#4154/5495 長編
★タイトル (PRN ) 97/10/26 23:50 (158)
青の国(6) 穂波恵美
★内容
五章 水色の歌声
洞窟は、水を打ったように静まり返っていた。
ぺたんと座り込んだプリシアは、放心しているのか、水色の瞳を虚空に彷徨わせて
いる。
どうしてこんな事になったのか、プリシアにはさっぱり分からなかった。
ただ、リュウサと一緒に帰りたくて、それだけの筈だった。
リュウサは、プリシアと一緒に過ごしていた時間も嫌だと思っていたのだろうか。
帰るのを拒否して閉じこもってしまうほど。
そして、スカイとソウは、いなくなってしまった。
リュウサの一部だと名乗った二人。
二人は、リュウサではなかったけれど、確かにどこかで安心できる空気が感じられ
た。二人と一緒にいれば、リュウサといるときの暖かい気持ちになれた。
だが、サイは違った。
姿形はよく似ているのに、リュウサの持っている何かが完全に欠けていた。
一方、スカイとソウを吸収したサイは、一人満足そうに頷いていた。今では瞳の色
も漆黒になり、リュウサと全く変わらない姿だ。
黒い瞳が、呆けている少女を映し、心配そうに曇る。
「プリシア! どうしてそんな顔……君はリュウサを求めてるんだろ?」
サイの声に、プリシアは頭を振った。
「わかんない、わかんないよ……リュウサと一緒に帰りたくて、それで来たけど……
」
「リュウサが閉じこもっているから? でも、今はボクがリュウサなんだよ」
プリシアはますます大きく頭を振る。
青銀の髪が、柔らかく輝いた。
プリシアの瞳に、リュウサと同じ顔形なのに、全然違う微笑みを浮かべる少年が映
る。
「ほら、目の色も変わっただろう、ボクのことをプリシアもリュウサと認めてくれる
はずだよ。ね、歌ってくれよ。ボク君の歌声を聞くのが大好きなんだ」
プリシアは、泣き出しそうな表情でサイを見つめる。
その顔を見たサイは、びくりと震えた。
「プリシア! まさか君は、ボクを怖がっているわけじゃないよね? ボクは、君を
傷つけたりしないよ!」
プリシアは答えない。
それが、サイを混乱の縁に叩き落とす。
「プリシア! ボクのこと、リュウサだって認めてくれないの!?」
プリシアは、小さく呟く。
「プリシアね、サイはやっぱりリュウサとはちがうと思う」
小さな、囁くような大きさの声だった。
だが、サイの耳には絶叫と同じくらいの強さで響いた。
混乱が、絶望にとって代わる。
「どうして!」
「リュウサはね、すごく優しく笑うの」
プリシアは、サイに言うというより、むしろ自分に言い聞かせるように言葉を継い
だ。
「プリシア、リュウサの笑顔見てるとあったかくて安心できるの。ずっと見てたいな
って思うの」
「ボクの笑顔は?」
震える声で、サイが尋ねる。
「ボクの笑顔は、リュウサとちがうの?」
「リュウサの笑顔は、リュウサにしかできない……顔がそっくりでも、やっぱりちが
う」
きっぱりと、プリシアは告げる。
サイは大きく目を見開いていたが、不意に笑い出した。
乾いた笑い声が、洞窟に反響し、さらにかさついた響きを返す。
「ははははは、そんなバカな! ボクはリュウサだ、リュウサになった筈なんだ!
笑顔だって? そんなことでボクが認められないと言うのかっ」
叫び、笑い、そして嗚咽が漏れ始める。
様々な人格を吸収したサイの中で、何かが音を立てて崩れた。
「ほら、やっぱりボクのことを嫌いになるんだ……ボクが世界を滅ぼした一族の生き
残りだから、プリシアもボクを嫌いになる! だから、歌ってくれない!!」
「サイ!?」
泣き叫んでいる少年の姿に、プリシアは驚いて何か言おうとしたが、それを遮るよ
うにサイは叫んだ。
「みんなボクのことを嫌いなんだ! 当たり前だ、ボクの父さんも母さんもボクを捨
てたんだから! 両親が嫌うようなボクを誰かが好きになってくれる筈なんてない!
」
「サイ、どうしたの!?」
「ボクはリュウサだ! リュウサなんだ!!」
絶叫と共に、サイの身体から青白い炎がふき上がった。
「サイ!」
それは、膨大な魔力だった。
夢魔を吸収したことにより、リュウサの中の一部であるサイの容量では抱えきれな
い異質の魔力が、身体を突き破って放出していた。
「苦しい、苦しいよお……助けて、母さん、父さん!」
泣きながら、サイはだんだん小さくなっていく。
それに比例して炎は勢いを増す。夢魔は、青白い炎と化してその実体を取り戻そう
としているのだ。
「サイ、サイッ!」
「誰か、ボクのために歌って……プリシア、プリシアお願いだから……ボクのことを
リュウサって認めて!!」
その瞬間、プリシアの目に映ったのは、泣いている小さなリュウサだった。
プリシアの知らない、過去のリュウサだった。そしてプリシアの知っている、リュ
ウサの泣き声だった。
プリシアは、大きく息を吸い込んだ。
青の国に行きましょう
みんなが笑顔でいられる国へ
空と海が混じり合う国
透き通った優しい国
愛で満たされた国へ一緒に行きましょう
あなたの笑顔をずっと見ていたいから
私の笑顔を沢山見て欲しいから
すんだ美しい声が、洞窟内に響きわたり、神秘的な木霊を返す。
水面にほんの一滴こぼした雫が波紋を描いて広がっていくように、プリシアの声は
空気に溶けて広がっていく。
幾重にも重なる繊細な旋律は、極上のレースのような響きを作り出す。
生きるもの全てを魅了するような、魂を惹きつける声音だった。
青白い炎に照らされ、背後に水晶の花を咲かせた少女の姿は、その場で見るものが
あれば水色の天使を思わせただろう。
歌い続けるプリシアの瞳に、炎を吹き上げる少年が映る。既に五歳前後にまで体は
小さくなっていたが、その表情はずっと安らかなものになっていた。
少年が、スッと目を閉じる。
プリシアの胸のすみで不安が芽生えたが、少女は歌い続けた。
何となく、そうしなければいけない気がした。
今歌うのをやめたら、リュウサ……サイ……とにかく目の前の少年が消えてしまう
気がした。
炎の勢いはだいぶ緩んできていた。
それでもまだ完全には止まっていない。
「………るしい」
不意にしゃがれた声が聞こえてきた。
少年のものではない、もっと年を取ったしなびた声だった。
炎の中から、紫の何かが浮かび上がってくる。
長い腕のようなものが見える。冷たく光るのは、二つの目だろうか。
骨と皮だけのような胴体、鋭い爪先。
「……の、歌を……ヤメロ」
プリシアの身体に緊張が走る。
炎から、それは抜けだそうとしていた。
紫の長い指先が、プリシアの方にのばされる。
それと炎に邪魔されて、少年の姿は見えなくなっていた。
長い爪が、プリシアの首筋に迫る。
逃げなければと思うのに、身体が動かない。
「く……るしい……ただの人間のくせ……に、そんな歌を……声を!」
体は動かないのに、旋律を紡ぐことだけは、やめていなかった。
神聖な歌声と、断末魔のようなうめき声が洞窟に反響する。
冷たい爪の感触が、首筋に当たった。
思わずギュッと目を瞑ったプリシアの身体を、暖かい腕が引き寄せた。
「夢魔! もう、お前にはだまされない。僕は幻で死ぬ気はない!」
プリシアはその声に目を開いた。
プリシアの身体を抱きしめるようにして、プリシアのよく知っているリュウサの姿
をした少年が、夢魔に向かって言い放った。
「プリシアをよくも危険な目に遭わせてくれたな! お前は、消えろ!」
夢魔は、恐怖の叫びをあげた。
「そんな……リュウサの意識が魔法を使えるはずは……!!」
だが、抗議の声をあげる前に紫の身体は灰になり始めた。
爪が、腕が、輝く双眸が、骨と皮の胴が、全て灰に還る。
「ここは、僕の世界だ。僕の世界で、プリシアを傷つけるなんて許さない」
言い切った少年の視線の先、灰になった夢魔は完全に消え去った。
「リュウサ……? リュウサ、なんだよね」
おそるおそる、プリシアは問いかけた。
そんな感じがしていたが、本人の口から確証が欲しかった。
少年は、ふんわりと優しく笑った。
それは、プリシアが一番好きな微笑だった。
「うん、プリシアの歌が聞こえたんだ。だから、起きなくちゃって思って……」
目の前の景色が揺らいだ。リュウサの笑顔が、かすんで見えない。
だから、プリシアはリュウサを確かめるために力一杯しがみついた。
「リュウサッ!」
いつものように、プリシアのことを受け止めてくれた身体は暖かくて、そしてとて
も懐かしい気がした。