#4026/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/ 7/30 17:49 (197)
十三VS殺人鬼 8 陸野空也
★内容
牛久は療養所内に戻ろうと決心した。
「−−あれ?」
玄関まで来て、呆然とする。
「何で、開いてないんだ?」
正規の出入り口である自動ドアが止まっているのは当然だが、その横に手で
開閉可能な扉があるのだ。その鍵を内側から開けて、牛久は出て来たのである。
それが今、施錠されていると知って、牛久は焦った。
「抜け出したの、ばれたか。叱られるのを覚悟で、入れてもらうしかない」
戸を叩こうと腕を振り上げたとき、牛久はふと、気付いた。
「明かりが消えてる……」
療養所内の明かりが、すっかり消えている。
「停電? 雷、鳴ってないのに」
おかしいと感じたが、今はそれどころでないと思い直し、大声を張り上げよ
うとした。
「−−ごっ」
自分の喉が奇妙な音を発するのと、頭部に痛みが走ったのと、どちらが早か
ったか、牛久には判断できなかった。
両膝が勝手に折れ、ぺたりと座り込んでしまう。松葉杖が倒れ、派手な音が
した。もっとも、雨風の音にかき消されただろうが。
振り返ることもできず、牛久は続けざまに二打、三打と襲撃を受けてしまっ
た。痛みは感じているのだが、身体がもはや、反応してくれない。
声を出そうにも、あまりの鈍痛に、低い呻きしか漏れ出ないのだ。
「ああ……」
やがて牛久は悟った。
エンプティが来たのだ、と。
こちらが追いかければ会えず、あきらめ書けると向こうから現れるなんて、
何かに似ているよな。
そんなことを考えながら、牛久は自分の頭が破壊されていくのを、ただただ、
受け入れた。
宮本を絞め殺し、自殺に偽装する細工を終えたエンプティは、自分の部屋に
戻る途中、人影を玄関口に見つけた。即座に、牛久だと分かる。
牛久を殺したのはついでだった。
宮本がエンプティだと思わせるため、自殺を装って殺したのだが、今なら死
亡推定時刻もごまかしが利くだろうと考え、牛久の命をも奪ったのだ。
これからは当分できなくなるであろう殺人を楽しむと、エンプティは最後に
いつもの儀式を施し、満足して歩き出した。
自分の部屋の窓の前まで来ると、慎重な手つきでサッシを引く。
窓枠を掴むと、一気に身体を持ち上げ、中に転がり込んだ。
「これで打ち止めだ」
静かにつぶやき、にこりと笑った。
ようやく風雨が収まりつつある中、雰囲気をぶち破ったのは、ガラスの割れ
る音だった。
眠れずにいた寺之本真矢は、全身をびくりとさせ、飛び起きる。
大塩も、負けず劣らず、素早く身を起こした。
「何だ、今のは?」
「ガラスが割れたようですが」
「馬鹿もん! そんぐらい、誰にでも分かる!」
どやしつけながら、外へ出ようとする。
「い、いきなり飛び出さない方が」
「おまえごときに言われんでも、分かっておる! さっきの音、どっちの方向
から聞こえた?」
「さ、さあ……」
「頼りにならん奴だ」
寺之本は左手に懐中電灯、右手には、部屋にあった空っぽの花瓶を持つと、
ドアを開け、廊下の様子を窺う。誰もいないと分かると、一気に飛び出し、一
瞬だけ迷ってから、一人でいる幸の部屋に向かった。
「幸! 幸! 開けろ! 大丈夫か?」
狂ったかのごとく、幸のいる部屋の扉を叩き続ける。
あとから大塩が追い付いた。
「くっそー、返事がない!」
ヒステリックに叫ぶや、一旦、反対側の壁まで下がり、勢いづけてドアへ突
進する寺之本。そんな体当たりを繰り返した。
「か、会長」
「貴様も手伝え!」
びくともしない扉の前で、崩れ落ちながらも、寺之本はわめいた。
「で、電話が先では」
「うるさい! 早くしろ!」
二人がかりの体当たりは効果があったか、頑丈なドアも三度目に陥落した。
雪崩れ込んだ寺之本と大塩は、姿勢を崩し、折り重なるようになってしまった。
部屋の中は真っ暗で、何も見えない。
いや、違った。床に転がったつけっぱなしの懐中電灯がが、ほんの一部分だ
け、照らしている。
その光に照らし出された輪の中が、赤く濡れていた。
寺之本は自分の懐中電灯を掲げようとした。
その刹那、風のような物が起こる。
危険を察し、手を引っ込めた寺之本だったが、懐中電灯を弾き飛ばされてし
まった。何か固い物が当たったのだが、その正体は掴めない。
「大塩、照らせ、照らすんだ」
「は、はい」
尻餅を突いた格好で、二人は会話をするが、その声に震えが混じっている。
大塩は片膝を立て、こわごわとして手つきで、懐中電灯を前に突き出した。
ほぼ同時に、大塩の身体が宙に浮いた。
「大塩?」
叫ぶ寺之本は、大塩が右手首を掴まれ、持ち上げられたのだと認めた。
凶悪な何かがいる。それだけは理解できたが、どうしようもない。
宙吊りにされた大塩は、声も出ないよう。
それを呆然と見上げていた寺之本の眼前で、それはいきなり展開された。
「あ」
寺之本は見た。
一撃。
斧によるたった一撃で、大塩の頭部が、胴体から離れて行くのを。
コマ送りの映像のように思えた。
寺之本にとって音が消えた世界の中、頭部が落下し、転がり、こちらを向い
た。その表情は、恐怖と驚きがない交ぜになって、固まったようだった。
「ひ」
我に返り、後ずさりを始めた寺之本。
すでに、幸の命もないだろうと思った。悲しいかな、それは確信だった。
部屋にいる巨大な何者かは、大塩の遺体を持つ方の手を、ぶんと振り回した。
途端に、寺之本の前を黒い物が覆い、続いて重量が加わった。大塩の首のな
い遺体を、まるで掛け布団か何かのように、寺之本に被せてきたのだ。
「うわーっ!」
何故今まで出せなかったのだろうと思えるほど、大声で叫び、寺之本は遺体
をどうにか蹴り飛ばすと、今度は四つん這いの格好になって逃げようとする。
が、それは許されず、間髪入れずに、新たな加重があった。
再び遺体を上から被せられていた。
「−−う、うわ」
それもまた首から上がなかったが、大塩とは違う。
この状況にあって、寺之本はよく観察したと言える。服装や足の具合から、
息子だと分かったのだ。
しかし、怒りなどは湧いてこない。
只今は、とにかく逃げなければという思いに、彼の心は支配されている。
だが、その思いがかなえられることはなかった。
腰が抜けた状態の寺之本は、至極簡単に片足を捕まえられ、ちょうど大塩が
やられたのとは逆向きに吊された。
「は、放せぇ!」
悲鳴のように言った。何の役にも立たない威厳なぞ、どこかへ流してしまっ
たのだろう、欠片も残っていない。
「何の恨みがあって」
質問を発した寺之本は、その全部を言い終わる前に、急な重力を感じた。
あっと気付いたときには、自らが壁に激突する寸前だった。
全身がばらばらに砕かれるような、あまりの痛みに、声が出た。文字で表す
のは不可能な、獣の雄叫びに似た声。
弱々しく両腕を回す寺之本の様は、幼子の喧嘩のようにしか見えない。
巨大な影は、肩を揺すって、再度、寺之本を壁に叩き付けた。
「……やめてくれ」
声を振り絞る寺之本。
その願いは聞き届けられなかった。
影は、斧を持ち替えると、その柄を壁に突き立てた。
そして、三度目の−−。
「う、う、うわあ! やめてくれーっ!」
遊園地にある円運動をする空中ブランコのごとく振り回された財閥会長は、
壁にできた鋭い突起−−斧の刃−−めがけ、すっ飛ばされた。
刃が、胸板から喉元にかけて、食い込んむ。
すぐには襲ってこない痛みが、かえって恐ろしさを増す。
足首を引っ張られ、斧から引き離された瞬間、一気に痛みが顕著になった。
しかしそれを感じるいとまはなく、寺之本の身体は翻弄される。
そう、彼は、巨大な影によって、斧に叩き付けられる運命なのだ。頭部がう
まく切断されるまで、何度も何度も……。
念田と福原は、新たに起こった騒ぎを聞きつけてはいた。だが、決して出て
行こうとはしない。騒ぎの度合いが、これまでになく大きいからだ。
壁を伝って、重低音が響いて来た。身体が揺れるのは、そのせいか。いや、
恐怖から来るものかもしれない。
「落ち着け」
福原に言い聞かせる念田。
「静かにしておけば、わしらがここにいると、気付きはせん」
「し、しかし……他の方を見殺しにするなんて」
「やむを得んのだ。わしのこの足では、逃げ切れぬのは火を見るよりも明らか。
下手に動いて勘づかれるより、じっと息を潜めることだ」
「……」
「それとも多恵。おまえだけ、逃げるか? それもよいぞ」
「そんなこと! できません」
いやいやをするように、福原は上半身を揺らした。
「ならば、わしの言うことを聞いておけ」
そこまで言うと、言葉を区切り、深く息をついた念田。
さらに声を低めて、言う。
「もしも、もしもだぞ。ここにいると勘づかれたときは、おまえだけでも逃げ
ろ。窓から出られる」
「そんな、あなたっ」
「いいんだ! よいか、わしみたいな男は放ってだな、さっさと逃げるんだぞ。
外に出たら、闇雲でいいから走れ。下へ下へと行けば、いつか着く」
「できません。あなたを置いて行くなんて」
「じゃあ、わしを連れて逃げられるのか? ……正直に言おう。わしは、おま
えに今の内から逃げ出してもらいたい」
「あなた……」
「盾になる心構えはできている。だが、実際にその場面が来たら、どんなみっ
ともないことを叫ぶか、自分でも分からん。おまえに、そんな姿を見せたくな
い。そんな声を聞かせたくない」
「……やっぱり、一緒に逃げましょう」
福原が強い調子で言った。
「だから、それは無理だと、何度も言って」
「窓から出るぐらいなら、私がお手伝いして、できるでしょう? 裏庭を回っ
て、矢口さんの部屋に向かうのです。あの方は車をお持ちですから、乗せても
らって、できる限り遠くに」
「なるほどな。だが、すでに矢口さん達は逃げているかもしれん。あちらは、
わしみたいな足手まといがおらん」
「やってみなくては、分かりません」
言うが早いか、福原は念田の座る車椅子を押し、窓際に着けた。
男に有無を言わせず、ガラス戸を開ける。
「さあ、私が押します。それとも、先に行って、引っ張った方がよいですか?」
「おまえ……」
念田は手の平で顔を一撫でしてから、一拍を置いて、言った。
「先に出て、引っ張ってくれ」
福原はうなずくと、動きにくい身なりにも関わらず、窓枠に乗り、思い切っ
た風に飛び降りた。ぬかるんだ地面に足を取られたが、すぐさま立ち直る。
「あなた、早く」
「ああ。無理するな」
両手を伸ばす女へと、念田が飛び込もうとしたそのとき。
巨大な影が現れた。
それも、扉を破る手間を厭うたか、外を回ってきたらしい。
「あ……あぁ」
絶望のあえぎ声を漏らしたのは、念田も福原も同じであった。
−−続く