#4127/5495 長編
★タイトル (BYB ) 97/ 9/14 6:53 (183)
妖精城のワルキューレ・序章B つきかげ
★内容
そして、何よりその場にいた人々に畏怖を与えたのは、その漆黒の瞳の奥に映
し出された黄金の輝きである。それは、魔族の与えた刻印のごとく、冥界の昏き
闇に咲く黄金の花の煌めきが、その少年の瞳にはあった。
その少年はまさにエリウスであったが、昨日までのエリウスとは別人である事
は間違いない。
テリオスは、一切の怪異を目に止めなかったように、目の前に来た王子に声を
かける。
「やあ、我が子よ」
「出迎え、ご苦労です」
その少年の言い方は、老いた者が若者をいたわるようであった。テリオスは、
皮肉な笑みを浮かべる。
「おいで、坊や」
テリオスは、少年を抱き上げ馬にのせる。その後ろに、テリオスが跨る。
「やあ、空がきれいだ」
その少年の呟きに、一斉にため息がもれた。それは、いつもの十五歳の少年の
声である。その姿は、オウランがいつも見慣れた、野山を駆け回る少年、エリウ
スのものであった。その瞳からは、死せる女神の血が一滴落とされたような、黄
金の光は失われている。
オウランは、首を振る。今しがた見た真昼の白昼夢を、振り払おうとするよう
に。テリオスの馬が歩きだし、白衣の騎士たちがそれに続く。
いつも通りの、穏やかな昼下がりであった。
イリスは、エリウスをつれ、師ユンクのもとを訪れた。ユンクの家は、小高い
丘陵の頂上にある、雑木林に囲まれた小さな小屋である。そこから、トラウスの
象徴ともいえる、大樹ユグドラシルが見えた。その木の頂きは、蒼く広がる空の
高みの彼方へと溶け込んでいるように見えるほど、高い。そしてその枝の広がり
も、それ自体が広大で鬱蒼とした森林となり、輝くばかりに蒼い春の空に暗緑の
雲のように浮かび上がっていた。あたかも、天空に浮かぶ巨大な飛空島のようで
ある。
円弧を描いて王都を囲む山稜を、超える高さで聳える巨大な大樹ユグドラシル。
それは、王国が建国される時に、黄金の林檎を祀った地の周りに、黄金の林檎を
封じる結界を示す意味で植えた木が、結界から漏れる力を受け巨大化したもので
ある。
山々の稜線を超え、空を支える巨人のように聳える木を見たものは、畏怖の念
を持たずにはおれない。偶像を禁じるヌース教団は、ヌース神の神像も、聖画も
持たないが、空を目指す聖樹はまさに教団の象徴であった。
小屋は蔦に覆われ、庭には花々が植えられている。その小屋の薄暗い部屋に入
ったとたん、目を引くのは積み上げられた大量の本であった。王国が繁栄してい
た時期であればともかく、東西に王朝が分裂し戦乱の時代となった今、本は高価
なものである。それが、無造作に置かれているのは、宝の山を放置しているのに
等しい。薄暗い部屋の中でそれらの本は、かつての王国の繁栄の時代を華麗なる
夢として見ながら、そっと微睡んでいるようだ。
又、部屋の中には色々な魔法に関係しているのであろうと思われる、異国の彫
像や図版が飾られている。諸国を放浪していた時代に蒐集したものであろうが、
イリスの目から見てどれほど貴重なものか見当もつかない。それらの彫像や図版
がもつ象徴的な神秘性が、この部屋を一つの異世界の小宇宙に変化させているか
のようだ。
エリウスは、珍しげに部屋の中を見回している。ユンクは、陶器のティーセッ
トを持って部屋へ入ってきた。白磁のシンプルなデザインの茶器を、木のテーブ
ルに置く。この部屋の家具や小物は皆古く、様々な時代の臭いと使い込まれた物
特有の落ち着きを持っており、あたかも持ち主の体の一部であるようだ。
灰色の長衣を纏った、長身の痩せた老人、それがユンクである。ユンクは豊か
な髭を蓄えた顔に優しげな笑みを浮かべ、骨のように白い椀に茶をそそいだ。
「下男のジョーイに暇をやってな。儂のもてなしでは行き届かんが」
師に茶をつがせたイリスは恐縮して、詫びる。ユンクは、笑って楽しげに茶の
支度を終えた。濃厚な茶の薫りが、優しく部屋を満たしていく。
ユンクは目つきこそ鋭いが、その佇まいは学者か魔道士に見える。ユンクは、
興味深そうにエリウスを見た。
「それで、その王子を儂が預かるという事だね」
イリスは頷く。エリウスはにこにこと、ユンクを見ていた。ユンクと王テリオ
スは、親友と言われている。実際のところはともかくとして、ユンクが王の剣術
指南役である事は間違いない。
その為、テリオスの息子たちは皆、ユンクに剣の指導を受けるのが習わしとな
っている。テリオスの息子たちが、どの程度ユンクの技を使えるのかは、判らな
い。ただ、ユンクに技を教わったいう事実が、ある種のブランドとして受け入れ
られるのも事実であった。
ユンクは穏やかに笑いながら、エリウスを見る。
「エリウスという名の王子を、儂が教えられるとも思えんが、まぁ、預かってみ
よう。王子よ、暫く共に暮らすことになる。宜しくな」
エリウスという名は王国を建国した王の名であり、かってにつけられる名では
ない。ヌース教団の神官の神託があった時に、その名が与えられる。
その最も偉大な王の名を持つ少年は、呑気な顔で微笑むばかりだ。イリスは、
あきれ顔でため息をつく。神聖騎士としてエリウスの守り役となったものの、こ
れほど利発さに縁の無い子供も珍しいと思っていた。たいていは、日向で微睡む
猫のようにぼんやりとしており、声をかけても夢から呼び戻された時のような受
け答えしかできない。オウランのいった通り、山羊の番をさせておくのが正解だ
ったようだ。
「それでは、王子殿、さっそくだが練習に入ろうか」
ユンクは立ち上がる。イリスに促されたエリウスは、ユンクの後に続き部屋を
出た。
そこは、しん、として広い部屋である。磨き上げられた木の床が、天窓から差
し込む春の日差しを受け輝いていた。何も置かれていない、ただ広いだけのその
部屋は、どうやら練習場らしい。
ユンクは、壁にかかっている木剣をとり茫洋と突っ立っているエリウスに、手
渡した。エリウスは黒い宝石のような目で、木剣を見る。
「振ってごらん」
ユンクの言葉を受け、エリウスは無造作に剣を振る。ユンクはエリウスの手足
をとり、素振りのしかたを教えた。
「まずは、筋肉をつけることから始めよう。左手と右手、それぞれ千回ずつ振り
なさい」
エリウスは頷くと、せっせと振り始める。ユンクは目でイリスを促し、練習場
を共に出た。
丘を下る坂道を、ユンクとイリスが共に歩む。春の風が豊満な女性の抱擁のよ
うに、柔らかく、暖かく、二人を包み込む。
「十五だったかね、王子は」
ユンクは、楽しげに言った。
「ええ、でも、頭の中は六つでしょうね」
イリスの言葉にユンクは、喉の奥で笑った。
「すみません、先生。悪い子ではないんですが」
「おまえが謝ることでは無い、イリス。儂は結構、興味を持っている。何しろエ
リウスという名を賜っておるのだからな。楽しみだよ」
イリスはため息をつく。
「それにしてもなぜ、オウラン様は王都へ戻られなかったのでしょう。あの子を
一人にして不安でしょうに」
「正しい判断だよ。トラディショナル家は深い怨念を持っている。オウランが王
妃として中央へ戻れば間違いなく、権力闘争の駒として、利用しようとするだろ
う。スターデイルに留まったのは英断といってもいい。
エリウスがあの様子では、トラディショナル家も扱いかねるだろう。ただ、オ
ウランが中央にいれば、そうもいくまい」
イリスは肩を竦める。頭では判っても、気持ちで理解できない気がした。
「それよりも、オーラの様子はどうだね」
分裂したもう一方の王朝、クリスタル家のアリエス・クリスタル・アルクスル
王を擁立した東の大国オーラは戦乱の中原を平定する為、西へと軍を進めている。
「もう、中原の三分の二はオーラに制圧されました。残りもオーラに逆らう力は、
残っていません。時間の問題ですね。トラウスが落ちるのは」
「ブラックソウルも、いよいよ中原を制覇するか。しかし、それで奴が満たされ
るとも思えんがな」
イリスは寂しく笑う。師にとって気になるのは、王国の行く末ではなく、破門
したかつての弟子のことのようだ。かつて一番弟子とよばれたブラックソウルと
も、オーラの参謀となった今では、二度会うことは叶わぬであろうが。
「ああ、それと先生、ケイン・アルフィスが帰ってきます。ケインならもっと詳
しい話をしてくれますよ。オーラの首都、クリスタル市にもいったそうですし」
「ほう、ケインがね」
今の一番弟子の名を聞き、ユンクは目を眩しげに細めた。
イリスを送り終え、練習場に戻ったユンクは、エリウスを見てさすがに唸り声
をあげた。十五の少年は、木剣を放り出し、春の女神の愛撫のような優しい日差
しを受け、すやすやと寝息を立てている。
ユンクは木の床に大の字になったエリウスを、上から見下ろす。少年は口づけ
を待って微睡む王女のように、美しい。
ユンクの気配を感じてはっと目ざめたエリウスは、抱きしめたくなるくらい愛
くるしい笑みを浮かべ、起きあがった。
「お帰りなさい、先生」
天使を描いた聖画から抜け出したようなエリウスの美しい瞳に見つめられ、ユ
ンクは言葉につまった。
「その、素振りはどうしたのかな、王子。終わったとも思えんが」
「はい」
満面に笑みを浮かべて、エリウスが応える。
「途中で何回振ったのか判らなくなって、思い出そうと考えているうちに、寝て
しまいました」
ユンクは、さすがに笑うしかなかった。ははは、と声がもれる。それに、エリ
ウスが応えて笑う。ユンクは突然、馬鹿馬鹿しくなった。
「王子、剣の練習は、終わりにしよう。来なさい」
夢見心地の笑みを浮かべた少年は、ユンクの後に続く。
ユンクの部屋へ来た少年は、ユンクの前に腰を降ろす。その、汚れない黒曜石
の瞳を持つ少年の前に、ユンクは一片の水晶のナイフを出した。
エリウスは三日月の形をした水晶片を、手に取る。蜻蛉の羽のように薄い刃は、
触れただけで手を裂きそうだ。水晶は澄んだ湖の氷のように透明であり、真冬の
月のように冷たい光を放つ。
一方の端に穴があり、蜘蛛の糸のように細い絹糸が通されていた。エリウスは
月の光を手中に持ったようにそのナイフを持ち、黒い瞳で見つめる。
ユンクは、水晶に魅入られた少年に語りかけた。
「それが、水晶剣だ。儂の剣術はその剣を操る剣術なんだよ、王子。おまえの兄
たちにも、その剣を与えてきた。儂のもとで練習を積み、儂の術を身につけた証
しとしてな。
ただ、王子、おまえには今この場でその剣を与えよう」
エリウスは、嬉しそうにユンクを見る。
「もらっていいの?」
「ああ、おまえに、教えることはなさそうだからな。おまえを半年の間預かるこ
とになっている。王子、その間好きにすごせ。儂も好きにさせてもらう。ああ、
この本も渡しておこう」
ユンクは一冊の革張りの本を、積み上げた山の中から見つけてきた。エリウス
は、本を開いて見る。
そこにあるのは、一見無意味に並んだ様々な色の点であった。無数の彩色され
たガラスの破片を、紙に撒き散らしたようだ。それをしばらく見つめているうち
に、遠くのものを見つめているうちにだんだん焦点があってくる時のように、次
第に画像が見えてくる。
「へぇ」
エリウスが思わず感嘆の声を漏らす。そこには、様々な曲線をからみつかせた
螺旋体が立体的に浮かびあがっていた。無数の色彩が流れるように、その螺旋体
を彩っている。それは、手を触れれば、さわれそうなほど、リアリティを持った
虚像だった。そしてその複雑で幾何学的な螺旋体は、見つめれば見つめる程、緻
密でリアルになっていく。エリウスの黒い瞳の凝視の下で、色は鮮やかさをまし、
形は鋭さをましていった。
「それはな、儂がナーガルージュの元で修行していた時に見つけ出した、ホロン
というアシュバータという国の言語だ。その言語で思考する事によって、別の時
間流の中へと入れる」
「別の時間流?」
「そうだ。通常の言語では脳内の機能が十分に活用されない。ホロンは脳の機能
を最大限引き出す為の、言語だ。図形のように見えるホロン言語一文字が、一冊
の本に匹敵する程の情報を持っている。しかもその言語は、通常の言語のように
意味されるものと分離していない」