AWC 代償   第二部 13    リーベルG


        
#4090/5495 長編
★タイトル (FJM     )  97/ 8/17   0:16  (171)
代償   第二部 13    リーベルG
★内容

                13

 期末試験が終わってから夏休みまでの短い期間、学校全体の志気は緩む。最も
厳格な教師たちにさえ、その傾向が見られた。どちらも、40日の限定された自
由を精一杯有意義に活用することだけを考えていて、授業その他の学校行事など
は二の次になる。
 もっとも進学組の三年生はそうも言っていられない。事実上、彼らの夏休みは
早起きする必要がない事以外は、学期中と変わることがないからだ。従って、う
かれ騒ぐ下級生を横目に、「昔はよかった」などと愚痴をこぼし合うことになる。
 ここ何日か、志穂は顔色がすぐれなかった。原因は精神的なものではなく、身
体的なものである。特に、朝、起き抜けの軽い吐き気に悩まされていた。食欲も
ない。
 田辺とは三日に一度は会っている。従ってピルは欠かさず飲んでいた。田辺の
言ったとおり、志穂の月経は止まっていた。すでに予定日を二回経過している。
 二時限目が終わり、トイレから教室に戻ろうとしていた志穂は、途中で呼び止
められた。
「志穂」
「あら、祐子」
 朝倉祐子が立っていた。「取り巻き」と揶揄される下級生を数人引き連れてい
る。
「久しぶりじゃん、元気?」
「まあね。あんたは元気じゃなさそうね?顔色悪いわよ」
「ちょっと夏バテみたい。今日も32度とか言ってるし」
 二人は中学からの同級生である。死んだ藤澤美奈代と同じく、高校に入学して
からは疎遠になったが、廊下で会えば立ち話ぐらいはしていた。
「前に美奈代のことで、変な噂を聞いたんだけど」祐子は壁にもたれて腕を組ん
だ。「その後、どう?」
「ああ、あれね」志穂は何でもなさそうに答えた。「まだ、そんなこと言ってる
やつがいるのかね。だいたい、何の関係もないんだから。誰だか知らないけど、
はた迷惑な話よ」
「それならいいんだけど」
「それより聞いたわよ」
「何を?」
「あんたが苛めてた2年の何とかって子のこと」
「人聞きの悪いこと言わないでよ」
「何でも絵画コンクールに出品するんだって?それで、あんたが手を出せなくな
ったって?」
「ばかなこと言わないで」祐子は顔をしかめた。「誰も苛めてやしないわよ」
「そうかなあ?」志穂はにやにや笑った。「あんた、昔からプライド傷つけられ
た相手には容赦なかったからねえ」
「そっちこそ、聞いたわよ」祐子が言い返した。「なんか、すごく年上の男と付
き合ってるんだって?何?エンコー?」
「援助なんかじゃないわよ。まあ、大人の付き合いってやつよ」
 祐子は肩をすくめた。
「大人のねえ。ま、できちゃったなんてことにならないようにね」
「それは大丈夫。ちゃんとしてるから」
 三時限目の始まりを告げるチャイムが鳴った。
「じゃあね、志穂。本当に顔色悪いわよ。保健室行ったら?」
「大丈夫。ばい」
 二人は手を振って別れた。

「天野、顔にブルー入ってるよ?」クラスメイトの梅宮夏美は心配そうに志穂の
顔を覗き込んだ。「大丈夫?夏バテ?」
「そうみたい。そんなことはどうでもいいんだけどさ」
「ふむ。で?頼みって何?」
 志穂と夏美の二人は、学校の帰り、マクドナルドに寄っていた。志穂のおごり
である。
「実はさあ」志穂は照れくさそうに切り出した。「夏美、毎年、夏は蓼科行くで
しょ?今年も行くの?」
「え?うん。おじいちゃんち。それがどうかしたの?」
「いつから行くの?」
「8月の頭からだけど?」
「あのさあ、あたしもついてったことにしてくれないかなあ?」
「天野が?」夏美は首を傾げた。「なんで?」
「ちょっと別のとこに行きたいんもんで」
「ははーん。なるほど」夏美はシェイクをすすりながら、にやりと笑った。「そ
っか。例の彼氏とどっか行くんでしょ?違う?」
「あたり。北海道行くの。で、梅宮に……」
「アリバイ作りに協力しろってわけね」
「うん。おねがい!」志穂は手を合わせた。「あたしのシェイク飲む?」
「いらないわよ。わかった。協力しようじゃないの。すっかり惚れ込んじゃって
るのねえ」
「自分でも意外なんだけどねえ。ま、高校最後の夏だもんね。それぐらいの思い
出あったっていいじゃん」
「いつから行くの?」
「梅宮の日程に合わせる」
「飛行機の予約とかは?」
「彼の車で行くから。新潟からフェリーでね」
「カニ缶とバター飴ね」
「は?」
「お土産よ。あたしは蓼科みやげを、天野の分も買ってきといてあげるから」
「サンキュー、梅宮。一生恩に着るね」
「大げさなやつ」
「蓼科行く日、決まったら教えて」
「わかった」



 終業式の前日の昼休み、志穂は由希に呼び止められた。
「天野さん」
「あ、先生」
「顔色悪いわよ」由希は心配そうに言った。「身体の調子でも悪いの?」
「最近、みんなに言われるんですけど、たいしたことないんですよ」
「そう?ならいいんだけど。今、ちょっといいかしら?ごはんは食べた?」
「あまり食欲なくて」
「相談室でジュースでも飲みましょう」
 進路相談室で、缶入りのグレープフルーツジュースを前に置いて、由希は切り
出した。
「実は天野さんに関する噂のことなんだけど」
「あれですか?もう最近は聞きませんけど」
「そうらしいわね。まだ気にしてるかな、と思ってね」
「今はもう全然気にしてませんよ」
「それならいいんだけど」由希は志穂の顔をじっと見つめた。「受験勉強の方は
どう?ちゃんと進んでる?」
「もちろん。毎晩3時までやってますよ」
「あまり無理すると身体こわすわよ」
「無理してるってほどでもないですよ。最近、気分が乗ってて、睡眠時間減らし
てても眠くならないんです」
「彼氏ができたって言ってたけど、そっちも続いてるの?」
「ええ、もちろん」
「期末の成績見る限りでは、影響ないようだけど」
「だから勉強はちゃんとやってるんです」志穂の口調がきつくなった。「自分の
面倒ぐらい自分で見られます」
「ごめんなさい」由希は静かに謝った。「よけいなお世話だったみたいね」
「い、いえ、すみません」
「いいのよ。気にしないで。夏休みはどこかに行くの?」
「え?ああ、ええ。北海道に行こうかと」
「彼氏と?」
「えーと……」
「いいわ」由希はくすっと笑った。「聞かなかったことにしとく。楽しんでね。
今年はずっと参考書と問題集に釘付けになると思うから」
「やなこと言うなあ」
「第一志望はK大文学部だったわね?」
「そうです。よく知ってますね」
「一応三年生の担任ですからね。今の成績が維持できれば大丈夫よ。夏休みの間
に落とさないようにね」
「わかってます。夏休みだって、遊んでばかりいるわけじゃないですよ」
「それだけわかっていれば、先生からは何も言うことはないわ」由希は立ち上が
った。「では、楽しい夏休みを」



 八月十日の提出締め切りに向けて、めぐみは毎晩遅くまで美術室に残っては、
作品を仕上げていた。作品数には制限がないので、野上教師の勧めもあって、水
彩画を二点提出することにしていた。野上教師は油絵も描かせたかったのだが、
めぐみは経験がなかったので、やむなく諦めたのである。
 すでに一枚は完成していて、画架に布をかけて美術準備室に置かれていた。そ
れを見た数少ない人間の一人はもちろん由希だった。
 その絵を見たとき、由希は思わず息を呑んだ。
「どうですか、橋本先生」野上教師は満足そうに一歩下がった。「実に大胆なタ
ッチです。おとなしそうな外見からは想像もできない」
 キャンパスの上に描かれていたのは、一匹の猫を抱いた少女の肖像画だった。
少女は清楚な白のブラウスを着て、見る者の心を和らげる暖かい笑みを浮かべて
いた。少女の腕の中で心地よさそうに丸くなっている猫も、同じように微笑んで
いるようだった。
「先生をモデルに、少しアレンジしたそうですよ」野上教師が控えめに言った。
 私じゃない、と由希は心の中でつぶやいた。私が描いて欲しかった姿がここに
ある。
 めぐみがいかなる奇跡を起こしたのか、そこに描かれているのは由希の死んだ
妹にそっくりな少女だった。由希はめぐみに、妹のことは一言も話していない。
にもかかわらず、めぐみは……
「橋本先生?」
 野上教師の驚いたような声で、由希は我に返った。いつの間にか、自分の頬に
涙が一筋流れているのに気付き、少し赤くなりながらハンカチで拭う。
「すみません。素晴らしい絵でしたので」
「全くその通りです」野上教師は頷いた。「技術的には稚拙な部分が残っていま
すが、立川君は何を描くべきで何を描かずにおくべきか、ということを本能的に
知っているようです。後、1、2年勉強を続ければ、日本を代表する画家になる
かもしれません」
 由希はキャンパスに元通り布をかけた。実のところ、見続けていると、また涙
がこぼれてしまいそうだった。
「確か二枚提出するそうですが」
「ええ、もう一枚も完成に近づいていますよ。こちらは風景画です。夕暮れの海
岸を描いています。見ますか?美しいですよ」
「いえ」由希は首を横に振った。「完成を楽しみにしていますわ。ところで、先
生。私、八月上旬に私用で旅行に出ます。七日ぐらいには戻ってきますが、その
間、立川さんのことお願いできますか?」
「わかりました。どのみち、私も毎日学校に来るつもりでしたから」






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