#4009/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/ 7/28 5:53 (159)
そばにいるだけで 12−7 寺嶋公香
★内容
ネットの向こうでは、ボールを叩く音が断続的に響いていた。
「そんなことかあ」
相羽が言った。緊張が解けたためか、口を尖らせて深呼吸している。
「改まって相談なんて言うから、びくびくしてたのに」
「だって、勝手に決めたら、悪いでしょ。だから」
純子は辺りを気にしつつ、小さな声で主張。
図書室は、今日は閉められていた。
二人で話をしていても不自然じゃない、数少ない場所が使えないとあって、
純子と相羽は、テニス部の練習を見物している風を装う。
テニス部の練習という言い方も、正確でない。部活はミーティングだけで終
わり、有志の部員達が遊び半分にコートを使っているとした方が適切。
「相談の必要、ないよ」
「どうして?」
コートに向けていた視線を、横に立つ相羽へ向ける。
その途端、大きな音がして、ネットが小刻みに揺れた。
びくりとして、再びコート内を向く純子。
「わりぃ!」
唐沢が駆け寄って来て、黄色いテニスボールを拾い上げた。
「狙ってないか、おまえ?」
相羽が軽口を叩くと、唐沢も満更でないように、笑みを見せる。
「気になる子がいると、そっちに球が飛んでいってしまうのかねえ? ははは
はっ」
「じゃ、こっちにもぶつけて!」
純子の他にも、女子がたくさん、ネットにへばりつくようにして見ている。
ほとんどが一年生のようだ。
コート内でプレーしている男子も一年生ばかりで、そうなってくると、女子
達のお目当ては唐沢に絞られるらしい。
「はいはーい」
明るい調子で言いながら、軽く手を挙げた唐沢に、また何人かの黄色い声援
が飛んだ。
(すご……)
感心しかけた純子だったが、ふと我に返り、相羽に再度、尋ねた。
「どうしてよ?」
「え? ……ああ、思い出した。清水達だって、知っていることだから、敢え
て隠さなくてもいいんじゃないかと思ってさ」
「知ってるって? そんなことないわ」
「いや、だから……そう、六年のとき、母さんの仕事の見学に行こうって話に
なっただろ。清水や大谷も、僕の母さんが広告関係の仕事をしてるって、耳に
したはずなんだよ。それに、涼原さん達が見学に行ったことも知っている。だ
ったら、もうほとんど知られているみたいなもんじゃないか?」
「違うよ。全然、違うっ。モデルのお仕事を見に行ったのと、モデルをやって
みたのとは、一緒じゃないったら」
女と男で、こうも感覚が違うものかしらと、思わずこめかみを押さえたくな
る純子。
(そうじゃなければ、特別に鈍いんじゃないの、こいつ……)
「つまり、僕が言いたいのは、説明するのが簡単だろうってこと。それと、ば
らされて困ることは、僕の方には全くないしさ。モデルをやっていることをな
るべく知られたくないのは、涼原さんの希望でしょ」
「……前は、私が雑誌に載るだけで、凄く心配してくれたくせに」
愚痴にも似て、詮無きことを言ってしまう。
が、一笑に付されると思っていた純子の予想に反し、相羽は早口で答える。
「心配してるさ、今でも」
「え? そうなの?」
「そうだよ。それよりも」
ごまかすかのように、話題の軌道修正が強引に行われる。
「もうばれてるんだから、正直に言っといた方がいいよ。隠したって、しょう
がない」
「……そうする」
こくりとうなずいてから、考えるための間を取る。
やがて純子は口を開いた。
「だけど、正直に言ったら、あなたがからかわれるかもしれない」
「ん、まあ、あいつらならそうするかもね。はは」
苦笑を浮かべた相羽は、テニスコートをずっと向いたまま。その目の動きか
らして、きちんとボールのラリーを追っているようだ。
「笑い事じゃないわよぉ。相羽君がからかわれるってことは、私にも被害が及
ぶんだから」
さして頭を悩ませることなしに、からかいの文句が浮かんでくる。
(相羽君がお母さんに頼んで私をモデルに使ってもらった、とか言い出すに決
まってる。清水達、あのキスのことの真相も知らないんだし……)
思っている内に、顔が熱くなってくるのを意識した純子。もう一年以上経つ
というのに、今でもやはり印象が強くて、唇の触れ合った感覚をぼんやり、思
い起こしてしまう。
ほとんど無意識の内に、両手の指先で口を覆い隠していた。
「そう言われると……つらい、な」
純子の心情を知ってか知らずか、相羽は初めてまともに顔を向けてくる。
「僕は我慢できても、君が嫌なんだから、無視するだけじゃ済まないよね。い
っそ、涼原さんの方からモデルをやりたがってたことにできれば、話が早いん
だけどな」
「そんなのだめ。私、言ってないもの」
「だったら」
右手で顔の下半分を覆い、左手で右肘を支えると、一点をにらむように目を
見開き、真剣に考え込む相羽。
「−−母さんを連れて来て、直接清水達に説明するのが一番だ」
「そんな。そんなことまで、させられないっ」
泡を食らった気分だ。
「おばさんだって、忙しいでしょ。それなのに、わざわざ」
「いや……明日には間に合わないけれど、三者面談があるから、そのときなら
チャンスあるよ」
「だ、だめよ。そこまでしなくていいから」
「でも、涼原さん−−」
相羽の言葉を遮って、純子は強くかぶりを振った。
「いいわ。どうせ、モデルやってたことを知られただけで、あいつら、しばら
くからかってくるに決まってる。この上に、少しぐらい悪い条件が重なっても、
大した影響ないわよ」
「−−本気で言ってる?」
「本気よ、本気。だいたいね、清水達に大きな顔させる理由なんて、これっぽ
っちもないもんね。いつまで経っても、小学生気分なんだから」
「中学に入ったからって、いきなり大人になれるわけじゃないでしょ」
「どっちの味方よ! いい? あんたも、からかわれて、余計なことまで返事
しなくていいのよ。分かってる?」
「余計なことって」
不思議そうに小首を傾げる相羽。本当に分からないのか、とぼけているのか。
「だ、だからねっ。六年のとき同じクラスだった子は、ほとんどが勘違いした
ままなの。あなたが私のことを……その、好きだって、思い込んでるのよ、み
んな。ほら−−キスの、あれで」
詰まりながらも純子が言うと、相羽は一瞬だけ、脱力したような疲労の表情
を見せた。
それはまさしく一瞬で、純子でさえ、気のせいかと感じた程度。
相羽はもう、笑いながら答えていた。
「なるほど。分っかりましたっ。本当のことを言ったら、あの事件を蒸し返し
てしまうもんな。彼女にも迷惑かけるだろうし」
相羽の言った彼女とは、もちろん、遠野を指す。
「涼原さんは結局、正直に話す線で、落ち着いたわけ?」
「う、うん。そうね。ひやかしを恐がる必要なんて、私達には全くないんだも
んね」
「当然だよ」
相羽は鞄を置くと、両手を頭の上に突き出し、大きく背伸びした。
純子が見ている中、コートへと向かって腕を振った相羽。
「おおい、唐沢! そろそろ帰らないか!」
清水達へのモデルをやった経緯の説明は、相羽の他にも立島や勝馬、町田と
いった最初の機会に居合わせた者にも同席してもらうことで、納得させた。納
得させたと言うよりも、からかわれないための釘差しの色が濃かったけれど。
夏休みに入ると、各クラス担任は七月の残りいっぱいを使い、三者面談を行
う。
親の都合がなかなか着かない人は、日を指定できるのだが、純子の場合、そ
の必要もなし。その結果、平日を割り当てられた。順番も、その日の一番最後。
よそ行きの服で決めた母親の隣で、小さくなって収まっていた。
「ま、以上のような感じで、成績については何の心配もしとりません。多少、
波がありますが、優秀なもんです」
牟田先生がそう言ってくれて、心の中でやっと安堵できた。母親の横顔を伺
うと、上機嫌そうだったし。
(これで解放される)
早くしめくくりの言葉が出ないかなと、そわそわ。
「図書委員の方も、きちんとこなしているようですし、ご家庭でのしつけが窺
えますよ」
「いえ、そんな……ありがとうございます」
頭を軽く下げた母に、先生はさらに言葉を続けた。
「ただ……これはつい最近、耳にした話なんですが、お嬢さんはモデルをして
いるとか」
じっと机を見ていた目線を上げた。反射的に、背筋が伸びる。長い物差しを
襟口から突っ込まれたみたいに、しゃんとなった。
「事実なのですか」
「はい。モデルをしているというのは、多少、語弊があるかと思いますけれど
……先生は、純子に直接、聞いてはいないのでしょうか? こういうお話は、
本人の口から……」
「ん、まあ、そうですな。知ったのが、この間ですから」
と、先生は純子に目を向けてきた。
再び落としそうになる視線を我慢して、言葉を待つ。
「涼原、本当にやってるのか?」
「−−はい」
「どういうものなのか、教えてくれないか? その、お母さんの前で聞くのも
あれだけど、危ないことはしてないよな」
「し、してません!」
ぷるぷると首を振った。
「衣服のモデルですっ」
−−つづく