AWC 『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(20)  悠歩


        
#4290/5495 長編
★タイトル (RAD     )  97/12/24   1:32  (197)
『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(20)  悠歩
★内容
 咳込む愛美の父親、背中をさするマリア。そして地面に撒き散らかれた、赤黒
い血。



−−返事をなさい、マリア。
 幾度呼びかけても、返事はない。
 出力を抑えてはいるが、届かないはずはない。
『いやな感じがする』
 ママは考える。なぜマリアが返事をしないのか。
 マリアの身に何か起きたのか? それは考えられない。もしマリアが何かの事
故で命を失うようなことがあれば、どんなに距離を置いていてもママには分かる。
 だとしたら残される可能性は、マリアの関心がこちらに全く向けられていない
ということだ。
 ほんの少しでいい。わずかでもマリアの意識の中に、ママのことがあれば声は
届くはず。と言うことは、いまマリアは、ママのことをすっかり忘れてしまって
いるのだ。
 それは即ち、自分の役目すら忘れていることになる。
 以前にも似たようなことがあった。
 天真爛漫で好奇心が強く、何事にも物怖じせず関心を持つ。そのマリアの性格
は、ママの目的にとって好ましいものであった。しかし反面、自らの立場さえ失
念して、その世界に影響を受けやすい。
 以前調査のために上陸した惑星でも、マリアはある雄の個体に対し、不要な関
心を抱いたことがあった。その感情は、マリアに課せられた役目には障害にしか
ならない。幸い、あの時にはママはマリアを近くで監視していた。そのため速や
かにマリアを回収、記憶の調整をすることが出来た。
 けれどいまは事情が違う。
 事故によってマリアは、ママの監視下から完全に離れてしまい、いまだそれを
回復出来ない。その気になれば、この場から飛び立ってマリアを探し、回収する
だけの力は修復されている。が、この惑星の文明レベルから、規定ではそのよう
な行為を許されていない。緊急事態として対処するためには、条件が満たされて
いない。
 何時如何なる場合に於いても、ママ自体は規定に沿った行動しか出来なかった。
して来なかった。
 そして何よりママを混乱させていたのは、計算によって弾き出された、ある事
実。これこそ、規定をどう解釈しても対処法の定められていない事態であった。
『やっぱり、私一人で判断出来ることではないわ』
 上手く行くか分からない。
 何しろマリアと共に母星を離れてから、一度として行ったことのない行動。使
ったことのない機能なのだから。
『結果次第では………マリアを力尽くで回収することになるかも』
 どのような結果になろうとも、すぐ対処可能にするため、100パーセントの
修復が急がれる。



 蝉の声が聞こえる。
 いまは冬だったはずだが。
 男は障子を開けて、外を見る。
 匂い立つような濃い緑が、広がる。
「ああ、勘違いだったか」
 何を思い違いしていたのだろう。紛れもなく、いまは夏だ。濃緑にのしかかる
ようにしている、巨大な入道雲が何よりの証。
 男は軒先の風鈴を、指で弾いた。
 涼しげな音が鳴り響く。が、すぐに蝉の声にかき消されてしまった。
「おとうさん」
 聞き慣れたはずの、それでいてひどく懐かしい声が男を呼んだ。続いて男の足
に、軽く、心地のいい衝撃。
「どうした? 富子」
 男は自分の足に抱き付いた少女に、優しく声を掛ける。
 おかっぱの頭が男を見上げ、「えへへ」と顔中をくしゃくしゃにして笑った。
「おかあさんがね、スイカが切れたから、おとうさんを、よんできてって」
 また「えへへ」と笑う。何がおかしいのか、富子は一つ行動を済ます度に笑う。
そんな富子を見ることが、男にとって何よりの幸福だった。
「はやく、はやく」
「こらこら、シャツが伸びてしまう」
 富子が男のランニングのシャツを引っ張って、急かす。水色の格子模様の入っ
た、ワンピースになった服の袖口から、まだ幼い脇が覗く。何となく気恥ずかし
くなり、男は目を背けた。
 ふとシャツを引く力が消え、男は視線を戻す。
「富子?」
 そこにいたはずの、娘の姿は見当たらなかった。代わりに、食卓にそうめんを
並べる妻の姿があった。スイカなど、影も形もない。なぜか妻は黒い着物を着て
いる。
「おい、富子は? 富子はどこへ行った」
 言い知れぬ不安を感じ、男は黙々と食事の支度をする妻に、問い掛けた。
「富子なら、そこに」
 抑揚のない声で、妻は庭を指さす。
 男は促されるまま、庭を振り返った。
「とみ………」
 思わず息を呑む。
 つい、先刻まで濃緑の栄えていたはずの庭先。ところがいま、振り返った男の
目は、一片の緑も見いだすことが出来なかった。
 林立する枯れ木。いや、ただ葉を落としたのではない。立ち並ぶ木々には、も
う二度と命の息吹を取り戻す日などないだろう。そのどれもが、軽く指で触れた
だけで、もろもろと崩れ落ちそうな、朽ち木と化してしていた。
 朽ち木には、一枚の枯れ葉とて残されていない。
 にも拘わらず、庭一面は落ち葉に覆われている。そしてなおも、どこからか枯
れ葉は降り続く。
 だがそんな風景の変化より、男の心を凍りつかせたのは、庭先に立つ富子の姿
だった。
 落ち葉に埋もれた庭の中、富子は全身をぐっしょりと濡らして佇んでいる。髪
から、服から、そして指先から。ぽたぽたと、雫が滴り落ちる。
 舞い落ちる葉が、富子の身体に貼りついていく。
「とみ……こ」
 男は掠れる声で、娘の名を呼んだ。
 すぐにでも娘を抱き上げ、助けてやらなければ。そう思うのだが、足が全く動
かない。
「おとうさん」
 悲しそうな声。
 青ざめた顔の富子が、男の顔を見つめる。
 富子は泣いているようだった。富子を濡らす水は、まるで身体の中からしみだ
して来るかのように、筋となって流れ落ち、足下に溜まっていく。そのような状
態にあっても、男には富子の目から溢れている涙を、はっきりと見て取ることが
出来た。
 助けなければ、助けなければ、助けなければ…………
 焦るほどに、身体の自由が失われて行く。男は足はおろか、指先さえ、瞬きの
一つさえ思うように出来ないでいた。
「おとさん、たすけてくれないの?」
 富子の言葉が、男の胸に深く突き刺さる。
 何かに吸い込まれるように、富子の姿がゆっくりと後ろへ下がって行った。
『駄目だ富子、行くな』
 心で叫ぶが、声にはならない。
 遠ざかって行く、富子の姿はついに見えなくなってしまった。
「富子! 富子! どこへ行ったんだ!」
 先ほどまでの金縛りがまるで嘘のように、男の身体に自由が戻った。
「富子なら………」
 後ろからの声に、男は振り返った。そこにいるはずの、妻に向けて。
 しかしそこに妻はいなかった。代わりに、成長した富子の姿があった。
「富子………」
 男は娘の姿にしばし見とれてしまった。
 薄暗い部屋に栄える、白無垢を纏った富子。まだ幼さの残る顔も白く、紅く塗
られた紅が、やけに印象的だった。
「私は、光太郎さんのもとに行きます」
 別れの挨拶。
 しかしその先に、幸せはない。男はそう直感した。
「お父さんは、光太郎さんが嫌いなのですか?」
 光太郎? 聞いたことのある名前だったが、それが誰なのか、男には思いだせ
ない。
「誰なんだ光太郎というのは? 俺は知らんぞ。そんな結婚は認められん」
「ひどい………」
 感情の見ない、富子の声。
「よく知っているくせに。お父さんの、殺した人よ」
 白無垢が黒く染まる。そして薄暗い室内に溶け込み、消えていく。
「行くな、富子!」
 今度は動くことが出来た。しかし、伸ばした手が富子に触れることはなかった。
すり抜けた手が、まるで立ちこめる煙を払うように、富子の姿をかき消す。
「お父さんが、殺したの………」
「違う、俺は………違う」
 思い出した。
 いや、本当は初めから分かっていたのだ。ただ覚えているのが辛く、いつしか
無理に忘れたように努めていた名前。それが光太郎だ。
「同じことよ。お父さんが殺したの」
 かき消えていく富子を、男は必死に集めようとした。しかし懸命に手を振れば
振るほど、富子の姿は拡散し、薄れて行く。
「私は行きます。光太郎さんのところへ」
「駄目だ! 行くな! 行くな! 行くな!」
 叫ぶより他になかった。
 やがて富子の姿は完全に消え、暗い部屋に男一人が残された。

「富子ぉ……富子ぉ」
 目を開いてからもしばらく、老人は寝言の続きを口にしていた。
「どうしたんです? また夢をみたんですか」
 心配して覗き込んだ老婆の顔を、老人は不思議そうに見つめ返す。
「ここは、どこだ?」
「寝ぼけてるんですか、おじいさん。私たちの部屋の中ですよ」
「部屋?」
 老人はむくり、と起き上がり、部屋の中を見回す。
 わずかばかりの家財道具。さして広くない部屋。
「ここは、わしの部屋か?」
「そうですよ」
「ずいぶん狭くなったなあ………富子は、どこにいる?」
「いませんよ、富子は」
 老婆は笑顔を作って見せる。
「光太郎のところへ、行ってしまったのか」
「ええ、行ってしまいました」
「そうか。行ってしまったのか」
 老人は両手で顔を覆い、泣き出してしまった。



 居酒屋『満天』に、遅刻してきた愛美だったが「今日は休んでも、平気だった
よ」と笑って迎えてくれた女将に救われた。けれど女将の言葉は、ただ愛美を安
心させるためだけのものでもなかった。
 女将もこの時期にしては珍しいと言っていたが、本当に今日の客の入りは少な
かった。なるべく知り合い、特に学校の先生などに見つからないよう、裏での仕
事を専門にしている愛美だが、忙しい日にはそうもしていられない。ここ数日は
店の中を走り回るような忙しさが続いていたのだが、今日はその必要もない。愛
美が店について三十分ほどは、全く客のいない状態が続いていた。
 いまようやく入って来た、二人連れのサラリーマンのため、女将がビールを運
んで行く。愛美は調理場で、里芋の皮をむいていた。
 じりりりり。
 最近では珍しくなった、黒電話のベルが鳴る。愛美より先に、近くにいた女将
が取った。
「はい、居酒屋『満天』です。ええ、そうですが」
 店が賑わっている時でも、はっきり相手に聞こえる大きな地声。それが客の少
ない店内に、陽気に響き渡る。
「えっ、藤井さん? ああ、先日いらっしゃった、愛美ちゃんのお知り合いの方
ですが。はい? なんですって………」
 自分の名前が出たことで、愛美は里芋をむく手を止め、受話器を握る女将を見
た。女将の陽気な顔に、曇りが生まれる。初めは駿の名前が聞こえたので、美璃
佳のことで礼を言うために、電話を掛けてきたのだろうと思った。だが女将の様
子から、そうではないらしいと悟られる。
「はい、分かりました。わざわざありがとうございます」
 習慣で、二度ほど頭を下げて電話を切った女将が、愛美へと向き直った。
「大変だよ、愛美ちゃん! お父さんが倒れたって………」
 半分まで皮をむき掛けた里芋が、愛美の足元を転がって行った。




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