つの存在となった。