AWC 『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(07)  悠歩


        
#4277/5495 長編
★タイトル (RAD     )  97/12/24   1:19  (199)
『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(07)  悠歩
★内容
「愛美さん、ごめんなさいね。うちの信一が、とんだ迷惑をお掛けして」
「いえ、相羽くんのせいじゃないんです。私がぼうっとしてたから」
 物腰の柔らかい相羽の母親に、ますます愛美は萎縮してしまう。
「信一、ここで待って頂くのもなんだから。あなたのお部屋、大丈夫よね」
「えっと、うん、今日は片づいてる」
 愛美には玉子を替えてもらうのに、なぜそんなに時間が掛かるのか分からなか
ったが、案内されるまま相羽の部屋に入った。
 他の誰かと比べる訳ではないが、男の子の部屋にしてはよく整頓されている、
と愛美は思った。全体的に青を基調にした装飾が目立つ。左側に本棚が二つ。一
つには漫画ばかりが収められていて、もう一方には背表紙の厚い、愛美には何の
本か分からないものがぎっしりと詰まっている。そしてなぜだか、その横に昆虫
採集に使うものらしい、白い網が立てかけられている。
 それを見て、愛美は何だかおかしくなってしまう。捕虫網を手にして、野山を
走り回る相羽の姿を想像してしまったのだ。それはいま愛美の目の前にいる相羽
とは、あまりにもかけ離れたイメージに思えた。少し、緊張が解けたような気が
した。
「適当に座ってよ」
 相羽はベッドを背もたれ代わりに、あぐらをかいて座った。それに倣い、愛美
も正座して座る。
「あの、相羽くんって、本を読むのが好きなんですね」
 沈黙を避けるため、とりあえず目に入った本を見て愛美は言った。聞いたこと
もないタイトルに、知らない筆者。何冊かの背表紙を目で追って、ようやく一人
名前だけ聞き覚えのある作家を見つけた。
「『捻子館の殺人』、この作者、いま人気ですよね」
「西崎さんも推理小説、読むの?」
「え、あ。はい、この小説は読んだことかりませんけど」
 成り行きのまま、嘘を言ってしまう。小説は好きだったが、推理小説は読んだ
ことがなかった。まして『殺人事件』とつくような、おどろおどろしいものは大
の苦手であった。
「どんな作家が好きなのかな」
「それは………」
 愛美が答えに窮していたとき。
 とんとん。
 部屋をノックする音。
「信一? ちょっと開けて」
 相羽の母親の声。
「あ、私が」
 近くにいた愛美は、話題が逸らされることにほっとしながら、ドアを開けた。
甘い香りが立ちこめる。
 相羽の母親は木製のトレイを持って、部屋に入ってきた。その上には湯気の立
つ二つのティーカップと玉子のパック。
「昨日買った玉子だから、そんなに鮮度は悪くないと思うけど。これで許してち
ょうだいね」
「そんな、私の方こそ、何だかご迷惑を掛けてしまって」
「ふふっ、気にしなくていいのよ。それから、お詫び代わりと言ったらおかしい
けれど、割れてしまった玉子でミルクセーキを作ってみたから。外は寒いだろう
と思って、ホットにしてみたんだけれど、良かったら飲んでいってちょうだいね」
 愛美の前に、小皿に乗ったカップが差し出される。カップと小皿のどちらにも、
可愛らしいうさぎのイラストが入っていた。
「でも、玉子を替えてもらった上に………なんだか申し訳なくて」
「いいえ、こちらこそ信一が、迷惑を掛けたのだから、このくらいはね」
 母親は、ちらりと相羽に視線を送った。
「そうだよ。気にしないで」
「それにね、飲んでもらわないと、私が困るの。信一が割ってしまった玉子、二
人で食べるにはちょっと多すぎるから」
 そう言って微笑む相羽の母親に、愛美は死んだ自分の母の面影を見たような気
がした。
 ミルクセーキなんて、いつ以来だろう。勧められるままに口に運ぶと、柔らか
い喉越しの後、甘味が広がる。

 風はなかったが、空気はまるで冷凍庫の中のように冷たい。
 けれど愛美には、それを寒いと考えるゆとりはなかった。
 相羽に送ってもらう帰り道。もちろん断った。けれど相羽は、
「自分のせいで遅くなってしまったんだし。西崎さんの家、そんなに近いわけで
もないのに、夜道を一人で帰すなんてできないよ」
 そして相羽の母親の、「そうさせてね」の言葉もあり、断りきれなかった。
 買い物袋を一つずつ持って歩く二人。夜道に響く足音、いろいろと話し掛けて
くれる相羽の声を聞きながら、愛美は不思議な気持ちでいた。
 相羽の家に行くまでは、話すことにただ緊張ばかりしていた。それがいつしか
緊張が完全に消え去っ訳ではないが、それがなぜか苦痛ではなくなっていた。む
しろ声を掛けられることに期待している自分がいる。
「あの、相羽くんって」
 相羽と母親の会話を聞いていて、気になって仕方ないことがあった。それを訊
ねてしまってもいいものか。躊躇っていたものが、つい口からこぼれてしまった。
「気を悪くしてしまったら、ごめんなさい。相羽くんのお父さんって………家に、
いらっしゃらないの?」
「いないよ。亡くなったんだ」
 それまでの会話と、何ら変わりなく相羽が応えた。その表情に一片の翳りもな
い。
「どうしてそんなことを?」
「あの、相羽くんのお母さんが、割れた玉子を二人で食べるのには多い、って言
われてたから………あの、もしかして、って思って」
「へえ、さすが。推理小説のファン」
 冗談ぽく言う、相羽。もしかすると、訊いてはいけないことを訊いてしまった
のではないかと、不安になり掛けていた愛美の心を包み込む。
 自分だったら。愛美は思う。
 母がいないことを人に訊かれて、こんなふうには答えられない。相羽の強さが
羨ましかった。
「あ、もうすぐそこですから、ここでいいです」
 本当はまだアパートまで少し距離があったが、愛美は足を止めて言った。
「えっ。せっかくだから、家の前まで………」
「いえ、本当にいいんです」
 愛美は、相羽には自分の住むアパートを見せたくなかった。
 もし父が帰って来ていて、相羽に見られるのが恐かった。
「それじゃあ、ぼくはここで。気をつけて帰ってね」
「相羽くんこそ。あの、今日は本当にありがとうございました」
 買い物袋を受け取り、愛美は頭を下げた。
「ほら、また敬語だ」
 相羽が笑った。



 空気は冷え切っていたようだが、それほど寒くは感じない。銭湯で身体を温め
たから、というより二人の子どもを洗ってやるのが思った以上に重労働で、すっ
かり汗をかいてしまったからだ。
 なかなかじっとしていてくれない上に、当然ながら二人は長い間風呂にも入っ
ていなかった。汚れも酷く、一人を洗うのに四十分以上は掛かっただろう。元来
早風呂の駿は、それだけで疲れてしまう。
 最初、良太だけを風呂に入れるつもりだった。熱が下がったとはいえ、昨夜ま
で高熱を出していた美璃佳には、入浴を避けさせるのが賢明に思われた。しかし
前回の入浴がいつだったか分からないと言う美璃佳たち、かなり不潔な状態にな
っていた。それに美璃佳も、一人でアパートに残って留守番をすることを嫌がっ
た。
 入浴後、近くのラーメン屋で食事を済ませた。美璃佳にはお粥かなにか、柔ら
かい物をと考えていたが、それは心配することもなかった。朝目覚めてからすぐ
に、普通の食事を欲しがっていた。駿が考えていたより、子どもの回復力は高い
らしい。
 これからどうするべきだろう。
 並んで前を歩く二人の子どもの背を見ながら、考える。
 今朝の一件から、また当分子どもたちの母親は帰って来そうにない。帰って来
たところで、子どもたちの世話を焼くことはないだろう。良太たちに訊いてみた
が、父親のことは何も知らなかった。二人とも私生児らしい。親戚の所在もはっ
きりしない。どうやら良太たちが生まれてから、親戚との行き来は全くなかった
ようだ。あるいは本当に親戚がいないのかも知れない。
 どこか施設にでも相談するべきか。そうなればたぶん、あの女が自ら言ったよ
うに子どもを育てる資格がないと、判断されるのは間違いないだろう。親権剥奪
となれば、良太たちは施設に入れられるか、里子に出されるか。ひっょとすると、
兄妹離ればなれになってしまうのだろう。
 それは幼い兄妹には、あまりにも可哀想だ。
 かと言って、たまたま隣の部屋に住んでいただけの駿に、出来ることなど限ら
れている。まさか良太たちを引き取るほどの経済力はない。いや仮にあったとし
ても、さすがにそこまでの決心はつかないだろう。
 関わらなければ良かった。
 正直、そう思ってしまう。
 世界中に不幸な子どもは、他にいくらでもいる。それをテレビや人の話で聞い
て、同情することはあっても、その子たちのために何かをしてやることはない。
話を聞いた時には、それなりに心を痛めるが、いずれは忘れてしまう。薄情なの
かも知れないが、駿は世の中の大多数の人間の中の一人なのだと思う。
 けれど駿は良太と美璃佳の兄妹を知ってしまった。関わってしまった。
 それを無視出来るほどには、薄情にはなれない。
 良太たちは、自分の置かれている状況が分かっているのだろうか。今朝の一件
の後、良太も美璃佳もしばらくの間沈み込んでいたが、やがて元気にはしゃぎ回
るようになった。
 初め駿はえらく立ち直りの早いものだと、感心し、呆れもした。だがそうでは
ないらしいのだ。はしゃいでいたはずの美璃佳が、ふいに大人しくなって目に涙
を浮かべているのを何回か確認した。その度に良太が美璃佳に何かを耳打ちをし
て、また二人ではしゃぎ出す。
 二人は自分たちの状況が分かっているからこそ、無理に元気なふりをしている
のではないだろうか。
 考えてみれば駿でさえ、独りアパートで過ごす夜に寂しさを覚えることは幾度
もあったのだ。
 小学校にも上がっていない兄妹が二人、大人のいない寒い部屋で、何日も何日
も過ごしていたのだ。寂しくないわけがない、心細くないはずはない。まして病
気の妹を抱え、何もできずにいた良太の気持ち。熱に苦しみながら、いつ帰ると
も知れない母親を待っていた美璃佳の気持ち。ようやく帰ってきた母親の、あま
りにも素気ない態度。冷たい仕打ち。平気な訳がない。
 良太たちは、無理に元気を装っているのだろう。
「おてーて、つないでー、のみちをー、ゆけばー」
 それを思うと、互いに握った手を振る二人の歌声が、悲しく聞こえた。二人の
背中が、なんとも弱々しく見えた。
 無視することは出来ない。しかし現実問題、駿になにが出来るだろう。幸いい
まは少し余裕があるが、いつまでも子ども二人の面倒を見続けられるほど駿には
安定した収入がない。せめて子どもたちの生活費を、母親に出させられればいい
のだが。自分が幾日も帰らぬことを知っていて、美璃佳に一万円を渡しただけの
女に期待が持てるだろうか。いや、それは正式な手続きを取れば、法的に出させ
ることも可能かも知れない。たが本当の問題は、そんなことではないのだ。
 思案にくれていた駿は、美璃佳が立ち止まっていたのに気づかず、危うくぶつ
かりそうになる。
「おっと、危ない。どうしたの、美璃佳ちゃん」
 美璃佳は空を見上げていた。小さな指で夜空をさす。
「ながれぼしぃ」
「えっ」
 駿も美璃佳に従って顔を上げる。流れ星と聞いて、細い筋のような光が瞬く間
に過ぎていくのを予想して。しかし。
 周りが昼間のように明るくなったような気がした。
 煌々と眩く光を放つ巨大な玉が、夜空を駆け抜けていく。
「あれ、えんばんだよ。うちゅうじんの、えんばんだよ」
 興奮した良太が叫んでいる。
「えんばんってなーに」
 と、美璃佳。
 光の玉は数秒間、その姿を誇示するような輝きを見せながら、西の方へと消え
ていった。
「ねえ、おにいちゃん。あれ、えんばんだよね」
 駿の手を引きながら、良太が訊いてきた。
「ああ、そうかも知れないね」
 本当に円盤だと思った訳ではないが、駿はそう答えた。
 駿には何年か前にも、同じような光を見た覚えがあった。
 あれは昼間だったが、たまたま空を見上げたとき巨大な光の玉が、飛んで行っ
た。さすがにUFOだとは思わなかったが、飛行機事故でも起きたのかと慌てた
ものだった。周りにいた他の目撃者たちも同様に、何が起きたのかと不安げに噂
し合っていたものだ。
 すぐその後にニュースで、あれは非常に稀な巨大隕石だったと知ったのだが。
翌日にはその隕石の一部が見つかったの、いやそれは違うだのと、ちょっとした
騒ぎが起きていた。
「えんばんだ、えんばんだ」
「えんばんってなーに」
「うちゅうじんの乗り物だよ」
 初めて見た子どもたちは、まだ興奮冷めやらぬ様子だ。しかしいつまでもここ
でこうしていたら、身体が冷えてしまう。特に美璃佳は心配だ。




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