AWC 疾走する夏の死 3   永山


        
#4109/5495 長編
★タイトル (AZA     )  97/ 8/27   9:25  (172)
疾走する夏の死 3   永山
★内容

 六時からの食事は、確かに素晴らしいものであった。
 元来、常日頃の食事について、あれこれとぜいたくを言う質でない菊池であ
るが、料理のうまいまずいを区別し得る舌を持ち合わせてもいる。今夜の食事
は、彼がこれまでに味わった中でも、最高級に属する物ばかりであった。
「ぜひとも、作った当人に会って、直接お礼が言いたいほどだね」
「うーん、それは難しいな」
 菊池の正面、水を飲んでいた六津井が、目を細めながら答える。
「枝川さんは気まぐれな人みたいだからね。食事中に我々の前に現れ、各人に
感想を求めることも、確かにあったよ。でも、毎回そうかというと、違うんだ。
自分の経験で語ると、枝川さんが顔を見せるのは十回に三回ぐらいだね」
「何も待たなくてもいい。こちらか会いに行こう」
 最後のデザートまできれいに平らげ、菊池は口元を拭いた。
「それは嫌われるから、やめておきなよ。思うに、枝川さんは、当たり前のこ
とを言われるのを好まないんじゃないかな」
「と言うと?」
「絶対に自信がある料理に対して、改めておいしかったと言われても、意味が
ないという感じだね。あるいは、おいしいおいしいと言われることで、自分が
慢心するのを防ぎたいのかもしれないな」
「それは興味深い見方だ、ユウ」
 真剣に感心しながら、何度かうなずいた菊池。
「きっと、君も同じ立場なんだろうね?」
「何のことだ?」
「流行作家として、出す本出す本に対して面白かった、よかったと言われ続け、
神経が麻痺しちまったら……という状態になるのを恐れている。違うかな?」
 菊池の意見に、六津井は大げさに肩をすくめた。
「こっちから願いたいぐらいだよ、そういう状況になるのを」
 そして二人して、声を立てて笑い合う。
 食道の雰囲気は、かように、決して堅苦しいものではなく、各泊まり客が自
分達の世界をそれぞれ築いて楽しめるようになっていた。
 もっとも、例のOL二人組のテーブルは、いささか騒ぎすぎと言えなくもな
かったが。
 逆に静かなのが、写真家を自称する力石の席。彼だけが一人であるせいもあ
るが、どことなく暗い空気をまとっている。喋る相手がいない割には、ゆっく
りとしたペースで食べているため、皿にはまだまだ洋風料理が残っていた。今、
ステーキ肉をフォークで口に運ぶその右手も、実に緩慢な動作だ。
 平凡だが平和な様子を醸しているのは、車椅子の女性とその父親らしき男性
との組み合わせだった。菊池は食堂を出てから、友人に尋ねてみた。
「ああ、あの二人は、根木さんだよ。君の言う通り、親子だ」
 部屋への道すがら、説明をする六津井の表情は穏やかである。
「親父さんはデザイナーだと聞いている。宝石か何かの図案を考えるんだそう
だよ。何年か前に、事故で奥さんを亡くされて、娘の奈美恵さんもそのときの
怪我が元で、足をね」
「ふむ。こうして休養に来られるぐらいの余裕があるのだから、よしとしなけ
ればならないんだろうな」
「さあて、それは当人達の気持ちの問題だろう。他人があれこれ言うことじゃ
ない。ま、奈美恵さんが明るいので、救われている部分はあるだろうが」
「確かに、明るい性格だね。気持ちのいい笑顔をしていた」
「独りでいても、あの子は強いみたいだ。朝の十時頃になると、いつも部屋の
窓から湖を眺めているのを見かけるんだが、ちっとも寂しそうにしていない」
 話し終わると、ちょうどうまい具合に部屋に着いた。ジャケットのポケット
から鍵を出し、開ける。
「さてと」
 ドアをぴしゃりと閉め、六津井は菊池に視線を向けてきた。
「全員と会ってみて、どんな感想を持ったかな、名探偵は?」
「全員じゃないさ」
 苦笑いを浮かべる菊池。
「枝川さんの顔は拝見していないし、オーナーの菅原さんとも、お会いしてい
ない」
「菅原さんは、除外していいと思う」
 ベッドの縁に腰掛けた六津井に、菊池は「何故?」と目で問い返す。
「根拠なし。勘だね。それでも敢えて言うと、有名人や金持ちを呼んで秘密を
掴み、脅迫していたのが、そこのオーナーだなんて、あまりにもばればれじゃ
ないか」
「確かにね。評判にも関わるから、噂になれば、すぐに誰も寄りつかなくなる
だろう。が、実際は客が集まっているんだから、オーナーは無関係と考えてよ
さそうに思う。可能性が高いというだけだが」
「そうだろう」
 満足げにうなずく六津井。
「それから、ユウ。あのOL二人も除外できるんだな? 彼女達は、今回が初
めてらしいから」
「ああ、そうなるね。あとの宿泊客は、顔馴染みだ。つまり、対象とするのは、
料理人の枝川さんと従業員の若部を含め、五人になる」
「根木親子も?」
「根木の娘さんは、違うと思いたいけどね。窓辺から外を眺めている彼女の姿
を見て、考えが変わったんだよ。あれは、人の動きを観察しているのかもしれ
ないってね」
「疑い始めると、きりがなくなるよ。何か積極的な傍証はないのかな? その、
君の秘密を掴み得る状況にあるとか……」
 言いにくくて口ごもる菊池。親しい相手の秘密を、一度聞いたあととは言え、
何度も口にしたくはない。
 ペンションに到着して間もなく、六津井から明かされた。バイセクシャルの
性癖−−男とも女とも寝ていたことを何者かに掴まれ、その行為の写真を送り
つけられた挙げ句、金を要求されていると。
 六津井当人にとっては暴露されても、痛くもかゆくもない秘密なのだが、相
手に迷惑がかかるのを嫌う性格なのである。
「警察に届ける訳にいかないから、困っていたんだ。そんなとき、君の名前を
思い出したんだよ」
 告白を終えた六津井は、すっきりしたように言ったものだ。
 今、目の前にいる六津井は、辟易した風に鼻を鳴らす。
「ここ二年の話なんだけどねえ、いつ撮られたのかが分からないのは、不覚だ
ったな。夕暮れ時、野外でのことだったから、誰にでも可能性はありそうだし」
「……念のために聞いておくけど、君のもう一つの秘密は、知られていないの
かな?」
「もう一つって……僕が昔、女だったことか」
 こともなげに言う六津井に、菊池は微笑で応じた。多少、気楽になった。
「知られてないと思うけど、知られたって大したことじゃない。作家人気が落
ち込んできたら、自分から公表してやろうかと考えてるぐらいだよ。あっはっ
はっ、ははは」
「なるほどね。とにかく、相手に迷惑が及ばなければいいんだね」
「まあ、そうなるかな。いや、これまでは金を指定口座に入れてたんだよ。払
わないと、脅迫者の奴、僕の相手の方を脅し始めるんじゃないかと考えられた
からね。だが、それも馬鹿馬鹿しくなってさ。いっそ、脅迫者の正体を暴いて
やろうかと」
「ユウ。君自身は、誰が怪しいと考えているんだ?」
「難しいな。写真という点では、写真家の力石さんだが、短絡的かな。自ら写
真家と名乗るのも妙かと思えるし。客の部屋に出入り自由な従業員の若部もね
え、怪しいと言えば怪しい」
 首を捻る六津井。
 菊池は髪をかきむしりながら、意見を述べた。
「脅迫や金を払わせる手際のよさから、他にも同じ目に遭っている人がいるか
もしれない」
「それは想像できるが、だからといって、どうなるんだい?」
「……聞いて回ってみる、なんてね」
「何だって?」
 素っ頓狂な声を上げ、立ち上がった六津井。対して、菊池は「落ち着いてく
れよ」と告げた。
「落ち着くのは、君の意見の全てを聞いてからだ」
「ああ、いいとも。宿泊客並びにペンションの人間全員に、聞くんだよ。『あ
なたは脅迫されていますか?』とね。ノーと答えた人達の中に脅迫者がいる」
「……素晴らしい考えだ、全く!」
 吐き捨てた六津井は、どさっとベッドに倒れ込む。大の字になっても、まだ
ぶつぶつ言っている。
「最終手段を言ったまでだよ。怒らないでほしい」
「……分かってる。だが、もう少し真面目にやってくれ、名探偵」
「無論。今夜から動くつもりだよ」
 特ダネめいた餌を見せれば、脅迫者なら食いついてくるだろうとの読みが、
菊池にはあった。

 菊池が最初に会おうと考えたのは、力石だった。このようなペンションに来
るには似つかわしくない、男の一人旅。さらにはカメラを持って歩き回ってい
る。これだけで疑うに充分である。
 一種の内緒話をするようなものだから、あまり早すぎてはおかしい。かとい
って、あまり遅くに訪ねて、不審がられてはお手上げである。菊池は午後九時
十分前に、力石の部屋のドアをノックした。
 が、彼の捜査は最初からつまずきを見せてしまう。返事がないのだ。
 帰って来ていないのかと思いつつも、念のために再度、ノックしてみた。
 やはり返事がないので、ドアの隙間に目を当ててみるが、明かりが漏れてく
る様子はない。防音がしっかりしているおかげで、室内の明かりが点っている
のかどうか、判断できなかった。
 不在なのか、すでに寝入ったのかが分からない以上、ドアノブを回してみる
危険を冒すことも、今の段階では避けたい。
「やれやれ、だな」
 力石を捜すべきか、それとも他の誰かを当たるべきかを考えているとき、そ
の悲鳴は聞こえた。まさしく、絹を引き裂くような叫びだった。
 方角を見当付けて行ってみる。どうやら一階らしい。
 二階から駆け降りる者は、菊池を置いて他にない。皆、悲鳴を耳にしなかっ
たか、あるいは聞こえたが大した騒ぎでないと判断したのであろうか。
「あ、菊池さん」
 洗面所の前だった。何人かが集まっている中、若部が振り返った。様付けで
なく、さん付けになっているのは、動揺のためか。
「さっきの悲鳴は一体?」
「わ、私が……あれを見て」
 若部が指差した方向には、人が一人、目を剥いて倒れていた。OLの神野麻
伊だった。ぐったりとして、全身から力が抜けてしまっているらしく、首が変
な方向に曲がっていた。
「−−死んでいる」
 直感して、思わずつぶやく菊池。これまで何度か変死体を目にしてきた経験
のたまものだ。
 と同時に、周囲に目を走らせる。今、この場にいるのは……若部と力石、恰
幅のよい、眼光鋭い初老の男性。彼はきっと、枝川であろう。さらにもう一人、
和服の女性が眉をひそめ、緊張した面持ちで寄り添うように立っていた。彼女
がオーナー経営者の菅原登喜だと当たりを付けた。
「一一九番……救急車を」
「いや……ちょっと失礼」
 若部が行こうとするのを止め、菊池は横たわる神野の手首を取った。さらに、
胸元に片耳を当てたり、目を覗き込んだりしてから、その場にいる者に告げる。
「残念だが、彼女は亡くなっています。頭部を強打したようだ。警察を」
 場に、見えない揺らぎが起こった。


−−続く




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