#4205/5495 長編
★タイトル (PRN ) 97/11/28 0:51 (104)
改訂版>呼び名〜勇敢な恋の詩4th〜(下) 穂波恵美
★内容
「そういえば、空条君。一つ聞いて良い?」
突然の佐和子先輩の台詞に、僕はしばし固まった。隣を歩いている佐和子先輩
の横顔が、妙に緊張しているように見えたからだ。
顔色はずいぶん良くなっていたけれど、もしかしたら強引に一緒に帰っている
自分の存在を迷惑に感じているのかもしれない。僕と佐和子先輩の間柄は、「空
条君」と「紫野先輩」の領域のもので、それを踏み越えたいと思っているのは、
僕の自分勝手なのだろうか。そんな考えが、ふっと脳裏に浮かぶ。
既に夕暮れ時。僕と佐和子先輩の他に、人影は見あたらない。坂の上にある色
づきはじめた柿を眺めるふりをして呼吸を整えた僕は、ぎぎっと頭を動かして佐
和子先輩に向けた。
「な、何ですか?」
「あのね……」
佐和子先輩は、言いかけしばらく躊躇する。
これは、相当重たい話題なのだろうかと、僕も思わず沈黙した。さっきの考え
が、的中していたらどうしよう、などと一人うろたえてしまう。
お互い黙ったままどれくらい歩いたんだろう。気が付くと、すっかり柿の木を
通りこし、僕たちは下り坂にさしかかっていた。
「あの、ね」
ようやく佐和子先輩が口を開く。
「はい?」
答えると、彼女が不意に立ち止まった。濡れたように黒々した瞳が、僕の目を
覗き込んでいる。眼鏡のレンズが鬱陶しいくらい、綺麗な目だ。
僕は魅入られたように、ただただ佐和子先輩の瞳を見つめていた。
「……小説とか読むと、目を見れば何でも分かるって書いてあるのにね」
「え?」
小さく呟かれた台詞の意味が分からず、僕は首を傾げた。
「ううん、何でもないの」
首を振り、佐和子先輩は微笑む。
「そうそう、来週から修学旅行だから、お土産、何が良いか聞こうと思って」
「そうか、修学旅行でしたっけ。どこに行くんすか?」
軽くなった空気にほっとして、僕の声のトーンが上がった。我ながら、正直す
ぎる気もしないでもないが、まあいいだろう。
「来週から、京都に行くって……話してなかったかしら」
襟元のリボンを直しながら、佐和子先輩が首を傾げる。
「京都か」
「そう。来週の今日まで会えないから、今の内にリクエストがあったら聞いてお
こうと思って」
「八つ橋とかでいいっすよ」
「それも買うけど……それだけで良いの?」
「京都か……お寺とか神社巡るって事ですよね……だったら、お守りかな」
「お寺と神社は違うけどね」
くすっと笑って佐和子先輩が僕を見る。僕は思わず赤くなったが、彼女は別に
僕をバカにしたわけではなかったらしい。
「お守りと言っても色々ありますけれど、どのような効果の物がお望みですか?」
冗談めかして、丁寧な口調で尋ねてくる。
「うーん……勉強とかでも悪くないけど……やっぱり、縁結びかな?」
「縁、結び?」
「ダメ、ですか?」
ちょっと不安になって尋ねると、佐和子先輩は夕日に視線を移して問い返した。
「誰の、ぶんかな?」
背中を向けて歩き出したため、表情が見えない。それでも、どこかに緊張した
空気をはらんでいた。質問の意図は見えないけれど、今ここで言わなければ、何
かのチャンスを逃す気がした。頭のすみで、現在の距離を壊すことへの不安が叫
んでいたけれど、無理矢理それを追い払う。「紫野先輩」の距離にいつまでもが
まんなんて出来ないのは、僕自身だ。だったら自分から踏み出すしかない。たと
え佐和子先輩が、「空条君」の位置に留まっていたいとしても。
僕は、出来るだけさりげなさを装って、口を開いた。情けないことに、心臓の
音が耳について仕方ない。声がかすれたりしませんように、とそれをとにかく祈
っていた。
「誰って、佐和子先輩と、俺のですけど」
「え?」
佐和子先輩が目を丸くして立ち止まる。いったん口にしてしまったら、僕の中
で何かが吹っ切れた。顔を覗き込んで、直接聞いてみる。
「佐和子先輩って呼んじゃダメですか?」
「う、ううん。そんなこと、ないけど……」
語尾を濁して、何か呟いている。
「佐和子先輩?」
「あ、うん。別に、かまわないわ」
いとも簡単に呼び名変更がなったことに少々驚きながら、僕は調子に乗って言
葉を継いだ。
「じゃ、俺のことも夏生って呼んでくれません?」
「え?」
一瞬調子に乗りすぎたかな、とあせったが、口に出してしまったものは戻せな
い。とにかく押しのいってで攻めることに心を決め、強引に話し続ける。
「俺が佐和子先輩で、佐和子先輩が空条君じゃ、何か変じゃないですか」
「そうかしら?」
表情は嫌がっていないけれど、内心呆れられているかもしれない。そんなこと
を考えたせいか、次の台詞を言った声は、我ながらとても情けないものだった。
「それに、夏生って呼んでくれると嬉しいんだけど」
「嬉しい……?」
「はい!」
力一杯たてに首を振ると、佐和子先輩が吹き出した。
「さ、佐和子先輩?」
細い肩を揺らして、しばらく彼女は俯いていた。もしや泣き出したのではない
だろうか、と心配になった頃、ようやく顔を上げる。
「……ご、ごめんなさい。あんまり力んで返事するんですもの……わかった、夏
生君で良いかしら?」
眼鏡を外して、涙をふく。僕は少し面白くなかったけれど、「夏生君」と、佐
和子先輩がそこまでうけたことで、まあ良しとした。それに正直なところ、ほっ
とした部分の方が、ずっと大きかったのだ。
「じゃ、夏生君。お土産は縁結びのお守りと、八つ橋ね」
駅に着き、佐和子先輩はふわりと手を振った。
「はい、それじゃ楽しんできて下さい」
駅までという約束だったし、ホームが違うため、改札で別れなくてはいけない
のだ。
手を振り返そうとした僕の耳に、電車が到着したアナウンスの声が入ってくる。
それに紛れて、消え入るような声で佐和子先輩の声が囁いた。
「信じてて、大丈夫だよね」
本当にそう言ったのかは、分からない。でも確かに僕は、そう聞こえた。
「え、佐和子先輩?」
聞き返そうとした僕の目に、ホームへと続く階段を下る佐和子先輩の背中が目
に入った。その凛とした背中は、いつもの彼女のもので、僕はさっきの声が幻聴
だったのではないかと、自分の耳を疑っていた。