#3917/5495 長編
★タイトル (RAD ) 97/ 6/13 23:15 (196)
【OBORO】 =第2幕・会者定離=(6) 悠歩
★内容
優一郎は池のフナと、真月の絵をじっと見比べる。
色以外に池の二匹のフナに外見上の差は見当たらない。
真月の絵も上手いが、そこは9歳の子どもの描いた物。写実的にフナの姿を描
き写している訳ではない。実際のフナの違いを見つけるより、真月の絵の特徴か
ら推測するしかない。確立は50パーセント。だが絶対に外せない。
『もしかすると』
丹念に絵を見ているうちに、優一郎はある事に気がついた。片方のフナの方が、
もう一匹より心持ち、丸みを帯びた線で描かれている。フナの性別は確認してい
ないが、一般的に赤と言えば女の子のイメージではないだろうか。
思い出せば、初めて会ったとき真月は泥で汚れたピンクのスカートを履いてい
た。もしかすると真月自身にも、赤やピンクが女の子の色だと言うイメージがあ
るのかも知れない。そのイメージで、フナを見ているとしたら。
以前漫画を描く友人から訊いた事がある。男女のキャラクターの描き分けの方
法の中に、男は直線を多く、女は曲線を多く使うと言うのがあるそうだ。真月が
描いたフナの絵にも、それが当てはまるように思える。
「これがあの赤いフナでしょ」
いつまでも時間を掛けていては、拙い。一か八かに賭け、しかしさり気なく丸
みを帯びた方の絵を指さした。
「すごい、あたった」
ぱんと、掌を合わせて嬉しそうに真月が笑う。
優一郎は内心ほっとしながらも、「真月ちゃんの絵が上手いから、分かって当
然だよ」と応えた。
「やった、じゃあほんとにわたし、ユウちゃんたちのこと、じょうずに描けたん
だ」
「え? ユウちゃんって」
「この子たちのなまえ」
真月はフナを指さして説明してくれた。普通のフナがユウタロウで、赤い方が
マヅキだそうだ。どこから来た名前かは、考えるまでもない。それぞれ釣り人と
は逆の者が、その名前のモデルになっている。
「それにしても、フナ二匹だけじゃちょっと寂しいね。もう二、三匹持ってきて
もよかったかな」
「うん、でもお池が小さいから。あんまりたくさん入れると、死んじゃうでしょ。
そしたら、かわいそう」
泳ぐフナの姿を見つめ、真月は言った。二匹だけのフナより、真月の方が寂し
そうに見えた。賑やかな、と言っても主に美鳥だけだが………姉たちに囲まれて
はいるが、思えばこの子にも両親はいないのだ。
そこでふと、優一郎がこの家に来てから感じていた、ある違和感の正体に気が
ついた。
「あのさ、真月ちゃん」
「なあに」
「早く戻らないと、ご飯が冷めちゃう。美鳥に怒られるよ」
「うん」
真月の瞳を見ていると、その質問が出来なくなった。なぜかそれは、この子に
は訊いてはいけない事に思われた。
「さ、急ごう」
優一郎は、真月の手を握り家に向かった。心の中で、その疑問を繰り返しなが
ら。
『なんでこんな大きな家なのに、叔父さんや叔母さん、じいさんたちの仏壇、写
真の一枚もないんだ?』
「お姉、ご飯持ってきたよ」
美鳥がお膳を持って部屋に入ったとき、麗花は寝ているようだった。けれど美
鳥が入った来たことに気がつくと、すぐに身体を起こすと軽く微笑み、「ありが
とう」と答えた。
その顔色は昨夜より幾分良くはなっているようだった。
「お粥じゃ、味気ないかと思って、おじやにしてみたけど………大丈夫かな。一
応、薄味にしたつもりだけど」
「うん、ありがとう。他のみんなは、ご飯、済んだの?」
「真月と優一郎は、いま食べ終わったとこ。音風は今朝は、ちょっと悪いみたい。
まだ寝ている」
美鳥は枕元にお膳を起き、麗花の顔を見つめる。
「ねぇ、やっぱり私の血を」
飲んだ方がいいよ、そう言いかけた美鳥の口元に、そっと麗花の人差し指が充
てられる。
「気持ちだけ、もらっておく。だけど、いいの」
穏やかな笑みを湛えながら麗花は言う。美鳥にも分かっていた。自分の血では
もう、姉の発作を抑えることが出来ない事を。
「あ、あのさあ。音風やまだ目覚めていない真月の血なら、お姉の発作を………」
まだ抑えられるのではないか。言いかけて、麗花の目が突然厳しくなったのに
気がつき、美鳥は言葉を飲み込んだ。
「お願い、前にも言ったでしょ。これ以上、あの子たちを巻き込みたくはないの。
美鳥だって、忘れた訳ではないでしょ。あの時の、音風を」
声もなく、美鳥は頷いた。
忘れる訳がない。
忘れられるはずがない。
全身を赤い血に染め上げ、ただ泣くばかりの音風の姿を。
「私や美鳥は、もう仕方ないけれど………あの子たちだけは、もう朧の血に振り
回させたくはないの。私の命に代えても。あなただって、同じ気持ちのはずよ」
「ごめん、お姉。もう言わないから」
美鳥の言葉に安心したのだろう。麗花はまた、いつもの笑顔に戻った。
「お姉、今夜」
「えっ」
「私、決めた。今夜、優一郎と………」
「そう………」
不意に美鳥は姉に抱き寄せられた。暖かな手が、優しく美鳥の頭を撫でていく。
「ごめんね、美鳥。本当は私が………」
「いいの、いいんだよ、お姉。私だって、まんざらイヤな訳じゃないんだから」
それは強がりだった。
本当は恐くて仕方なかったが、少しでも姉の気持ちを楽にしてやりたかった。
こうして麗花に撫でられていると、美鳥の気持ちも楽になるような気がした。
そんな美鳥を察したのだろうか、麗花はいつまでも優しく撫で続けてくれた。
小さく戸をノックする音。
「お姉ちゃん、おきてる?」
遠慮がちな妹の声。
「うん、起きてる。入って」
音風は手にしていた本に栞を挟み、真月を部屋に招き入れた。
「ご本読んでたの? わたし、じゃまじゃないかしら」
戸を開けた真月は、音風の膝に置かれた本を見て、部屋に入ることを躊躇した。
「ううん、そんなことないよ。熱は下がったけど、何もすることがないから、読
んでいただけ」
「じゃあ、入るね」
音風の笑みにようやく安心したように、真月は部屋に入る。後ろ手に隠したつ
もりなのか、スケッチブックを持っている。真月はベッドの側へ、ちょこんと座
る。
「真月、ベッドの上に座っていいのよ。下に座ったんじゃ、真月は小さいから顔
が見づらいもの。お話もしにくわ」
「うん」
真月は音風に言われるまま、ベッドへと座りなおす。充分慎重に身を屈めてい
たが、勢い良く腰を下ろしてしまったため、ぎしぎしとベッドが揺れた。
「あ、お姉ちゃん、ごめんなさい」
慌てて謝った真月だが、音風の方は少しも怒りはしない。むしろ、慌てて頭を
下げる真月の姿が可愛らしく、おかしかった。
「ふふっ、真月らしい。元気がいいわね」
「へへっ」
音風に笑われた、真月はなんだか照れ臭くさそうにしている。ぽりぽりと、頭
を掻く。
「真月ったら、いつの間にかずいぶん、陽に焼けているのね」
妹の手を取り、音風はそれをじっと見つめる。小学校が休みに入って、まだ幾
日も経っていないというのに、真月の肌はすっかり黒くなっている。音風は自分
の手を伸ばし、妹の手と並べて比べてみた。ほとんど陽に当たることのない音風
の肌は、過ぎるほど白く、真月と見比べると、一層不健康そうに感じられた。
「お姉ちゃんの手、しろくてきれい。いいなあ」
音風の想いとは反対に、妹はその白さを羨ましがる。そのことがまた、音風に
はおかしかった。
「そんなことを、言いに来たんじゃないでしょ」
「ああん、お姉ちゃんが、色をくらべるからなのにぃ。あのね、これみて!」
真月はスケッチブックをめくり、一枚の絵を見せた。
「お魚の絵、ね。上手に描けているわ」
「へへっ」
期待していた通りの言葉だったのだろう。真月は鼻の頭を指で擦りながら、嬉
しそうに破願した。
「あのね、お兄ちゃんもじょうずだって、言ってくれたんだよ」
「お兄ちゃん? ああ、優一郎さんのことね」
「お姉ちゃん」
「なに?」
「もし、優一郎お兄ちゃんが、ほんとのお兄ちゃんだったら、いいと思わない?」
音風はしばらく考えて、「そうね」と答えた。しかし本当は、妹の意見に賛成
出来なかった。何も知らない真月はともかく、音風には朧月の家の秘密、麗花が
優一郎を探し出してきた理由が分かっていた。優一郎の登場で、これから本格的
になるだろう姉たちの苦しみを思うと、真月のように喜ぶ事は出来ない。
「きのう、お話したよね。お兄ちゃんとつりにいったこと。これね、そのときに
つってきた、お魚の絵なの」
音風の同意を得た真月は、さらに楽しそうに話をする。
「まだ色をつけてないけど、こっちのお魚がね、お兄ちゃんの釣った赤いお魚な
の」
鉛筆描きの魚の絵の一匹を指さして、真月は説明をする。よほど昨日の釣りが
楽しかったのか、赤い魚が気に入ったのか。
生前の祖父は、姉妹たちが外で遊ぶことを厳しく制限していた。外の人間とは、
極力関わりを持たない。それが朧月家の決まりだった。
その祖父母、両親の死後もいきなり友だちが出来る訳ではない。真月の遊び相
手は、姉たちに限られていた。だが麗花や美鳥は歳が真月とは離れていたし、祖
父たちの死後の処理や家事に追われ、それどころではなかった。音風は身体が弱
く、気分のいい時にたまにこうして話し相手になってやるくらいしか出来ない。
そんな時に、まともに真月の遊び相手になってくれる優一郎が家に来てくれた
ことが、嬉しくて仕方ないのだろう。
それを思うと、音風自身はあまり歓迎していない優一郎の訪問も、許す事が出
来た。
「ねえ、お姉ちゃん。このお魚、見たくない?」
「えっ」
「にわのお池にいるの。お姉ちゃん、いまは気分いいんでしょ。見に行こうよ」
本当はあまり部屋から出たくはなかった。なるべく、優一郎と顔を会わせたく
ない。
音風も祖父に外へ出ることを制限されていたし、病気がちだったため、真月よ
りも姉妹以外の人間と会う機会が少なかった。そのため人見知りの激しさは姉妹
の中でも一番だった。
特に優一郎の内に潜んでいる力に触れると、忘れようとしていた事が思い出さ
れて辛いのだ。
しかし屈託のない笑顔を見せて音風を誘う、真月をむげに断る事も出来ない。
「ええ、私も見てみたいわ」
そう音風は答えた。
久しぶりに浴びる太陽の光は眩しかった。
まだお昼まではだいぶ時間が有るが、長く陽射しから遠ざかっていた音風には、
些か強すぎる光だった。
軽い目眩を起こし、よろめく音風を真月が両手で支える。
「お姉ちゃん、だいじょうぶ。やっぱり、むりだっかな」
ふらつく音風を見て、自分が無理に誘ったせいだと思ったのだろう。真月が心
配そうな目で、音風の顔を見上げている。
「ん、大丈夫」
真月を安心させようと、音風は自分を支えている手をそっと離させた。少し陽
射しに身体が馴れてきたのを確認して、歩き出す。習慣で羽織っていたカーディ
ガンが暑かった。 少し離れた場所からでも、池の中に赤い物があるのが見て分
かる。
「あれが、優一郎さんの釣ったお魚ね」
池の前に立ち、音風はその赤い魚をしげしげと眺めた。一見、金魚のようにも
見える。フナだろうか。
普通の黒っぽい色をしたフナと並んで、ヒレだけを揺らめかせていた。
「なまえつけたの、赤いのがマヅキで、黒いのはユウタロウ、ユウちゃん」
真月が説明する。さすがに自分の名前に「ちゃん」付けするのは恥ずかしいの
だろう。
「ふうん、マヅキちゃんとユウちゃは、仲がいいのね」
寄り添うようにしているフナを指さし、音風が言うと、真月は「うん」と答え
た。
ひらひらと、一枚の木の葉が水面に落ちた。
二匹のフナは、驚いて散ってしまった。