#4434/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/ 2/28 11:14 (195)
そばにいるだけで 20−4 寺嶋公香
★内容
「とにかくさあ、純ちゃん、今よりもっと食べなきゃ」
「食べてるつもりだよ。郁江ほどは無理だけど」
「ひどーい。こっちは真面目にアドバイスしてるのに。一度滅茶苦茶に太って
から、一気にダイエットすれば胸が残るんだから」
「ダイエットに失敗したら目も当てられないね」
町田がからかうように言った。
「それに、太り方っていうのは十人十色で、上半身に肉が付かない人はいくら
やってもだめ」
「芙美、詳しいっ」
「そりゃあ長年、研究したからねえ」
本気かどうか、町田は得意げにうなずいた。彼女が言うと妙に説得力がある。
「五年生まではまな板だったから、これはいかんと思って色々と試した結果、
こうなった」
「はあ……」
純子は町田の胸元を見て、次に富井、井口と視線を移す。
「大先生に伺いますが、一番効き目があったのは?」
井口が面白おかしく尋ねると、町田はまた一つうなずいて、「そうだね」な
んてつぶやいた。
「さっきあった牛乳を毎日飲むことと、小さいときから大きめのブラをするこ
と。これよ」
「大きめのブラ?」
「胸の方が追い付こうとするのかな。サイズにぴったり合ったのを着ていたら
締め付ける感じになって、成長の邪魔になるとも言うし」
「なるほど……って、それなら何も着けない方がいいんじゃないの?」
納得しかけた純子だったが、矛盾点に気付いて指摘する。
町田は右手の人差し指を立て、ちっちと振った。
「甘い。もちろん何も着けないで大きくなる人はいるけれど、それはほとんど
遺伝によるものなのよ。−−郁は昔から大きかったよね」
「昔から食べてたからー、あはははは」
「でも、お母さんて胸が大きいんじゃない?」
「うん。そうだよね」
「お父さんのお母さん、つまりおばあさんも大きい方なんじゃないかと思うん
だけど」
「あ、そうそう! よく分かるわねぇ」
「でしょう? 郁は父親似か母親似かに関係なく、胸が大きくなる遺伝子をも
らっているのよ。−−純のお母さんは?」
「大きくはないけど、小さくもないと思う。おばあちゃんはどうかなあ。気に
したことない……大きくはなかったような……」
「そういうことよ、純。遺伝が期待できない人は大きめのブラを着けることで
形が整えられ、発達するの」
「……買った方がいいのかな、ブラジャー」
頬に右の人差し指を当てて、考える。最初は嫌がっていたのが、段々とその
気になってきた。
富井の家を辞去し、もうすぐ自宅が見える地点まで来たとき、純子は自転車
に乗った相羽と出くわした。
「よかった。いいところで会えた」
相手の来た方向から判断して、自分の家に用事があったらしいと想像できた。
「ひょっとして、私の家に来てくれてたの?」
「うん。誰もいなかったから、帰ろうとしていたところ」
「留守にしててごめんね。両親は買い物に出かけてるから」
「いきなり訪ねたこっちが悪いんだ」
純子と巡り会えたのでほっとしたのだろう、相羽は自転車を降りてゆっくり
した調子で話し出す。住宅街の道路とは言っても、占拠するわけには当然いか
ないから、端に寄った。
「電話で確認しとけばよかったなって、後悔してたんだよ」
「それで、どんな用事があるのよ?」
純子は早く帰りたい気持ちもあって、急かすように問う。
すると相羽は自転車の向きを換えると、手で押して歩き始めた。
彼を引き返させることに純子も少し心苦しかったが、何も言わずにありがた
く横を歩く。
「用事は仕事の話で……僕が伝えるのも変な気がするんだけど……AR**か
ら依頼あったよ」
「わぁ、久しぶり! それって服のモデルね?」
「当然。撮影予定は三月の第一日曜日。また寒い季節に春夏物を着てもらうの
は気が引ける……あ、こっちの話。涼原さん、やってみる気は?」
「どうしよう」
考えるためにうつむいて、立ち止まりそうになった。
相羽の肩が先に行くことはなく、純子の隣にずっといる。
「嫌なら嫌だって言ってくれ。遠慮や気遣いなんかいらない」
相羽の声が調子を変えた。随分、子供っぽい。
「嫌じゃないわ。やってみたら楽しいことばかりだったもん。ただ、まだ私っ
て、いい加減な気持ちでやってるように思えるの。もちろんね、引き受けたら
精一杯やる。これはこの前のコマーシャル撮影のときに決めたこと。でも、プ
ロで成功したいと思ってる人達に比べたら、自分はなんて気楽なんだろう……
って」
「そんなのが気になる?」
「なるわよ。この間ね、タレント募集の広告が新聞に出てたの。そこに『プロ
としてやっていく気のある人に限る』と書いてあった。そんなの、私はまだ決
められないもん」
「色んなことをやりたい−−ってこと?」
相羽が立ち止まって言った。気がつくと純子自身、歩みを止めていた。
「そう、それなの。だからモデルやるのだってアルバイト気分が抜けなくて、
意志が固まらない……そんな感じよ」
「じゃ、こう考えたらどうかな? モデルやタレントみたいな仕事ができるの
は多分、今だけでしょ。色んなことしたいんだったら、今しか楽しめないモデ
ルを精一杯やる。理屈に合ってるでしょ?」
「−−すごーい!」
目をぱっちり開き、相手を見返す純子。素直に納得してしまった。
「どうしてそんな前向きに考えられるの? 感心しちゃう。悩み相談の先生み
たい」
「大げさ。感心されるようなことじゃない」
失笑してから、もういいだろうとばかり、ゆっくりと一歩を踏み出した相羽。
純子は急ぎ、小さな歩幅でついていく。
「だけど、さっきのあなたの言葉で私、元気出たよ。やる気も出た。これまで
何遍も迷ったり決心したりを繰り返してきた気がするけど、今度こそ本物」
「本物のやる気が出たのは……まあいいか。母さんが喜ぶし」
相羽は手帳を取り出し、細かい用件を純子に伝えた。
純子の家の前まで来ても、モデルの話は続く。
「ここからが大事で……涼原さんが望むんだったら、ちゃんと事務所に入った
らどうかって、母さんが言ってる」
以前より持ちかけられていた話であるが、今は自分自身やる気になったばか
りだから関心もひとしお。
「事務所の所属になれば、仕事の話はそっちに直接行くようになるし、売り出
し方も全然違ってくるよ」
「もし入ったら、学校はどうなるのかしら?」
「それは売れ方次第でしょ。売れたら、恐らく学校を休まなければいけない日
も出て来るんじゃないか」
「そうなの? コマーシャルは放課後にちょっとずつやったわよ」
「あれは特別も特別で−−こんなこと言うと気にさせてしまうだろうけど、母
さんが頼んて、スタッフの人達に時間を作ってもらったんだって」
「そうだったのね」
身体の前で両手を重ね合わせ、うつむく純子。
(こんな迷惑かけてたなんて! せめて、宣伝の効き目がありますように……)
心の中で唱える純子へ、相羽の声が届いた。
「余計なことまで言って、悪い」
「え?」
「さっきと同じ話になるけれど、気にしないでいいんだってば。どうせ涼原さ
ん、また責任をずっしり感じてただろ?」
「どうしてそれを……」
純子が凝視すると、相羽はしっかりと見返してきた。
「分かるよ。とにかくそういう難しい話は抜きにしてさ、やりたいかどうかだ
けを考えてみてほしいって」
「すぐ決めるなんて無理だわ」
「結論は先でいいから。学校のことも考えなければならないだろうし、涼原さ
んのお母さんやお父さんとも相談しなくちゃいけないだろうしね」
「うん……。今度は反対しないの、相羽君?」
「ああ、それ、やめたから」
存外、軽い口調の返事に、純子は目を見張った。
その疑念を感じ取ったか、相羽の方はぼんやり眼になってとつとつと応じる。
「君の気持ちが一番重要だから。正直言って芸能人になってほしくないけれど、
事務所に入って本格的にやるなら応援するし、君の最初のファンには僕がなる」
「……」
聞いてて顔が段々と熱くなるのが分かった。
実際、純子の目元には左右とも朱が浮かんでいる。
純子は指先をそれぞれ当てた。
「う、うれしい。けど、恥ずかしいよ。よ、よく言えるわね、そんな台詞」
「平気で言えるよ。本当に思ってるから言えるんだ」
早い調子で述べると、相羽はぶるっと背筋を震えさせ、片手でもう片方の腕
をさする。
「これで話は終わり。えっと、確かめておくと、AR**の仕事は引き受けて
もらえる?」
「ええ、やるつもり。お母さん達とも相談するけど、ほとんど私の判断に任せ
てもらってるから大丈夫。そうお伝えしてね」
「りょーかい。はは、何だかマネージャーになった気分。それじゃ、さよなら、
涼原さん」
「うん。ばいばい、相羽君。気を付けてね」
自然に別れの挨拶を交わし、相羽の自転車が角を折れるまで見送った。
友人達の話に感化され、ブラジャーのことを一層強く意識したその日の晩。
純子はお風呂から上がると、早速試してみた。試すと言っても、昼間、下着
を買ってきたわけではない。
身体を念入りにタオルで何度も拭ってから、まずショーツを身に着ける。
「……」
脱衣所は一種の密閉状態であるから、誰からも覗かれる心配はない。それで
も純子は注意を払って、ひきだしを開けた。いつもならさっき使った一番下の
段にしか用はないのだけれども、今は違う。一つ上の段を引く。
「……これなんか」
若い感じがするかも−−そんなことを思いながら、純子はその水色のブラを
慎重な手つきで取り出した。
(お母さん、黙って借りてごめんなさい)
心中で唱える。見つかると、怒られるというよりも笑われそうな気がして、
嫌だ。
両手で左右に引っ張ってみると、やはり大きめだと分かった。胸のサイズだ
けの話ではなく、全体的に大きい。純子は決して小柄ではないが、子供と大人
の違いが当然ながらあった。
しばし考え、一応あてがってみようと決心。
洗面台の鏡に上半身が映っているのを自覚し、背筋を伸ばしてから、生まれ
て初めてのブラジャー(厳密さを求めるなら、セパレートタイプの水着を着用
した経験はあるが)をそっと当ててみた。
「いたっ」
純子が軽い痛みを覚えたのは−−残念ながら−−胸ではなくて、後ろ側。長
い髪を数本、背中の方で引っかけてしまっていた。
一旦外し、気を取り直して再挑戦。
今度はうまく行き、鏡の中の自分をじっと見据える。
だぶだぶ感は拭えないが、とにもかくにもブラジャーをして、ある種の満足
感みたいなものが心の内に生まれたような。
(何だか……顔、熱い。……似合ってないよね……。少なくとも友達がしてる
のと同じようなのじゃなきゃだめなのかしら)
ブラを外して丁寧に折り畳むと、元あったように仕舞い込んだ。
それからふと思い付いて、手ぬぐいを探す。白い手ぬぐい。
(−−あった。これ、雰囲気は似てるかも……)
端っこに細く青のラインが入った白手ぬぐいを軽くねじって、下着に模して
胸の前に持って来てみた。
(……違うよぉ)
思わず苦笑して、手ぬぐいを放り出す純子。
(こんなのでファッションモデルやったことあるなんて言っても、知らない人
は誰も信じないだろうな、きっと)
嘆息する。そこへ。
「純子、上がってるんでしょう? 何やってるの? 湯冷めしない内に早くな
さい!」
母の声にびくりとして、純子は「はいっ」と返事するや、急いでパジャマに
手を伸ばした。
−−つづく