#3919/5495 長編
★タイトル (RAD ) 97/ 6/13 23:16 (197)
【OBORO】 =第2幕・会者定離=(8) 悠歩
★内容
明かりの灯された部屋。
パジャマを着た美鳥は、恥ずかしそうに俯いていた。その目は、先程まで泣い
ていたために赤くなっていた。
「説明してくれないか、なんでこんな事をしたのか。よくは分からないけれど、
何か変なんだ………この家は。何か普通じゃないものが、あるような気がする。
それと関係有るのか?」
俯いたまま、美鳥は答えない。
「別に美鳥を責めるつもりはないんだ………これは、勝手な想像だけど。遺産の
ことなら、俺は明日にでも麗花さんに、正式に断るつもりだ。もともと、あてに
してた訳じゃないし、自分にもまだ血の繋がった身内が居たことが分かっただけ
で、充分だしな」
「………ちがう」
閉ざされていた美鳥の口が、ようやく開かれる。
「そんなんじゃないの………財産のことなんて、どうでもいいの。私は、いいえ
麗花お姉も、朧月の財産なんて欲しくもないの」
「それじゃあ………」
「ごめんなさい、いまはまだ、言えないの。あっ!」
「ん? 地震」
かたかたと、室内灯が揺れ会話が中断される。続いて轟音が響きわたり、家全
体が大きき揺れる。そして悲鳴。
「なんだ」
「音風の声だわ」
二人は部屋を飛び出し、悲鳴の聞こえた方へ走った。
「お姉!」
美鳥が叫ぶ。
壁に大きな穴が開いていて、差し込む月明かりに倒れている麗花の姿が照らさ
れている。
「私は………平気。それより………」
麗花が外を指さす。優一郎は裸足のまま、穴から庭へと飛び出す。
「なんだ?」
うずくまった音風がいる。そして少し離れた場所に立つ、男の姿。左腕に抱か
れた真月。ぐったりとして動かない。
「貴様、真月ちゃんに何をした」
「おやぁ」
いきり立った優一郎の問いに、間の抜けた声が返ってくる。聞き覚えのある声
だった。その不快な響き、忘れようがない。
「まさか、貴様は」
月明かりに慣れた目が、男の顔をはっきりと捉える。間違いはない。
「田邊か!」
ぼさぼさの前髪の間から覗く、どこか人を見下したような目。その口元が歪む。
「なあんだ、優一郎くん。ちっともぼくのとこに、遊びに来てくれないと思った
ら。こぉんなとこに居たとはね。ふふん、これは驚いた。なるほど、こんなハー
レムみたいなとこに居たんなら、ぼくなんかのとこには、来れないよねぇ」
田邊は、にたにたと厭らしい笑みを浮かべる。
「その子に何をしたんだ」
「ふふ、まだ何もしてないよ。気を失っているだけさ………まあ、これからいろ
いろとしようと思ってるけど、ね」
「貴様ぁ!」
叫んだのは優一郎ではない。両手の拳を光輝かせた美鳥が、田邊へ向かって跳
んでいた。
拳が田邊の胸に触れた途端、光がショートした電流のように弾ける。次の瞬間、
優一郎は己めがけて飛んでくる影を見ていた。その影を受けとめ、背中から倒れ
る。
「美鳥」
優一郎が受けとめたのは、美鳥の背中だった。
一体何が起こったのか理解出来なかったが、田邊飛び掛かった美鳥が跳ね返さ
れてしまったらしい。
「朧、かあ。面白い力だけれど、ぼくには通じないよ」
言っている意味が分からない。だいたい、どうして田邊がここにいるのか。真
月をどうするつもりなのか。そして、いま美鳥が見せた光はなんだったのか。分
からない事ばかりだったが、これだけは言える。田邊はまともではない。その手
から真月を取り戻さなければ。
「大丈夫か、美鳥?」
「あ、ああ」
頷いて立ち上がった美鳥だが、すぐにその場で膝をついてしまった。
「田邊、その子を離すんだ。いまならまだ、勘弁してやる」
優一郎が睨み据えても、田邊は一向に怯む様子もない。それどころか、優一郎
に侮蔑したような笑みを見せる。
「思い上がらないでよ、優一郎くん。いまのぼくは、君なんかよりもずっと強い
んだから」
手加減の必要はなさそうだ。正体は分からないが、先程美鳥を弾き跳ばした力
や、麗花や音風の様子からも、田邊は何か妙な力を身に付けたらしい。
「もう一度言う、その子を離せ」
ゆっくりと田邊に近づきながら、最後の警告を行う。
「いやだよ」
その答えを訊くと同時に、優一郎の右の拳は渾身の力を込め、田邊の顔面を捉
えていた。
だが、突き刺さるようにして顔面に拳を受けてもなお、田邊の笑みは消えない。
それどころか殴った優一郎の方が拳に強い衝撃を受けていた。まるでコンクリー
トブロックを全力で叩いてしまったように。
「ぐっ、うううっ」
口から漏れる、苦痛の呻き。
僅かに田邊の足が動くのを見たと思った瞬間、優一郎の身体は後方に跳び、地
面へと叩き付けられる。
「弱いなあ、優一郎くんは。まだ釘崎くんのキックの方が、威力があったよ」
背中を強く打ったため、優一郎の身体は機能が麻痺していた。手足は自由にな
らず、呼吸すらままならない。
「くぎ、ざき?」
行方不明になった同級生の名前。田邊が関係していたのか。
「それにしても、もったいないなあ。優一郎くんも、特別な力があるみたいなの
に。少しは楽しませてよ。まあ、とりあえず今日のところは、この子をもらって
帰るから」
田邊は、動きの取れない優一郎に見えるように、真月の頬をぺろりと舐め上げ
た。
「いいだろう? 優一郎くんには、まだ三人も残ってるんだから。せいぜい楽し
んでおきなよ。そのうち、ほかの子たちも、もらいに来るかさあ」
そして背中を見せた田邊だったが、何かを思い出したように、優一郎に振り返っ
た。
「そうそう、優一郎くんにはヒーローの素質が有りそうだから、言っておくよ。
この子、真月ちゃんだっけ。助けるつもりなら、急いだ方がいいと思うよ。まず、
朝まで貞操が無事ってことはないからさあ」
貞操………無事?
田邊の言葉の意味を察し、優一郎は背筋の寒くなる思いがした。なんとしても、
田邊を止めなければ。しかし優一郎の身体は自由にならず、抵抗一つ出来ない。
それが口惜しかった。その気持ちは、姉妹たちも同様だったろう。
「来るならぼくのマンションだからね………もっとも電車でも数時間掛かる距離
だ。この夜中に、間に合うかなあ。ああ、それから警察には知らせない方が、い
いと思うよ。恐くはないけど、面倒くさいからさあ。知らせたら、それこそこの
子の命、保証しないからね」
狂っている。あるいはハッタリなのか。
電車でも数時間の距離を、自分はどうやって移動するつもりなのだ。優一郎が
そう思った時、田邊の姿が消えた。
「?」
もし優一郎が仰向けに倒れているのでなかったら、本当に田邊の姿が消失して
しまったと信じ込んだかも知れない。だが優一郎は見た。月の浮かぶ空を真月を
抱えたまま飛び去る田邊を。しかしそれもほんの僅かな時間のこと。あっと言う
間に、田邊は優一郎の視界の範囲から消えていった。
「優一郎、立てる?」
美鳥の手を借りて、優一郎がようやく立ち上がれるようになったのは、田邊が
去って五分ほどしてからだろうか。幸い、優一郎も美鳥も外傷は無かった。一時
的に身体が麻痺していただけらしい。もしかすると、それも田邊の力だったのか
も知れない。
麗花は体調を崩していた事も影響したのか、かなり気分が悪そうだったが、ふ
らつきながらも自力で起きあがる事が出来た。
それより心配なのは音風だった。身体の自由が戻ると同時に、大声で泣き出し
てしまった。
「いやあああ、真月! 真月!」
まるで気が触れたかのように、連れ去られた妹の名を叫ぶ。
「音風、しっかりして」
「落ち着くんだ、音風ちゃん」
音風は近づいた優一郎の腕に、信じ難いほどの力でしがみ着いて来た。
「お願い、お願いします! 真月を、真月を助けて下さい! あの子にもしもの
ことがあったら、私………私!」
この家に訪ねてきてから、ほとんど話をする事のなかった少女だが、僅かに垣
間みた程度の印象からは想像のつかない様子で取り乱している。無理もない、目
の前で妹がさらわれていくのを、何も出来ずに見ていたのだから。
「大丈夫、真月ちゃんは必ず助ける。だから安心して」
「お願いします、お願いします、お願いします」
ぼろぼろとこぼれる涙が、優一郎のシャツにも降りかかった。
だが約束はしたものの、その手だてが見つからない。具体的にそれが何なのか
は分からないが、田邊は力を持っている。優一郎が知っている範囲の田邊に、い
や並みの人間にこんな真似の出来るはずがない。
ヤツが口にしたことは、本気であると考えた方がいいだろう。その口振りから、
例の行方不明事件にも田邊が関係しているらしい。みんなをどうしたのかは分か
らないが、田邊は既に十一人の人間に対して犯罪を犯しているのだ。真月に対し
ても、言った事を実行に移すのに躊躇いは持たないだろう。田邊が真月に加えよ
うとしている仕打ちを想像すると、寒気が止まらなくなる。熱帯夜だと言うのに、
優一郎の腕に鳥肌が立った。
とにかく一刻を争う事態であるのは、間違いない。田邊が口にしていた自信、
真月を抱えたまま見せた、あの空を飛ぶ力とその早さ。田邊の言うとおり、自分
のマンションに真月を連れて行ったと思っても良さそうだ。嘘を言っている可能
性も捨てきれないが、他に居場所を推測する材料はない。
だが田邊の行き先が知れたところで、どう急いだところで朝までに優一郎がた
どり着く事は不可能だ。既に電車は走っていない。この家には車もない。有った
ところで朝には間に合わない。それに朝までとは言ったが、田邊がそれまで待っ
ているとも思えない。
仮に間にあったところで、あの得体の知れない力にどうやって抗すればいいの
だろうか。
「大丈夫だよ、音風。きっと真月は助けてみせる。音風も知ってるだろう、優一
郎の力を。音風が少し、力を貸してくれれば、真月は必ず助けられるよ」
凛とした美鳥の声。
「お、おい、なんだよ。俺の力って?」
優一郎の問いには答えず、美鳥は壁にもたれてようやく立っている麗花の方を
見た。
「いいでしょう、お姉?」
麗花が頷くのを確認した美鳥は、優一郎に「後で説明する」とだけ言って、音
風の肩に手を掛けた。
「真月の場所は、分かる?」
「だめ………だめ、分からないの………探しているけど、みつからないの」
聞いている者の胸にまで、その痛みが伝わって来そうなほど、弱々しい音風の
声。
「そう………優一郎、あんたあの男を知っていたみたいだけれど、住所は分かる?
」
いつの間にか普段の美鳥に戻っている。いや、状況が状況だけにいつも以上に、
頼もしく見える。
「それが……あ、ちょっと待ってくれ」
優一郎は急いで部屋に戻り、自分の持ち物を探した。すっかり忘れていたが、
二学期最後の日に田邊が書いてよこした住所のメモを思い出したのだ。鞄のサイ
ド・ポケットから、すぐに定期入れが見つかった。その中に汚い文字で住所の書
かれた紙のある事を確認し、美鳥たちの元へ急ぐ。
「これだ、ヤツの住所は。行った事はないが………」
「それでも、途中までは分かるだろ?」
「ああ、同じ市内だし。けど、住所が分かったところで、どうやって行くんだ?」
「心配ない、跳んで行くよ」
「飛ぶって? 飛行機でも使うのか!」
「違う、ジャンプするんだ。私の力で。さっきもちらっと見たろ? 私の手が光っ
ているのを。本当は昨日も見ているんだけど………」
「?」
「とにかく説明は後回しだ。私だけの力じゃ、たいした距離は跳べないけど、音
風に力を借りて増幅すれば、数回で行けるはず」
「私も、行くわ」
「私も」
麗花と音風が同時に言った。
「無茶だよ、お姉! それに音風も!」