#4023/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/ 7/30 17:45 (200)
十三VS殺人鬼 5 陸野空也
★内容
「それじゃあ、天候にもよりますが、明日からやってみましょう。できた薪は、
役立たせてもらうわ」
「その方が張り合いがあります。お願いします」
巨躯を折り曲げ、深々と頭を垂れる吉河原。
割蔵はくすりと笑った。
そのあとも二十分近く会話を続け、吉河原は満足した体で部屋を辞去した。
彼の大きな背中が廊下へ消えるのを待って、割蔵はカルテに添付するメモに、
忙しくペンを走らせる。
「回復の兆候、顕著なり、と。斧という単語にも怯えなくなったようだし。次
は、実際に持たせてみて、反応を見る段階」
ペンを軽く振り、彼女もまた、満足げな笑みを浮かべた。
看護婦に用意してもらった部屋で、寺之本はもはやあきらめの境地にあった。
「病室がホテル代わりか。悪くない」
「病室じゃねえよ」
部屋の片隅で、車椅子に身を預けている幸が、せせら笑うように注意する。
「ここは療養所だって言ったの、親父じゃねえか」
「ああ、そうだな」
部屋にはもう一人、愛がいるが、テレビに見入っている。秘書はスケジュー
ル調整のための電話をかけに行き、運転手は車に戻って、何か役立ちそうな物
はなかったか、見て回っているところ。
療養所側は、寺之本ら急な「泊まり客」に、二部屋を用意した。どう振り分
けて使うかは、本人達の自由と言い渡された。
「こんな形で家族団らんとは、皮肉なもんだ」
「親父のことだから、ヘリでも呼び寄せると思ってたよ」
「馬鹿を言うな。降りる場所がない」
できないと言わない辺り、寺之本の今ある地位を示している。
「ねえねえ、父ちゃん」
ベッドの端にちょこんと腰掛けていた愛が、飛び降りて、寺之本の腰辺りに
しがみついてきた。
「何だ、愛?」
「部屋のこと。矢口のおじさんと一緒がいい」
「お父さんと一緒じゃ、嫌か?」
苦笑しつつ、愛を抱きかかえる寺之本。
「嫌じゃないよ。でも、矢口のおじさんとなら、話が合うんだ」
小学校への送り迎えをも受け持つ矢口は、愛に非常になつかれていると見え
る。寺乃本のいなかった一ヶ月間、矢口の仕事のほとんどは愛の送迎だったせ
いもあろう。
ちょうど、その矢口が戻って来た。
「矢口、おまえ、愛と一緒の部屋でいいな?」
矢口の報告の前に、寺乃本が告げる。
言われた当人は面食らったように、鼻の頭をかいた。
「はあ、言い付けとあれば……。でも、私なんかが、愛お坊っちゃんと一緒の
部屋でよろしいんですか?」
「かまわん。愛の希望だ。せいぜい、かわいがってやってくれよ」
笑って、矢口の背を叩く寺乃本。仕事を完全に離れた時間を過ごすことで、
普段の渋面も影を潜めつつあるようだ。
「じゃあ、隣の部屋に……愛お坊っちゃん、移りましょう」
「ようし!」
元気のいい返事をして、矢口の腕にまとわりつく愛。
二人が出て行くのと入れ替わりに、大塩が入ってきた。
「何とか調整できました。一部、延期させた件や代理を立てたものもあります
が、支障ありません。詳しくは、こちらを」
と、スケジュール表を差し出す大塩。
「確かめる必要はなかろう。こと、スケジュールに関しては、おまえのまとめ
上げる手腕を買っておる。ご苦労だった」
「はっ、どうも−−」
「それよりも、部屋のことだが……おまえと私が、相部屋と決まったぞ」
寺之本の笑み混じりの言葉に、大塩は動きを止めた。
「自分は矢口と同じ部屋かと思っていましたが……」
「何だ、不満か?」
「い、いえ。そんなことはありません」
顔の前で手を振った秘書に対し、寺之本は高笑いをした。
部屋の隅で、幸が呆れたようにつぶやく。
「親父、性格、変わったんじゃねえの……」
午後八時までには、全員の食事が終わっていた。
両手の自由が利かない宮本へは当然、つきっきりで食べさせてやらなければ
ならない。その役目を自ら買って出たのは、あの物好きな牛久である。
「娑婆での最後の食事が、こういう形とはね」
温くなった茶を飲ませてもらってから、宮本が言う。
「不満でもあるのかい? 僕には、素晴らしくうまい食事だったと思えたが」
トレイ内に食器類を重ねてやって、自らは松葉杖に頼りながら立ち上がった
牛久は、気安い口調で尋ねた。
「味に文句はないけれど……ご相伴が、あんたみたいな男だったのが、返す返
すも残念だね」
「なるほど。君の話が事実であれば、これが最後の晩餐という訳でもあるまい。
真に最後の晩餐が来たときは、とびきりの美女を侍らせられるだろうよ」
「そう願いたいね」
二人はにやりと笑い合った。
牛久はきびすを返すと、
「トレイは賄いの杉木さんに取りに来させるよ。それに、寝るための毛布も、
女性が運んでくれるだろうさ」
と言い残し、その場から立ち去った。
(面白い素材を得たかもしれない)
調理場へ向かう道すがら、牛久の表情は自然と緩んでいく。
(彼をこのまま、徹底取材すれば、よい映像が……。いやいや、映像だけでは
ない。一級の犯罪ドキュメンタリーとなるかもしれないぞ。ふふ、のし上がる
きっかけにしてやる)
廊下の窓が鳴った。
歩く速度を落とし、視線をよこす牛久。
(ナチュラルディザスターを追っかけるのも、やめだ。戦争なんて、論外だっ
た。自分には、犯罪物が向いている。そのはずだ)
自らに言い聞かせるように心中で唱え、正面に向き直ろうとしたその矢先。
「うん?」
杖に両手ですがったまま、牛久は再び窓を見た。足が止まる。
人影らしきものを見た気がしたのだ。
「人がいたようだが……この雨の中? まさか」
それでも念のため、手の甲で目をこすってから、外の暗がりを凝視する。
外は暗く、中は明るい。窓ガラスが鏡と化しており、見通しは悪かった。
「錯覚だ」
決めつけると、今度こそ吹っ切って、歩き出す。
(よしんば人だったとして、誰かが見回りに出たんだ。療養所は鉄筋コンクリ
製だが、万一の場合を考えたんだろう)
午後九時。療養者の各部屋、消灯−−。
ドアが静かに開き、そして閉められた。
割蔵は各患者の記録を付けるのに夢中で、部屋に入ってきた者があったこと
に、全く気付かなかった。
工具用のペンチと一体になった金槌が振り下ろされたときも、その気配を察
することなく、痛撃を受け入れてしまった。
うっ、というかすかなうめき声を上げ、デスクに突っ伏した割蔵は、襲撃者
の正体を見極めようと……否、自分の身に何が起こったのかを知ろうと、必死
に振り返った。
その刹那、頭頂部に振り下ろされた第二撃。
つま先まで突き抜けるような痛みが走り、身体が浮き上がるような感覚にと
らわれる。
コントロールを失った自分が、スローモーションのように椅子から前のめり
に落ちていくのを、割蔵は見たような気がした。
彼女が最後に感じたのは、後頭部、延髄辺りに触れた、金属の冷たい肌触り
だった。
無論、それは襲撃者による第三撃であり、次の瞬間には、割蔵の意識は唐突
に途切れた。
割蔵の死を確認する動作もなく、襲撃者は次の行動に移った。凶器を一旦、
机の上に置くと、両手の指をいっぱいに広げた。
手には左右とも、赤茶けた色の手袋がしてある。異様なのは、第一指を除く
各四本の指先に、鈍く光る鉤爪状の物が装着されていること。それぞれが、鋭
い刃となっているのは、一見して想像できる。
襲撃者は跪き、割蔵の身体を強引に仰向けにすると、彼女の頭を後ろから両
手で掴む。手袋の爪が、額の真ん中付近に当たる。
と、次には、八つの爪が深く食い込み、一気に下る。死を迎えて間もないた
めか、兇々しい色の液体が、割に多く滲んだ。
爪は、頬の辺りで止まった。
エンプティの儀式そのものであった。
儀式を終えた襲撃者は、急速に興味を失ったかのように、遺体を放り出した。
持ち上げられていた頭が床にぶつかり、低い音を立てる。
襲撃者は一つうなずくと、落ち着き払った動作で手袋を外し、凶器の金槌と
共に傍目には分からぬよう、隠した。
その代わりのようにハンカチを取り出すと、ドアのノブを包んで、ゆっくり
と回した。
患者の部屋の見回りを済ませ、下枝は憂鬱になりながらも、次の「見回り」
に向かった。
(早く復旧してくれないと、安心して眠れやしない)
深呼吸をして、落ち着こうとする下枝看護婦。
だが、動悸は高まるばかり。
(何だって、あんな人殺し−−かもしれない男と、一晩、一つ屋根の下で過ご
さなきゃならないのよ)
角を折れ、宮本をつないだ廊下を見通せる位置に来た。
嫌悪感と恐怖心を振り払い、面を上げる下枝。
「……?」
我が目を疑った。
いないのだ。
声も出さずに突き当たりへダッシュし、周辺を見渡す。
「そんな」
宮本の自由を奪っていたロープだけが、空調のパイプに結び付けられたまま
になっている。
ロープのもう片方の端は、きれいにほどかれていた。
「どうやって……ほどけたって言うのよ」
独り言を繰り返す内に、声が震え始めた。慌てて、唇を噛む。
(一人じゃ絶対に、逃げられないわ。誰かが助けた……)
考え出すと、すぐに一人の顔が浮かぶ。
(牛久さん? ひょっとしたら、あの人が)
疑惑のため、目を、牛久の部屋のある方へ向ける下枝。
しかし、首を傾げたくなることも。
(さっき、見回ったときは、普通だったのに。あれが演技だったというの?)
迷っている時間はない。
そう気付いた下枝は、最後の決断を迫られた。
所長に知らせるのが先か、牛久を問い詰めるのが先か、それとも自分一人で
宮本を捜すか?
……結果的に、彼女はどれも選べなかった。
何故なら、今いる廊下に面する一室−−空き部屋−−から、現れたから。
このあと展開する殺しの現場を目撃する者があれば、誰でも分かっただろう。
連続通り魔殺人鬼、エンプティ。
賄い婦として勤める杉木は、光葉療養所の受け付け役も兼ねている。
(今日は、忙しかった)
明日の朝食の一部を仕込みながら、意識するともなしに、思い返していた。
(まさに、千客万来。刑事は来るわ、逃亡者は来るわ。おまけに道が通れなく
なるなんて、厄日かもしれない)
元々、ここに寝泊まりしているので、街に降りられなくなったのは、杉木に
とってさほど影響はない。長く続くようだと、困るが。
(福原さんは何度も泊まって行かれてるから、慣れっこになってるだろうけど。
寺之本の会長さん達には、厳しいかもねえ。会長さん、初めて見舞いに来て、
こんな災難に巻き込まれるなんて、運が悪い)
味を確認し、鍋に蓋を被せると同時に、火を消した。隙間から、湯気が逃げ
ていく。
(幸君は生意気なとこもあるようだけど、弟さんはかわいい盛りだね。何度見
ても、顔が綻んじゃう。さっきだって、おやつをねだりに来たときの愛らしさ
ったら……。あら、名前にもぴったり)
つい最前、矢口と共にやって来た愛に、チョコレートをあげたことを思い出
しながら、笑みを作る杉木。
(私もそろそろ、結婚したいもんだ。いいえ、結婚はともかく、子供がほしい
ね。シングルマザーっていう呼び方は、嫌いだけどさ)
洗った手の水を切り、タオルで拭くと、腰を叩いた。「ああ」と、小さくう
めいてしまう。
「職業病と言うのかな、これも」
−−続く