#4438/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/ 2/28 11:19 (199)
そばにいるだけで 20−8 寺嶋公香
★内容
「まあね。それでさ、お見舞いに来てくれたのは嬉しいんだけど、朝来てまた
放課後来るなんて、思っていなかったわ」
「久仁香が退屈してるだろうと思って。それに心配事があったら、ぐっすり眠
れないでしょうし」
ウィンクする純子に、井口はしばらくきょとんとして瞬きを繰り返した。
「言われた通り、下駄箱に入れたからね。安心召されよ」
「……やだなあ、純子」
純子から外した視線を、自分の被る布団の表面に落とす井口。といっても、
布団が見たいわけではないだろう。耳の辺りが赤くなっていた。
「ありがとね、とりあえず」
「どういたしまして。それからね」
今日相羽にプレゼントした中に本命がいるらしいと、教えてあげようと考え
た純子。
(……待って。言っていいのかな、これって? 相羽君は私に教えてくれたの
よね。それを勝手に漏らすのはいけないことなんじゃあ……。
それに、喜ばせるのはいいけれど……去年のバレンタイン、相羽君は本命か
らもらえなかったみたいなんだから……去年あげた子の中にはいない可能性の
方が圧倒的に高い)
「純子、何?」
「えっと……今年も相羽君、たくさんもらってたわよ」
「わぁ。言われなくても想像してたけど……改めてライバル多いって意識しち
ゃう。頑張らなくちゃ」
純子が最初の思惑とは別の答を返したことに気付くべくもなく、井口は意を
強くした様子。
「その分なら、すぐによくなるね」
「うんうん。休んでなんかいられない、なーんちって」
おどける友達につられ、純子も声に出して笑った。
「じゃ、明日ね。調理部の活動、あるんでしょう?」
「もち。終わる頃に来てよ。今日のお礼に、私から特別たくさん試食させてあ
げるから」
「味は大丈夫?」
「あ、ひっどーい。何だか頭痛がきつくなったような……」
こめかみに指を添える井口に対し、純子は肩を大げさにすくめた。
「関係ない気がするんですけどね」
「えへへ。ま、そういうことで。……純子。本当に今日はありがとう」
ついさっきまでの冗談めかした態度を消し、改まった口調になる井口。
「お礼なんかいいのに。とにかく風邪を治して学校に来ること、だね」
純子は井口の鼻先をちょこんと指差してから、腰を上げた。
そして二月十五日。
(久仁香も治ったし、天気はいいし)
朝からご機嫌の純子。本人もその理由はよく分かっていないけれど、とにか
く陽気な心持ち。
ところが−−抜けるような青空とは裏腹に、教室に入ってきた相羽はどこか
ら見ても浮かない顔をしていた。
顔だけじゃない。肩を落とし、うなだれている。足取りも普段より重い感じ
がする。何よりも、彼の回りの空気−−雰囲気が重たく、暗い。
これには気分晴れ晴れだった純子も、声を掛けるのがためらわれて。
(珍しい、学校であんな様子を見せるなんて。……小説の話、どうしよう)
純子の心配は杞憂に終わった。と言うのも、隣の席にたどり着いた−−そう、
まさしく漂着した風に寄り掛かった相羽が、その直後、プリントアウトした物
を差し出してきたからだ。
「昨日約束したやつ。結末は抜いてあるから」
「あ、どうも」
何だか調子が狂う。
受け取った紙の束を持ったまま、相手をしげしげと見返してしまった。
相羽の方は、そんな純子の態度に気付いていないのか、ぼーっとした目をし
て頭をかいている。いつもの涼しげな印象を合わせ持つぼんやり目つきではな
く、ショックを受けてあたかも放心しているかのごとく、焦点が定まっていな
いようだ。
「相羽君……?」
「はい」
返事はやけに素直だ。響きが丁寧すぎると言っても過言でない。
「どうかしたの? 何か変よ」
「そう?」
「寝不足なんじゃない?」
「ああ、それはあっても……おかしくないな」
返事するのがしんどいのかもしれない。相羽の口振りが切れ切れになる。
(絶対に変!)
どう接していいのか分からず、腫れ物に触る直前の指みたく、言葉をまごつ
かせる純子。
と、唐突に相羽が言った。
「訂正しておかなきゃな、涼原さんには」
「……何を?」
「昨日言ったこと。……今年のバレンタインでもらった中に本命が」
「ちょ、ちょっと」
焦りのあまり、腰を上げて両手を振る純子。
「言っちゃっていいの?」
相羽の一つ向こうの席を見やると、白沼は不在。とりあえず安心できたが。
「ああ、そっか」
相羽はゆっくりと首を縦に振って、「やめた」と付け加えた。
「あとにしよう」
「そ、それがいいわ。あはははは……はぁ」
疲れてしまって、がっくりと頭を垂れる純子だった。
(一体何なのよー? 何で私がこんなことで気苦労しなくちゃいけないわけ?
もう、早く普通に戻ってよ!)
一くさり、心中で文句を並べ立ててから、改めて考えてみる。
(それにしても、もらった中に本命がいると言ったのを訂正するなんて? 本
命からもらっていなかったってことかしら。本命と思っていた相手から義理チ
ョコをもらったという場合もあるけれど)
頭を悩ませていると、白沼の甲高い声が聞こえてきた。
「はーい、相羽君っ。昨日のチョコレート、食べてくれた? おいしかった?
感想、聞かせてくれるかしら?」
……くじけていないようである。
知らない人が見れば、この日は相羽にとって厄日だったに違いないと思った
だろう。
授業中も休み時間も、はたまた給食やホームルームのときも、相羽は心ここ
にあらずといった雰囲気が強かった。純子達女子は直接見たわけではないが、
体育の時間も失敗を何度か重ねたそうだ。先生に指名されて、まともに答えら
れなかったことも都合三回。これまでにない珍事である。
当然、不審に思った男友達が集まって、「どうかしたのか?」と聞いてくる。
「別に。大した話じゃない」
そんな答を繰り返して納得させていた相羽だが、隣の席の純子は、そのあと
に彼がつぶやくのも聞いてしまった。「大したことだよなぁ、やっぱ」と。
(そ、そりゃあ、本命からもらえなかったのでがっかりするのは理解できるけ
れど……少し大げさすぎやしない?)
腑に落ちないまま、放課後を迎えた。
気になって仕方なかった純子は、調理部の活動を最初から見学させてもらう
ことにした。南部長を初めとする諸先輩方の快諾を得て、簡単な手伝いをしつ
つ、それとはなしに相羽を気に掛けておく。
彼はさっきまで、同級生には「ありがとう」、先輩には「おいしくいただき
ました」という挨拶をしていた。言うまでもなくバレンタインのお礼。
「純子のおかげで、出遅れずにすんだわ」
「よかったね」
隣で卵白を泡立てている井口に、純子は微笑みかけた。相羽を横目で注視し
つつ、友達と会話をするとなると、純子の手はお留守になりがち。
そこを町田に指摘された。
「ほれほれ。手を動かすんだよ、純」
「あ、はいはい」
その一方で、井口が今度は富井を相手に賑やかにお喋りしている。
「−−久仁ちゃん、昨日休んでさぞかし残念がってると思ってたら、純ちゃん
に頼んでたんだねえ。知らなかった」
「それはもう、逃せないチャンスだからね」
井口がはしゃぎ気味に答えるのには、普段元気な富井もいささか押された模
様。
「病み上がりに見えないよー、久仁ちゃんてば」
「執念のなせる業だわ」
町田がからかい口調で言って、笑いが起きる。
その笑い声が収まる頃に、軽快なメロディが小さく聞こえてきた。
「……相羽君?」
みんなで気付いて、相羽の方を見る。
あの沈んだ様子はどこへやら、鼻歌混じりにいちごのへた取り作業を続ける
彼の姿があった。
「随分機嫌がいいねぇ。相羽君、何かいいことあったのかな?」
よほど奇妙に映ったのかもしれない。南までが気になって話しかけてくる。
「いえ。疑問が解決したって言うか……とにかくすっきりしたので」
鼻歌はやめたが、今の相羽は満面の笑みを見せていた。朝との違いの大きさ
に純子は驚くのを通り越して、不思議ささえ感じてしまう。
(どうなってんのよ、全く)
嘆息して、でも気楽になった。このあと図書室で、今朝の話の続きをする約
束ができているのだ。相羽があの調子なら、ずっと聞き易くなるだろう。
部活が終わるまでずっと、相羽は上機嫌を保っていた。
図書室の隅の方の書架には、滅多に手に取る人がいない旧い文学全集や仏教
関係の写真冊子などが置いてある。
そんな書架の谷間に二人はいた。
「さあ、説明してもらいましょうか」
気分が軽くなったので、純子は強い態度に出る。
もちろん、図書委員でもあることだし、声は低く抑えているけれど。
(散々、振り回されたんだからね。これぐらい当然!)
「えっと。つまり昨日のバレンタインに、僕にチョコとか他のプレゼントをく
れた人の中に、本命はいませんでした−−ってこと」
「……それだけ?」
唇を尖らせる純子。朝方、耳にした分とほとんど内容が変わっておらず、不
満だらけだ。わざわざ場所を改め、二人きりになって聞くほどのことではなか
った気がしてくる。
「それだけと言われても」
「どうして勘違いしたのよ。昨日はもらえたって言ってたじゃない」
「……」
ぐ、と言葉に詰まり、片手で顔の下半分を覆う相羽。純子が一分近く待って
も、答は出て来ない。
「言いたくなかったらいいわ。無理に聞き出したいってわけじゃないから」
根負けした純子は頭を弱く振って、髪を指先でといた。
「それよりも、もっと不思議なことがあるのよね。さっきの部活のとき、急に
鼻歌なんか始めちゃって、どうかしたの?」
「あれは……」
「本命の子からもらえなかったと分かって落ち込んでいたのと、関係あるんで
しょう?」
「あるよ」
考え考え、焦れったいぐらいに間を取って応対する相羽。
「その……自分が勘違いした原因が分からなかったんだ。それが部活の最中に
やっと分かって、気分がよくなった」
「……原因は何だろうって、あれこれ考えていたの? ずっと?」
呆れた息をつく。そこまでするほどなのねと、感心していると言っていい。
次の瞬間、二人は同時に口を開いた。
「考えたというよりも−−」
「幸せな人ね、その相手って」
相羽は中途で口をつぐみ、見る間に顔を赤くして……くるっと背を向けた。
「何よ。どうしたの」
「そ、そんな恥ずかしい台詞、いくら僕でもまともに聞いてられないよ……」
「今さらよく言うわ。その人もそれだけ想われてて、義理チョコさえもくれな
いなんて、どうかしてるんじゃないのかな」
「……」
相羽は本棚の適当なところに手を掛け、深い深い、長い長い息をついた。肩
が震えているように見えるが、これは純子の気のせいかもしれない。
「相羽君。あんたねえ、今度は何?」
「−−涼原さん」
相手が不意に向き直ったため、純子は思わず、一歩後ずさり。左手の小指と
薬指が別の本棚に触れる。
「は、はい」
「僕が想っているのは」
相羽は強い口調でそこまで言って、一旦切り、唾を飲み込んだ。
(何を言うつもり? こんなところでいきなり?)
純子が心の中で身構える。相羽の口元を見つめる。
「す」
やがてその唇が動き出した。
−−つづく