AWC 『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(50)  悠歩


        
#4320/5495 長編
★タイトル (RAD     )  97/12/24   2: 1  (200)
『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(50)  悠歩
★内容
「どうして………」
 喉が詰まって、上手く声が出ない。
 愛美は時間をおいて、もう一度言い直した。
「どうして、お父さんはそんなことを。きっと………立っていることだって、辛
かったはずなのに」
 愛美は夜の工事現場で、車を誘導している父の姿を想像した。額に浮かんでい
るのは、労働の汗でなく、苦痛のための脂汗。それでも周囲に病気であることが
知れれば、職を失う。痛みを堪え、平静を装い仕事を続ける父。
「それだけ、愛美ちゃんのことを愛していたのね。確かに姉さんが死んでからし
ばらくは、お酒に溺れてしまって、駄目な人だと思っていたけど」
 叔母さんは、ゆっくりと首を左右に振った。そして、愛美の身体を強く抱きし
めた。
「いいお父さんだったのね。ほんのちょっぴり、心に弱いところもあったかも知
れない。だけど………だけど最期は、愛美ちゃんのために一生懸命………愛美ち
ゃんへの接し方は、正しくなかったと思う。でも、お父さんは本当に愛美ちゃん
のことを想っていたのね」
 叔母さんの言葉を聞きながら、愛美は震えていた。
 ぶるぶると、ぶるぶると震え、涙も止めることが出来ない。
 流れる涙が、愛美を抱きしめた叔母さんの胸を濡らす。叔母さんはそれを気に
するどころか、さらに強く抱きしめてしれた。
「………あ、う……そ、な………わたし……しら、いから………」
 言いたいことが、言葉として発音出来ない。
 悲しみで、身体が溶け出してしまいそうだった。
 父はこんなにも、愛美のことを想ってくれていたのに。
 父の気持ちを、察することが出来なかった自分が悔しかった。
 たった一晩で、父の死に対する悲しみの薄れ懸かっていた自分が許せなかった。
 本当は心の奥底に閉じこめていたいただけの悲しみが、扉を失い愛美の髪の先
から爪先にまで行き渡る。
「思う存分、泣きなさい。叔母さんね、お義兄さんの手紙、愛美ちゃんには見せ
ない方がいいとも考えたの。でも、二人っきりの親子だったんだものね。お父さ
んの気持ち、愛美ちゃんには知る権利があるものね」
 叔母さんの声を遠くに聞きながら、悲しみだけの時間を愛美は泣いて過ごした。
優しく髪を撫でている手が誰のものなのか、もう愛美には認識することすら困難
になっている。
 悲しくて悲しくてしかたない。
 けれど眠くてたまらない。
 愛美の意識は、次第に薄れて行った。叔母さんの胸に抱かれたまま、まるで幼
子のように泣き疲れて愛美は眠ってしまった。

 夢の中の愛美は、本当に幼子になっていた。
 何が悲しいのか、母の胸の中でぐずっている。けれど母の胸は暖かく、とても
落ちつけた。母の正面、幼い愛美の背中越しに父が優しい声で、何かを語りかけ
ている。
 大きくてごつごつした手が、幼い愛美の頭を撫でた。
 幼い愛美を見つめ、幸福そうに笑う父母。
 暖かな空気の中、何を泣いていたのかさえ忘れ、母に抱かれて眠る幼い愛美。
 そしてその三人の姿を、一歩離れたところから見守る愛美。
 手を伸ばせば、触れられそうな三人。けれど愛美には、それが出来ない。
 触れようとした瞬間、全てが消えそうで恐かった。
 愛美には分かっていた。
 それが自分の夢であることを。
 もう二度と返ることのない、過去の時間であることを。
「さようなら、お父さん………お母さん。私も愛していたよ………心から」
 幼い自分を起こしてしまわぬよう、愛美は小さく呟いた。
 父と母がこちらを見て、微笑んでくれたような気がした。



 一時に比べれば、雨の降りも落ち着いてきた。とは言えその勢いは依然として
強く、陽が落ちたこともあり、寒さは降り始めの頃より増してきている。
 幸いだったのは、行きには一本しかなかった傘が愛美から借りて二本になり、
それぞれが持てるようになったことくらいだろう。
 相羽の方はどうか知らないが、純子には気持ちの重い家路となった。
 その一番の原因は、やはり美璃佳たちの無事が確認出来なかったことだ。
 あの藤井という人は、確かに二時間したら電話をすると言っていた。しかしそ
の二時間はとうに過ぎたが、とうとう電話はなかった。美璃佳たちの家出に少な
からず責任を感じている純子にしてみれば、気が気ではない。その理由を自分な
りに考えてみる。
 まず駿が、単純に電話することを忘れてしまった。美璃佳たちがみつからず、
探すことに必死で忘れているのか、反対に見つかってほっとして忘れてしまった
か。もしみつかったのなら、純子や愛美も心配しているのは分かっているのだか
ら、すぐにでも連絡をして来て良さそうなものだ。これは前者、まだみつからず
にいる可能性が強いように思える。どちらにしても、約束をしたのにそれを守ら
ない駿に対し、腹だたしい気持ちになってしまう。
 もう一つは、電話のことを忘れてはいなくても、掛けられるような状態ではな
い場合。これはいろいろと想像出来るが、美璃佳たちの所在は突き止めたが、電
話など存在しない。あるいは駿自身が何かのハプニングで、電話出来ない状況に
ある。
 どう考えてみても、一層不安になるような理由しか浮かんでこない。美璃佳と
はまだ二度しか会っていない純子にしてみれば、探したくとも行き先の見当はつ
かない。あとは、愛美から来るであろう連絡を待つしかないのだ。
 何とか気持ちを切り替えようと、相羽の方へと視線を向けてみる。だがこれも
また、さらに重たい気分にさせられるだけだった。
 愛美のアパートへ着いてから、短い単語以外、ほとんど口に出していない。
 これは純子も同じではあるが、さすがに通夜の席、改めて愛美が父親を亡くし
たばかりだと知らされると、まさか陽気な話をする訳にもいかない。
 しかし駿の部屋で二人きりになった時も、相羽は難しい顔をしたまま何も話さ
なかった。好意的に見れば、彼もまた美璃佳たちの心配をしていたのだとも思え
るのだが。
 それとも愛美のアパートに向かう途中でのことを、怒っているのだろうか。い
まもなお、相羽は見た人間誰もが分かるように、不機嫌さをありありと顔に浮か
べている。
 アパートにいた時には、愛美に対する遠慮もあったがいつまでも仏頂面を続け
ている相羽に、つい純子も苛立ちを覚えてしまった。
「ねえ、相羽くん。私、なんかいけないことをした?」
「えっ、なんだって?」
 雨の音にかき消されて、純子の声が届かなかったのか、相羽は聞き返してきた。
「ほら、危ない」
 前から車が来たことに気づいた純子は、質問を繰り返すより先に相羽の手を引
き、道の脇に寄る。横を通り過ぎる車が跳ねた水が掛かりそうになるのを、間一
髪で避けながら。
「さっきからずっと難しい顔をしてるけど、私が怒らせたのかな?」
「えっ、別に怒ってなんかいないけど」
 その質問が、如何にも意外なものであったかのような相羽の反応。苦虫を噛み
潰したかのような表情が、瞬時にきょとんとした顔になった。
「どうしてそんなことを、訊くの?」
「どうしてって………さっきからずっと難しい顔、してたじゃない」
 相羽の余りにもあっさりとした受け答えが、かえって腹だたしい。
「しかめっ面は、涼原さんのほうだと思うけど」
 そう言って相羽は小さく吹き出した。
「だいたい、お通夜の最中に楽しそうな顔は出来ないだろう。美璃佳ちゃんたち
も、まだみつかっていないようだし」
 もっともな、純子の予想していた通りの答え。それがまた何だか気にくわない
が、怒る理由にもならない。返す言葉もなく、相羽の顔を見つめる。
「まだ何か、御用かな」
 おどけているのか、やけに芝居がかった口調で相羽は言った。
「あ、あのさ………」
 そんな相羽の様子に腹をたてたことが、ばかばかしくなってしまった。純子は
話題を変えることにした。
 ところが口を開いてはみたものの、特別何を話そうか決めてはいなかった。美
璃佳たちの話をすれば、またややこしいことになりかねない。
「相羽くん、なんで学生服着てたのかな」
 考えた挙げ句、出てきた言葉はつまらない質問だった。
「中学生が学生服を着てるのは、当たり前のことだと思うけど………」
「そうじゃなくて。だって今日はクラブもなかったでしょう。私と会ったとき、
相羽くん、別に学校の帰りって訳でもなかったみたいだし。なんか変だな、って
思ったの」
「変じゃないと思うけどなあ。ぼくは喪服なんて持ってないし………普通、学生
がお通夜とかお葬式に出るときは、学生服を着て行くものじゃないかな」
「ああ、そう言えばそうね………って、えっ! じゃあ………?」
 それでは相羽は、初めから愛美のところへ行くつもりだったことになる。同じ
学校で同じ学年の生徒。その父親が亡くなったと知れば、線香の一本もやりに行
こうと言うのも不思議ではない。
 けれど愛美の父親の死について、純子たちのクラスでは知らされていない。愛
美のクラスでだけ担任から聞かされたらしい。純子にしても、そのクラスにいた
友だちから聞いて初めて知ったことだ。
 そう言った情報は、得てして短時間に広まるものだ。まして特に箝口令(かん
こうれい)が敷かれた訳でもない。一クラス分もの伝達者がいれば、なおのこと。
 相羽もまた、その類の情報を聞きつけたのだとも考えられる。
 ただ父親の死を聞いて駆けつけるほど、愛美と相羽が親しかったとは、純子は
知らなかった。
「相羽くん、西崎さんのこと知ってたんだ」
「そりゃあ、同じ学校だもの」
 一瞬、ほんの一瞬ではあったが、相羽の目が泳いでいたのを純子は見逃さなか
った。
「へえぇ。なるほど」
 数分前までは愛美の父親の死や、美璃佳たちのことで深刻だった純子に仄かな
いたずら心が芽生えた。
 そもそも「同じ学校だから」と言う説明は、もっともらしいが説得力がない。
愛美は純子や相羽とは別の小学校の出身者。しかも六年生になってから転校して
きた相羽が、中学校に上がる前に愛美に知り合っている可能性は少ない。
 中学生になってからも、愛美は目立った生徒ではなかったはずだ。事実、今日
の通夜さえ、純子たち以外にはクラス代表だけで、同じ中学校の友だちは誰も訪
ねてこなかった。
 そんな状況の中で、相羽が愛美の父親の亡くなったことを知っていた。それだ
けならともかく、どうやら相羽は純子と出会ったあの時点で愛美のアパートに向
かう意志があったらしい。
 思い出してみれば、純子は愛美からアパートに住んでいるということを口止め
されていた。なのに相羽は、愛美のアパートを知っていた。それに相羽と出会っ
た時の愛美の様子。純子でなくとも、二人の仲について勘ぐらない方がおかしい。
『自分の知らない相羽くんが、まだまだいっぱいあるんだな』
 そう思った純子の顔は、無意識ににやけていたらしい。
「なにが、なるほどなんだよ。ニヤニヤして、気持ち悪いよ」
「だいじょうぶ。誰にも話したりしないから」
「ちょっと、なんの話をしてるの?」
「西崎さんって、暗い感じがするけれど。よく見れば可愛らしいものね。それに
本当は、とっても優しい子だし。お父さんを亡くされて、しばらくは大変だろう
けど………相羽くんが支えてあげれば、きっと明るくなると思うよ」
「何か、勘違いしてない?」
 ふう、と露骨なため息を吐きながら相羽は肩を竦めた。
「だから、誰にも話さないって」
 純子は初めのうち、それが相羽の照れ隠しなのだと思った。
「本当に………なにも分かっていないくせに、想像で勝手なことを言わないで欲
しいな」
 今度はかなりきつい口調だった。
 相羽は明らかに気分を害しているようだ。
「そんな。違うなら謝るけど………怒らなくても、いいと思う」
「怒ってはいないよ」
 そうは応えたが、相羽が怒っているのはどう見たところで間違いはない。
「怒ってはいないけど、そうやって余計な詮索をするのは、感心しないよ。ぼく
はいいけれど、西崎さんに失礼だ」
「ごめんなさい………ちょっと軽薄だったわ。ほんと………謝る、ごめんなさい」
 相羽に気圧された純子は、素直に頭を下げるしかなかった。
「いや、その………分かってくれればいいんだ。ぼくもちょっと、強く言い過ぎ
たみたいだ。でも本当にぼくと西崎さんは、ただの同級生ということ以外、なん
でもないんだ」
 純子が詫びた途端、相羽の態度は一転して穏やかに、と言うよりかえって恐縮
したものになる。
「それにぼくは………」
「えっ?」
「あ、うん………なんでもない。だいぶ暗くなったし、早く帰ろう。いつ、電話
があるか分からないし。送って行くよ」
「平気よ、そんなに遅い時間じゃないもの」
「そうは行かないよ。女の子を夜道で、一人歩きさせるような真似は出来ない」
「もう、古風なんだから」
 もしかしたら、もう愛美から電話が来ているかも知れない。もしそうなら、送
ってもらった方がすぐに相羽にも伝えられる。相羽にしても、美璃佳たちのこと
は気になっているだろう。
 また雨が激しくなった。
 風が出て、雨は斜め方向から降ってくる。




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