AWC アクアリウム〜勇敢な恋の詩2nd〜(下)   穂波恵美


        
#4124/5495 長編
★タイトル (PRN     )  97/ 9/11   0: 6  (113)
アクアリウム〜勇敢な恋の詩2nd〜(下)   穂波恵美
★内容
「へえ、白イルカがいるのか」
 僕は、パンフレットを片手にふむふむと頷いていた。
 真夏の水族館は、思ったほど込んでいなかった。
 家族連れや、中学生くらいの女の子たち、そしてカップル。
 前にいる、腕を絡ませた二人連れから、僕はそっと紫野先輩に視線を移した。約三
十センチ隣で、彼女は、パンフレットの裏にあった日程表を見ている。
 手くらい、繋いでも……と思うが、三十センチの距離は遠かった。
「三時から、イルカのショーがあるみたいよ」
 紫野先輩が、眼鏡をちょっと直しながら僕を見上げる。
「あ、いいっすね」
「空条君は、何が見たい?」 
「俺は、その……」
 紫野先輩、と思ったがさすがに口には出せない。
「やっぱり、イルカかな」
「じゃあ、三時まで順路に沿って回りましょうか」
 ワンピースの裾をふわりとなびかせて、彼女は先に立って歩き始めた。

 エイが、大きな体をひらひらさせて泳いでいく。その脇で、何だかアンコウみたい
な魚が、岩と一体化したみたいにじーっとしていた。
 赤や青、黄色の色鮮やかな小さな魚の群が、キラキラと身体を反射させる。もの凄
くでっかい魚の腹にくっついてる、小さな魚もいる。フロアをまるまる水槽にしたそ
の部屋には、名前も知らない魚が溢れていた。
「へえ、こんなに魚がいるんだ」
 思わず感心した僕に、紫野先輩が「水族館ですもの」と答える。
 彼女と僕は、水槽の前に設けられたベンチに腰掛けていた。青い光が、水槽から漏
れて彼女を照らしている。
「いや、でもすごいな、と思って」
「水族館、初めて?」
 水槽を見つめたまま、彼女が問いかける。
「はい、何か機会なくって。紫野先輩は?」
「私は……十回目かな」
「十回!」
 声をあげた僕の目に、彼女がうなだれるのが映る。
 青い光に、真珠が揺れた。
「紫野先輩?」
 心配になって声をかけると、彼女は聞き取れないような声で、尋ねてきた。
「……ちょっとだけ、話、聞いてくれる?」
「はい」
 僕は、一も二もなく頷いた。
 紫野先輩は、ちょっと息を吸い込んだ。
「私が初めてここに来たの、七歳の時だった。その後パパが事故で死んで、ママが、
落ち込んでる私を慰めようとして、連れてきてくれたの」
 紫野先輩は、手をギュッと握りしめていた。僕は、そっとその拳に自分の手を重ね
る。彼女の震えが、伝わってきた。
「それから毎年、夏になるとここに来るのが、ママと私の約束だった。どんなに仕事
が忙しくても、それだけはママも約束を破らなかったの。たぶん、パパのこと二人で
ゆっくり思い出す時間、ここでしかとれなかったから」
 紫野先輩の震えがひどくなる、僕は重ねた手に力を込めた。
「でもね、今年、ママ来れなくなっちゃった。笑顔で、ごめんねって。それで、お詫
びに何でもあげるからって、だから、私、このイヤリングもらったの。パパが、ママ
にあげたイヤリング」
 不意に、手が振りほどかれた。眼鏡が、カシャンと膝に落ちる。紫野先輩は、両手
で顔を覆っていた。
「ママ、いいって言ったの。パパの残したものなのに、すっかり忘れちゃってるみた
いだった! 私、一人で水族館行くからって言ったんだけど、チケット二枚あったし
、一人で来るの辛くて、でも行かないのは、私までパパのこと忘れたみたいで、もっ
と辛くて、だから、空条君に頼んだの! ごめんね……空条君たのしみにして来てく
れたのに、私、すごい自分勝手で」
 僕は、なんて言ったらいいのか分からなかった。ただ、傷つきながら自分を責めて
いる紫野先輩が、すごく痛々しくて、弱い存在に思えて、守ってやらなくちゃと思っ
た。
「紫野先輩……」
 そっと肩に触れる。
 引き寄せると、あっけないほど簡単に、紫野先輩の身体が倒れてきた。
「こんな事言うと、怒られるかもしれないけど、俺、嬉しいです。紫野先輩が、俺の
こと、辛いときに呼んでくれて」
 紫野先輩の背中を撫でながら、僕は出来るだけ優しく囁いた。
「俺、紫野先輩のこと好きだから、役に立ちたいんです。守ってあげたいんです。俺
、年下だし、頼りないかもしれないけど、でも頑張って、いい男になりますから。き
っと、お父さんに負けないくらい、いい男になるから、だから今は、俺で我慢して下
さい」
 紫野先輩が、小さく嗚咽を漏らす。
「俺の胸でよければ、いくらでも貸しますから、泣いて、いいんですよ」
 僕の腕の中で、紫野先輩が泣き出す。耳たぶで、真珠が、涙のような輝きを放って
いた。


「結局、イルカのショー見逃しちゃったね」
 帰りの電車、紫野先輩がポツリと言った。
 未だ少し目は赤いけど、眼鏡のフレーム越しなのでそんなに目立たない。
「来年、また見に来ればいいですよ」
「そういえば、空条君って誕生日、いつなの? 夏生って言う名前だから、夏の生ま
れだと思うんだけど」
 僕は、ちょっと笑って頭を掻いた。
「はは、実は今日だったりする」
「う、うそっ」
 紫野先輩が珍しく動転した声をあげた。
「やだ、ごめんなさい。ちっともお祝いしてあげなくて」
「ん、別にいいっすよ。俺にとっては、すっごく思い出深い誕生日だったし」
 僕は、ニヤリと笑ってポロシャツの胸を叩いた。
「何つっても紫野先輩が俺の胸で……」
「い、言わないって約束でしょ、それは!」
 紫野先輩が、真っ赤になって声を張り上げる。僕は、ペロリと舌を出した。
「はいはい、言いません。でも、今度海に行ってくれないと、舌が勝手に動き出すか
も」
「う、海……海はちょっと」
「海、ダメですか?」 
 紫野先輩は、困ったように俯いた。
 それから、大きく息を吸い込んで僕の顔をちらっと見上げる。
「笑わないでね?」
 僕は、真面目くさった顔で頷いた。
 紫野先輩は、耳まで赤くしてぼそっと言った。
「私、泳げないのよ」
 …………かかかか、可愛い!
 僕は、思わず絶叫しそうになった。
 照れた紫野先輩の、上目使い攻撃が、こうも効くとは思わなかった。
 可愛すぎて、笑いの発作がこみ上げてくる。
「ちょっと、笑わないって言ったでしょ!」
 紫野先輩の声を聞きながら、僕は緩んで仕方ない表情をどうやって直そうか、必死
に考えていた。

                           終わり
 




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