#3900/5495 長編
★タイトル (FJM ) 97/ 6/ 9 4:48 (128)
代償 第一部 6 リーベルG
★内容
6
「何?」田上紀子は振り向いた。
「ちょっと頼みがあるんだけど」クラスメイトは感情を抑えた声で言った。
六時限目が終わった後の教室だった。田上紀子に声をかけたのは、日頃それほ
ど親しいとはいえないクラスメイトだった。
「あたし、忙しいんだけど……」
「いいから、来なさいよ!」声が高くなり、教室に残っていた生徒の何人かが振
り向いた。「話があるのよ」
田上紀子は断りの素振りを見せたが、相手の表情を見て考えを変えた。
「いいわ。でも、手短に頼むわよ」
「こっちよ」クラスメイトは先に立って歩き出した。
田上紀子が連れていかれたのは、先日、美奈代たちに囲まれて責め立てられた
校舎の裏だった。かすかに不安の色が浮かんだとき、数人の人影が周囲を取り囲
んだ。全て同じクラスの女子生徒たちだった。
藤澤美奈代もいた。
案内してきたクラスメイトは、後も見ずに逃げ去っていた。
「なによ?」
「あんたに訊きたいことがあるのよ」美奈代の声は怒りを抑えきれずに上ずって
いた。「どうやってカンニングしたの?」
「はあ?なんですって?」
「由希先生の授業をろくに聞いていないあんたが、あんないい点数とれるわけな
いじゃない。カンニングしたんでしょ?」
田上紀子の顔がさっと紅潮した。
「ふざけないでよ!誰がカンニングなんか!」
「白状しなさいよ!」別のクラスメイトが言った。「やったんでしょ」
「正直に言えよな」
「そうまでして、いい成績取りたいの?」
「やってないったら!」紀子は叫んだ。「いい加減にしてよ」
「じゃあ、どうして、学年三位なのよ」美奈代が訊いた。
「ちゃんと勉強したからに決まってるでしょ」
「一夜漬けで取れる点数じゃないわ」
「そうよ」
「カンニングなんて最低!」
クラスメイトたちは口々に責め立てた。紀子は耐えきれずに大声を出した。
「うるさいわね!何よ、あんたたちがいい点取れなかったからって!人のせいに
する前に、次のテストの心配でもしたら?知ってるわよ、藤澤さん」
突然、開き直ったような視線を向けられて、美奈代はたじろいだ。
「な、なによ」
「由希先生に何て言われたか」紀子は鼻で笑った。「失望した。そうよね。そり
ゃ、失望もしようってもんよね。由希先生のお気に入りのあんたが、おかしな点
数取ってりゃ、がっかり来るわよね」
美奈代はいきなり紀子を突き飛ばした。不意をつかれた紀子は、あっけなく地
面に転がった。
「ふざけやがって、こいつ!」美奈代は、紀子の背中に馬乗りになると、髪の毛
を引っ張った。「カンニングしたって言いなさいよ!」
紀子は悲鳴を上げた。けんめいに背中に手を伸ばすが、美奈代には届かない。
「言え言え!言いなさい!私はカンニングしましたって!」美奈代は紀子の髪を
根元から引き抜きそうなぐらい力をこめた。「言えったら!」
周囲を取り巻いていたクラスメイトたちは、顔を見合わせた。
「ちょっと藤澤あ……」
一人が声をかけたが、美奈代の耳には届いていないようだった。
めりっ。
胸が悪くなるような音が、居合わせた全員の耳に届いた。紀子の髪が一房、頭
皮ごと引き剥がされた音だった。
紀子はすさまじい悲鳴を上げた。
「藤澤!」
「ちょっとやばいよ!」
ようやくクラスメイトたちが動いた。二人がかりで、後ろから美奈代の腕をつ
かんで引き戻す。その手には、紀子の髪がしっかりと握られている。先端には血
のついた小さな肉塊がぶら下がっていた。
美奈代は肩で息をしていた。クラスメイトたちに抵抗はしなかったが、たぎる
ような憎悪の視線は、うずくまって呻いている紀子に突き刺したままだった。
「言いなさいよ」美奈代は繰り返した。「カンニングを認めなさいよ。でないと、
ハゲになるまで引き抜くわよ」
その声にぞっとしたのは、言われた紀子よりも、周囲のクラスメイトたちだっ
た。冗談や脅しではないことは、美奈代の歪んだ表情と、激した声でわかった。
「言っちゃいなよ、田上」一人が言った。紀子を責めるというより、美奈代が口
にしたことを実行するのを恐れてである。「素直に言えば、何もしないからさあ」
「そ、そうよ」
「言いなよ」
「田上!」
他のクラスメイトたちも同調した。
紀子が顔を上げた。顔は苦痛で歪み、両の目には涙があふれている。美奈代を
馬鹿にしたときの攻撃心は完全に消滅し、かわりに恐怖が浮かんでいた。
それでも紀子は、残された誇りを守るようにつぶやいた。
「や、やってない。カンニングなんてやってな……」
最後の言葉が悲鳴に変わった。かっとなった美奈代が飛び出して、紀子の脇腹
を蹴りつけたからだ。クラスメイトたちが引き留める暇もなかった。
「まだ言うかあ!」美奈代は怒鳴った。
「藤澤!」
「やばいってば!」
「これが最後よ」美奈代はクラスメイトたちには目もくれなかった。「言いなさ
いよ。本当のことを。素直に言えば、許してあげるわ」
クラスメイトの一人が、うずくまっている紀子の身体を、やや乱暴に起こした。
そうしながら、素早く耳元で囁く。
「いいから言いなさいよ。でないよ何されるかわかんないよ」
紀子は顔を上げた。
「や、やりました」新たな悔し涙がこぼれ落ちる。「カンニングしました」
美奈代は満足そうな笑みを浮かべた。
「ほうら、やっぱりね。みんな聞いたわね」
クラスメイトたちはばつが悪そうな顔で、声もなく頷いた。
「じゃあ、どうしたらいいかしらね。この、卑劣な女を」
「あ、明日みんなの前で白状させたらどうかな」一人が言った。
「そんなんじゃ甘いわよ」美奈代ははねのけた。「由希先生の前で、今言ったこ
とを繰り返してもらわないとね。それから、点数を撤回してもらうのよ。どう?」
「それはちょっと……」
「やりすぎなんじゃないかなあ」
煮え切らないクラスメイトたちに、美奈代の怒りは再燃した。
「なに、甘いこと言ってんのよ!こういう奴には、それぐらいやらないと。由希
先生に対してなめた真似するやつが、二度と出てこないようにね。いいわね?」
視線を向けられた紀子は呆然と美奈代を見て、ぶるぶると首を横に振った。
「何?いやだっていうの?」
「は、はい」
「あんたねえ……」
また激しかけた美奈代を、一人のクラスメイトが押しとどめた。紀子の身体を
起こした生徒である。
「もういいじゃない。この子も認めたんだし。今さら、点数を撤回させるなんて
無理よ。あんたが強制したってわかったら、由希先生も怒るだろうしさ」
「あたしたちが、でしょ」美奈代は言い返したが、相手の言葉にも一理あるとみ
たのか、それ以上は紀子に強制しようとしなかった。「まあ、いいわ。もうする
んじゃないわよ。それから、由希先生の授業は真面目に受けなさい。いいわね?」
「はい」紀子は投げやりに答えた。
美奈代はまだ何か言い足りなさそうに、うなだれている紀子をにらんだ。が、
不意に興味をなくしたように背中を向けた。
「行くよ」
「う、うん」
クラスメイトたちは紀子から目をそらして、美奈代に従った。
さっき美奈代を押しとどめたクラスメイトだけは、わざと最後まで待っていた。
そして、全員が背を向けたとき、素早くハンカチを出して、紀子の手の中に押し
込む。それから、急ぎ足で美奈代たちに追いついていった。
しばらくして紀子は、のろのろと立ち上がった。切れた唇の端から一筋の血が
垂れている。拭おうと手を上げたとき、手の中のハンカチに気付いた。紀子はそ
れを口元に持っていきかけたが、不意に短い悲鳴を上げると、ハンカチを地面に
叩きつけた。
何も考えずに眠りたかった。紀子はふらふらと校門に向かって歩き出した。