#4421/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/ 2/10 22:36 (200)
翼をその手に 〜飛空競争〜 6 永山
★内容
まず、気配を窺う。
物音は聞こえてこない。幸いにも、今は誰も作業を行っていないらしい。
ノブを回した。音が、かすかにした。
「−−すげぇ」
再び、声が勝手に漏れ出る。
ドアを開いた先にあった作業場は、フィリオの想像を遥かに超えて、立派な
物だった。
短い階段を駆け降り、作業場全景を見上げる。
建てたばかりという理由もあるだろうが、金属がぴかぴかに光っている。フ
ィリオの家の裏にある納屋を利用した作業小屋とは、雲泥の差だ。
その屋根の下には、フィリオが初めて見る工具や機械が、いくつも転がって
いる。そう、実に無造作な風情で。
(設備は凄いけれど……あまり大事に使っている感じじゃないような。それが
金持ちの流儀ってやつなのかな)
自分を卑下するような思考に、フィリオは次の瞬間、激しく頭を振った。
(俺だったら、これだけの設備があれば、すぐにでも−−)
歯ぎしりする思いを抑え、フィリオは一歩一歩、中へと踏み込む。
製作途中にあるはずの空を飛ぶ乗り物を探すが、ともすれば、設備の充実ぶ
りに目を奪われてしまう。
(ないよなぁ、畜生)
そろそろ戻らなくては。そう焦りを感じた矢先。
「あ!」
それらしき機体の影が、視野の隅に捉えられた。そちらに駆け寄り、じっく
りと観察をしようとした。
二枚の大きな羽に回転翼。フィリオの飛空機とは全く異なる形状をした、黒
光りする機体が、ちらりと見えた。
そのときだった。
「−−何をしてるのかね、配達夫クン!」
響き渡った声は、あからさまなほどに嘲りを含んでいた。
フィリオは、見つかったことを悟ると同時に、その声の主が、最も見つかり
たくない相手であることも知った。
振り返って、迷い込んでしまってねと言おうとしたが、無駄だと思い直し、
口はつぐんでおく。ただただ、じっと相手−−ジェームズ=ウッドをにらむよ
うに見返してやった。
「おやおや」
執事を後ろに従え、ジェームズは階段を嫌みなほどにゆっくりと降りてきた。
右手にはステッキらしき黒い細身の棒を持っており、それを自らの左の手の平
に一定の調子で当て、音を立てている。
「これはこれは、誰かと思ったら。フィリオ=ハート君じゃないか」
「……」
まだ距離がある。と言って、逃げ出しても何もならない。どうすべきか、フ
ィリオは考えていた。
「どうした? 久しぶりの対面だと言うのに、つれないじゃないか。返事もし
てくれないのかね、ええ?」
「……チーズはお口に合いましたでしょうか、伯爵様?」
「き、貴様!」
フィリオの挑発に、ジェームズは瞬時にして顔を真っ赤にした。口調も、街
のごろつきのように荒っぽくなる。
「俺は子爵だ! 間違えるな!」
「あ、そいつは、失礼を。俺にとったら、子爵も伯爵も似たようなものでして、
分かりませんでしたよ」
精一杯、嫌味を言ってやるが、この窮地を言い抜ける妙案は、ついぞやって
来ない。フィリオは覚悟を決めた。
目線を外し、うつ向きがちにしたフィリオに対し、ジェームズは舌なめずり
をしてから始めた。
「ふん。乳製品を持って来たのがおまえだと聞いて、何かあるなと思ったら、
案の定だったな。ちょうど昼食時に来たのは、作業が中断していると見込んで
の、計算尽くか? 俺の『迎神機』の構造を盗むために」
「げ……げいしんき?」
聞き慣れない単語に、目を細めて聞き返すフィリオ。
ジェームズは得意げに言い放った。
「おまえの言うところの飛空機だ。俺の飛空機の名前が、迎神機なのさ。どう
だ、高貴な名称であろう」
「……」
「さて、フィリオよ。このことをどう説明してくれるのかな」
二人の間の距離が、いよいよ狭まった。
フィリオは唾を飲み込み、改めて覚悟を据えると、口を開く。
「ジェームズ……子爵様。はっきり言わせてもらいましょう。あなたの迎神機
は恐らく、飛ばない」
「はっ!」
鼻で笑うと、肩を震わせたジェームズ。いつ、ステッキがフィリオに打ち下
ろされても不思議ではない様子だ。
「どんな言い訳をするかと思いきや、いきなり、何だそれは? 貴様、自分の
やったことが分かっているのか?」
「俺は他人の機体を壊しなんかしない」
「な、何だと? 言いがかりか、今度は?」
そう言いつつも、ジェームズの物腰はいくらか勢いをなくしていた。やはり、
やましい点があるらしい。
「盗み見たことはいくらでも謝りますよ、子爵様。どんな罰を受けたっていい。
だけど、これだけは聞いていただきたい。あの乗り物は、地面を跳ねるだけだ。
飛び上がったとしても、すぐに落ちる」
「……庶民風情が、増長するなっ」
ステッキの先をフィリオの顎へと突き付けるジェームズ。
「この間、たった一度、ほんの少しの時間、宙に浮かんだだけで、思い上がっ
ているな、フィリオ。迎神機を設計したのは、一流大学出身者だ。それも二名。
おまえごとき若造がやって、あれだけできたこと。優秀な学者が本気でかかれ
ば、スープをスプーンですくうよりも簡単にできるわ」
「しかし」
「ははあ、分かったぞ」
フィリオの反論には耳を傾けず、ジェームズはほくそ笑んだ。
「おまえ程度の頭なんかでは、想像もつかないのだろう。あの構造がどれほど
素晴らしいかをな! せいぜい、ほざいておればいい。いいか。あと十日もす
れば、迎神機は完成する。そうして、俺は自由に空を飛ぶのだ」
「ジェ……子爵様自身が乗り込む?」
信じられない思いで、目を見張るフィリオ。
ジェームズは当然とばかり、強くうなずいた。そして親指を自らの胸に当て、
フィリオへの敵意を剥き出しにする。
「この俺が、おまえを負かさねばならんのだ。いいな。俺は、おまえなんかに
は決して負けない。負けるはずがない」
フィリオは黙って聞いていた。
思った通り、ジェームズの狙いがアリスにあるのだと確信しつつ、その一方
で、ジェームズを哀れに思う感情さえ湧き起こる。
(無茶だ。下手したら死ぬぞ? くそ、設計した人に会って、話を聞きたいぜ。
だが、そんなこと言っても、受け入れられるはずないしな)
歯噛みしている内に、フィリオの顎先から、ステッキが引かれる。
「去れ」
「え?」
「今日のところは見逃してやる。さっさと去れ。二度と、我が敷地に入ってく
るな!」
怒鳴り散らされても、言い返す気はフィリオにはなかった。
ほっとする反面、迎神機の危険性を伝える術が消えることに、焦りを感じ始
めていた。
「腹が減った。とんだ珍客に、昼飯が途中なんだ。忌々しい」
嫌味に言い捨てると、ジェームズは背中を向けた。その背後に、影のように
付き添う執事。
その瞬間、フィリオは、はたと閃き、ポケットから鉛筆とヨーグルトの容器
を取り出した。その底に、急いで走り書きをする。
「ああっと、執事さん」
「−−何ですか」
疎ましげに振り返った執事の鼻先へ、ヨーグルトの容器を差し出す。ジェー
ムズはとうに、姿を消していた。
「最後の一品です。これで今日の配達、終わりました」
「あ、ああ……ご苦労」
戸惑い気味の執事の横をすり抜け、フィリオは言った。
「存分に味わってください。特に、ヨーグルトを」
「またさぼってる!」
潅漑池のほとりで、横になって空を見つめていると、不意にアリスの顔が視
界に入ってきた。
「さぼってなんかいないよ。考えてるんだ、空を飛ぶことを」
頭と頭がぶつからないよう、身体の位置をずらすと、上体を起こしたフィリ
オ。地面に両手を突いたまま、かすかに笑ってみせる。
「本当に?」
まだ疑わしげなアリスは、手に篭を持っていた。
「アリス、何か用事があるんじゃないの、その様子だと?」
「お使い。今行ってきたところだから、もういいの」
「遅くなったら、まずいだろ」
「まだ平気だってば。それより、何を考えていたのか、具体的に聞かせて」
どうやら、フィリオがぼけっとしていたものと信じ込んでいるらしい。
フィリオは片手で頭をかいた。
「参ったな。分かった。正直に話すよ」
ありのままを伝えるフィリオ。
ジェームズの別荘屋敷に行き、作業場を覗き見したこと。そこにあった機体
が、とても飛べそうにない代物であること。そのことにジェームズが全く気付
いていないらしいこと……。
「どうすればいいと思う?」
全てを話してから、フィリオは意見を求めた。
「それより……無茶苦茶するわねえ、フィリオったら」
「待ってくれよ。この案を出したのは、元々は君だぞ、アリス。それをどうこ
う言われるなんて、心外だな」
「それはそうだけど。配達に行っただけで、そんな中まで入り込もうなんて」
「いいから。僕は、ジェームズは嫌いだが、人が怪我をしたり死んだりするの
は見たくない。だから、どうにかして機体が欠陥だらけだって、知らせたいん
だが……その方法がない」
「本当に飛ばないの、その……迎神機?」
アリスは基本的な点から確かめようとしているようだ。それを受けて、丁寧
に教えるフィリオ。
「僕のこれまでの経験に照らし合わせると、まず、間違いなく飛ばない。簡単
に言えば、迎神機は、東洋のどこかで発明された『竹とんぼ』というおもちゃ
に、大きな翼を二枚着けた感じの構造なんだ」
「たけとんぼって?」
「何て言えばいいのかな。一年ぐらい前に、新聞の片隅に記事が載って……。
捻りを持たせた竹を、木の軸に……こういう形なんだ」
草原の中、土が剥き出しになっている部分へ、小枝で絵を描くフィリオ。
「ふうん?」
絵を見たアリスは、それがどうしたのという風に、不思議そうな目をした。
「これ自体は、飛ぶんだ。造ってみたから確かだ。だけどね、これを大きくす
ればいいって物じゃない。強度や姿勢制御の問題もあるし、持続性もない」
「でも、飛ぶことは飛ぶのね?」
「ああ、多分。ばかみたいに強力なエンジンを使えば。
だけど、それ以上に問題があるのは、翼の方だ。ちらっと見ただけだったけ
ど、翼の根元は動力部に連結されていたみたいだ。つまり、翼を上下に羽ばた
かせて、飛ぼうという魂胆らしい」
「いいじゃない。鳥や蝶々は、羽根をぱたぱたさせてるわ」
「アリス、だいぶ前に言ったこと、覚えてないかい?」
フィリオは苦笑した。
「真っ平らの板を闇雲に羽ばたかせたって、絶対に飛びっこないんだよ。鳥の
羽は、もっと複雑な仕組みをしている。観察してみて、よく分かった。あれを
再現するのは、よほど精密な機械を造らない限り、無理だ」
「子爵様の機械は、そうじゃないって言うのね」
「そうだよ。あの翼は、ただの板だった」
確信を込めてフィリオが言うと、アリスはやっと納得してくれた様子だ。数
度うなずき、笑みを含ませた目線をフィリオに送ってきた。
「凄いね、フィリオ」
「え、何が?」
「ほんの一瞬、子爵様の機体を見ただけで、そんなことまで分かるなんて。こ
れまであなたが一生懸命やってきたことが、よく分かる」
「よ、よせよ。僕には、これしかないみたいなものなんだから、当たり前さ」
照れてしまう。フィリオは顔を手の平でひと撫でした。
「そんなことよりも、ジェームズに知らせる方法だよ」
「そうねえ……私が言ってみようか」
「だ、だめだめっ」
フィリオの慌て口調に、アリスは意地悪げに、そして楽しげに笑った。
「そうね。私が子爵様のところに行くの、絶対に反対だもんね、フィリオ?」
「わ、分かってるんなら、言わないでくれ、そんなこと」
口を尖らせて注意しながらも、フィリオは内心で思った。アリスにはまだま
だかなわない、と。
−−つづく