#4329/5495 長編
★タイトル (RAD ) 97/12/24 2:10 (200)
『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(59) 悠歩
★内容
「あれが、私の故郷………」
マリアは胸が熱くなるのを感じた。覚えてはいない、覚えてはいないのに、懐
かしい。ただ見ているだけで切ない涙がこぼれ、心が穏やかになって行く。
始めて宙(そら)から地球を見たときに感じた憧憬は、マリアの心の奥底に封
じられていた故郷のイメージと重なったからなのかも知れない。
「進んだ文明と、自然とが素晴らしい調和を保った、まさに理想郷と呼ぶに相応
しい星でした。高い文明を持ちながらも、そこに住む人々は常に更なる知識を欲
していました。
そして、彼らはその知を、広い宇宙に求めたのです。
自分たちの代、その子たちの代まででも、宇宙の知識を全て手にすることは不
可能だろう。けれど何千世代、いえ何万、何億世代も先の子どもたちのためにも、
いまから調査を始める価値はある。そう考えたのです。そして1000機の宇宙
船が造られました」
「それが、ママたちなのね?」
ママはこくんと頷いた。
抱っこされた女の子は、胸に顔を押し付けて笑ったり、ママの髪の毛をつんつ
んと引っ張って喜んだりと、一人遊びを続けている。
「命を持たない私たちは、宇宙に存在するエネルギーを糧に、無限の時間を調査
に使えます。けれど所詮は機械。機械的な調査しかすることは出来ない。可能で
あれば、より人間的な目で調査をする者があればいいのではないか? 彼らは、
各宇宙船に調査員を乗せることを考えました。
そして選ばれたのが、一人の女性です。より純粋な心を持った彼女の目を通し
た調査は、きっと未来の子どもたちの役に立つ。皆はそう思いました」
「私………それ、マリアでしょ?」
「いいえ、厳密には違います。いまも言ったように、私たちは事故さえなければ、
いつまででも旅を続けられます。実際にはもう、1000機のうち178機しか
残ってはいませんけれど………
ところが生きた人間では、そうは行きません。寿命があるからです。調査以外
の時間を冷凍冬眠することで、ある程度は引き延ばせますが、限界があります。
それに………一人の人間が、同時に1000機の宇宙船には乗れないでしょう」
「それじゃあ、マリアは誰なの」
「あなたはマリアですよ。1000人の複製のうちの一人、いまでは178人の
うちの一人ですが」
「そっか、マリアって人間じゃないんだね」
自分が複製(コピー)された人間だと知って、マリアは衝撃を受けた。けれど
悲しいのかどうか、自分でもよく分からない。長くママと二人きり、それは他の
者たちとの関わりの記憶を削除されたせいもあるが、ママとの時間しか覚えてい
ないマリアは、自分が普通の生物と同じように生まれたのだと考えたこともない
のだから。
「それは違いますよ。あなたは人間です。あなたには、私の抱いている子が、人
間に見えませんか」
そう言って、ママはつかんだ女の子の手を、マリアに向かって振らせた。女の
子はママの話がまるで分かっていないようだったが、目一杯の笑顔を見せて、マ
リアにと手を振った。
「ううん、人間だよ。その子は、ちゃんとした、りっぱな人間だよ」
マリアは自信を込めて答える。もしその子もマリアと同じ、複製された者だと
しても溢れ出る無邪気さは、確かな生命を持った証し。
「この子は、幼い頃のあなたのイメージなのです」
「えっ!」
「マリアが寿命を終える度、その身体を元に新しいマリアを創りました。新しい
マリアには、全てではありませんが、前のマリアの記憶を受け継がせて………
私は何度も、幼いマリアとの時間を過ごしてきたのです。この子は、いまのマ
リア………あなたの幼い頃の姿ですよ」
「マリア、にんげんだよ。おねえちゃん」
そう言って、女の子はけらけらと笑った。
「そう………過ごして来たのです」
再びママは繰り返す。抱いた女の子に、頬をすり寄せて。
ママと幼いマリアのイメージ。それはママが生み出した、かりそめの映像であ
るのかも知れない。それでもその抱擁し合う姿は、情愛に満ち、見ているマリア
に忘れ掛けていたママへの想いを甦らせた。
「ねえ、教えて。ママは、ママたちはなにをしようとしたの。どうして地球を滅
ぼそうなんて、したの?」
ママの背後の、蒼い星が消えた。
代わりに草の地平線が紫色に染まり始める。辺りは夜明け時独特の、淡く新鮮
な香りに満ちていく。
「私たちが旅立った星、故郷はここにあったのです」
「じゃあ………地球が、マリアたちの星なの?」
寂しげにママは首を振って、そうではないことをマリアに告げた。
「私たちの故郷があったのは、50億年ほど前まで………私たちは故郷が滅びて、
宇宙から消えてしまったことにも気づかず、旅を続けていたのです。その座標す
ら忘れて。
そしていまから47億年前、滅び去った故郷の残骸から、新しい星が生まれた
のです」
「それが地球、なのね」
「ええ。それを知った私たちは考えました。故郷が消えてしまったのでは、これ
以上旅を続ける理由がなくなる。それどころか、これまでの旅すら意味がなくな
ってしまう。
それならば、故郷の残骸から生まれた星に、故郷を再生しようと。
幸い、マリア………あなたがいます。故郷の人々の遺伝子を受け継いだあなた
が。そして私には複製を生み出す技術があります。それを使い、少しばかり地球
の人間をベースにすれば故郷の再生も可能なのです」
「マリアは故郷のことを、なんにも覚えてない。ううん、知らないけど………マ
リア、この星が好きだよ。この星の人たち、駿たちが好きだよ。だからお願い。
滅ぼさないで!」
「もう諦めました」
寂しげにママは微笑んだ。
「もともと私に与えられていた役目は、宇宙を調査すること。一つの星の運命に
手を加えることなど、その範疇を大きく逸脱した行為だったのです………
いえ、そんなことは私も、私の仲間たちも分かっていたのです。それでもその
禁を犯してまでも故郷の再生をしようとしたのは………この星の人間に心惹かれ
て行くあなたに、嫉妬していたからかも知れません。あなたと共にある理由が欲
しくて、あなたの記憶を奪い、故郷を再生としたのでしょう。
おかしいですね。命を持たない私が嫉妬なんて。でも………」
ママは女の子を強く抱擁した。その温もりを確かめるように、愛しそうに。
それからママは手を伸ばして抱いていた女の子を、今度は高い高いをする。マ
マの頭上より高く挙げられた女の子は、きゃっきゃっと手を叩いて喜んでいた。
「もう私は、あなたを縛ったりはしません」
高く掲げられた女の子から、それを支えていたママの手が外される。けれど女
の子が草原の上に落ちることはなかった。
小さな女の子の背中から、眩いばかりに輝く、白い大きな翼が生まれていたの
だ。女の子は羽ばたく。空に向かって。
「あははっ、ふふふっ、あははっ」
楽しそうな笑い声を響かせ、女の子はマリアたちの上を旋回していた。そして
一頻り旋回を続けると、白み始めた空に向けて飛び去っていった。
ママもマリアも、完全に女の子の姿が見えなくなるまで、いつまでも、いつま
でも、それを見送り続けた。
「さあ、お行きなさい、マリア。あなたの選んだ世界へ。あなたの愛した人たち
のところへ」
ママの姿がかすれてゆく。
「ママは………ママはどうするの?」
「私は、私たちは、また旅を続けます。これからの私たちが、何をすべきなのか
を見つけるために」
「ねえ、ママも………ママもこの星で暮らそうよ。いいところだよ。駿も、良太
くんも、美璃佳ちゃんも、愛美ちゃんも、おじいさんも、おばあさんも………み
んな、みんないい人だよ」
「ありがとう、マリア」
マリアには、ママが微笑んだように見えた。それはママが、マリアの提案を受
け入れたものだと思った。けれどそうではなかった。
「でもそれは出来ません。私たちの知識、これまでの旅で得た情報は、あまりに
も大き過ぎて、この星の人々の手には余るものです。私たちがここに留まれば、
必ず悲しい結果を招くでしょう」
「そんな………ママ、ごめんなさい。マリア、ひどいこと言っちゃったけど、や
っぱりママのこと好きだよ」
「そんな顔をしないで、マリア。ありがとう………不思議ですね、機械であるは
ずの私が、あなたとの別れをこんなにも辛く思うなんて。でも初めて分かった気
がします………巣立って行く我が子を見送る、母親の気持ちと言うものが」
「ママ!」
堪えきれず、マリアはママの元へ駆け寄った。伸ばした手が、ママの身体を捉
えようとする。しかしその手は、虚しく空を切るだけだった。ママの姿は消えて
いた。
「さようなら、マリア。あなたと旅をした時間を、私は決して忘れません。でも
これからのあなたは、生体ユニットとしてでなく、一人の人間として生きて下さ
い。人としての『幸せ』と言うものを見つけて下さい。遠い宙(そら)から祈っ
ていますよ。
愛していますよ、マリア………さようなら」
ママの声も消えてゆく。
空が、草原が、白いもやに包まれていく。
「マリアも………マリアも、ママが大好きだよ。愛しているよ、ママぁ!!」
消えて行く世界の中で、もう姿の見えないママに届くよう、精一杯の声でマリ
アは叫んだ。
身を切るような冷たい風に、駿は深い眠りから目を覚ました。
「うっ………くっ」
全身を包む、痺れるような痛み。快適な目覚めとは言いがたい。しかしそれは、
駿がまだ生きているのだと言うことを、無言のうちに知らせてくれる。
鼻の上に落ちた冷たいものは雪らしい。どうやら駿は、雪の舞い落ちる野外で
眠っていたようだ。
「そうだ、みんなは? 良太くん」
駿は慌てて飛び起きた。身体から、雪と土とがぽろぽろとこぼれて落ちた。
良太と美璃佳の二人はすぐに見つかった。駿のすぐ近くに、並ぶようにして倒
れていたのだ。
二人の姿を見た駿は、血の気が退いて行くのを感じた。
『冷たいの………美璃佳ちゃんが、冷たいの………息してないの』
取り乱したマリアの叫び。
バランスを失い、良太を抱えて岩場へと落ちて行く自分。
意識をなくしていたため、そのあと何が起きたのか分からない。ただ駿は身体
のあちこちに痛みを感じるものの、大きな怪我もなく生きている。これは奇跡と
言っていいだろう。
あの状態から何をどうすれば大きな怪我もなく、こうやって自分の足で立って
いられるのか、どんなに推測を巡らせても答えが出ない。
しかし駿は、その奇跡を素直に喜べない。奇跡の連続を期待することは、とて
も出来そうにないと思えたのだ。
静かに横たわる、良太と美璃佳。その背中には薄く雪が積もりつつあった。そ
の姿は、美しくも悲しい結末を迎えた映画のワンシーンの如く、駿の目に映る。
差し伸べようとした手が震えるのを、駿は感じた。まるで足に根が生えたように、
駿はその場から動けなかった。
ざっ。
良太の背中の雪が、滑り落ちた。
「んんっ」
小さなうめき声と共に、良太が動いたのだ。
「良太くん!」
縛りつけていたものから解放され、駿は慌てて良太の元へ駆け寄った。
「くちゅん」
続けざま、美璃佳が可愛らしくくしゃみをする。
「美璃佳ちゃん!」
駿は二人を同時に抱き起こした。二人の顔を、両の頬に押しつける。
熱かった。
確かな温もり。駿は二人の子どもたちが生きていることを実感した。目覚める
なり、突然駿に抱き起こされた二人は、しばらくの間は状況の把握が出来なかっ
たのだろう。ただ駿のされるがままに身を委せていたが、やがて我に返ったよう
に泣き出した。
「ごめんなさい、お兄ちゃん、ごめんなさい」
「しゅん、おにぃ……ちゃ………あああっ、うあっ、わああん」
二人とも、ありったけの力で駿にしがみついて来る。良太の手が、美璃佳の手
が、駿の肩や胸、背中の肉を強くつかむ。興奮しきった二人は加減を知らず、駿
は痛みを覚えたが、敢えてその手を外させることはしなかった。その痛みさえ、
互いが生きている証として感じられたのだ。
「良太くん、足は………怪我は痛くないかい?」
しばらくして冷静さを取り戻した駿は、子どもたちの身体を気遣う。良太に怪
我の具合を訊きながら、美璃佳の額に掌を充てる。別段、熱はないようだ。逆に、
異様なほど冷たいということもない。マリアの狼狽えた叫びは、何かを勘違いし
たのだろうか。
「へいき。ちょっとだけ、痛いけど」
自分の足で立ち上がり、良太は答えた。念のため、駿は良太のズボンをめくっ
て確認してみる。擦り傷や軽い捻挫が見られるが、さしあたって大きな異常はな
かった。
「美璃佳、ごめん。人形、なくしちゃった」
良太が妹に向かって言う。