AWC 【迷昧】9              悠歩


        
#3944/5495 長編
★タイトル (RAD     )  97/ 6/15  23:56  (179)
【迷昧】9              悠歩
★内容
「やあ、橘くん。いま、学校の帰りかい?」
 右手を軽く挙げ、親しげに話し掛けてくる。
「まだ何か調べているんですか。事件はもう、終わったのに」
「ん、まあ事後処理ってヤツが少々残ってるんでね。なに、大した事じゃないよ。
ちょっと話をしてもいいかな」
 裕樹にとっては、もう事件について話す事など無いが、特に断る理由も無い。
刑事の誘いに従って、近くの喫茶店に入ることを承知した。
 裕樹の前には、本日これで二杯目となる、アメリカン・コーヒー。
 刑事の前には、大盛りのナポリタン。
「いやあ、この仕事、なかなか決まった時間に食事がとれなくてね。ちょっと失
礼させてもらうよ」
 そう言うと、刑事は粉チーズとタバスコをたっぷりと掛けてスパゲティを食べ
始めた。余程お腹が空いていたのか皿を手に持ち、フォークで巻取る事無く、直
接口の中へ押し込んでいく。
 その豪快な食べっぷりに、裕樹はただ唖然とするだけだった。
 大盛りのナポリタンは、ものの三分と保たずに皿の上から、完全に姿を消し去っ
てしまった。
「ふーっ、随分と味のしつこいスパゲティだな、この店は」
 口の周りを二枚のナプキンを使って拭き取ると、それを丸めて空になった皿の
上に捨てる。ケチャップの色に染まったナプキンを、裕樹はとても汚らしく感じ
た。
 空腹を癒した、刑事は爪楊枝で歯の掃除をしながら、大きな欠伸をした。
「あの、刑事さん………」
「あー、刑事さんってのはヤメにしようや。食後のプライベート・タイムには、
ちょっと堅苦しくって良くない」
 話をしようと誘ったのは刑事の方なのに、と裕樹は心の中で苦笑する。
「でも、刑事さんは刑事さんですよ。お名前も知らないですし」
「あれ? 言ってなかったっけか。ななみ、だ。ななみろくご、七つの海に陸が
五つ」
 刑事はナプキンにボールペンで、『七海陸五』と書き記した。
「じゃあ七海さん、それで話って言うのは?」
 誘っておきながら、なかなか話を始めない刑事にじれて、裕樹の方から促した。
「おおっと、そうだった、そうだった」
 本当に忘れていたのか、それともこれがこの刑事の手口なのか。前者だとした
ら、この刑事の能力はたいしたものでは無いのだろう。後者だとしたら、解決し
た事件の、被害者と付き合っているだけで何も知らない裕樹に対して、あまりに
も見当違いな行動である。
「えっと、何だったけなあ。ああ、そうそう。事件が解決したのはいいんだが、
実際証拠になるものが少なくてね。で、まあ念には念を入れて、こうして関係者
に確認を取っているところなんだよ」
 この男、優秀な刑事だとは思えなかったが、国家権力を笠に着た態度に出ない
事だけは好感が持てる。もっとも一般市民に対して、高飛車な刑事などドラマの
中だけで、そうそう居るものでは無いのかも知れない。
 裕樹が電話で呼び出され、プールで少女、静音の遺体を見つけるまでの経緯。
一度話した事を、繰り返して説明する。以前説明したときと、何ら変わるものは
ない。刑事は裕樹と琴音の関係について、多少立ち入った事も質問してきた。こ
れについては裕樹も不快に感じたが、隠し立てをして刑事に悪い印象を与えては
得にならない。だが、人に詳しく話すほど二人の関係は深くはない。ごく簡単な
説明で事足りた。
「ふうん、結構結構。最近の子は、進んでいると言うが、君たちのように歳相応
のおつき合い、ってのがちゃんと有る事を知ると、安心するね」
 この言いぐさには、何か下世話な意味が含まれているような気がして、どうに
も腹が立った。しかしそれを顔に出すほど、裕樹は直情的では無い。
「あの、もういいでしょうか? あんまり遅くなると、母が心配しますから」
 いい加減、自分にとっては無意味でしかない時間を終わらせたい裕樹は、そう
言いながら、席を立ち掛けた。
「ちょっと、もうちょっとだけ、付き合ってよ」
 広げた手を伸ばして、刑事が制する。仕方なく、裕樹はまた腰を降ろした。
「一つ訊きたいんだけど。君の意見ってヤツをね。君はパソコンかワープロを持っ
ているかい?」
「いえ、家は両親とも機械オンチだから。そう言うものは買って貰えないんです。
高校に入ったら、アルバイトして買いたいとは思っているんですけど」
「うむ、じゃあ、仮に君がパソコンを持っていたとしてだ。もしも、もしもだよ、
君が自殺をしようと思ったとき、遺書をそのパソコンを使って書くだろうか?」
 どう言う事だろうか。この質問の意図は。
 内容から察するに、刑事は元木の自殺を疑っているように思える。
「さあ、ぼくはパソコンを持っていないし、自殺したいなんて思った事もないで
すから………」
 そう答えながら、自分だったらと考えてみる。
「そうですねぇ、どうだろう。自殺を前から考えていたとしたら、あらかじめパ
ソコンで作っておくかも知れませんね」
「じゃあ、その自殺が衝動的なものだったら?」
「うーん、衝動的なら書かないで、って言うのは無しでしょ?」
 刑事が頷く。
「どうしても自分が、その状況を想像しきれないから分からないけれど。パソコ
ンとプリンターの電源を入れて、遺書を書いて、用紙をセットして………ちょっ
と面倒くさいかな」
 何か文学的な遺書を作ろうとするのなら、たっぷりと時間を掛け何度も手直し
を加えるためにも、パソコンは便利だろう。だが衝動的に自殺をしようとする人
間が、そんな長ったらしいものを書くだろうか。
 手近な紙に、走り書き程度。几帳面な性格でもノートや便箋の類で済ますもの
ではないだろうか。
「七海さんは、元木先輩の自殺を疑っているって事ですか」
「いやいや、誰もそんな事は言ってないよ」
 相変わらずとぼけた調子で、刑事は笑みを浮かべた。もしかすると裕樹が思っ
ていた以上に、喰えない人物なのかも知れない。
「でも」と、裕樹は疑問を口にした。
 パソコンを使って遺書を作るのを、面倒と考えるのは裕樹の個人的な意見であ
る。思い出してみれば、これまでワープロでの遺書が残されていた、と言う自殺
の報道を訊いた事があまりない。だからと言って、元木が残した遺書が即偽物と
は結びつくものでは無い。世間では、些細な文章でも手書きはせず、パソコンや
ワープロを使う者も珍しくは無いはずだ。
 いや、そもそもそれは元木が衝動的に自殺をしたのだと前提しての話だ。ある
いは事件を起こしてしまった直後から、自殺を考えていたとしたら。
「だから、彼の自殺を疑ってる訳では無いんだよ」
 笑って否定しながらも、刑事は続けた。
「でもね、彼が前から自殺を考えていた。いや遺書を用意していた可能性は、少
ないと思うよ。と言うのも、彼のパソコンのハード・ディスクや部屋に有ったフ
ロッピィから、遺書と同じ文面のファイルは発見されなかった。パソコンに詳し
い連中に調べて貰ったが、削除した痕跡も見あたらなかったんだよ。
 それよりぼくが疑問に思っているのは、彼が遺書を持っていたって事なんだ」
 おかしな事を言う、と裕樹は思った。自殺をしようとする人間が、遺書を持っ
ているのに、何の不思議があると言うのか。
「まあこんな仕事をしていると、有り難くない事に、普通の人より自殺の現場に
は詳しくなってしまうものでね。遺書が、遺体から見つかるって事はあまりない
んだよ。ほら、ドラマとかで観たことないかな? 飛び降りとか入水とかで自殺
しようとする人間が、ビルの屋上とか橋の上に遺書を置くシーンってのが、ある
だろ」
 確かに、少なくともドラマでは遺体から遺書が発見されるシーンには、覚えが
ない。ここは素直に頷くしかない。
「ところが彼は、ズボンの後ろのポケットに封筒に入った遺書を持っていた。こ
れって、なんかおかしいよね。考えてもご覧、川に飛び込んで死のうって人間が、
いくら水に強い紙やインクを使ったとしても、そのまま遺書を身に着けているの
は?」
 刑事が提示する疑問によって、一度は失われた事件に対する関心がまた裕樹の
中で芽吹いて来る。だがそれは以前のものとは、質が違っていた。刑事がまだ口
にしていない、ある事柄に対しての反撥を含んでの関心だった。
「だけどそれは、あくまでもそういう風にする人が多いって事だけでしょう。で
も、元木先輩のような方法を取る人は、絶対にいないと言い切れないんじゃない
ですか!」
「そりゃ、ま、そうだ」
 刑事は裕樹の反論をあっさりと認めた。認めてはいるが、納得した訳でも無さ
そうだ。
 この刑事が元木の死を他殺の可能性もあると、考えているのは間違い無いだろ
う。ならば当然、元木を殺した人物がいる事になる。
 イコールで必ずしも、琴音の事件に対して元木が無関係とはならない。しかし、
元木を殺した人物が存在するのなら、彼或いは彼女が琴音たちの事件にも関係し
ていた可能性は高くなる。いや、ひょっとしたら裕樹の知る事件の内容そのもの
が、間違いであったとも考えられる。即ちそれは………
「七海さん、琴音ちゃんを疑ってるんですか?」
 刑事があの事件の内容そのものを、嘘であると考えているのなら。それは琴音
の証言を信じていない事になる。彼女が何らかの目的で、嘘の証言をしたのか。
「はは、彼女は彼が死んだとき入院していただろう。病院内には何カ所かカメラ
が設置されているからね。抜け出したとすれば、すぐに分かるさ」
 これは、そのまま既に琴音のアリバイは調べたと言っているのと同じだった。
やはり刑事は琴音を一時は疑っていたのだ。
「少なくとも、彼の死については彼女はシロだろうね」
 どこか含みの有る言い方であった。
「それから君の事だけど」
 更に刑事は続ける。今度は裕樹まで、疑おうと言うのか。
「ぼくも疑われてるんですか………失礼だけど、七海さん『下手な鉄砲も』って
ヤツじゃないですか」
「ほほう、よくそんな諺(ことわざ)を知っていたね。その点は心配しなくてい
いよ。第一発見者を疑ってかかるのは鉄則なんでね。君の事は真っ先に調べさせ
てもらってる。疑わしい点は、なしだ。怪しいとしたら、もう一人の発見者の方
かな」
「もう一人?」
 裕樹は刑事に言われ、忘れかけていた人物を思いだした。もう一人とは、美術
教師の高橋の事だろう。
「君から見て、高橋って先生はどんな人だい?」
「どんな人と言われても。美術の授業は週に二時間しか、ないですから」
 この刑事は、事件に絡んだ全ての人間を疑っているらしい。この調子で行けば
学校の全ての生徒、教師についての話を訊かれるかも知れない。裕樹はいい加減、
うんざりとしてきた。
「あの、七海さん。ぼくは本当に、何も知りませんから。そろそろ帰ってもいい
でしょう?」
「うーん、そうだね。いや、付き合ってもらって悪かった」
 刑事は伝票を立ち上がった。ようやく解放されると思うと、裕樹は安堵の息が
漏れた。「ところで君は美術は得意かい?」
 支払いを済ませた刑事が、裕樹に尋ねてきた。
「いえ、あまり。どうしてです」
「いや、自殺した彼の、遺書の入った封筒にね。ほんの少しだが粉が入っていた
んだよ。油絵の具の欠片だそうだ。あの彼、絵を描くのが好きだったのかなあ」
「たまたま自殺する前、授業に美術があったんじゃないですか?」
「おお、そうか! そうかも知れないなあ。いや、考えもしなかった」
 刑事は大袈裟に感心して見せたが、裕樹にはそれが芝居である事がすぐ分かっ
た。この刑事、役者としては三流もいいところだろう。授業に美術があったかど
うか、とうに調べているのは間違いない。それ以前に、裕樹たちの学校の美術で
は三年間を通して、油絵など予定されていないばず。
「ご馳走さまでした。じゃあ、失礼します」
 裕樹は喫茶店を出て、コーヒー代を払ってもらった事に礼を言う。刑事は軽く
手を挙げて、それに応えた。
 そして別れ際、刑事は呟いた。
「彼女、今中琴音さんだったか。本当に琴音さんなのかなあ」
「は?」
 家に帰ろうと歩き始めていた裕樹は、足を止め振り返る。
「なに、独り言だよ。でもねぇ、彼女と付き合っていた君でも、区別着かなかっ
たよね。唯一頼みの父親は、まだ帰って来ないし………琴音さんと静音さんが入
れ替わっていたとしても、誰も気がつかないよねぇ」




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