AWC 影斬り(下)   穂波恵美


        
#4168/5495 長編
★タイトル (PRN     )  97/11/ 2  15:28  (187)
影斬り(下)   穂波恵美
★内容
 小名木川の流れを渡り、さらに南に下ったその先に小さな寺が見える。深川には霊
厳寺や浄心寺などの大きな寺院もあるが、小さな寺院も数多く存在した。
 寺が連立する町並みを、高遠籐悟は、急ぎ足に歩いていた。片手に白菊の花束を持
ち、編み笠を深くかぶっている。慣れた足取りで彼が向かったのは、古びた小さな寺
だった。
 既に日が落ちかけていて、門扉も境内も茜色に染まっている。住職の姿は見えなか
ったが、頭を綺麗に剃り上げた子供が一人、境内を掃いていた。
「すまぬが、墓参りをしたいのだが……」
 籐悟の声に、小僧はこくりと頭を振り、
「あちらに、どうぞ」
 と寺の奥を手で示した。
 籐悟は黙って頭を下げ、奥に向かう。墓石が、幾つも並ぶその片隅、真新しいそれ
の前で足を止める。小さな墓石には、柳源十郎と彫られている。
「柳……来るのが遅れたが」
 編み笠を取り、白菊を墓の前に供える。しばらくの間、籐悟は瞼を閉じて墓石と向
き合っていた。心の内で、何かを語りかけているのだろう。時にその表情は明るくな
り、また悲しげになった。
  どれほど語っていたのか、籐悟が寺院から出たときには、既に町並みは茜から闇の
色へと姿を変えていた。
「随分時がたってしまったな」
 籐悟は、手にした提灯に視線を落とす。ぼんやりとした明かりが、足下を照らして
いた。
「さて、帰るか」
 今日は、本所の実家に帰る予定である。実のところ、実家はあまり居心地がよいと
は言い難い場所だった。盗賊改め方の仕事は、仕事内容に比べて給金はそれほどでも
ない。それどころか、真剣に務めれば務めるほど、探索などで金が失われていくので
ある。実際、何度か両親に借金もした。それらは全て返したが、金を借りた相手と一
つ屋根の下で過ごすのは、籐悟には何となく息詰まる気がした。それでも時折実家に
戻るのは、妹の美鈴が兄を慕っているためである。
「美鈴も、しかし変わった趣味をしている」
 妹がそろばん小僧に惚れているのは、傍目には明らかだ。内心少々複雑だったが、
籐悟は美鈴の恋をそれとなく応援してやっている。頼りなさそうな男だが、決して悪
人ではないし、素直で籐悟にも気を使ってくれる。美鈴の相手として考えなければ、
小太郎は良い同心だった。
「美鈴には、もう少し頼りがいのある男が良いと思うのだがな」
 呟いたところで、妹の心を変えられるわけでもない。好いた惚れたは、まさに人そ
れぞれなのである。そんなことを考えていた籐悟は、いつの間にか人通りの絶えたこ
とに気が付かなかった。福永橋を渡ろうとして、籐悟はふと足を止めた。
「ん……?」
 端の真ん中に、小柄な人影が存在した。籐悟の行く手を遮るように、まっすぐに向
かってくる。何故か緊張が走り、籐悟はその影を見つめながら、刀に手を伸ばした。
「待っていました」
「え?」
 聞き覚えのある声に、籐悟は柄から手を離した。
「小太郎殿、か?」
 提灯の明かりを向ける。闇の中から、見慣れた童顔が浮かび上がった。だが、小太
郎は小さく首を横に振った。
「今の私は、小太郎ではありません。別の名を、持っています」
「どういう意味だ?」
 小太郎の落ち着いた声音が、何故か掌を汗ばませる。籐悟は、平静を装って尋ねた
が、その実、刀から手を離したことを悔やんでいた。
「私もあなたに聞きたい。何故、笠木原殿を殺したのです?」
「……殺した?」
 聞き返した籐悟の喉が、微かに震えている。
「柳殿を見捨てたことを、恨んでいたのですか? しかし、柳殿は発作で亡くなった
のです」
「待て。何を言っているのだ? 小太郎、私にはさっぱり分からぬ」
 小太郎は、悲しげに瞳を伏せた。
「いいえ、高遠殿、あなたには分かっているはずです。笠木原殿の死因を知っておら
れたあなたなら……」
 提灯の明かりに揺らぐ小太郎の目は、悲しみを背負って死んでいく老人のようだっ
た。
「あなたは、笠木原殿が心の臓を一突きにされた、と言いました。確かに、笠木原殿
は、心の臓を突かれて死んでおられました」
「そのような事、同心の皆が知っているだろう」
「はい、確かに皆も知ったでしょう……死体の運ばれてきた午後ならば」
 籐悟は、何か反論せねばと思いつつ、言葉が浮かんでこなかった。
「百姓は、侍が斬り殺されていると届けを出しました。それを笠木原と確認したのは
平塚様……」
 言葉を濁し、それから小太郎は大きく首を振った。
「平塚様以外の誰も、笠木原殿の死体は見ていなかった。斬り殺されたという情報は
伝わっていましたが、心の臓を突かれたという話は、あの時刻には誰も知らなかった
のです」
「…………だが、それがなんだというのだ?」
「つまり、笠木原殿の死因をあの刻限に知っていたのは、犯人と平塚様の二人だけだ
った筈なのです」
「馬鹿な、私が犯人だと!?」
 小太郎は、静かに頷く。
「心の臓を突かれたと言ったかもしれぬ、しかし単に思い違いをしただけであろう」
 籐悟の声は、わずかに震えていた。
「あなたは、二つ過ちを犯された。一つは、私に笠木原殿の死因を話したこと。もう
一つは、ご自身の剣の腕を過小評価なさっていたことです。笠木原殿が殺された場所
は、暗い松林。あの時期は毎日雨が降り続き、闇夜が続いていました。笠木原殿の近
くに、覆いをかけられた提灯が転がっていましたが、その明かりで心の臓を正確に貫
ける人は数少ない。同心の中でも、無光一刀流の使い手であるあなた、そして平塚様
くらいのものでしょう」
 籐悟は、答えない。だが握っている提灯の明かりは微動だにせず、まるで腕が固ま
ってしまったようだった。
 小太郎は、容赦なく言葉を継ぐ。
「闇討ちなど、剣客のすべき事ではない筈。何故です、あなたのように正義を愛する
方が!」
 まるで彼が問いただされているように、苦痛の色を露にした声で小太郎が叫ぶ。
籐悟は、大きく息を吐いた。小太郎を見る目に、怯えの影はない。むしろすがすがし
いほどの表情だった。
「……柳殿が死んだとき、私にはどうしても彼が発作で死んだなどと信じられなかっ
た。何者かに、毒を盛られたのでは……そう考えたのだ。柳殿が死んでいたのは、改
め方の寮内。犯人がいるとすれば、仲間内とそう思った」
「…………」
「笠木原が怪しいと睨んだのは、柳殿に例の話を聞いていたせいもあるが、彼の見回
り区域に、土岐備前之守のお屋敷があったからだ」
「土岐備前之守……」
「ああ、笠木原の叔父は土岐備前之守の下で働いていた。彼は前々から、盗賊改め方
をやめ、そちらに仕えたいと思っていたようだ。土岐は、改め方を支えて下さる白川
様と不仲で知られている」
「笠木原殿は、自らを売り込むために、改め方内部の情報を売りつけた……」
 籐悟は、遠くを見るように視線を川面に彷徨わせた。
「土岐備前之守は、高名な薬師を抱えている。それと分からない毒も、調合できたの
ではないか、と考えたのだ。しかし土岐備前之守は、あまりに巨大……笠木原を取り
調べたところで、土岐の手が裏から回れば、改め方内部で片の付く問題ではなくなっ
てしまう」
 小太郎は、水の流れを見つめる籐悟の横顔をじっと見ていた。
「それに、柳殿を殺したという確たる証拠はどこにもない。しらを切られれば、それ
までなのだ」
「……笠木原殿の動きは、私も存じていました」
「え?」
「彼が臭うことも、そして彼の背後にある存在も」
 小太郎は、すっと表情を改める。剣気が両眼に宿り、幼い顔立ちを剣客のものへと
変貌させる。
「ですから、あなたが笠木原殿を殺したとしても、見逃そうかと思っていました。た
だ一つの事実を知るまでは!」
「事実?」
「あなたが、死者から奪ったもののことです」
 小太郎の声は、決して大きなものではなかったが、一瞬にして籐悟の表情を凍り付
かせた。
「何故です!? 柳殿の復讐を誓うだけなら、何故死者から奪ったのです!?」
「どうして、それを……」
 掠れた声で、籐悟が呟く。
「美鈴殿が挿していた髪飾り、あれは軽く見積もって五両はします。改め方の給金で
、ぽんと買えるものではない。それだけではない、あなたの差している剣……銘刀氷
雨ですね」
 籐悟は、小さく唇を咬んだ。小太郎は、籐悟から一瞬も視線を外さない。
「銘は、分からないように細工したと思ったが……」
「銘刀は、どれほど細工したとてその刃の輝きまでは隠せません……氷雨は、土岐の
名匠砥部月丹の銘刀、高遠殿が持っている筈はない」
 一言一言かみしめるように、小太郎は言葉を発した。
「あなたは、死者から刀を……そして、金を奪った!」
 籐悟は顔色を失った。それは、目の前に立つ小さな男への恐れであり、自らの行為
を暴かれた事への怒りだった。
「うるさい!」
 叫ぶと同時に、籐悟は刀を抜きはなった。銘刀氷雨が、冷たい輝きを放って月明か
りを弾く。
「お前のような、そろばんばかり弾いている男に何が分かる! 剣は使われるべきも
のに使われてこそ、その真価を発する。笠木原のような男より、俺の方がよほどこの
剣の力を引き出せるのだ!」
「だからと言って、死者から奪って良い道理などどこにもない!」
 小太郎が、鋭い眼差しで切り返す。
「うるさい、うるさい、うるさい!」
 籐悟は喉もかれよとばかりに絶叫した。
「うぉぉぉっっ!」
 大きく足を踏み込み、上段に太刀を構える。怒りに身を任せながらも、その動きは
素早かった。並の剣士なら、その勢いにのまれていたであろう。事実、刀を振り下ろ
したとき籐悟は頭の片隅で、やったと思った。
 しかし、振り下ろした刀に肉を切り裂く感触は伝わってこなかった。
「な……!?」
 目を見開いた籐悟の背後で、低い声がした。
「影斬りの名の由来は間違っています、それは私が影そのものだからですよ」
 その言葉が終わらぬ内に、籐悟の首筋に冷たい感触があてがわれ、次の瞬間熱さが
体中を駆けめぐった。
「ぐっ……がはっ」
 大量の血を口から吐きながら、籐悟は倒れた。熱さは痛みに変わり、同時に指先か
ら急速に熱が引いていく。
「お前が、影斬り……!」
 夜空よりも深い闇を宿した双眸が、ただ静かに籐悟を見下ろしていた。自らが名を
かたった存在を前に、籐悟は死にゆく頭の片隅で妹の笑顔を見ていた。
「美鈴……!!」
 倒れた籐悟の瞳に、まるで珠飾りのような満月が映っていた。


「あら、今夜は満月なのね」
 兄の帰りを待ちながら、夜空を見上げた美鈴はふっと微笑んだ。今日は、こちらに
帰ると籐悟は言っていた。今日こそ、兄に小太郎のことを相談するつもりである。
「それにしても、兄様が父様に借金してたなんて……全然知らなかったわ。もうお返
しになったらしいけど、急に十五両ものお金をどうしたのかしら。もしかして、重要
なお役目でも果たされたのかしら」
 小首を傾げる美鈴の瞳に満月が映る、少女は兄のことから、思い人のことを再び考
えはじめる。
「今日、珠飾りのこと褒めていただいたって、兄様にもお礼を言わなくちゃ。嬉しい
な、明日もこれつけて行こうかしら、でも三日もつけて行ったら、小太郎様にこれし
か持ってないみたいに思われないかしら」
 難しい問題だわ、と眉根を寄せる美鈴の髪に、萌葱色の珠飾りはきらきらと光って
いた。
-----------------------------------------------------------------------
 後書き、と言うか言い訳。
 これは、私が初めて書いた仮想時代小説もどき(何だそれは)……です。知識もな
い上、趣味に凝り固まってます。突っ込み、おしかり、何でも結構ですので色々教え
て下さるとありがたいのですが。(これって、お願いですね)





前のメッセージ 次のメッセージ 
「長編」一覧 穂波恵美の作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE