AWC 【OBORO】 =第3幕・散花哀詩=(3)  悠歩


        
#4475/5495 長編
★タイトル (RAD     )  98/ 5/16  20:53  (200)
【OBORO】 =第3幕・散花哀詩=(3)  悠歩
★内容



「早く、急ぎなさい!」
 高々と立ち昇った炎のを柱を見て、美鳥は妹たちに叫んだ。もはやあれは小火
などと呼べる代物ではない。
『お姉、一人で大丈夫かな』
 麗花とて、美鳥が妹たちを連れて先に避難していることは、分かっているのだ。
炎が自分一人の手にあまるものと知ればすぐに逃げるだろう。もしかするともう
外にいて、美鳥たちの姿がないことを心配しているかも知れない。だが………
 いまの麗花の身体は普通ではないのだ。あるいは炎の中で発作を起こし、動け
なくなっているのではないだろうか。美鳥はすぐにでも炎の方へと引き返して、
確認したかった。しかしいまは、妹たちを安全なところに避難させることの方が、
優先されなければならない。
「きゃっ!」
 気が急いている美鳥は、妹の歩幅にまで考慮する余裕がなかった。強制的に腕
を引かれていた真月はバランスを崩し、転びそうになる。
「もう、何してるの。この子は」
 美鳥は素早く腕を上げ、転びそうになった真月を寸前のところで止める。
「だってぇ………」
 ヒステリックに怒鳴りつける美鳥に対し、真月は半泣きの状態で何かを言いか
けた。が、それを聞いてやる余裕はない。美鳥はすぐにまた真月の手を強く引い
て、走らせようとした。
「あ、あれ………音風は?」
 そのとき美鳥は、すぐ後ろを着いて来ていたはずの音風の姿が見当たらないこ
とに気づいた。
「えっ」
 驚いたように、真月も振り返って音風を探す。しかし美鳥にも真月にも、その
姿を見つけることは出来なかった。
 まさか逃げ遅れたのか?
 炎はすでに、美鳥たち姉妹の部屋にまで迫っている。
「真月、真月!」
「真月お姉ちゃん!」
 もうもうと立ち込める煙によって、もう数メートル先の視界が利かない。二人
はその先に向けて声を掛けるが、返事は返らない。
 真月だけ外に逃げさせて、音風を探しに戻ろうか。麗花のことも気に掛かる。
美鳥がそんなことを考えているとき。
「あっ、音風お姉ちゃん!」
 空いている方の手で煙に曇る廊下を指さし、真月が声を上げた。その先から朧
気な人影が現れる。
 長い髪を一本に編み込み、水色のパジャマを着た少女。音風である。
「あんた、何処へ行ってのよ! 心配したんだからね」
 美鳥は煙の向かうから現れた音風に安堵すると同時に、激しい怒りを感じて叱
りつける。
「ごめんなさい、美鳥お姉さん………おうちが燃えて、何もなくなったら困ると
思って」
 そう応える音風の胸には、雑誌ほどの大きさの桐の箱が抱かれていた。普段、
長女である麗花が管理している、朧月家の預金通帳等が入った箱だ。
 妹たちを外に逃がすことだけに夢中だった美鳥には、何かを持ち出すという考
えは全く浮かばなかった。妙に冷静な音風に感心し、呆れもした。
「とにかく、早く外へ」
 ぱちぱちと、火の弾ける音がここにも聞こえて来た。立ち止まっていては危険
だ。まだ麗花のことが気にはなったが、美鳥は妹たちを促し、外へと急いだ。

「美鳥おねえちゃん、待って!」
 玄関を出て、門まであと半分というところまで来て、突然真月が足を止めた。
「なに、どこか痛いの? それなら私がおんぶしてあげるから………」
 こんなところで時間を取っている場合ではない。美鳥は真月を負ぶるため、身
を屈めた。が、そのために握っていた手から解放された真月は、庭へ向かって駆
け出したのだ。
「ばか! あんたは、なに考えてるの!」
 驚いた美鳥は、咄嗟に後ろから真月を羽交い締めするような格好で止める。
「はなして、美鳥お姉ちゃん! 助けに行かなくちゃ」
「助けるって誰を? だいじょうぶ、麗花お姉なら、ちゃんと逃げてるはずよ」
 その腕を振り解こうと暴れる真月を、美鳥は懸命に押さえつける。
「ちがうの! おさかな」
「おさかな?」
「優一郎お兄ちゃんと釣ってきた、真月のおさかなを助けるの!」
「アンタはこんなときに、なに言ってるのよ!」
 美鳥とて、他人にはくだらないと思えても、本人にとっては命に準ずるほど、
あるいは命以上に大切である物が存在することは分かっている。優一郎と釣りか
ら帰って来たときの真月の嬉しそうな顔は、それまでに美鳥の見たこともないも
のだった。真月にとって、優一郎と思い出が如何に大切であったか、承知してい
る。
 ましてそれは命を持った存在。心優しい妹が、それを助けようとする気持ちは
充分に理解出来た。可能であれば、その想いを叶えてやりたい。
 しかしそれはあまりにも危険過ぎる。いや、ほとんど不可能と言っていいだろ
う。
 数分前、美鳥と麗花が気づいたときには小火だった炎が、わずかな時間で油紙
を燃やしたかのように広がっているのだ。フナのいる池がある辺りからも、大き
な炎の柱が上がっているのが見えた。どんなに大切なものであったとしても、人
とフナとの命を天秤に掛ける訳にはいかない。
「諦めなさい、真月」
「いや、だめ。ユウちゃんが………マヅキが……死んじゃうよ。私、助けに行か
なくちゃ!」
 時に人の想いは、肉体に信じられないほどの力を与えると言う。まだわずか9
歳の真月の力に、美鳥は圧倒され掛けていた。必死で押さえ付けている腕が、い
まにも振り解かれてしまいそうだ。
 殴ってでも真月を止めなければならない。すでに美鳥たちのいる場所にも、火
の粉が降り注いで来ている。いま家の方に向かうのは、自殺行為以外の何物でも
ない。
 パン。
 真月の頬を打つ、大きな音。
 しかしそれは美鳥の手によって作られた音ではない。いまだ美鳥の両腕は、真
月を行かせまいと押さえ付けることに使われている。
「おと………かぜ、お姉ちゃん………」
 呆然と、自分の頬を打った相手を見つめる真月。
 幼い頃から真月が欲しがれば、自分のおやつまで分け与えていた音風。真月が
ねだれば、欲しい物を我慢して貯めた小遣いで買い与えていた音風。
 三人の姉の中でも、過ぎるほどの愛情を真月へと注いでいた音風。その音風が
真月へと手を上げたのは、おそらく初めてのことだったのだろう。
 音風の秘められた激しさを知る美鳥はともかく、いつでも自分の我侭を聞いて
いてくれた姉に頬を打たれた真月は、驚きのあまり声をなくし、抵抗も忘れた。
「分かってるの、真月? いま行ったら、おさかなを助けるどころか、真月も死
んじゃうんだよ。そんなこと、私、絶対許さない」
 叱りつけると言うより、訴えると言った方が適切であろう。惚けたようにして
いる真月の耳に届いているのか定かではないが、その頬を叩いた音風は静かに、
だが大粒の涙を溢れさせて言った。
「美鳥お姉さん、早く外に!」
「あ、ああ、うん………急ぎましょう」
 音風に促され、美鳥は大人しくなった真月を抱え上げて門を駆け抜けた。



「この火は、あなたが放ったのね。でも無駄よ、この程度のことで朧を滅ぼせる
と思っているのなら、それは甘いわ」
 弓を構え、麗花は凛と言い放った。その矢の先は、きっちりと麗菜を捉えてい
る。
「ふふ、確かにこの炎で四人とも始末出来るのなら楽なんだけどね。私もそんな
こと、期待なんかしていないわ」
 まるで教室の中での親しいクラスメイト同士が会話を交わすように、麗菜は言
う。
「火をつけたのは、あなたたち姉妹を分けるため。予想通り、いいえこんなに上
手く、あなた一人で来てくれるとは思わなかったけど」
「私を狙っていたのなら、こんなことをしなくても私の方から出向いたわ」
 事実、残された時間のない麗花は、麗菜との決着だけはつけておくつもりだっ
たのだ。自分が行動を起こすより先に、麗菜がこのような手段に出るのは予想外
だった。麗花は行動の遅れで妹たちを危険に曝してしまったことを後悔するとと
もに、その危険を作り出した麗菜に怒りさえ覚えた。
「そうね………でも勘違いしないで。私たちが狙っているのは麗花一人じゃない
のよ。朧全てが敵なんですもの。この場に現れたのがあなたでなくてもよかった。
他の子が火にまかれて死んでも、それはそれでいい。むしろ後のことを考えれば、
あなたより先に倒しておきたい子は別にいるものね」
 麗菜は笑った。おかしそうに。
 麗花の矢が、真っ直ぐと自分の方へ向けられているのを気にする様子もなく。
「なんのこと?」
「とぼけたって無駄よ。あなたたち姉妹のなかで、誰が最強かは知れているの。
それに放って置いたって、もうあなたには時間がない。戦わなくても、すぐにあ
なたはいなくなる………でも」
 ふいに麗菜の顔から、それまでの穏やかさが消えた。
 その瞬間、麗花は迷うことなく、実の妹へと己の念を込めた矢を放つ。
 矢は空(くう)に一文字を描き、麗菜の左胸を目指す。心臓へと。
 それが目的のものを貫くまでには、瞬きほどの時間も必要とはしなかった。矢
は深々と麗菜の胸に突き刺さった。
 が、麗菜の表情に苦悶の色が浮かぶことはない。己の左胸を貫く矢には一瞥も
くれることなく、ただじっと麗花を見据えている。
「分かっているはずよ。私にこんなものは利かないと」
 そんな言葉と共に、胸に刺さった矢を中心にして麗菜の身体が光輝く。その光
の中に溶け込むように、矢は消滅した。
「あなたに勝ち目はない。いまの私は、あなたより強力な朧の力を持っているの
だから」
 麗菜の動きは、あまりにも早かった。
 すっと手を上げたかと思うと、その中に光の弓矢、麗花と全く同じ物を出現さ
せた。いや、麗花のものより遥かに強い光に包まれている。
 避ける暇などなかった。
 それどころか麗花は何が起きたのかさえ認識出来ぬうちに、右足に鋭い痛みを
感じていた。
「くっ………」
 見れば麗花の右足の付け根近くに、光の矢が刺さっていた。
 放つ瞬間を見切ることは適わなかったが、麗花とて麗菜同様に自分の身体を朧
の力で包み込んでいた。麗菜の胸に刺さった矢は、そのように見えていただけで
実際は矢尻から身体に触れた部分が朧の力に吸収されていたのだ。だが麗花の受
けた矢は、朧の防壁を突破しその肉体に刺さったのだった。
 実在する物質ではない、朧の力を具現化した矢は、物理的な力で抜き取ること
は出来ない。傷を負った後ではあるが、やはり朧の力で吸収して消滅させるしか
ない。麗花はそのためにと、意識を集中させる。が、
「無駄よ」
 麗花の意識が集中されるより早く、麗菜の能力が発揮された。
 ぼん、と鈍い炸裂音とともに麗花の肉が飛び散る。右足に刺さっていた矢が、
小規模な爆発を起こしたのだ。
「………」
 声にならない苦悶。
 右足を失った訳ではない。だが矢の刺さっていた周辺の肉が、ごっそりとえぐ
り取られてしまった。大量の血が流れ出す。気力を振り絞ってはみるが、物理的
に足は身体を支える力を失っており、麗花はその場に蹲ってしまう。
「これで本当に、あなたの勝ち目はゼロになったわ」
 麗花の前に現れてから、麗菜は半歩たりとも動いてはいない。にも関わらず、
麗花は異形との戦いでも受けたことのない、大きなダメージを負ってしまった。
「その気になれば、いまの一発であなたを吹き飛ばすことも出来たのよ。なぜそ
うしなかったのか分かる?」
 初めて麗菜が動く。
 ゆっくりと、ゆっくりと、麗花へと歩み寄って来た。
「もう一度チャンスをあげる。こちらに来なさい………そうすれば私たち兄妹、
昔のようにいつまでも一緒にいられるのよ」
 傷口に充てた麗花の手に、どろっとした血の感触とは別の硬いものが触れる。
骨のようだ。足は失われていないが、使いものにもなりそうにない。この状態で
は再び立ち上がって、麗菜に矢を撃つことは出来そうにない。それを知っている
からこそ、麗菜は静かに近寄って来るのだ。
「考えても………いい、かもね」
 消え入りそうな意識を懸命に保ち、気丈にも麗花は麗菜を見上げて笑う。相手
に気づかれぬように力を集中させながら。
 ふら、と麗菜の姿が揺れ、霞む。
 肉食獣に喉笛を噛みきられた草食獣は断末魔の瞬間、至上の快楽を得るのだと
聞いたことがある。出血のためだろうか、足の痛みは薄れ、えも言われぬ心地よ
さが麗花の身体を包み始めた。
 死が訪れようとしているのか。
 いや、そうではない。
 消えゆく痛みに代わり何か別のもの、身体の奥から大きな力が湧いて来るよう
な気がする。そして激しい衝動。殺意。
 麗花の人としてのタイムリミットが迫っているのだ。




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