#4014/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/ 7/28 6:11 (200)
そばにいるだけで 13−3 寺嶋公香
★内容
「先輩も手伝ってくださーい! 手がふやけて、うまく行かないんです」
すると相羽は、自分の両手に一瞥を落とし、それから慎重にプール内に入っ
てきた。両手を水の上に掲げ、濡れないようにしているその格好は、阿波踊り
に似ていなくもない。
が、笑っている状況にない純子は、救助の手を待ち望む。
「見せて」
短く言って、椎名と場所を代わると、普段のぼんやり目つきを細め、真摯な
眼差しで取りかかる。
「−−よし、取れたっ」
一分ほどで、成功の声が聞かれた。
純子は、頭が軽くなった気分。急いでロープから距離を取ると、水泳帽を被
り直す。
そうしながら、安堵を交えて礼を言う。
「ありがとう。どうなるかと思って、焦ってたの。助かった」
「……ごめん」
いきなり、相羽が謝ってきたので、純子も椎名も、きょとんとした目つきを
してしまう。
「ど、どうしたのよ」
「一本だけ、短いけど、切れてた」
相羽が突き出した指先には、長さ二センチほどの髪が一本、絡んでいた。
「な、なーんだ。いいわよ、それぐらい」
「ほんとに?」
「当たり前。絡まってる髪の先を、全部ちぎっちゃったら怒るけどね」
ようやくほっとしたらしい相羽は、口を水中に着けて息をついた。
「相羽さんて、手先が起用なんですね」
「え? 違うよ。指先、ふやけてなかっただけさ」
「じゃ、じゃあ、外のプール、全然入らなかったんですか? もう一時間ぐら
い経ってるのに」
感心したように、椎名。
「そうだけど。それよりも、どうして来なかったのさ。ひどいよ」
笑いながらだが、非難の視線を送ってくる相羽に、純子達は顔を見合わせた。
「ごめんね。だって、出ようとしたら、清水達がいたのが見えて……」
「なるほど、想像した通りでよかった」
今度は苦笑する相羽。
「想像した通りって?」
「いや、嫌われたのかと思って。帰ってしまわれてたら、どうしようかと心配
だった。あー、よかった」
どこまで本気で心配していたのか、苦笑混じりの表情からは、判断できない。
「あ、あの、相羽君。清水達に言っちゃった? 私が来てること」
「うん? 言ってないけど。言った方がよかった?」
「ううん!」
水しぶきが起こるほど、強く首を振った。
「でもなあ、言った方がよっぽど、理由を説明するのが楽だったろうな。『お
まえ、一人で来たのかよ。変な奴』って言われた」
「−−あははははっ!」
こらえきれず、吹き出してしまう。
横を見ると、椎名も同じように笑っていた。
「ひどいなあ。もっと早く、教えてくれてもよかったのに」
相羽一人、ふてくされる。
そのまま、背泳ぎを始めた彼を追って、なだめ役に回る純子と椎名だった。
三人とも、乾ききらない髪を気にしつつ、食堂に入った。そして、食券を買
い求め、カウンターでそれぞれ品を受け取ると、丸テーブルに陣取る。
さして広くない食堂だから、どの席からでもガラス越しに、先ほどまでいた
屋内プールが見下ろせる。現在、プールでは水泳教室が始まっており、にぎや
かな様子だ。今もまた、コーチのホイッスルを合図に、各コースから子供達が
飛び込んで行く。
「目、赤くなってる」
「あんたこそ」
「眼薬、出しましょうか」
すっきりした目をしている椎名が申し出た。ありがたく、借りることにする。
先に純子。
「−−っく。はは」
相羽が笑い出した。
クリームソーダのストローから口を離し、椎名が不思議そうに首を傾げる。
純子も持ち上げていた腕を降ろす。
「変なタイミングで、笑わないでくれる? 手元が狂うじゃないの」
「だ、だってさ。タイミングが重なるのも当然だよ。涼原さん、眼薬を差すの
に、口まで開けなくていいじゃないか」
「嘘? 開けてないわよ?」
改めて指摘されると、自信がないので、声が小さくなる純子。
「いいや、残念だけど、開けてました。椎名さんは見てなかった?」
「あ、いえ、私は……」
「そっか。まあ、しばらくは意識するから、口を閉じるだろうけど」
にこにこと笑って、純子の顔を見つめてくる相羽。
「も、もう。見ないでよ。やりにくい」
「はいな、分かった」
小さな三角のサンドイッチに手を伸ばす相羽。それを口に持って行き、半分
かじったところで、また上目遣いになって、純子を見る。
おかげで、純子は随分手間取ってしまった。
「はい、これ」
純子は、きつく結んでいた唇をなめながら、点眼薬の小瓶を相羽に渡す。
そのまま、相手の顔をじーっと見つめてやったが、相羽には何の効果も与え
なかった。手早く、右、左と眼薬を差し終わった。その間、五秒もかかってい
ないだろう。
「ありがとう、椎名さん。借りた眼薬は返せないけど」
「あはは、いいんですよー」
むすっとしていた純子も、椎名が屈託なく笑うのを目の当たりにして、どう
でもよくなった。
(恵ちゃんの男性恐怖症−−かどうか知らないけれど、男嫌いを直して、普通
にしてあげようっていうのが、私の目的なんだから。これでいいのよ)
「それで、あの推理劇のことなんですけど」
椎名の話が本題に入ったようだ。
「ああ、気に入ってくれたんだってね。涼原さんから聞いたよ」
相羽も嬉しそう。
「何でも聞いてよ。と言っても、細かいことは全然決めてないんだけど」
「え、じゃあ、古羽探偵の年齢とか住所なんて……?」
「うーん、決めてない。劇の中では、必要じゃなかったしね」
「そうなんですかあ。だったら、モデル、います? 古羽探偵、誰をイメージ
したんですか?」
気を取り直した風に、椎名は質問を重ねた。
相羽はほんの少し、首を傾げ、確認する。
「それって、有名人にたとえると、ていう意味?」
「あ、はい」
椎名の返事に、タレントの名前を二人、挙げた相羽。イニシャルで表すと、
G・KとY・O。ともにもちろん、男性だ。
「ええーっ、そうなんですか? イメージ、違う」
椎名はどちらも不満らしい。
「そう? 一番近いと思ったのになあ」
相羽も、原作者らしくない返事をするものだ。
「似合いませんよー。G・Kは子供っぽすぎます。逆に、Y・Oはちょっと年
齢が高すぎ」
「女子と男子で、見方が違うのかな。涼原さんはどう思った?」
急に話を振られた純子だが、言いたいことはちゃんとあった。
「その前に、相羽君。私が古羽相一郎役をやったことを、どう思ってるのかし
らね」
「え? それは……実際に見られなかったから、簡単には言えないけれど、み
んなの評判を聞く限り、よくやってくれたなあって……感謝してます」
ひょこっと、頭を下げる相羽。
「そうじゃなくて。学芸会の写真を見て、どう感じたかってこと」
「ああ……うん、似合ってた」
「ということは、つまり、私がG・KやY・Oに似ているって言いたいのね?」
「−−」
相羽は片方の手の平を口に当て、どう答えようか迷っている様子。目の玉の
動きに、落ち着きがない。
「……取り消してもいい?」
「どーぞ」
「どーも。えっとですね。最初、僕が持っていたイメージでは、その二人のタ
レントだったけれど、涼原さんがやったのを見て、あ、これもいいなあって思
った−−こういう答でいい?」
探りを入れるように、純子の顔色を窺ってくる。
純子は大きく肩をすくめた。
「ま、いいでしょ。許してあげる」
「私は、涼原さんがやるのが、一番いいです!」
フォローのつもりなのか、強い調子の椎名。
純子は思わず、苦笑してしまった。
(喜んでいいのやら、悲しむべきやら……)
「続き、ぜひ作ってください、お願いします」
相羽に向かって、拝みさえする椎名。相当な入れ込みようだ。
「作るったって、簡単には……。劇をやれる当てもないしさ」
「中学校の文化祭か何かで、できるんじゃないんですか? 私、そうなったら、
絶対に観に行きます!」
「嬉しくて、涙が出そうだ。そのお願いはでも、涼原さんにこそしなくちゃ」
「え?」
この声は、椎名と純子、二人が同時に上げたもの。
「涼原さーん、もうやらないんですか?」
「そ、それは、だって。積極的にやりたいわけじゃないし。前は、終わってみ
たら楽しかったけど、あんな大変な目に遭うのは、一度でこりごり」
「代役だったんですよね? じゃあ、今度は最初っからやるつもりで、取り組
んでくださいよ。時間を充分に取れば、大丈夫です、きっと」
「簡単に言わないでよー、恵ちゃん」
今度は、純子が椎名を拝み倒す番だ。
「できたらでいんです」「できないってば」−−この問答の繰り返しに見か
ねたのか、相羽が割って入った。
「とりあえずさ、小説の形で僕が書くから、椎名さんはしばらく我慢すること。
いいね?」
「まあ、それもいいんですけど。でも、涼原さんの古羽相一郎を、もう一度観
たいですー」
「その話は、ぼちぼちと……。椎名さんが中学に入ってからでも、ちっとも遅
くないでしょ」
「……そうかもしれませんよね」
言って、椎名は純子に熱っぽい眼差しを向けてきた。
「待っててくださいね、涼原さん。その時が来たら、今度こそ、先輩って呼ば
せてもらっちゃおうっと」
「は、はあ」
相羽を恨むわけにもいかず、純子はあやふやなまま、うなずいた。
最初、相羽が椎名の家まで着いていって、自転車を返してもらうことになっ
ていたのだが、日差しも弱くなったからということで、
「私、歩いて帰りますから」
と、椎名が言い出した。
「また相羽さんを歩かせたら、悪いですし」
「恵ちゃんがそう言うんなら、別にかまわないけれど」
「僕は歩きでも、平気だよ」
水泳バッグを肩に、相羽。
「いえ、ほんと、平気。ジュースやアイスをもらって、自転車まで貸していた
だいて、ありがとうございました」
深々とお辞儀をする椎名に、相羽は「そんな大げさな」と、片手を振った。
「じゃ、気を付けてね」
「はい、涼原さん達も−−あ、忘れてた」
別れ際になって何を思い出したのか、椎名は鞄の中をごそごそと探り始めた。
「ど、どうかした? 恵ちゃん?」
不審がって、覗き込もうとした純子の目の前に、何かがぶら下げられる。
「はい、これ」
「……何?」
あまりに近すぎて、焦点が合わないので、顔を引いた純子。
小さいがこぎれいな紙袋だと分かった。
「修学旅行のお土産、言ってましたでしょう? 安いんだけれど……」
「あ。ありがとう」
感じ入って、紙袋を胸で抱きしめる。
「何かな、中身?」
「一応、役立つ物です。あ、私がいなくなってから、開けてくださいね。恥ず
かしいから」
「はいはい。相羽君にはないのかなあ?」
意地悪を言ってみたくなった。今日は半日、椎名に振り回されっ放しだった
のだから、これぐらいしても、罰は当たるまい。
「あのー、修学旅行のときは、こうなるなんて、考えてなかったから……すみ
ませんっ」
−−つづく