AWC アクアリウム〜勇敢な恋の詩2nd〜(上)   穂波恵美


        
#4123/5495 長編
★タイトル (PRN     )  97/ 9/11   0: 3  ( 97)
 アクアリウム〜勇敢な恋の詩2nd〜(上)   穂波恵美
★内容

「海?」
 紫野先輩が、本を整理する手を止めて、僕を見上げた。
 窓から差し込む夏の光が、綺麗に編まれた三つ編みと、細い輪郭を縁取っている。
「そう、明後日、一緒に行きません?」
 僕、空条夏生はその顔に見とれながら、問いかけた。
「なんで、私が空条君と海に行かなきゃいけないのかしら?」
「いいじゃないですか、明後日から二週間図書室も閉鎖だし。俺、未だ今年は海に行
ってないんですよ」
「だからどうして、私を誘うの? 空条君はお友達がいっぱいいるでしょう?」
「だって、俺は、紫野先輩と海に行きたいから」
 僕は、あくまで食い下がる。ここで引いたら、絶対ダメなのだ。
 紫野佐和子……紫野先輩と話せるようになって一ヶ月が過ぎた。
 ようやく僕にも、彼女の性格って奴がちょっと分かったのだ。
「紫野先輩とじゃなきゃ、意味がない」
 真っ直ぐ目を見つめる。
 フレームの奥で、紫野先輩の視線が泳ぐ。
 これは、迷ってる証拠。なら、後一押ししてみるのもいいかも。
「一緒に、行きましょう」
「海に、明後日……?」
 彼女は、ちょっと俯いたが、不意に表情を変えた。
 一瞬、期待が募る。だが、平静な声で告げられた台詞は、
「あ、明後日はダメだわ」
 というものだった。
「え……」
 呟く僕に、申し訳なさそうな顔をして、彼女が肩をすくめる。
「ごめんなさい、母と約束があるの」
「お母さんと……そっかあ」
 僕は、がっくりと肩を落とした。その姿がよほど哀れに見えたのか、紫野先輩は珍
しく僕に尋ねてきた。
「どうしても、明後日じゃなきゃダメなの?」
「ははは、実は俺も、明日は墓参りで、明後日以降は部活の合宿がはいってて」
「そうか、ごめんなさいね」
「いや、いいんです」     
  僕は、無理に笑顔を作った。
 本当は明後日というのには、もう一つ理由があったのだが、それを言っても紫野先
輩をますます困らせるだけだろう。
 冷静で、あまり感情を表に現さないから分かりづらいけど、彼女はすごく優しい。
だから、こっちが強引に頼めば、なんだかんだと折れてくれる。でも、だからこそ、
それに甘えてはダメなことも分かっていた。
「また、今度のお楽しみにしますよ」
「うん……」
 ちょっと翳りのある表情で、紫野先輩は頷いた。


「夏生、電話だぞ!」
 墓参りから帰り、ベッドでうとうとしていた僕は、いきなり脇腹に衝撃を受けた。
「……ってー」
 呻いて、目を上げると、ぼやけた視界の中に黒い何かと人の顔が映った。
「女の子の声だったぞ、めっずらしーな」
 ニヤニヤ笑いながら、電話の子機を持っているのは兄の秋穂だった。
 僕の脇腹の衝撃は、どうやらこのバカ兄貴の足蹴りのせいらしい。
「女のこぉ?」
 眠い目をこすりながら、電話を受け取る。
 兄貴は、興味津々と顔に書いて僕を見たが、僕がしっしと手を振ると、ちょっと肩
をすくめて出ていった。
 心当たりは、ほとんどない。マネージャーの栗林早紀かな、とちらっと思う。合宿
も近いし、その連絡だろうか。一瞬紫野先輩の顔も脳裏をよぎったが、彼女が僕の家
に電話してくるとは思えない。だが、受話器を耳に当てた途端、僕の眠気は吹き飛ん
だ。
「空条君?」
 落ち着いた、柔らかな声は確かに紫野先輩のものだった。
「し、ししし紫野先輩っ?」
 思わず子機を取り落としそうになる。
「あの、明日、あいてるかしら?」
 受話器を通して、紫野先輩の声が耳に吸い込まれる。まるで、囁かれているようで
心臓が一気に鼓動を早めた。
「空条君、聞こえてる?」
「あ、は、はいっ。聞いてる、聞こえてますっ」
「明日、暇かしら?」
「え? 暇? あ、はい。何も予定はないっすけど」
 彼女が、ちょっと息を吸い込む気配。
 これは、何か思い切ったときの癖だ。
「あのね、よかったら明日水族館に行かない? チケットが余ってるの」
 囁かれた声が、何だか寂しげで、僕は考える前に頷いていた。
「はい、行きます!」


 待ち合わせの時計台、佇む紫野先輩を見た瞬間、僕は思わず呟いていた。
「か、可愛い……」
 彼女は、膝丈のワンピースを着ていた。藍色の地に、水色と白の小花が散っている
。いつもお下げにしている黒髪は、どうやっているのかアップにして、銀のバレッタ
で止められている。白いサンダルに、同じく白のバックが涼しげだ。
 初めて見る私服の彼女は、制服の時の学生っぽさが少し薄れて、何だか女の子とい
う感じが強くなっていた。
 ぼーっと突っ立ていた僕を見つけた紫野先輩が、先に声をかけてくる。
「あ、空条くん」
「ごめん、待ちました?」
 小走りに近寄ると、小さく頭を振る。
 見慣れてきた筈のその仕草も、いつもよりずっとドキドキした。
「じゃ、行きましょう」
 そう言った紫野先輩の横顔で、チリンと何かが揺れた。
「あ……」
 それは、大人っぽいデザインの真珠のイヤリングだった。
      
                          続く





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