#4407/5495 長編
★タイトル (RAD ) 98/ 2/10 22: 5 (198)
翼をその手に 〜夢の始まり〜 4 悠歩
★内容
「ぷはっ」
水面に顔を出し、フィリオは肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
それから岸に向かって泳ぎ出す。その肩にはロープの束が巻かれていた。
「どうだった? フィリオ兄ちゃん」
岸で待っていた少年の一人が、フィリオからロープの束を受け取る。
「ああ、後部はもう使えないな。翼もダメだ。けどエンジンを積んだ前の方は、
なんとか無事だったよ………ああ、ありがとう」
白いエプロン・ドレスの少女が、タオルを渡してくれた。パンツ一枚だけの姿
のフィリオは、どこか小さい頃のアリスに似た少女に礼を言い、受け取ったタオ
ルで濡れた身体を拭く。
もしこの少女がいなければ、フィリオは素っ裸で泳いでいただろう。さすがに
子どもとは云え、女性の前でそれは、はばかられた。
「にしても助かったよ。ポールさんにさんざん頼み込んで、譲ってもらったエン
ジンだからね。こいつがダメになると、もう二度と手に入らないかも知れない」
村には旧型のトラックが二台あるだけ。そのトラックも完全に修理が不可能な
状態になるまでは、使われ続けるだろう。まだ動く状態の、貴重なエンジンをフ
ィリオが手に入れることが出来たのは、奇跡にも等しかった。
もっともそのために、フィリオの毎月の小遣いのほとんどを払い続けてもまだ
足りず、出世払いの大きな借金を背負い込むことになった。
「さあ、悪いけどみんな、手を貸してくれるかい」
フィリオが言うと、六人の男の子たちが周りに集まり、ロープを手に掴んだ。
池に伸びたロープは、沈んでいる飛空機の前部に結びつけられている。これで
エンジンを積んだ部分を、引き揚げようと言うのだ。
「ちょっとまって!」
先程の少女がフィリオに近寄り、首に掛けてあったタオルを取った。
「フィリオ、まだぬれてるわ。ちゃんとふかなきゃ、だめでしょ」
まるで子どもを叱りつけるように言いながら、少女はフィリオの背中を拭いた。
そんな態度も、幼い頃のアリスと似ている。
少女の厚意を無にしてはいけないと思い、されるがままになっていたフィリオ
だが、どうにもくすぐったい。しかも一度身体を拭いて湿たタオルでは、少女が
頑張ってみても、なかなかはかどらないらしい。
「おい、レベッカ、いいかげんにしろよ。そんなの放っておけば、すぐ乾くだろ。
フィリオ兄ちゃんだって、迷惑そうじゃないか」
なかなか引き揚げ作業に入れず、じれていた少年の一人が乱暴に言った。
「なによ、タオルはこれ一本しかないんだから、しかたないでしょ。ねぇ、フィ
リオ、わたしが背中をふいてあげるのは、迷惑かしら?」
つん、と小さな顎を上げた、おしゃまな態度で少女が訊いてきた。
「いや、その、ぼくは迷惑なんかじゃないけど………」
レベッカの気勢に圧されたフィリオには、そう答えるしかない。
「ほら、聞いた? やっぱりフィリオは、あんたなんかと違って、おとなよねぇ」
いったいどこで、そんな仕種を覚えるのだろう。少女は腕を組み、顔は上げた
まま見下すような視線を少年へと送る。
「へん! フィリオ兄ちゃんは、レベッカみたいなガキにまとわりつかれて、迷
惑だってさっ!」
負けじと少年も強気な態度をとるが、傍目には気圧されて見える。
「あーら、あんたみたいな子どもには、わたしの魅力は分からないでしょうねぇ」
少女は両手で長い後ろ髪を、かき分けて見せる。フィリオには、背伸びしたそ
の姿がおかしく感じられたが、笑う訳にはいかない。ここはぐっと堪える。
「ばっかじゃねーの。おっぱいもないくせによ!」
「なによ! あんただって、おちんちんに毛が生えてないでしょ!」
どうにも話が、変な方向へ行ってしまったようだ。レベッカと言う少女は、ア
リスが同じくらいの年齢の時よりも、遥かに気が強い。
このまま口げんかを続けていても、少年の旗色が良くなることはないだろう。
ただ、言い負かされていても、少年は決して手を出そうとしないことに、フィリ
オは感心していた。
「まあまあ、レベッカも、アルフもそのくらいにしてさ。そろそろ引き揚げを手
伝ってくれないかな? ほら、他の子たちも待ちかねてるしさ」
フィリオの指し示す先には、呆れ顔をした少年たちがいた。目の前で起きてい
る騒動には全く関心を示さずに、大あくびしている者もいる。
この二人の喧嘩は日常茶飯事で、少年たちにとり、そしてフィリオにとっても
見飽きたものなのだ。喧嘩を仲裁しようが、煽ろうが、どうせ一時間もしないう
ちに何事もなかったかのように、仲良くなっているのだ。
「ごめんさい、フィリオ。わたしのことは気にしないで、引き揚げをはじめて」
一人前の淑女のような笑顔を見せて、レベッカは後ろへと下がった。
アルフはバツが悪そうに頭を掻きながら、他の少年たちに混じってロープを握
った。
幸いなことに飛空機の沈んでいた場所から、岸まで池の底は滑らかで、岩や倒
木などもなかった。引きずった飛空機が盛り上げた泥が邪魔になることもあった
が、その度にフィリオは水に潜り、道を拓いた。
多少の時間は掛かったものの、エンジンを積んだ飛空機の前部は、無事引き揚
げられた。
ぶぶぶぶぶ、ぶるるるる、ぶるるるる。
水に浸かっていたため、スムーズには動かなかったが、エンジンは死んではい
なかった。
「どう? フィリオ兄ちゃん」
「ああ、手入れさえすれば、使えるようになりそうだ」
フィリオが答えると子どもたちの間に、おお、と言う歓声が沸き起こった。
「けど、他の部分、機体はほとんど作りなおさなきゃならないし………しばらく
は時間が掛かりそうだな」
「しかたないよ。ぼくらに内緒で、飛空機の実験をしたばつさ」
一人の少年が笑いながら言った。他の子たちも同調して、口々にフィリオを非
難する。しかし、本気で怒っている者はいない。
「悪かったよ。そのことは、本当に謝る。次に飛空機を飛ばすときには、必ずみ
んなにも知らせるから………ところで、あの子は君らの友だちかい?」
フィリオは先程から気になっていた少年の方を見ながら、他の子たちに訊いた。
その少年は、少し離れた場所で木の横に立ち、こちらを窺っている。フィリオと
目が合うと、少年は木の陰に隠れてしまった。
「さあ、知らないなあ………ここ二、三日前から見掛けるけど。あの恰好は、ぜ
ったい村の子じゃないよ」
確かにその少年の服装は、村の子どもたちとは明らかに違っていた。村の子ど
もたちなら数年に一度、街に行くときにしか着ないような、いや遠目にもそれ以
上と分かる服を身に着けている。
「きっとさ、子爵さまんちの子じゃないかな?」
少年の一人が言った。間違いはないだろう。
それほど大きくないこの村で、全く見覚えのない者がいるとしたら、それは外
から来たのだと思っていい。最近商人や旅行者がやって来たと言う話は聞かない
し、第一その手の者の中に子どもがいることは稀である。いまこの村にいる、外
からやって来た者と言えば、高台のウッド子爵家に関係する人たちだけである。
そしてこちらを窺っている少年の服は、とても使用人が着るものには見えない。
「ねえ、あの子、みんなの仲間になりたいんじゃないかしら?」
そう言ったのは、レベッカだった。
「えーっ、でもさあ。やばいんじゃない? 子爵さまんちの子と遊んでさ、なん
かあったら、どうするんだよ」
「なによ、あなたは反対なわけ?」
消極的な意見を言った少年を、少女が睨み付ける。
「別に、反対ってわけじゃないよ………」
睨まれた少年は、慌ててそう言い直す。他の子たちも不承不承の感はあるが、
それぞれ仲間にしてもいいと、口にした。さすがに男の子たちに混じって遊んで
いるだけあって気の強い少女に、反対をする者はいない。
「じゃあ、決まり。いいでしょ? フィリオ」
「ああ、みんながいいって言うのなら、ぼくも構わないよ」
フィリオが答えると、誰が指名した訳でもないのに少女が代表となり、少年の
方へ歩み寄って行った。
そんなレベッカの背中を、ただ一人、アルフだけが面白くなさそうに見つめて
いる。
何となくその気持ちが分かるフィリオは、つい苦笑してしまった。
「きみ、名前は?」
少女によって、強引に手を引かれて来た少年は名前を尋ねられても、ただ恥ず
かしそうに俯いているだけだった。
「ねえ、名前を教えてくれないと、友だちになれないわ」
「ケ、ケビン………ケビンです」
少女に肩を叩かれて、ようやく少年は名乗った。
「俺はアルフ。よろしくな、ケビン」
最初にケビンに向けて右手を差し出したのは、一番不満そうにしていたアルフ
だった。
ケビンはしばらくその手と、女の子のように白くて細い自分の手とを、見比べ
た。
「なんだよ、ケビンは握手を知らないのか?」
「えっ、握手?」
「あ、ごめん。俺の手、汚れてるもんな」
アルフの手には、泥でロープの跡がくっきりと残っていた。それに気が付いて、
アルフは手を引っ込めようとする。
「そんなの、へいきだよ」
下げられようとしていたアルフの右手を、ケビンが両手で握りしめる。そして
がっちりと握手を交わした後、相手と同じように泥で汚れてしまった手を見せて、
ケビンは笑った。
「ほら、これでいっしょだよ」
それが何かの合図になったように、他の子どもたちも先を争って、ケビンに握
手を求めた。
「あーあ。最初にケビンに声をかけたのは、わたしなのに。ケビン、わたしと握
手するときは、ちゃんと手をきれいにしてね」
両手を腰に充て、ため息混じりにレベッカが言った。
強くなった陽射しを避けるため、フィリオたちは木陰の草の上に腰を下ろして
いた。
「あの、フィリオさんたちは、なにをしていたんですか?」
エンジンのむき出しになった、元は飛空機であった物の一部を見つめながら、
ケビンが訊いてきた。それが何であるのか知らないケビンには、得体の知れない
ガラクタにしか見えなかったのだろう。
「フィリオさんって言うのは、ちょっとくすぐったいな。みんなと同じように、
『お兄ちゃん』か、呼び捨てでいいよ」
もっとも、子どもたちの中でフィリオを呼び捨てにするのは、レベッカだけだ
ったのだが。
「これはね、飛空機だよ。失敗して、こんな有り様になってしまったけどね」
「飛空機?」
「『彼の者、羽ばたかぬ巨大な鳥に跨りて天に舞う。百の風呼に導かれ神の住ま
わる地を目指し、二つの月よりも更に高く』って知ってる?」
得意げに話したのはレベッカだった。
「えっと、それって神話に出てくる、イルナスの話ですよね」
「お兄ちゃんは、その『羽ばたかぬ鳥』を作ろうとしているのさ」
「えっ?」
「そうだ、ケビンにも見せてあげよう」
フィリオは傍らに置いていた、大きな袋の中から木と布で出来た、飛空機の模
型を取り出す。
「なんですか、それ。羽を広げた鳥にも、似ているけれど」
「だから、『羽ばたかぬ鳥』さ」
フィリオはウィンクをしてみせる。
まだよく話が分からないといった顔のケビンに、「見ていてごらん」と告げ立
ち上がる。
これからフィリオが何をするのか、分かっている子どもたちも、分からないケ
ビンも、期待に満ちた眼差しで見つめる。
『羽ばたかぬ鳥』を手に、フィリオは風を待つ。
ざあっと、音がして向こうの方から草が波を刻む。
風下へ、『羽ばたかぬ鳥』を放つ。
風に乗り、『羽ばたかぬ鳥』は空を進む。
けれどそれは、木の葉が風に運ばれるのとは違っていた。それ自身が「飛ぶ」
という意識を持っているように、風を捉えている。そう、鳥が自らの意志で風に
乗るように。
ケビンは驚愕と喜色の混ざった眼差しで見守る。これまでに幾度か、それを目
にしている他の子どもたちは、そんなケビンをおかしそうに見ている。
『羽ばたかぬ鳥』は15ミットを滑空し、静かに草地の上に降りた。
すると、ケビン以外の子どもたちが一斉に駆け出して、『羽ばたかぬ鳥』へ向
かった。そして真っ先に着いた少年がそれを掴み、フィリオの元へ戻ってくる。
「はい」
「ありがとう」
フィリオは少年から受け取った『羽ばたかぬ鳥』を、ケビンへと渡す。
声もなく立ち尽くしていたケビンは、無言でそれを受け取り、じっと見つめる。
「ぼくは、考えたのさ。神話で言う『羽ばたかぬ鳥』とは、本物の鳥じゃなくて、
人を乗せて空を飛ぶ乗り物じゃないかって」
「じゃあ、フィリオさ………いえ、お兄ちゃんはイルナスがこれに乗って、飛ん
だって?」